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第六章 地上調査
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しおりを挟む ナビを確認しながら、登山道から離れ過ぎないように山中を歩く。
しばらく進むと、先程までは感じられなかった生き物の気配が至るところでするようになった。
夜鳥の低い鳴き声、下草の闇に光るいくつもの目。潜める気配――。視界のほぼ利かない夜闇の中で、それらは生々しく息衝いている。
肌がチリチリする恐怖。そう、これこそが本来あるべき地上なのだと思う。
夜行性の捕食獣には夜目もろくに利かない人間は格好の獲物だろう。とくにこんな状態では――。
消化液を吸った寛人の身体はずっしりと重く、渥美はしんどさに深く息を吐いた。疲労しきった身体でこのまま歩き続けることはできそうになかった。どこかに寛人を隠して、水場を探しに行くしかない。
むきだしの首にべっとり付いた消化液が皮膚を焼いていた。これに全身浸かった寛人はどれだけの苦痛の中にいるのか。
急がないと――焦りが込み上げ、呼吸が切迫する。うまく息が吸えなくて、苦しさに喘いだ。
(柚木、死ぬな。ひとりにしないでくれ)
かつては殺したいほど憎んでいたというのに。そんな恨みなど、生死の前ではちっぽけなものだった。
ふと渥美は足をとめた。
目の前に杉の木があった。
直径何メートルあるのだろう。大人十人がかりでも抱えきれないであろうほどの大樹だった。
渥美の目を釘付けにしたのは、抉れたような洞の中にうずくまっている二匹の生き物だった。
長い毛に覆われた卵型の身体は、二メートル近くありそうだった。一見、顔も手もなく、頭部と胴体の分かれ目もない。まるで巨大な毛玉である。
鳥類のような細く長い脚を折って、二匹は寄り添うように座っていた。
(なんだこいつ――)
見たことない生き物だった。地上生物リストにも載ってなかったと思う。
渥美はごくりと息を呑んだ。この毛玉二匹を追い払えば、この洞で寛人を休ませられる。
――襲ってくるだろうか。
(来るなら来やがれ。引きずり出して殺してしまえば、いい寝台になる)
その時、毛玉生物の後ろから、手のひらに乗るほどの大きさの毛の塊がもぞもぞと這い出してきた。
巨大な毛玉生物は、それを趾で掴んでひゅっと後ろに押し込んだ。目にも止まらぬ速さだった。
子供を守っているのだ。――そのことに気付いて、渥美は愕然とした。沸騰していた頭がすっと冷えたようだった。
(俺は……いつからこんな考えに……)
地上の生き物たちと共に生きてゆきたい――ずっと、そう思っていたではないか。
渥美はしばしその場に立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと洞に近寄った。
「……俺たちも混ぜてくれよ」
身動ぎ一つしないので、渥美はおずおずとその毛を撫でてみた。ふわふわと柔らかくて、ほんのり暖かい。
渥美は寛人を背負ったまま毛玉生物と幹の隙間にもぐりこむように洞に入った。
中は予想以上に奥行きが深かった。隅には毛玉の幼生が三匹かたまっていた。
渥美は洞の中に寛人を横たえた。青ざめた頬に触れると、冷え切っていて、伏せられた睫毛が小刻みに震えている。
背嚢からビニールシートを出して寛人を包み、抱きかかえた。自分の体温が少しでも移るように祈りながら。
――渥美、と掠れた声が胸元で微かに響き、渥美は目を開いた。
「……地上になんか、連れてきてごめん……」
あまりに弱々しい声音に、渥美は狼狽えた。
「俺は自分で決めて地上にきたんだ。後悔なんかしてねえよ。地上に来れて、満足なんだ。お前が俺を選んでくれて――感謝してる」
そう言って、渥美はぎくりとする。まるで最後の言葉のようではないか。
「……なあ、柚木。肉親を殺すなんてやめろよ。俺はもう――お前のじいさんを恨むのはやめた」
寛人は答えなかった。微かに開いていた目がゆっくりと閉じ、やがてすうすうと寝息を立てはじめた。
その確かな呼吸に、渥美はほっと安堵の息を吐いた。
(そうだ。水を探しに行かねえと……)
身を起こそうとした途端、疲労感がどっと押し寄せてきた。
寛人を抱えたまま、少し休むつもりで毛玉生物に寄りかかった。ほのかに太陽のにおいがした。昼間は日の下で活動する生き物なのかもしれない。
目を瞑ると、柔らかな体毛の下からとくとくと心音が聞こえた。これは命の暖かさだ。――殺さなくて、本当によかった。
