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薄淡の章
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「さて、まずは我が奥方の体を温めるとするか」
そう言って、返事を待つことなく奥の間へ歩みを進めた信長は、囲炉裏のすぐそで帰蝶を降ろした。
帰蝶の指先に灯った温もりは、徐々に体の芯まで伝わってゆく。
このような状況にも関わらず、帰蝶の口からは「ほおっ」と、幸せな息が漏れた。
「……へえ」
囲炉裏を挟み上面に坐した信長が、楽しげに口角を持ち上げる。
「なっ、なんですか」
「おまえ…そんな顔も出来るのだな」
先ほどまでの威圧的な様とは打って変わり、優し気な物言いをする信長に帰蝶の胸がざわついた。
「あなたこそ、そんな顔、するんですね……」
「誠でござるな」
いつの間に入って来ていたのだろう。帰蝶の言葉に答えたのは入り口に坐した際ほどの男だった。
「じいっ、居るなら居ると言え!」
流石の信長も驚いたようで、切れ長の目を丸く見開く。
「おふたりの睦まじい様子に、お声がけを躊躇っ――」
「なんの用だ」
「体が温まる物を用意しろと、申し付かりましたゆえ」
男はそう言って、湯のみと急須を掲げて見せる。
「あの……先ほどは、動揺なさっていましたが……」
心配気な顔をする帰蝶に、男は『いつもの事ですから』と、信長とまるで同じことを言った。
「それよりも、粗茶でございますが」
「ありがとうございます」
湯のみを差し出す男に、帰蝶は深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります、帰蝶と申します」
「拙者は平手政秀、殿の傅役として日々振り回されておる次第でございます」
主を前に、あからさまな恨み節を吐き出す平手だったが、当の信長はどこ吹く風。
「そりゃあ、ご苦労なこって」
他人事ごとのように言い放ち、茶をすする。
「時に殿……帰蝶様が替え玉だと、いつから気づいておいでで?」
「そんなもん、替え玉を見た瞬間分かっておったわ。蝮の考えそうな事よ」
面倒臭そうに頭を掻いて大欠伸をした信長は、ふと思い出したように表情を引き締めた。
「で……その替え玉と蝮はどうしておる?」
信長の言葉は、緩みかけていた帰蝶の心を、一瞬で残酷な現実に引き戻した。
ああ――私の選択はどれほどに父上を落胆させるのだろうか。
なにも知らずに信長を待っているであろう父を思い、帰蝶の眦に涙が滲んだ。
「帰蝶、泣くな。悪いようにはせん」
「泣いてなどおりませぬ」
信長の無骨な気遣いに、帰蝶は気丈に答えるが、その頬を伝う熱い滴を止めることは出来なかった。
「……面倒な奴だ」
チッ――と、舌打ちが聞こえたかと思うと、次の瞬間、帰蝶は信長の胸の中にいた。
「なっ、 気安く触るな!」
帰蝶は慌てその腕を払いのけ、後退りざまに涙を拭う。
「ふん、その方が、おまえらしい」
信長は満足気に頷くと、平手に向き直った。
そう言って、返事を待つことなく奥の間へ歩みを進めた信長は、囲炉裏のすぐそで帰蝶を降ろした。
帰蝶の指先に灯った温もりは、徐々に体の芯まで伝わってゆく。
このような状況にも関わらず、帰蝶の口からは「ほおっ」と、幸せな息が漏れた。
「……へえ」
囲炉裏を挟み上面に坐した信長が、楽しげに口角を持ち上げる。
「なっ、なんですか」
「おまえ…そんな顔も出来るのだな」
先ほどまでの威圧的な様とは打って変わり、優し気な物言いをする信長に帰蝶の胸がざわついた。
「あなたこそ、そんな顔、するんですね……」
「誠でござるな」
いつの間に入って来ていたのだろう。帰蝶の言葉に答えたのは入り口に坐した際ほどの男だった。
「じいっ、居るなら居ると言え!」
流石の信長も驚いたようで、切れ長の目を丸く見開く。
「おふたりの睦まじい様子に、お声がけを躊躇っ――」
「なんの用だ」
「体が温まる物を用意しろと、申し付かりましたゆえ」
男はそう言って、湯のみと急須を掲げて見せる。
「あの……先ほどは、動揺なさっていましたが……」
心配気な顔をする帰蝶に、男は『いつもの事ですから』と、信長とまるで同じことを言った。
「それよりも、粗茶でございますが」
「ありがとうございます」
湯のみを差し出す男に、帰蝶は深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります、帰蝶と申します」
「拙者は平手政秀、殿の傅役として日々振り回されておる次第でございます」
主を前に、あからさまな恨み節を吐き出す平手だったが、当の信長はどこ吹く風。
「そりゃあ、ご苦労なこって」
他人事ごとのように言い放ち、茶をすする。
「時に殿……帰蝶様が替え玉だと、いつから気づいておいでで?」
「そんなもん、替え玉を見た瞬間分かっておったわ。蝮の考えそうな事よ」
面倒臭そうに頭を掻いて大欠伸をした信長は、ふと思い出したように表情を引き締めた。
「で……その替え玉と蝮はどうしておる?」
信長の言葉は、緩みかけていた帰蝶の心を、一瞬で残酷な現実に引き戻した。
ああ――私の選択はどれほどに父上を落胆させるのだろうか。
なにも知らずに信長を待っているであろう父を思い、帰蝶の眦に涙が滲んだ。
「帰蝶、泣くな。悪いようにはせん」
「泣いてなどおりませぬ」
信長の無骨な気遣いに、帰蝶は気丈に答えるが、その頬を伝う熱い滴を止めることは出来なかった。
「……面倒な奴だ」
チッ――と、舌打ちが聞こえたかと思うと、次の瞬間、帰蝶は信長の胸の中にいた。
「なっ、 気安く触るな!」
帰蝶は慌てその腕を払いのけ、後退りざまに涙を拭う。
「ふん、その方が、おまえらしい」
信長は満足気に頷くと、平手に向き直った。
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