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第64話『夏の始まり』

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 6月1日、木曜日。
 ゆっくりと目を覚ますと、薄暗い中、見慣れてきた天井が見える。もう朝になっているんだな。
 すぅ……すぅ……と、可愛い寝息が左側から聞こえてくるので、そちらに顔を向けてみる。昨晩と同じく、目の前に優奈の可愛い寝顔があって。左腕も昨日と同じで優奈に優しく包まれている。目覚めたときから優奈の寝顔が見られて、優奈を感じられることがとても嬉しい。
 扉の方を向いて、壁に掛かっている時計を見ると……今は午前6時過ぎか。今日は朝食とお弁当の当番だけど、もう少しゆっくりできるかな。

「和真くぅん……」

 とても甘い声で優奈が俺の名前を言うのでそちらを見ると……優奈はスヤスヤと寝ている。どうやら寝言だったようだ。夢に俺が出ているのかな。

「ほんと、優奈は寝ているときも可愛いな」

 それは以前から思っていたことだけど。優奈が好きだと自覚して、優奈と好き合う夫婦になれたから、今まで以上に寝顔が可愛く見える。
 ただ、あまりにも可愛くて。愛おしくて。触れたくて。気付けば、優奈の頬にキスしていた。唇ほどではないけど、優奈の頬は柔らかくて、優しい感触がした。
 唇を離して、再び優奈の寝顔を見ると……愛おしい気持ちが膨らんでいく。

「うんっ……」

 優奈は可愛い声を漏らすと、ゆっくりと目を開けた。目を覚ました直後だからか、俺と目が合うと、とろけた笑顔になる。

「おはようございます。和真君……」
「おはよう。……起こしちゃったかな? その……頬にキスしたから」
「キスしていたんですか。全然気付きませんでした。でも、気持ち良く起きられたので、和真君のせいで起きてしまったわけではありませんよ」
「そっか。それなら良かった」

 童話のような目覚めのキスにはならなかったようだ。まあ、毒を盛られたわけではないので、優奈を起こしてしまった原因ではなくて一安心だ。

「今は何時ですか?」
「朝の6時過ぎだ。優奈は当番じゃないし、まだ寝ていても大丈夫だよ」
「……いえ、このまま起きます。気持ち良く起きられたので」
「分かった」

 二度寝は気持ちいいけど、今から寝られるのはせいぜい1時間程度。気持ち良く起きられたから、このまま起きて、いつもよりも平日の朝の時間をゆっくりと過ごした方がいいと考えたのかも。

「和真君。昨日はおやすみのキスをしたので、おはようのキスがしたいです」
「ああ、いいよ」
「ありがとうございます。昨日は和真君からしてくれたので、今日は私から」
「分かった」

 俺はそっと目を瞑る。
 目を瞑ってからすぐに、俺の唇には柔らかくて、温かいものが触れる。昨日たくさんキスしたから分かる。触れているのは優奈の唇なのだと。
 数秒ほどして、柔らかな感触がなくなる。なので、目を開けると、すぐ目の前には幸せそうな笑顔の優奈がいた。

「目を覚ましてすぐに和真君とキスできるなんて。今までで一番幸せな目覚めになりました」
「俺もだよ、優奈」

 だから、今日も一日頑張れそうだ。それに、席替えをして、学校では優奈の隣にいられるからな。
 優奈も俺も、朝起きて最初にすることは歯を磨いたり、顔を洗ったりすること。だから、一緒にベッドから降りて、洗面所へと向かうのであった。



「よし、これでいいかな」

 優奈と一緒に朝食を食べ終わった後、俺は自室で私服から高校の制服へと着替えた。
 ただ、制服といっても、冬服ではなく夏服だ。
 うちの高校では校則により、6月1日に衣替えが行なわれ、制服が冬服から夏服に切り替わる。夏服期間は9月末まで続く。
 夏服になると、半袖のワイシャツとブラウスが解禁される。男子のネクタイや女子のリボンタイはデザインがそのままで、赤色から青色に変わる。スラックスやスカートはデザインや濃い灰色はそのままで、生地が通気性のいいものになる。暑い時期に着ても快適でいられる制服となるのだ。
 今日は一日晴れて暖かくなる予報なので、半袖のワイシャツの上にベストを着ている。優奈も半袖のブラウスを着るのだろうか。どんな服装になるのか楽しみだ。
 身だしなみと忘れ物チェックが済んだので、俺はリビングに行き、弁当と麦茶の入っている水筒をスクールバッグの中に入れる。

「夏服姿似合っていますね」

 入れ終わったとき、扉の方から優奈のそんな声が聞こえてきた。
 扉の方を見ると、そこには夏服姿の優奈が立っていた。優奈は半袖のブラウスの上にベストを着ている。リボンタイも青色に変わったので爽やかな印象を抱かせる。

