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最終章

第56話『あおいの家で迎える朝』

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 8月19日、金曜日。
 ゆっくりと目を覚ますと……薄暗い部屋の中で見慣れない天井が見える。
 一瞬、ここはどこなのかと思ったけど、あおいの家に泊まっているんだった。こういう気持ちになるのも、誰かの家にお泊まりしに行ったり、旅行に行ったりしたときの醍醐味だな。
 壁に掛かっている時計を見ると、今は……午前7時20分。俺はもちろん、あおいもまだ寝ていても大丈夫な時間だ。

「すぅ……」

 すぐ左側から、可愛らしい寝息が聞こえてくる。
 左側に視線を向けると、昨晩と同じようにあおいが俺の左腕を抱きしめながらぐっすりと寝ていた。カーテンの隙間から陽の光が入っているので、昨晩よりもあおいの可愛い寝顔がはっきりと見える。あおいの寝顔を見ると愛おしく思えて。
 あおいが俺に寄り添っていると分かった瞬間、全身がとても温かい感じがしてくる。昨日、寝るときよりも温かいような。そんなことを思いつつ、右手で掛け布団をそっとめくってみると……あおいは両脚を俺の左脚に絡ませていた。

「ゴールデンウィークのときと一緒だな」

 あのときも、あおいは脚まで絡ませていた。
 ただ、幼稚園の頃は朝起きると180度回転したり、90度回転して俺のお腹を枕にしたりしていたこともあった。そのときのことを考えれば、あおいも10年間で寝相がだいぶ良くなったのだと思える。

「涼我君……」

 俺の名前を口にすると、あおいは「えへへっ」と笑って、俺の腕を抱きしめる力が強くなっていく。
 俺と一緒に寝ているから、あおいの夢に俺が出ているのかな。もし出ていたら、夢の中の俺は何をしているのだろうか。時間的に余裕があるし、寝ているあおいを観察してみるか。

「えっ、スクール水着姿を見たいんですか? 中学の授業で着ていた水着が部屋にありますからいいですよ……」

 夢の中の俺はスクール水着姿をご所望か。きっと、昨日プールデートに行ったから、その影響で、スクール水着姿を見たいって夢の中の俺が言ったんだろうな。あおいは笑顔だから、夢の中ではノリノリでスクール水着に着替えているのだろう。
 そういえば、小中学校は別々だったし、調津高校には水泳の授業はない。だから、あおいのスクール水着姿は見たことないな。あおいのアルバムにもスクール水着姿の写真はなかったし。

「似合っていると言ってくれて嬉しいです。……えっ? 今の私を見たら、バストアップマッサージをしたくなってきたんですか? じゃあ、お願いしましょうかね」
「変態だな」

 夢の中の俺。思わずツッコんでしまった。
 昨晩は下着姿のあおいにバストアップマッサージをしたからな。だから、夢の中ではスクール水着姿のあおいのバストアップマッサージをするなんていう夢を見ているのだろう。
 ただ、夢の中の俺……あおいのスクール水着姿を見たらマッサージしたくなったって。似合っているから、マッサージにかこつけてあおいに触れたくなったのだろうか。変態だな。
 スクール水着越しのバストアップマッサージが気持ちいいのか、あおいはもぞもぞと動きながら「あっ」とか「んっ」と可愛い声を漏らしていて。

「涼我君。2度目なのに、早くもバストアップマッサージのコツを掴みましたね。すっごく気持ちいいですぅ……」

 恍惚とした表情でそんな寝言を言いながら、あおいはゆっくりと目を覚ました。俺と目が合うと、あおいは柔らかな笑顔を見せてくれる。

「おはようございます、涼我君」
「おはよう、あおい。俺はさっき起きたんだけど……起こしちゃったかな」
「いいえ、そんなことないですよ。凄く気持ちのいい目覚めでしたから」
「それなら良かった」

 変態だな、といつもの声でツッコんでしまったから。あおいの睡眠を阻害してしまったわけじゃなくて良かった。

「どんな夢を見ていたのかは分かりませんが、気持ちのいい目覚めだったってことはいい夢だったような気がします」
「俺が出ていたみたいだぞ。寝言で俺の名前を言っていたし」
「そうだったんですねっ」

 ふふっ、とあおいは嬉しそうに笑う。目を覚ます直前まで夢を見ていたのに覚えていないのか。夢って何だか儚く感じる。あと、俺の希望でスクール水着を着て、その姿でバストアップマッサージをしていたことは黙っておこう。どんな反応をするのか分からないし。

