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うろこ道

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第六章 地上調査

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✳︎✳︎✳︎

 坂道を上がって行くと、ほどなくして小さな朱塗りの社殿が見えた。
「不動堂だ。奥の院は健在か……!」
 河野がほっとしたように額の汗を拭った。
 乾も大きく息を吐き、大樹にもたれた。気丈なさまを見せていたが、やはり体力は限界だったのだろう。
「とりあえず、中で乾さんを休ませようぜ」
 社のきざはしを上る渥美の背中に、木の根元に座り込んだ乾が揶揄するように声をかけた。
「ちゃんと靴脱がねえと河野さんに怒られるぞ」
「いや、靴は履いたままの方がいい。中でガラスでも割れていたら怪我をしかねん」
 河野の言葉に、渥美は靴のまま切目縁に上がった。
「鍵、かかってねえみたいだな」
 渥美は腰つき格子戸をがらりと開いた。
 堂内は闇に包まれていた。
 河野が階を登ってきて、渥美の後ろからマグライトをつけた。朽ちた拭板張りの床が照らし出される。
 堂内の奥に光を向けた。二本の来迎らいごうばしらがあり、その前につくりつけ須弥壇しゅみだんが置かれていた。そこに三体の木像が安置されていて、渥美は一瞬ぎくりとした。人間かと思ったのだ。
 河野のライトの光が像の顔を映し出した。暗闇に浮かび上がったあまりに恐ろしげな顔に、絶句する。
 火焔かえん光背こうはいを背負い、目を剥き、牙を出し――物凄く怒っているのだ。
「……鬼ってやつだろこれ。なんで鬼なんて飾ってあるんだよ?」
「鬼じゃない。不動ふどう明王みょうおう――神仏だ。ならば両脇の侍像は矜羯羅童子こんがらどうじ制吒迦童子せいたかどうじか」
 河野は木像をじっと見つめ、呟いた。
「これで神さまなのかよ? ええ顔してんな……」
 おずおずと像を見上げる渥美に、河野は言った。
「不動明王は邪を砕く荒神だ。雷鳴と共に火炎の中に示現じげんし、右手の剣、左手のこう羂索けんさくで力《ちから》くで煩悩を断ち切り、らしめ、善に向かわせるんだ」
 恐ろしすぎるだろ、と渥美は心中で呟いた。
 河野は三尊像に手を合わせ、階をおりた。
「乾をここで休ませてもらおう。柚木もここで待機だ。ーー柚木、乾を頼むぞ。俺と斎藤と渥美でドームを捜索する」