「ありがとう。優奈もよく似合っているよ。半袖のブラウスや青いリボンタイがいいね」
「ありがとうございます!」

 えへへっ、と優奈は声に出して嬉しそうに笑う。本当に可愛いなぁ、俺のお嫁さん。

「優奈。可愛いし、今年初めての夏服を着た記念に……写真を撮ってもいいかな?」
「いいですよ。何枚か送ってくれますか?」
「ああ、分かった」

 その後、俺のスマホで優奈の夏服姿の写真や、優奈と俺のツーショットの自撮り写真を何枚も撮影した。
 ツーショット写真を撮るときは優奈が俺に体をくっつけたり、腕を絡ませたりしてきて。直接触れる腕や制服越しに温もりが伝わってきてドキッとした。
 ツーショット写真を中心に、LIMEで優奈のスマホに送った。優奈はスマホでさっそく確認し、嬉しそうにしていた。
 優奈もバッグに弁当と水筒を入れ、俺達は一緒に玄関に向かう。

「優奈。家を出る前に……いってきますのキスをするか? おやすみ、おはようってキスしたからさ」

 優奈にそんな提案をする。
 優奈はぱあっ、と明るい笑みを浮かべて、

「はいっ、いいですよ! 私もいってきますのキスをしたいと思っていました!」

 と、快諾してくれた。これまで、おやすみのキスとおはようのキスをしたから、いってきますのキスをしていいと言ってくれそうだと思っていた。それでも、実際に受け入れてくれると嬉しいな。私もしたいと思っていたとも言ってくれたし。

「ありがとう。じゃあ、いつものように一緒に『いってきます』って言ってからキスしようか」
「そうしましょうか。では……せーの」
『いってきます』

 優奈と声を揃えてそう言うと、優奈は目を瞑ってくる。俺が提案したので、俺からキスしてってことだろうか。制服姿でのキス待ちの顔も可愛くてグッとくる。
 俺は優奈にいってきますのキスをする。
 数秒ほどで唇を離すと、目の前には嬉しそうな優奈の笑顔があった。幸せだ。

「じゃあ、学校に行きましょうか」
「そうだな。行こう」

 俺達は手を繋いで家を出発する。
 マンションから出て、学校に向かって歩いていく。
 季節が夏になっただけあって、日差しが結構強くなっている。そんな日差しを直接浴びると暑く感じて。制服が夏服になって、半袖のワイシャツやブラウスが着られるようになって良かったよ。ただ、そんな暑い中でも、繋いでいる優奈の手から伝わってくる温もりは心地良くて。いつまでも感じていたい。
 隣で一緒に歩いている優奈を見ると……いつも以上にご機嫌な様子だ。

「優奈、いつもよりも機嫌が良さそうだな」
「はいっ! 席替えをして、和真君と隣同士の席になりましたから。和真君と好き合う関係になれましたし。今まで以上に学校が楽しみで」
「そっか。俺も優奈が隣の席だから、今まで以上に学校生活が楽しみだ」
「そうですか!」

 優奈はニッコリと笑いかけてくれる。その笑顔は夏の強い日差しよりも明るく、眩しくて。
 俺と隣同士の席になって、好き合う関係にもなれたから、学校生活が今まで以上に楽しい……か。昨日はホームルームで優奈の隣の席の番号を引けて本当に良かった。そして、家では優奈に好きだと伝えられて本当に良かった。この2つの出来事があったからこそ、優奈はこんなにも魅力的な笑顔を見せられるのだと思う。

「これまでの傾向からして、少なくとも期末試験が終わるまでは今の席だろうな」
「でしょうね。夏実先生は定期試験明けや学期始まりに席替えをすることが多いですから」
「そうだな。新しい今の席での学校生活を一緒に楽しもう」
「ええ!」

 優奈は明るい笑顔で返事をしてくれる。それがとても嬉しい。
 優奈と話しながら歩いていたので、気付けば高校の近くまで来ていた。そのため、周りにはうちの高校の制服姿の人がいっぱい歩いている。
 多くの生徒が衣替えをきちんとしており、青色のネクタイやリボンタイを付けている。今日は晴れの予報なので、俺達のように半袖のワイシャツやブラウスを着る生徒も結構いて。昨日までとは違う光景が広がっている。こういうところからも、季節が夏になったんだなぁと実感する。
 それから程なくして高校に到着する。高校の中ももちろん、夏服姿の生徒ばかり。だけど、一部の生徒は冬服のままで、ちょっとだけ気まずそうにしていた。衣替えの直後らしい光景の一つだ。
 昇降口でローファーから上履きに履き替え、階段で教室のある6階まで上がる。
 席替えをして優奈も俺も一番後ろの席になったので、教室後方の扉から教室の中に入る。入った瞬間、涼しい空気が全身を包み込む。

