上 下
5 / 11
鬱金の章

1

しおりを挟む
* * *

美濃と尾張の境界へ向けて出発した夕暮れ時には、辺りは銀世界に染まっていた。
昼過ぎに降り始めた初雪が分厚く積もり、ひずめの音を隠してくれる。

大将である帰蝶を先頭に、言葉を発することもなく、鎧がこすれる音だけを聞きながら進む一軍。
帰蝶のすぐ隣には副将……実質的には総大将である松永が彼女を守るように寄り添っている。
彼は帰蝶に武芸を教えた師でもあり、良き相談相手でもある。
物心がついたころから傍にいて、兄のように慕った彼の存在は、帰蝶にとって何よりも心強いものであった。

目的の岩間に到着したのは、夜の帳が落ちる前。
松永は慣れた様子で指示を出し、夜営の準備を整える。

「帰蝶さま、火の傍へ」

過剰なほどに重ねた綿布は、帰蝶を思う松永の優しさだろう。

「松永、どうかよろしくお願いします」

燃える炎を前に深く頭を下げた帰蝶の体は、わずかに震えていた。

「帰蝶様……」

ハッとしたように息をのんだ松永は、意を決したように片膝をつく。

「この松永、命に代えても貴方をお守り致します」

松永の瞳に炎の光が映り込み、ゆらゆらと揺れていた。その目に帰蝶はえも知れぬ不安を覚え、思わず声を荒げた。

「命になど変えなくてよい!」

驚く彼の手を強く握った帰蝶の目が、濡れたように光る。

「約束して下さい……生きて美濃に戻ると」

松永は驚いたように私を見つめ。けれどもやがて頬を緩めて、彼女隣に腰を下ろした。

「そうでしたね。帰蝶様は私が戦地に赴くたび「勝敗よりも生きて帰って来い」と言ってくださいました。もちろん主君のために命を捨てる覚悟はあります。けれど……どうしてでしょうか、その言葉が嬉しくて……」

遠い昔を懐かしむように目を細めた松永が、不意に言葉を切る。
そうして帰蝶に向き直ると、射貫くように彼女を見つめた。

「帰蝶様、この戦いに勝利し、無事城に帰ることが出来たら」

松永の瞳が熱を持ち、熱く揺れている。

「この私と――」
「火急のことにて、失礼つかまつる!」

そのとき、若侍が天幕の陰から現れ膝をついた。

「どうした?」
「……それが」

松永の問いに、一瞬言葉を詰まらせた若侍は、覚悟を決めたように言い放った。

「上総介殿のお使者が参られました」

上総介――つまり、信長からの使者。

「何!? 」

帰蝶は目眩がした。しかし己を鼓舞し表情を引き締める。

「織田からの使者に間違いないのですか」
「家門付きの刀を携えております」

見抜かれたか。
だが、それならなぜ稲葉山へ攻め込まずに、使者を寄越したりするのだろう。
考えても仕方が無い。

「御使者をここへ」
「はっ」

若侍が走り去ったと同時に、気が抜けた帰蝶の足がもつれ、松永に抱き止められた。

「……松永」
「姫……私が守ります」

松永の手は、凍えるような夜にも関わらず火照っている。
その熱さにここが戦場である事を再認識した帰蝶も、しっかりと地に足をつけ体を立て直した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

恐妻と愛妻は紙一重

shingorou
歴史・時代
ピクシブにも同じものをアップしています。帰蝶様に頭が上がらない信長公の話です。

時雨太夫

歴史・時代
江戸・吉原。 大見世喜瀬屋の太夫時雨が自分の見世が巻き込まれた事件を解決する物語です。

天正十年五月、安土にて

佐倉伸哉
歴史・時代
 天正十年四月二十一日、織田“上総守”信長は甲州征伐を終えて安土に凱旋した。  長年苦しめられてきた宿敵を倒しての帰還であるはずなのに、信長の表情はどこか冴えない。  今、日ノ本で最も勢いのある織田家を率いる天下人である信長は、果たして何を思うのか?  ※この作品は過去新人賞に応募した作品を大幅に加筆修正を加えて投稿しています。  <第6回歴史・時代小説大賞>にエントリーしています!  皆様の投票、よろしくお願い致します。  『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n2184fu/ )』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054891485907)』および私が運営するサイト『海の見える高台の家』でも同時掲載

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

お鍋の方【11月末まで公開】

国香
歴史・時代
織田信長の妻・濃姫が恋敵? 茜さす紫野ゆき標野ゆき 野守は見ずや君が袖振る 紫草の匂へる妹を憎くあらば 人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 出会いは永禄2(1559)年初春。 古歌で知られる蒲生野の。 桜の川のほとり、桜の城。 そこに、一人の少女が住んでいた。 ──小倉鍋── 少女のお鍋が出会ったのは、上洛する織田信長。 ───────────── 織田信長の側室・お鍋の方の物語。 ヒロインの出自等、諸説あり、考えれば考えるほど、調べれば調べるほど謎なので、作者の妄想で書いて行きます。 通説とは違っていますので、あらかじめご了承頂きたく、お願い申し上げます。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

鎮魂の絵師

霞花怜
歴史・時代
絵師・栄松斎長喜は、蔦屋重三郎が営む耕書堂に居住する絵師だ。ある春の日に、斎藤十郎兵衛と名乗る男が連れてきた「喜乃」という名の少女とで出会う。五歳の娘とは思えぬ美貌を持ちながら、周囲の人間に異常な敵愾心を抱く喜乃に興味を引かれる。耕書堂に居住で丁稚を始めた喜乃に懐かれ、共に過ごすようになる。長喜の真似をして絵を描き始めた喜乃に、自分の師匠である鳥山石燕を紹介する長喜。石燕の暮らす吾柳庵には、二人の妖怪が居住し、石燕の世話をしていた。妖怪とも仲良くなり、石燕の指導の下、絵の才覚を現していく喜乃。「絵師にはしてやれねぇ」という蔦重の真意がわからぬまま、喜乃を見守り続ける。ある日、喜乃にずっとついて回る黒い影に気が付いて、嫌な予感を覚える長喜。どう考えても訳ありな身の上である喜乃を気に掛ける長喜に「深入りするな」と忠言する京伝。様々な人々に囲まれながらも、どこか独りぼっちな喜乃を長喜は放っておけなかった。娘を育てるような気持で喜乃に接する長喜だが、師匠の石燕もまた、孫に接するように喜乃に接する。そんなある日、石燕から「俺の似絵を描いてくれ」と頼まれる。長喜が書いた似絵は、魂を冥府に誘う道標になる。それを知る石燕からの依頼であった。 【カクヨム・小説家になろう・アルファポリスに同作品掲載中】 ※各話の最後に小噺を載せているのはアルファポリスさんだけです。(カクヨムは第1章だけ載ってますが需要ないのでやめました)

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

処理中です...