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最終章

第37話『密着できて嬉しいです』

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 8月13日、土曜日。
 コアマに一般参加する日がやってきた。
 今日は俺達が住む調津も、コアマの会場・東京国際展示ホールがある藍明あいあけも朝からよく晴れる予報だ。最高気温は調津は34度、海沿いの藍明は33度と1度違いだけど、暑いことには変わりない。
 オリティアのときと同様、佐藤先生から頼まれた代理購入してほしいサークルの中には『壁サークル』と称される人気サークルも含まれている。そのサークルでは炎天下の中で長時間並ぶ可能性が高い。熱中症中心に、体調不良には気をつけないと。

「いよいよコアマに行く日になりましたね! 初コアマですし楽しみです!」
「私も楽しみだよ、あおいちゃん」

 午前6時20分。
 俺はあおいと愛実と一緒に、調津駅に向かって歩いている。この後、午前6時半に調津駅の改札前で海老名さんと佐藤先生と待ち合わせをすることになっている。そこからは4人で電車に乗ってコアマの会場の最寄り駅・国際展示ホール前駅に向かう。早朝の時間帯だけど、これも目的の同人誌を買う確率を上げるためである。
 あおいは初コアマ、愛実は俺と一緒に廻るのもあって元気そうだ。
 また、暑い中並ぶのを見越してか、あおいはジーンズパンツに半袖のTシャツ、愛実は膝よりも少し長めのスカートに半袖のパーカーと動きやすくてシンプルな服装だ。あおいは愛実のバイトの様子を見に行ったときと同じ帽子を被っている。2人がとても可愛い。昨日の海老名さんの告白もあって、今まで以上に。

「リョウ君とあおいちゃんはよく眠れた? きっと、暑い中並ぶだろうし、体力勝負になりそうだから」
「俺はよく眠れたよ。今日は早い時間に出発するから、昨日は早めに寝た」
「私もよく眠れました。昨日はバイトがあったので、その疲れで早めにベッドに入ってもすぐに眠れましたね。愛実ちゃんはどうですか?」
「私もよく眠れたよ。2人も眠れたみたいで良かった」

 ほっと胸を撫で下ろすと、愛実はいつもの優しい笑顔を見せる。
 愛実が言ったように、コアマは体力勝負の一面がある。あおいも愛実もよく眠れたと分かって一安心だ。睡眠不足は体調を崩す近道だから。
 あおいと愛実と話していたから、気付けば調津駅が見えていた。待ち合わせの時間まであと数分だけど、海老名さんと佐藤先生はいるだろうか。
 調津駅の中に入り、改札の方へ向かうと……待ち合わせ場所の改札前に、海老名さんと佐藤先生の姿が。海老名さんはレギンスに半袖のVネックシャツ、佐藤先生はスラックスにノースリーブのブラウスと2人も動きやすそうな格好だ。朝早いので駅構内にはあまり人はいないけど、数人ほどの男女が2人に視線を向けていた。

「2人ともいましたね。理沙ちゃーん! 樹理せんせーい!」

 あおいが普段よりも大きめの声で呼ぶと、海老名さんも佐藤先生もすぐにこちらに気づき、笑顔でこちらに手を振ってくれる。俺達3人も2人手を振った。
 無事に5人全員が落ち合い、朝の挨拶をしたり、互いの服を褒め合ったりした。
 また、海老名さんは……昨日、俺にフラれたばかりだけど、明るい笑顔を見せてくれる。俺を目が合うとニッコリとした笑顔になって。どうやら、フラれたことを引きずってはいないようだ。

「みんな。今日は私のほしい同人誌の代理購入をお願いします」

 佐藤先生はそう言い、俺達に向かって深めに頭を下げる。
 会場に向かうとき、佐藤先生はこうやって頭を下げてお願いすることが多い。そんな先生を見ると、今回も代理購入を頑張ろうって思えるのだ。
 佐藤先生はトートバッグのファスナーを開けると、4つの白い封筒を取り出す。

「はい。往復の交通費とお駄賃で2000円、あおいちゃんは事前に入場チケットを買ったと聞いているから、チケット代1500円を追加して3500円ね」
『ありがとうございます』

 俺達はお礼を言って、佐藤先生から交通費などが入ったお金を受け取る。
 その後、俺と愛実と海老名さんは自動券売機で、交通系ICカードにお金をチャージする。俺の持っているカードは少し残金があるので、1000円分チャージした。