「あっ、涼しい……」
「涼しいな」

 うちの高校の教室にはエアコンが付いている。照明スイッチの横にあるリモコンで生徒が自由に操作できる。早く登校してきた誰かがエアコンを点けていてくれたのだろう。
 座席によってはエアコンからの風が直接当たって寒い場合がある。なので、クラスメイトの中には長袖のシャツやブラウスを着たり、カーディガンを羽織ったりしている生徒もいる。

「おっ、長瀬と有栖川が来たな! おはよう!」
「優奈、長瀬君、おはよう」
「2人ともおはよう! ラブラブだね!」

 西山と井上さん、佐伯さんが元気良く挨拶してくれた。好き合う夫婦になれたと報告したからか、佐伯さんはラブラブと言ってきて。そのことにちょっと照れくささを感じる。優奈も同じなのか、彼女の頬はほんのりと赤くなっていた。
 また、3人は西山と佐伯さんの席のところに集まっていた。

「みなさんおはようございます」
「おはよう、みんな」

 優奈と俺は自分の席にスクールバッグを置き、3人のいるところへと向かう。その間、優奈や俺の友人を中心に何人かの生徒から「おめでとう!」と言われた。

「おめでとうと言われましたけど、もしかして千尋ちゃん達が私達のことを?」
「嬉しかったから、友達に言ったんだ」
「それに、千尋と西山君と一緒に2人のことを話していたからね」
「俺達の会話を聞いた奴らに長瀬と有栖川のことを話したんだ」
「ダメだった? 優奈、長瀬」
「いえ、特には」
「俺も別に。一緒にいることが特に多いし、俺達が好き合う夫婦になりたいって知っていたから、昨日の夜は家族以外には3人と渡辺先生と百瀬先生にメッセージを送ったんだ」
「そうだったんだ。良かった」

 佐伯さんはそう言うとほっと胸を撫で下ろしていた。西山と井上さんもほっとしていた様子だった。特に親しいから昨日の夜に報告しただけで、それを広められたことが嫌だとは全く思わない。
 何人もの生徒が「おめでとう!」と言ってくれたので、

「みんなありがとう!」

 と、大きめの声でお礼を言った。そんな俺を見てか、

「ありがとうございます!」

 優奈は笑顔で、普段よりも大きな声でお礼を言っていた。
 さっき、俺達に向かって「おめでとう!」と言ってくれた生徒達は手を挙げたり、再び「おめでとう!」と言ってくれたりした。いい生徒が多くて嬉しいな。

「ねえ、優奈、長瀬。好き合う夫婦になったってことは、キスとかした?」
「気になるわよねぇ、千尋」
「俺も気になるかな」

 佐伯さんと井上さんはニヤニヤと、西山は爽やかな笑顔で俺達のことを見てくる。好意を伝え合ったし、俺達は一緒に住む夫婦だから、キスとかをしたのかどうかは気になるか。
 訊かれている内容が内容なだけに、優奈の顔が見る見るうちに赤くなっていく。俺も頬が熱くなっているから、優奈のように赤くなっているんだろうな。

「……し、しました。何度も。とても良くて、幸せな気持ちになれます」

 俺とキスしたときのことを思い出しているのか、優奈は真っ赤な顔に笑みを浮かべながらそう言う。そのことがとても嬉しい。

「そうだな。優奈とキスすると、幸せな気持ちになれるよ」
「へえ、そうなんだ! いいね!」
「いいわね。私、ドキッとしたわ」
「2人とも幸せそうに語ってくれるぜ。昨日メッセージを送った通り、これからはより仲のいい2人が見られそうで嬉しいぜ。改めておめでとう!」
「2人ともおめでとう!」
「優奈、長瀬君、おめでとう」

 西山、佐伯さん、井上さんはいい笑顔で祝福の言葉を言ってくれる。昨日、グループトークでメッセージを受け取ったけど、こうして対面でおめでとうと言われると凄く嬉しい気持ちになる。優奈も同じ気持ちなのか、依然として真っ赤な顔に嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
 優奈と俺は一度目を合わせて、

『ありがとう!』

 と、声を揃えてお礼を言った。
 それから程なくして、担任の渡辺先生がやってくる。なので、俺達は席替えで新しくなった席に座る。

「隣に和真君がいるのっていいですね」
「そっか。俺もだ。改めて、これから隣でよろしくな」
「はいっ。よろしくお願いします」

 優奈はニコッと俺に笑いかけてくれた。
 今日も学校生活が始まる。ただし、昨日までとは違って、俺の隣に大好きな優奈がいる中で。
 授業中、ノートに板書を写そうとすると、隣の席に座る優奈が自然と視界に入って。以前の席よりも優奈と目が合ったり、微笑み合ったりする回数がかなり増えて。そのことに幸せを感じながら一日を過ごす。
 高校3年生の夏はとてもいい形でスタートを切ることができた。
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