眠気がどろりと襲ってきて、渥美は墜落するように眠りに落ちた。
しばらく進むと、先程までは感じられなかった生き物の気配が至るところでするようになった。
夜鳥の低い鳴き声、下草の闇に光るいくつもの目。潜める気配――。視界のほぼ利かない夜闇の中で、それらは生々しく息衝いている。
肌がチリチリする恐怖。そう、これこそが本来あるべき地上なのだと思う。
夜行性の捕食獣には夜目もろくに利かない人間は格好の獲物だろう。とくにこんな状態では――。
消化液を吸った寛人の身体はずっしりと重く、渥美はしんどさに深く息を吐いた。疲労しきった身体でこのまま歩き続けることはできそうになかった。どこかに寛人を隠して、水場を探しに行くしかない。
むきだしの首にべっとり付いた消化液が皮膚を焼いていた。これに全身浸かった寛人はどれだけの苦痛の中にいるのか。
急がないと――焦りが込み上げ、呼吸が切迫する。うまく息が吸えなくて、苦しさに喘いだ。
(柚木、死ぬな。ひとりにしないでくれ)
かつては殺したいほど憎んでいたというのに。そんな恨みなど、生死の前ではちっぽけなものだった。
ふと渥美は足をとめた。
目の前に杉の木があった。
直径何メートルあるのだろう。大人十人がかりでも抱えきれないであろうほどの大樹だった。
渥美の目を釘付けにしたのは、抉れたような洞の中にうずくまっている二匹の生き物だった。
長い毛に覆われた卵型の身体は、二メートル近くありそうだった。一見、顔も手もなく、頭部と胴体の分かれ目もない。まるで巨大な毛玉である。
鳥類のような細く長い脚を折って、二匹は寄り添うように座っていた。
(なんだこいつ――)
見たことない生き物だった。地上生物リストにも載ってなかったと思う。
渥美はごくりと息を呑んだ。この毛玉二匹を追い払えば、この洞で寛人を休ませられる。
――襲ってくるだろうか。
(来るなら来やがれ。引きずり出して殺してしまえば、いい寝台になる)
その時、毛玉生物の後ろから、手のひらに乗るほどの大きさの毛の塊がもぞもぞと這い出してきた。
巨大な毛玉生物は、それを趾で掴んでひゅっと後ろに押し込んだ。目にも止まらぬ速さだった。
子供を守っているのだ。――そのことに気付いて、渥美は愕然とした。沸騰していた頭がすっと冷えたようだった。
(俺は……いつからこんな考えに……)
地上の生き物たちと共に生きてゆきたい――ずっと、そう思っていたではないか。
渥美はしばしその場に立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと洞に近寄った。
「……俺たちも混ぜてくれよ」
身動ぎ一つしないので、渥美はおずおずとその毛を撫でてみた。ふわふわと柔らかくて、ほんのり暖かい。
渥美は寛人を背負ったまま毛玉生物と幹の隙間にもぐりこむように洞に入った。
中は予想以上に奥行きが深かった。隅には毛玉の幼生が三匹かたまっていた。
渥美は洞の中に寛人を横たえた。青ざめた頬に触れると、冷え切っていて、伏せられた睫毛が小刻みに震えている。
背嚢からビニールシートを出して寛人を包み、抱きかかえた。自分の体温が少しでも移るように祈りながら。
――渥美、と掠れた声が胸元で微かに響き、渥美は目を開いた。
「……地上になんか、連れてきてごめん……」
あまりに弱々しい声音に、渥美は狼狽えた。
「俺は自分で決めて地上にきたんだ。後悔なんかしてねえよ。地上に来れて、満足なんだ。お前が俺を選んでくれて――感謝してる」
そう言って、渥美はぎくりとする。まるで最後の言葉のようではないか。
「……なあ、柚木。肉親を殺すなんてやめろよ。俺はもう――お前のじいさんを恨むのはやめた」
寛人は答えなかった。微かに開いていた目がゆっくりと閉じ、やがてすうすうと寝息を立てはじめた。
その確かな呼吸に、渥美はほっと安堵の息を吐いた。
(そうだ。水を探しに行かねえと……)
身を起こそうとした途端、疲労感がどっと押し寄せてきた。
寛人を抱えたまま、少し休むつもりで毛玉生物に寄りかかった。ほのかに太陽のにおいがした。昼間は日の下で活動する生き物なのかもしれない。
目を瞑ると、柔らかな体毛の下からとくとくと心音が聞こえた。これは命の暖かさだ。――殺さなくて、本当によかった。
眠気がどろりと襲ってきて、渥美は墜落するように眠りに落ちた。
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