『エンプセル』~人外少女をめぐって愛憎渦巻く近未来ダークファンタジー~

うろこ道

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第三章 地下都市

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 防護服ごと滅菌シャワーを浴び、汚染検査室で検査を終えた渥美と先輩は、ようやく更衣室に入ることを許された。
 フェイスガードを外そうとしたところで、所属長が更衣室のドアをばんと勢いよく開けた。
「渥美! なんだったんだあれは。どうして消火器から火柱が上がったんだ!」
 渥美は溜め息をついた。一気に疲労感が増す。
「消火剤のかわりにガソリンを詰めたんです。結構な見物だったと思いませんか」
 あえて挑発的に言ってやった。案の定、所属長は怒りで顔が真っ赤に染まる。
 禿はげ親父おやじに悪態をついて溜飲が下がるわけではないが、この何とも言えないやりきれなさを少しでも紛らわせたかった。同僚柴田の無惨な死、そしてあの可哀想な地上生物――二つの死に、渥美は打ちのめされていた。
 再び更衣室のドアが開いて、今度は機動隊員がずかずかと入ってきた。
「この度の事情を聴きたい。管理者以下全員、署に来てもらう」
 八人の武装集団はドアの前に立ちふさがった。あからさまに威圧され、渥美は忌々しく舌打ちをする。
「暑っ苦しい防護服を脱いでシャワー浴びたいんで。出ていってもらえませんかね? 終業時刻だってとっくに過ぎてるんで。な、先輩」
「全員出頭だと言っただろう」
「冗談じゃねえ。俺は今から用事があるんだよ。任意同行なんだから拒否することもできるんだろ?」
 くるりと背を向けた渥美の腕を、一人の機動隊員がつかみあげた。
「あんな騒動を起こしておいてそのまま帰れるとでも思ってるのか?」
 渥美は怯まず睨み返した。
「騒ぎを起こしたのはあのクソ猫だ。そして原因は麻酔班のミスだ。業務上過失致死罪なら下っ端の俺は関係ないですよね」
「業務上過失致死罪の件なら帰れたかもしれないな。――だが渥美累。君は消火器にガソリン詰めただろう」
 機動隊員は渥美を見下ろす。
「ガソリンの保存容器は総務省の法令で定められている。さらにガソリンは免許を持った人間しか扱えない特定危険物だ。君は危険物取扱者の資格を持っているのか? 他にも余罪がいくつもありそうだ」
 累は腕を振り払い、フェイスガードの奥から機動隊員を見据えた。
「俺が消火器にガソリンを詰めたって証拠があるんですかね?」
「それはさっきお前が――」
言質げんちが証拠になるんすか?」
「いいから来るんだ! 公務執行妨害もつけられたいのか!?」
 渥美はフェイスガードとゴーグルを取り去ると、詰め寄ってきた機動隊員を睨み上げた。
 あらわになった素顔に、機動隊員は一斉にぎょっとした。つくりもののように整った素顔に、金と青の虹彩異色オッドアイ。赤みを帯びた琥珀色の髪。――明らかにだった。