 やしろに乾と寛人を残し、河野と渥美と斎藤は登山道まで戻った。
 奥の院まで続いていたタイヤ痕は、ここにきて道をそれ、森に入っていった。
 いよいよドームが近い――そんな予感に、渥美はにわかに緊張した。
 河野を先頭に森に入ってしばらくゆくと、唐突に開けた空間があらわれた。そこでタイヤ痕は途切れていた。その奥は木々が行く手を立ち塞いでいて、とても車両は入っていけそうもない。
「……車はどこに消えたんだ?」
 渥美が呆然と呟いた。
「ここで車を降りて、徒歩で森に入ったのかもしれない。付近一帯を捜索する。ドームはかなり大きい建物だ。きっと――すぐに見つかるはずだ」
 河野を先頭に山中を歩き回ったが、それらしい建物は影さえ見当たらなかった。
 道なき道を掻き分け、あてどなく進むというのは心身ともにつらかった。どこもかしこも何十年も人の手が入っていないような密林である。
「戻りましょう。――これではきりがない」
 一時間ばかり山中を彷徨さまよったあたりで、斎藤が言った。
「……そうだな。いったん引き返す」
 河野が大きく息を吐いた。
 一行はタイヤ痕が途切れた草地を通り過ぎ、登山道に戻った。
 渥美は疲れ切った顔で、坂道を見上げた。先は完全に草木で塞がれている。
「上にはなにがあるんだよ?」
「あとは山頂だけだ。ここまでドームが見つからないなら、行くしかないだろうな……」
「でも、この先を行くのは乾さんには無理だろ。あのやしろで待っててもらって、俺たちだけで先に進むか?」
「それもありでしょうが、地上で一度別れたらもう二度と会えなくなってもおかしくないと考えたほうがいいですよ」
 斎藤の言葉に、渥美はぎくりとする。
「乾は連れて行く。だが山頂に向かうのは明日にする。もう十六時過ぎだ。あと三時間ほどで日が落ちるからな」
 渥美は空を見上げた。まだじゅうぶんに明るかったが、西側の空が赤く染まり始めていた。
(――一夜をしのぐ)
 生死のかかったあまりにもリアルな現実に、渥美は突如凍りつくような恐怖を感じた。
 夜は怖い。
 地上の様相は一変するだろう。
「お前たちは奥の院に先に戻っていてくれ。水場を探してくる」
 森に向かって歩きはじめた河野に、渥美はぎょっとした。
「あんただって罹患してんだぞ。無理すんなよ」
「薬が効いているうちに動いておかないとな。それに俺は体が丈夫なようだ。症状が軽い」
「早いか遅いかってだけだぜ。疲労が溜まれば症状の出方も変わってくるんだからな」
「だからこそだ。……動けるうちにな」
 渥美は言葉を失い、足元に視線を落とした。
 河野は行く手に目を向けた。
「さっき森の中で水音を聞いたような気がしたんだ。――そう遠くまで行かないから大丈夫だ。銃もある」
 じゃあ後でな、と河野は森の中に入って行ってしまった。
 木々の間に消えてゆく逞しい背中を見送りながら、渥美はぽつりと呟いた。
「……なんか河野さん、ここにきて雰囲気変わったな」
「寺の次男坊なんでしょう? 敬虔けいけんな気分にでもなったんじゃないですか」
 斎藤はその場にすとんと座った。さすがに河野を置いて戻る気はないらしい。渥美も地面に座って足を投げ出すと、大きく息を吐いた。身体が鉛のように重かった。
 その時――すぐ近くでレーザーライフルの射撃音が響いた。
「か――河野さんだ!」
 渥美は立ち上がると、疲れも忘れて森に飛び込んだ。
(ひとりで行かせるんじゃなかった)
 繁みをかき分けて進みながら、渥美は歯を食いしばった。
 心臓がどくどくと早鐘を打っている。肺が爆発しそうに痛いのは、走っているためなのか、それとも――込み上げる不安と焦燥のせいなのか。
「河野さん! どこだよ、河野さん!!」
 苦しい。渥美はぜえぜえと荒く呼吸を吐きながら声を張り上げ、木の根に躓いて倒れ込むように膝をついた。そのまま地面に突っ伏しかけたところを、不意に腕を掴まれた。
「闇雲に進むと遭難しますよ。――ああ、河野くんだ」
 斎藤に体を支えられながら顔を上げると、木々の間を引き返してくる河野の姿が見えた。
「か……河野さん……!」
 ぜえぜえと息を切らしながら必死の形相で見上げる渥美に、河野はぎょっと目を見開き、急いで近づいてきた。
「どうした」
「どうしたじゃねえよっ。今、銃撃っただろ……」
 渥美は唾を何度も飲み込んで俯いた。安堵と疲労が一気に押し寄せてきて、倒れそうだった。
「いや、こんなのがいてな」
 見れば、河野は後ろにビニールシートを引きずっていた。その上に小山ほどもある蛙のようなものがぐんにゃりと横たわっている。
 渥美は唖然とした。蛙――なのだろうか。ものすごくでかい。一人乗用の自動走行機くらいはありそうだった。
「すぐそこに大きな池があったんだ。何匹もいてな。食べられないかと思って一匹捕ってきた」
「どうして私を呼んでくれなかったんです」
 斎藤は不満げにむっつりと目を細めた。
「斎藤に任せたら破損が激しくて食べられなくなるだろう。すごく大人しかったしな。――乾いた枝や葉を集めて来てくれ。夕飯にしよう」
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