「それにしても、起きた瞬間から涼我君に会えるなんて。凄く嬉しいです」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
「ふふっ。それを含めてとても気持ちのいい目覚めです。改めておはようございます、涼我君」

 ちゅっ、とあおいは俺にキスしてきた。おはようのキスってやつか。今も腕や脚からあおいの温もりが伝わるけど、重なった唇から伝わる温もりはとても優しくて、特別感があった。
 目覚めて少ししか立っていない段階で、好きな人にキスされて。俺もいい目覚めになったな。

「今は……7時半ですか。バイトは10時からですが、いい目覚めでしたからこのまま起きましょう」
「そうだな」

 その後、俺達は顔を洗ったり、歯を磨いたり、寝間着から私服に着替えたりと朝の身支度をする。それらが全て終わり、あおいと一緒に1階に下りると、

「あっ、お父さん。おはようございます」
「おはようございます、聡さん。今から出勤ですか?」

 玄関で革靴を履こうとしているスーツ姿の聡さんと会った。

「2人ともおはよう。これから仕事に行くよ。夏休みだし、あおいのバイトは10時からだそうから、2人をゆっくり寝かせようって母さんと話していたんだけどね。出勤前に2人に会えて嬉しいよ。涼我君。この家では初めてお泊まりだったけど、よく眠れたかな?」
「はい、昨日はよく眠れました。あと、あおいとはアニメを観たりして楽しめました」
「とても楽しいお泊まりの夜でした!」
「そうか。それは良かった」

 優しい笑顔で聡さんは言ってくれる。聡さんの優しい雰囲気は昔と変わらないな。

「じゃあ、仕事に行ってくるよ」
「いってらっしゃい、お父さん」
「いってらっしゃい、聡さん。お仕事頑張ってください」
「ありがとう」

 穏やかな笑顔でそう言うと、聡さんは仕事鞄を持って家を出発していった。夏休みだからゆっくりと寝かせようとしてくれたそうだけど、聡さんと再び挨拶ができて良かった。
 あおいと一緒にキッチンへ向かうと、そこには味噌汁をよそう麻美さんの姿があった。

「おはようございます、お母さん」
「麻美さん、おはようございます」
「2人ともおはよう。起きるの早いわね。あおいはバイトが10時からだし、もう少し寝ているのかと。もしかして、涼我君は朝からバイトがあったりする?」
「バイトはありますが、正午からのシフトです」
「そうなのね」

 麻美さんはニッコリと俺に笑いかけてくれる。この明るい笑顔はあおいそっくりだと改めて思う。

「涼我君。ご飯や味噌汁、麦茶を用意しますので、涼我君は椅子に座っていてください」
「いいのか?」
「もちろんですよ! 涼我君はお客さんですから。それに、うちで久しぶりにお泊まりしたので、涼我君にしたいんです」

 あおいはいつもの明るい笑顔でそう言ってくれる。普段は自分でやることだから、ちょっと申し訳ない気分になるけど……あおいがやりたがっているんだ。ここは素直にご厚意に甘えよう。

「分かった。じゃあ、お願いします」
「はいっ」

 俺はあおいに指定された椅子に座る。
 あおいは俺の前にご飯に豆腐とわかめとねぎの味噌汁、麦茶を置いてくれる。その直後に麻美さんがベーコンエッグとほうれん草のごま和えを。健康的な和風の朝食って感じがするな。昼からだけど、これを食べれば今日のバイトを頑張れそう。
 配膳が終わると、あおいは俺の隣に、麻美さんは俺からもあおいからも斜向かいとなる位置に座った。

「では、食べましょうか。いただきます」
『いただきまーす』

 あおいの号令で、あおい、俺、麻美さんは朝食を食べ始める。
 まずは味噌汁を一口。

「……美味しい」

 だしも利いているし、ほんのりとネギの風味も感じられて。夏の時期だけど、温かいものを口にするとほっとした気持ちになる。

「ふふっ、涼我君に美味しいって言ってもらえて嬉しいわ。私が作ったから」
「そうだったんですね」
「お母さんの作るご飯は美味しいですよ」
「昔から美味しかったですよね」
「涼我君は小さい頃から料理をよく食べてくれたわね。懐かしい気持ちになるわ」

 当時のことを思い出しているのか、麻美さんは優しい笑顔で俺のことを見てくる。
 麻美さんの料理の腕がいいのと、俺も小さい頃から好き嫌いはあまりなかったのもあり、あおいの家での食事はたくさん食べていた記憶がある。
 ベーコンエッグやほうれん草のごま和えも麻美さんが作ったのだという。醤油をかけたベーコンエッグは美味しいし、ごま和えも程良い甘さでほうれん草がシャキシャキしていて美味しい。ご飯にもよく合う。
 あおいはもちろんのこと、麻美さんも笑顔で朝食を楽しんでいる。この家でのお泊まりは初めてだけど、懐かしさが感じられた。