「それじゃ、国際展示ホールに向けて出発しようか」
『はいっ』

 佐藤先生の言葉にあおいと愛実、海老名さんは元気良く返事する。可愛い幼馴染と友人だ。
 俺達は改札を通り、都心方面に向かう特急列車に乗る。終点の琴宿きんじゅく駅まで乗車する。一番早い種別の特急列車なので、琴宿までは15分ほどだ。
 午前6時半過ぎであることや、先頭車両に乗ったことから、電車の中はガラガラだ。なので、5人並んで席に座った。ちなみに、席順は佐藤先生、海老名さん、愛実、俺、あおいだ。あおいも愛実も俺に寄り添っている。また、電車に乗ったからか、あおいは帽子を外してバッグにしまっている。

「いやぁ、教え子達と参加するから今日はより楽しめそうだ」
「確か、樹理先生は昨日も参加されたんですよね」
「そうだよ、あおいちゃん。ちなみに、明日も参加するよ」

 ニッコリと笑いながらそう言う佐藤先生。全ての日程に参加するつもりとはさすがは先生である。

「樹理先生。昨日のコアマの疲れは残っていませんか?」
「大丈夫だよ、愛実ちゃん。昨日は屋外で並ぶこともあったけどね。購入した同人誌やグッズを堪能して、心の栄養補給をしたさ」

 佐藤先生は満面の笑顔でそう言ってくる。同人誌やグッズがとても良かったのだと窺える。あとは、買えた嬉しさもあるのかも。先生なら、体調を崩すことなくコアマ3日間を乗り越えられそうな気がする。

「理沙ちゃんはどう? 昨日、リョウ君と一緒にジョギングしたそうだけど」
「大丈夫よ。あたしのペースでジョギングしてくれたし、部活も休みだったからね。疲れも全然ないわ」
「そっか。良かった」

 愛実は穏やかな笑顔でそう言ってくる。あおいも微笑んでいる。2人のこの様子からして、海老名さんは俺とジョギングしたことは話したけど、告白してフラれたことは話していないようだ。まあ……話しにくいよな。もちろん、俺は海老名さんの告白については誰にも言わないつもりでいる。
 5人とも健康そのものだし、水分補給などをしっかりすれば、会場で体調を崩してしまうことはないだろう。
 コアマといった同人イベントのことや、現在放送されているアニメのことで話が盛り上がり、終点の琴宿駅まではあっという間だった。
 定刻で琴宿駅に到着し、俺達は国際展示ホール駅の路線・なぎさ線に直通する東玉とうぎょく線がやってくるホームへ向かう。
 午前7時前だけど、東玉線のホームでは電車を待つ人がちらほらと見受けられる。琴宿駅は世界最多の利用客を誇る駅だからな。
 あと、ホームで待つ人の中には、人気アニメのイラストがプリントされたトートバッグを持つ男性や、男性キャラの缶バッジを付けまくったリュックを背負っている女性なども見受けられて。きっと、こういった人達はコアマに参加するのだろう。仲間だ。
 俺達がホームに来てから5分ほどで、なぎさ線直通の東玉線の電車がやってくる。
 乗車すると……席は全部埋まっているな。立っているお客さんもいる。この電車は埼玉県から来るし、コアマの会場の最寄り駅にも乗り換えなしで行けるからこの時間でも混んでいるのだろう。
 この後も座れないだろうということで、俺達は入った扉とは逆側の扉の近くで立つことに。その際、あおいとは正面で向かい合い、愛実は俺の左隣に立つ。また、海老名さんは愛実の向かい側に、佐藤先生は愛実と海老名さんの側で、俺達4人の方に向かって立っている。
 それから程なくして、俺達の乗る電車は定刻通りに発車する。

「この路線に乗ると、コアマに行くって感じがするわ」
「ふふっ、そうですか。私もオリティアっていう同人イベント以来なので、この路線に乗ると同人イベントに行く感じがしますね」
「理沙ちゃんとあおいちゃんの言うこと分かるよ」
「俺も。同人イベントに行くときくらいだからな」
「私も、学生時代からこの路線に乗るのは同人イベントくらいだね」

 何だか特別な時間を過ごしている気がするよ。そもそも、電車に乗るのは遊びに行くときがほとんどだからな。
 東玉線は都心の大きな街を通るので、車窓からの景色も楽しみつつ、電車の中での時間を過ごしていく。年に数えるほどしか乗らないので、個人的には景色をかなり楽しめている。

