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第一章 播埀国――火の戦

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 見渡すかぎりを紅蓮の炎がごうごうと包み込んでいた。ところどころで噴きあがる黒煙は渦を巻いて空を焼き、大気まで赤黒く染め上げられているようだった。
 燃えているのは家屋、畑、畜生、そして人。うだるように熱い初秋しょしゅう領内くにうちは炉の中のように滾っていた。
 煩いほどだった虫の音、かわずの声は、ところどころで上がる勝鬨かちどき、苦痛と恐怖に泣き叫ぶ声にかき消されている。――それとも地を舐める劫火ごうかに虫どもはすべて焼け死んでしまったのか。
 皮膚を焼くほどの灼熱にもかかわらず、保早呂ほさろの身体の芯は冷え切っていた。
 目の前の、若杉のように凛々しい男の立ち姿から目が離せなかった。そのころもは重たげなほどに敵の血を吸い、みどりなす黒髪は熱風にたなびいている。男は、保早呂のあるじ――日高見国ひたかみこくの王、那束なつかであった。
「那束さま。なぜ前線に出たのです。御身に何かにありましたら――」
 強くいさめるつもりだったのに、発せられた自分の声があまりに力無いことに愕然とした。衝撃が、あとを引いているのだ。
 じっと高殿たかどのを見上げていた那束は、ふっと涼しげな目を向けた。
「そうだな。保早呂ほさろの教えに従うべきだった。――だが、将軍いくさのきみである俺が先に立てば、士気が上がるだろう」
 火の粉がきらめきながら舞い散る中、血しぶきを全身に浴びた姿で穏やかに微笑んでみせた若き王に、保早呂は息を飲む。
(後ろで守っておこうと思ったのに)
 保早呂の脳裏には、先ほどまでのあるじの戦いぶりがまざまざしくひらめいていた。
 燃えさかる焔を切り裂くように馬を駆って躍り出た那束は、波のごとく打ち寄せる敵兵の太刀をことごとくかわし、ひとりひとりの急所を確実に切り裂いていった。副将そえのきみである保早呂は、那束の取りこぼしを片づけながら、しばし見とれてしまうほどだった。まるで神の御技みわざを目の当たりにしているようだった。
 ――そして今。敵国である播埀国はたしでのくに首長おびと一族の高殿たかどのの前に、那束と共に立っている。
 もう勝利は目前である。保早呂は汗をぬぐい、息を吐いた。
「これだけの兵数で囲んでいれば、播埀王はたしでのおうは逃げることもかなわないでしょう。少しお休みになられますか」
「いや、このままたちに攻め込み、播埀国を落とす。へたに休んで流れが変わるのは怖いからな。……兵たちも疲れている。早く終わらせて休ませてやりたい」
 王からのねぎらいの言葉に、つわものたちの眼差しが熱を持つ。あの雄姿を目のあたりにした兵たちは、この凛々しく勇猛果敢な若い王に魅せられているのだ。
「だが、ここまでくればこんなに多くの兵は必要ないな。前線に立った者を残し、あとは戦の始末にあたらせてくれ。指揮は亜而利あじりに任せる。火種は滅し、怪我人は敵味方の別なく助けよ。たとえ敵であっても情けをもってあたるよう、頼んだぞ。播埀国を落とし次第、隣国の紀国きのくにに進軍する。そなえを急いでくれ」
 那束の言葉に、亜而利と呼ばれた壮年の偉丈夫は頷いた。亜而利は、保早呂と並び立つ日高見軍の兵長おさである。出立前、那束をお飾りの将軍いくさのきみと馬鹿にしきっていたこの男も、すっかり見る目が変わっていた。
 亜而利に従い、大勢の兵がぞろぞろと動きだした。彼らの残したうらやむ眼差しには、播埀王の首を取り、日高見が勝利する瞬間に立ち会えぬ悔しさがにじんでいる。それを残ることを許された兵たちが誇らしげに見送った。兵の視線はそのまま那束に注がれる。那束は、保早呂の目から見ても凛々しく、煌々きらきらしく、眩しいほどだった。
(こんな、光を背負しょった男だっただろうか)
 確かに太刀を教えれば覚えもよく、筋もよく、まじめで、素直な弟のように思っていた。――その一方で、将軍いくさのきみの荷は勝ちすぎるであろうとも感じていた。なのにこの、戦場いくさばでの変わりようは何なのか。この男の期待に応えたい。認められたい。そう思わせられるのだ。
(まるで、人が変わったような――)
「播埀王の首級しるしを獲る。――ついてきてくれるか」
 王の言葉に奮い立った兵たちが一斉に鬨の声を上げた。
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