「それで、昨日の夜は楽しかった? イチャイチャしたりした?」

 朝食をある程度食べたとき、麻美さんはワクワクとした様子でそんなことを訊いてきた。あおいは俺に告白しているし、自分の部屋で俺と2人きりの夜を過ごしたから何かしたんじゃないか……と考えているのだろう。
 あおいの方を見ると……頬をほんのりと赤くして、表情が緩んでいる。お互いに相手の匂いを吸い合ったり、バストアップマッサージをしたり、キスしたりしたことを思い出しているのだろう。

「涼我君と一緒に紅茶やお菓子を楽しみながら、アニメをたくさん観ました。その中で……スキンシップをとることもしました」
「あらぁ、いいわね! ちなみに、どんなこと? 言える範囲でいいから」
「……涼我君に後ろから軽く抱きしめられながらクリスを観ました。ただ、涼我君が私の髪に顔を埋めて匂いを嗅いできて。それで、私が涼我君の方に振り返って、涼我君の胸の中に頭を埋めて匂いを嗅ぎました。幸せなひとときでした」
「あらぁ~!」

 真っ赤な顔で答えるあおいに、麻美さんは興奮した様子で黄色い声を出した。
 あおいの髪に埋め、匂いを嗅いだことが麻美さんにバレて恥ずかしい。頬中心に顔に熱を感じる。あおいほどでないけど、きっと顔が赤くなっているんだろうな。

「ご、ごめんなさい、涼我君。お母さんに話すのは嫌でしたか?」
「ちょっと恥ずかしいけど、嫌じゃないよ。俺きっかけのことだし」
「……そうですか。そう言ってもらえて安心しました」

 ほっと胸を撫で下ろすあおい。

「学生時代、お父さんの家にお泊まりしたとき、お父さんに後ろから抱きしめられたわ。それも気持ち良かったけど、あたしが振り返ってお父さんと抱きしめ合って、お父さんの胸の中に顔を埋めて。お互いの匂いを感じ合ったわぁ……」

 うっとりとした様子で麻美さんは語る。どうやら、今のあおいの話をきっかけに、聡さんとの交際しているときのことを思い出したようだ。

「お母さんと同じようなことをしたんですね」
「そうだな」

 スキンシップの仕方は時代による変化があまりないのかもしれない。
 その後も、あおいのベッドで寄り添って寝たことなど、昨晩の一部のことについては麻美さんにバレつつも、あおいと俺が小さい頃にお泊まりしたことや、麻美さんが聡さんと交際している期間にお泊まりしたときの話で盛り上がり、何だかんだ楽しい朝食の時間になったのであった。



 午前9時半過ぎ。
 あおいが午前10時からバイトがあるため、あおいがバイトへ行くのと同じタイミングで帰宅することに。

「昨日はデートと久しぶりのお泊まりができて楽しかったです!」
「俺も楽しかったよ。誘ってくれてありがとう、あおい」
「いえいえ! こちらこそありがとうございました! 今日のバイトを頑張れそうです!」
「俺もだ」

 そう言って、俺達は笑い合う。
 俺とデートしてお泊まりもしたことで、あおいの元気とバイトのやる気の源になったようで嬉しい。俺も今日のバイトはいつも以上に頑張れそうだ。

「今夜は愛実ちゃんとお泊まりですよね。楽しんでください」
「ありがとう」

 いつもと変わらぬ明るい笑顔で、恋のライバルとのお泊まりを楽しんでと言えるとは。自分がデートとお泊まりをしたからかな。その中であおいと様々な形でスキンシップをしたし。お互いにとってのファーストキスもしたし。それらのことで余裕があったりして。

「では、行ってきますね。涼我君もバイト頑張ってください」
「ありがとう。あおいもバイト頑張れよ。いってらっしゃい」
「行ってきますっ!」

 あおいは夏の日差しに負けないくらいの眩しい笑顔でそう言い、バイト先に向かって歩き始める。昨日の午後からずっと一緒にいたのもあり、ちょっと寂しい気持ちになって。あおいの後ろ姿が見えなくなるまで、俺はその場に立ち尽くした。
 プールデートとお泊まり。その中でファーストキスを交わしたのもあり、あおいとの距離がより縮まった気がしたのであった。
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