『次は小崎しょうさき。小崎。お出口は左側です』

 おっ、次は小崎駅か。この駅を過ぎると、走行する路線が東玉線からなぎさ線へと変わる。

「そういえば……小崎駅でしたよね。オリティアに行くとき、人がたくさん乗ってきたのは」

 あおいがそんなことを言ってくる。

「そうだったな」
「……コアマに行くときも、小崎駅で人がたくさん乗ってくるのですか?」
「乗ってくるよ。小崎駅とその次の小井町しょういまち駅でね。昨日もこの時間帯に電車に乗ったけど、混雑してた」
「そうですか。覚悟しておきましょう」

 そう言うと、あおいはなぜか口角を上げた。これから混雑するというのに。どういうことだ?
 思い返すと、去年の夏と冬のコアマに行くときも、小崎駅からかなり人が乗ってきたっけ。俺も覚悟しておかないと。
 それから程なくして、電車は小崎駅に到着する。車窓からホームの様子が見えるけど……かなりの人がいるな。きっと、この人達のほとんどがコアマに行くのだろう。
 俺達のいる方とは反対側のドアが開く。3人の乗客が降車した後、

「うおっ」

 大量の人が乗車してきて、その勢いで俺は後ろから押されてしまう。
 ――ドンッ!
 倒れてしまわないように、俺は電車の扉に右の前腕を当てた。それもあり、あおいに向かって倒れることはなかったが、あおいと体の前面が触れ合う形に。あおいからは温もりや柔らかさがはっきり感じられる。彼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、ドキッとさせられる。

「あおい、大丈夫か? 苦しくないか?」
「全く苦しくありません。むしろ、涼我君と密着できて嬉しいです」

 えへへっ、とあおいは声に出して笑っている。恍惚とした様子になっていて。なるほど、こういう状況になると想定できたから、さっき……混雑することに「覚悟しておきましょう」と言いながらも口角が上がっていたのか。もしかして、これも計算して、東玉線に乗ったときに俺と向かい合う形で立ったのかもしれない。オリティアに行くときもかなり混雑したし。
 あおいは俺に顔を近づけて、

「夏休み前のお家デートのときの壁ドンみたいですね。幸せですっ」

 と、耳元で囁いてきて。扉に腕を当てているし、本当に壁ドンのようだ。あのとき、あおいは壁ドンした俺を抱きしめてきたので、体の前面の多くが触れていることも似ている。
 あおいが至近距離からニコッと笑顔を見せる。物凄く可愛いんですけど。そんな想いと共に、体温が上昇していくのが分かった。顔も熱くなってきて。きっと、あおいのように頬が赤くなっているんだろうな。

「愛実と海老名さん、先生は大丈夫ですか?」

 そう言って3人の方を向くと、海老名さんが愛実のことを抱きしめており、佐藤先生はその様子をすぐ近くからニコニコして見ていた。

「大丈夫だよ。理沙ちゃんが抱き留めてくれたから」
「あたしも大丈夫。扉に寄り掛かっているし。愛実も柔らかいから」
「私も大丈夫だよ。それに、君達が密着している状況を見られて幸せさ」

 3人とも笑顔で答える。佐藤先生だけはマイペースさを発揮しているけど、3人とも大丈夫なようで安心した。
 それから程なくして、電車は小崎駅を発車する。
 あおいと密着している状態なので、お家デートでの壁ドンや、オリティアへ行くときの電車で愛実へ壁ドンするような体勢になったことを思い出す。

「涼我君、頬が赤いですね」
「さすがにこの状況だとな。あおいこそ頬が赤いぞ」
「……さすがにこの状況ですから」
「ははっ」

 俺と同じように答えたことが面白くて、俺は小さく笑い声を漏らした。それがうつったのか、あおいも小さく笑った。
 3分ほどして、次の小井町駅に到着する。
 この駅からも多くの人が乗車するので、あおいとはさらに密着する体勢になる。

「あおい、大丈夫か? 苦しかったら遠慮なく言うんだぞ」
「ありがとうございます。今のところは大丈夫です」

 あおいはとても近いところから笑顔を向けてくれる。
 まるでぎゅっと抱きしめ合っているように、あおいとは体がピッタリとくっついていて。だから、服越しにあおいの体の感触と温もりが伝わって。甘い匂いを濃く感じて。あおいの生温かい吐息が胸元に定期的にかかって。様々な形であおいを感じているから、凄く混んでいても苦しさは全く感じなかった。
 あおいも特に苦しそうにはしておらず、むしろ俺との密着を楽しんでいるようで。時には幸せそうな笑みを浮かべ、俺の胸に頭を埋めることもあるのであった。
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