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第六章 地上調査
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あたりが急に暗くなったと思ったら、雨粒がぽつぽつと落ちてきた。
寛人は驚いて顔を上げた。さっきまで眩しいほどの蒼穹だったというのに、いつの間にか重たげな灰色の雲が低く垂れこめている。
「ここだと雨が当たる。トンネルの奥に避難だ」
河野が背嚢を持って立ち上がった。
「天気予報、当たってんじゃねえか」
乾は渥美に声をかけ、おっと目を見開いた。
渥美は雨粒が当たるにもかかわらず、立ち竦んだまま空を見上げている。その魅せられたような顔に、乾は驚いたようだった。
やがて雨足は激しくなった。
気温が急激に下がったようだった。
(あれほどに蒸し暑かったのに)
大量の雨水が陥没穴から弧を描いて絶え間なく注ぎ込み、側面の排水溝にどぼどぼと流れてゆく。その水量といい、勢いといい、寛人は圧倒されっぱなしだった。
「運がよかったですね。降り始める前にちょうど天井のある所で休めて」
水筒に雨水が注がれるさまをじっと見ながら、斎藤が言った。
「一見きれいだがよ、飲めんのかこれ?」
乾が疑わしそうに水筒の口を覗き込んだ。
「乾さん、二号機のヘリから浄水器持ってきてただろ。それで濾過すりゃいいよ」
渥美の言葉に、乾は「おお」と思い出したかのように背嚢から簡易浄水器を出してきた。銀色の筒を矯めつ眇めつ首を傾げる。
「どうやって使うんだ?」
「水を通すんだよ。ほら、貸してみろよ」
渥美が簡易浄水器と格闘している横で、河野が座ったまま外を見上げた。
「雨が止むまでは動けんな……」
「暇つぶしにトランプでもするか?」
乾が背嚢からトランプの入った小さなケースを取り出した。これも二号機のヘリから失敬してきたものである。
「私は結構です」
斎藤はトンネルの隅に移動すると、やおら砥石やオイルの小瓶を出し、ナイフの手入れを始めた。
「僕は……トランプ、やったことなくて」
おずおずと呟いた寛人に、乾と渥美が驚いたように顔を向けた。
「やったことねえの? 一度も?」
渥美が問うた。
「……どうゆう幼少期を過ごしてきたんだよ」
乾が呆れたように後ろ頭を掻きまわし、気を取り直したようにニヤリと笑った。
「まあ――手加減してやるから。心配すんな」
渥美が妙に真剣な顔で乾を見据えた。
「乾さん。神経衰弱とかは駄目だ。柚木の暗記能力、半端ねえから。それと顔にも出ないからババ抜きもきっと強い」
「つっても初心者だろ。ならよ、ポーカーは? ブラックジャックはどうだ?」
僕は何でもいいです――寛人は言った。
乾はぱっぱとカードを切りながら「河野さんはどうする?」と顔を上げた。
「――賭けるのは駄目だからな」
河野は立ち上がった。
結局、大富豪になった。
三戦目あたりから延々と連勝し続ける寛人に、乾は「お前はもう殿堂入りだ」と告げてがっくりと首を折った。
寛人はトランプを囲む輪を抜けて伸びをすると、コンクリートの壁にもたれた。
外は飛沫で真っ白だった。ざあざあと轟音ともいえる音は、不思議とうるさく感じない。ただ――雨音は周囲を閉ざし、感覚まで麻痺していくようだった。
雨、そして土のにおいに包まれる。
ふと地上生物保管棟の生き物たちのことが思い出された。水槽の中は、きっとこんな感じなのではないだろうか――。
いく筋もの水の放物線をぼうっと眺めながら、いつの間にかうつらうつらとしていたことに気づき、ひやりとした。
(寝てしまったらまずい)
寛人は二の腕をさすった。
汗で湿ったシャツが皮膚に張り付き、体は冷え切っていた。
寒くて、すごく疲れていた。
雨は一時間もしないうちにあがった。
水を吸って柔らかくなった土砂をなんとかよじ登り、反対側の登山道に出た。
「出発だ」
河野を先頭に、道を阻む岩や木の根を避けながら砂利道を進んだ。
さっきまでの雨雲が嘘のように、空はあっという間に青く晴れ渡った。
気温がぐっと上昇し、それと共に湿度もぐんぐん上がっていった。日差しは皮膚を焼くほどに強く、一歩進むごとに汗がふき出してくる。
(息苦しい……)
寛人は顎から滴る汗をぬぐった。体力がどんどん奪われてゆく。
「暑っつー。なんだこりゃ」
乾が声をあげた。
「紫外線予防薬です。紫外線はDNAを損傷しますから。皆さん、よかったら」
寛人は錠剤を配った。
「何でも持ってんな……。いいのかよ。俺たちなんかにおしげもなく」
そう言った乾に、寛人は頷いた。
「使うために持ってきたんですから、どうぞ」
渥美は渡された錠剤を見つめ、不機嫌そうに寛人を見据えた。
「これも植物棟のやつらからもらったのか?」
「そうだよ。ローズマリー、シトラス、シダ植物の……」