 絶句する男たちに、不意に渥美はにっこりときれいな笑みを見せた。
「バイオハザード対策における基本的な心構えを知っていますか?」
 その容貌になかば圧倒されていた機動隊員たちは、ぽかんとした。
 渥美の顔から笑みが消え、すうっと切れるような鋭さが戻った。
「他人には絶対に感染させない。それともう一つ。だ。こんな危険な仕事に命張ってるにもかかわらず俺たちは麻酔銃一つ与えられない。だからこうやって自分の身は自分で守るしかねえんだよ」
 渥美はフェイスガードとゴーグルを「使用済」と書かれたコンテナに投げ入れた。
「護身のネタはラボにいくらでも仕込んである。消火器どころじゃない、もっと仰天するようなやつもな。探してみるがいいさ」
 言いながら渥美はボディスーツを脱ぎ、Tシャツとジーンズ姿になった。淡々と荷物をまとめ、大ぶりのスポーツバッグに突っ込んでゆく。
 その一挙一動をなかば陶然と見蕩みとれていた機動隊員は、我に返ったように怒鳴った。
「ま――待て! まだ話は……」
「まだ話は終わっとらんぞ、渥美! どこに行く気だ‼︎」
 機動隊員の台詞に被るように、所属長が声を荒げた。渥美はそのまま脱衣所を出る。
「だからシャワー浴びて帰るんですよ。今日、これから用事があるんすよね」
「こんな騒ぎを起こしておいてこのまま返すわけにはいかん!!」
 渥美の容姿など見慣れていてものともしない所属長は、後を追いながら頭ごなしに怒鳴りつけた。
「――所属長」
 廊下でふいに声をかけられ、所属長はぎょっとしたように振り向いた。
「柚木くん……そうか、君もいたんだな」
「あの、渥美は今日、に行く日なんです。そうだよね?」
 渥美はぎょっと寛人を見た。
「……なんでてめえがそんなこと知ってんだよ」
「あそこは面会時間に一秒でも遅れたらもう入れないでしょう。渥美は明日も勤務ですから、お話は明日にしてあげたらどうでしょうか」
 所属長は「センターだと」と寛人に目をやった。後を追うように更衣室から出てきた機動隊員たちもはっとしたように渥美を見た。
「黙れよ柚木‼︎ てめぇにゃ関係ねえことだろうが‼︎ 余計な口挟むんじゃねえ‼︎」
 所属長は意味ありげに笑った。
「なるほど。渥美くんは母親とお姉さんがいるんだったな。なら面会にかこつけてあのセンターにいくことができるのか。いやあうらやましい。生身の女性を見ずに一生を終える人も何人もいるというのに。それは一刻も早く退社したいわけだ」
「……俺はそんな下卑た目的でセンターへ行くんじゃない」
「君は容姿もいいからな。センター内の女性にちやほやされていい気になってるんじゃないのかね。若者の面会者や見学者の中には、そういった勘違いをして問題を起こすこともあると、センターの十和田とわだ所長も言っていたぞ」
(――何を馬鹿な事を言ってやがるんだ、こいつは)
 渥美は血の上るような怒りを覚え、吐き捨てるように言った。
「あんな豚みてえな女たちにちやほやされたって反吐へどが出るだけだ」
 あってはならない女性への暴言に――あたりは一瞬にして静まり返った。
 渥美は口のを歪めて、所属長を見下ろした。
「失礼。所属長の奥様もセンターに収容されてらっしゃいましたね。しかもたしか北のはずれにある第三センターだとか。うちの母と姉は中央第一センターだからここから三十分もせず着きますし、確かに急がなくてもお説教ぐらい聞く時間はありますね」
 所属長は一瞬にして蒼白になり、すぐに怒りで顔を真っ赤にした。
「ぶ、無礼な! 侮辱罪で訴えるぞ!」
「別にあんたの奥さんが豚だなんて一言も言ってないっすよ」
 渥美の言いように機動隊員も我に返ったように声を荒げた。
「女性への暴言は懲罰ものだぞ!」
「この場でセンター来院許可証を返還することになってもいいのか!?」
 口角から唾を飛ばして怒鳴り散らす男たちを、渥美は冷めた目を向けた。
 所属長は目を吊り上げ、怒りに震えている。
「……戦後生まれのガキが生意気言いおって。駄目になった地上からこの地下都市でぬくぬくと暮らしていけるのは誰のお陰だと思ってる!」
「ダメにしたのはあんたら世代だろうが」
「その口のききかたはなんだ! 大人をなんだと思ってるんだ‼︎」
「――尊敬してます」
 睨み合っていた二人は、揃って寛人を見た。
「ちゃんとわかってます。所属長の世代の方々が苦労してこの地下都市を造り上げ、荒廃した地上から日本人を救ったのも。今、僕たちがこうして暮らしていけるのも――本当に感謝しています」
「はぁ?」
 渥美が呆れたような声をあげた。
「今回の騒動も、パンデミックの危機を逃れたのは所属長のおかげです。所属長があの化け物が猫って教えてくれなかったら、植物棟の方にマタタビラクトンのガスを借りることはできなかった。それに所属長はパンデミックを防いだだけでなく、全滅しかねなかった研究員を二人も救ったんだ」
「このおっさんが何したってんだよ。ただ現場を混乱させただけじゃねえか! 俺や先輩までも平然と殺そうとしやがって、この人殺しが‼︎」
「そしてあの地上生物を退治できたのは渥美の勇気と機転もすごく大きいです。彼のお陰で、最小限の被害で済んだんです。――それに免じて、今日は帰宅を許していただけませんか」
 渥美は寛人の胸ぐらを掴みあげる。
「黙れよ! 何気持ちわりいこといってんだ。さっきからお前、なんかズレてんだよ。わかんねえのか!?」
 その時。ポーンとエレベーターの到着音が響いた。
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