渥美は錠剤を突っ返した。
「俺はいい」
その頑な様子に、寛人は溜め息を吐いた。
寛人は驚いて顔を上げた。さっきまで眩しいほどの蒼穹だったというのに、いつの間にか重たげな灰色の雲が低く垂れこめている。
「ここだと雨が当たる。トンネルの奥に避難だ」
河野が背嚢を持って立ち上がった。
「天気予報、当たってんじゃねえか」
乾は渥美に声をかけ、おっと目を見開いた。
渥美は雨粒が当たるにもかかわらず、立ち竦んだまま空を見上げている。その魅せられたような顔に、乾は驚いたようだった。
やがて雨足は激しくなった。
気温が急激に下がったようだった。
(あれほどに蒸し暑かったのに)
大量の雨水が陥没穴から弧を描いて絶え間なく注ぎ込み、側面の排水溝にどぼどぼと流れてゆく。その水量といい、勢いといい、寛人は圧倒されっぱなしだった。
「運がよかったですね。降り始める前にちょうど天井のある所で休めて」
水筒に雨水が注がれるさまをじっと見ながら、斎藤が言った。
「一見きれいだがよ、飲めんのかこれ?」
乾が疑わしそうに水筒の口を覗き込んだ。
「乾さん、二号機のヘリから浄水器持ってきてただろ。それで濾過すりゃいいよ」
渥美の言葉に、乾は「おお」と思い出したかのように背嚢から簡易浄水器を出してきた。銀色の筒を矯めつ眇めつ首を傾げる。
「どうやって使うんだ?」
「水を通すんだよ。ほら、貸してみろよ」
渥美が簡易浄水器と格闘している横で、河野が座ったまま外を見上げた。
「雨が止むまでは動けんな……」
「暇つぶしにトランプでもするか?」
乾が背嚢からトランプの入った小さなケースを取り出した。これも二号機のヘリから失敬してきたものである。
「私は結構です」
斎藤はトンネルの隅に移動すると、やおら砥石やオイルの小瓶を出し、ナイフの手入れを始めた。
「僕は……トランプ、やったことなくて」
おずおずと呟いた寛人に、乾と渥美が驚いたように顔を向けた。
「やったことねえの? 一度も?」
渥美が問うた。
「……どうゆう幼少期を過ごしてきたんだよ」
乾が呆れたように後ろ頭を掻きまわし、気を取り直したようにニヤリと笑った。
「まあ――手加減してやるから。心配すんな」
渥美が妙に真剣な顔で乾を見据えた。
「乾さん。神経衰弱とかは駄目だ。柚木の暗記能力、半端ねえから。それと顔にも出ないからババ抜きもきっと強い」
「つっても初心者だろ。ならよ、ポーカーは? ブラックジャックはどうだ?」
僕は何でもいいです――寛人は言った。
乾はぱっぱとカードを切りながら「河野さんはどうする?」と顔を上げた。
「――賭けるのは駄目だからな」
河野は立ち上がった。
結局、大富豪になった。
三戦目あたりから延々と連勝し続ける寛人に、乾は「お前はもう殿堂入りだ」と告げてがっくりと首を折った。
寛人はトランプを囲む輪を抜けて伸びをすると、コンクリートの壁にもたれた。
外は飛沫で真っ白だった。ざあざあと轟音ともいえる音は、不思議とうるさく感じない。ただ――雨音は周囲を閉ざし、感覚まで麻痺していくようだった。
雨、そして土のにおいに包まれる。
ふと地上生物保管棟の生き物たちのことが思い出された。水槽の中は、きっとこんな感じなのではないだろうか――。
いく筋もの水の放物線をぼうっと眺めながら、いつの間にかうつらうつらとしていたことに気づき、ひやりとした。
(寝てしまったらまずい)
寛人は二の腕をさすった。
汗で湿ったシャツが皮膚に張り付き、体は冷え切っていた。
寒くて、すごく疲れていた。
雨は一時間もしないうちにあがった。
水を吸って柔らかくなった土砂をなんとかよじ登り、反対側の登山道に出た。
「出発だ」
河野を先頭に、道を阻む岩や木の根を避けながら砂利道を進んだ。
さっきまでの雨雲が嘘のように、空はあっという間に青く晴れ渡った。
気温がぐっと上昇し、それと共に湿度もぐんぐん上がっていった。日差しは皮膚を焼くほどに強く、一歩進むごとに汗がふき出してくる。
(息苦しい……)
寛人は顎から滴る汗をぬぐった。体力がどんどん奪われてゆく。
「暑っつー。なんだこりゃ」
乾が声をあげた。
「紫外線予防薬です。紫外線はDNAを損傷しますから。皆さん、よかったら」
寛人は錠剤を配った。
「何でも持ってんな……。いいのかよ。俺たちなんかにおしげもなく」
そう言った乾に、寛人は頷いた。
「使うために持ってきたんですから、どうぞ」
渥美は渡された錠剤を見つめ、不機嫌そうに寛人を見据えた。
「これも植物棟のやつらからもらったのか?」
「そうだよ。ローズマリー、シトラス、シダ植物の……」
渥美は錠剤を突っ返した。
「俺はいい」
その頑な様子に、寛人は溜め息を吐いた。
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