『中国のお魚』

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『中国のお魚』

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『中国のお魚』


1.後悔

  泣いて目を覚ました、8月下旬の朝。美しい絹のパジャマが寝汗で濡れていた。花子は夢の中で泣いていたのだ。夫の一郎を中国タクラマカン砂漠の端にある町、ホータンの秘魚を食べさせ殺してしまった。本当は不倫の罰として「懲らしめよう」としたのだけれど、一郎の体質と相性が悪かったのか身体に異変が起き死んでしまった。

  株式会社HVの社長・鈴木一郎の急死に周囲は大変驚いたが、仕掛け人の花子自身の驚きも大きく、後悔の入り混じった気持ちで泣き悲しんでいた。自分を裏切ったとは言っても一郎は一番好きな人で学生時代からの仲間だった。一緒に居て安らぎを感じる優しい人、でも死んでしまった。殺してしまった。一郎の急死は事件に発展するような事も無く葬儀と共に忘れられていった。


2.一郎

  初夏の少し蒸し暑い日。花子は夕食の献立を「ガンモドキとニンジンの煮物にシシトウ添え、ワカメとコンニャクのぬた、お刺身、ミョオガと豆腐の吸い物」というあっさりとした和食を準備した。豪華な食事にして肝心の刺身を一郎が食べ損なってはいけないと考えていた。

  今日は花子が準備してきた「フラワー・アレンジメントの出店計画」を一郎にじっくりと聞いてもらう約束の日だった。出店計画はカルチャーセンターの講師に手伝ってもらい、また一郎から受けた何度かのアドバイスそして今回の中国旅行で感じた事も盛り込んだものになっていた。食事をしながらじっくりと読んでもらい、いくつかの質問に答え「出店OK」をもらった。そして花子が行って来た中国旅行の土産話に興じて食事は終った。特に略式漢字については花子が撮ってきた写真を見ながら大いに盛り上がった。一郎はホータンの刺身を殆ど食べていた。

  株式会社HVを急成長させた一郎は花形経営者として東西奔走の忙しい日々を送っていた。花子の出店計画にOKを出した日から1ヶ月程経った頃、一郎は微熱を出し体調を崩して行った。講演会では出番まで控え室で横になっている事が多くなっていた。しかし既に決まっていたスケジュールについては、先方に迷惑をかけたくないという気持ちが先に立ち医者に行かなかった。過労と診察の遅れが重なり、出張先のホテルで突然倒れ緊急入院してしまった。末期の肝臓ガン、治療もむなしく一郎は亡くなった。


3.調査依頼

  入院先のK大学病院は次のように発表した。「一郎の超多忙な生活が過労を起こし病気に対する抵抗力を弱め、もともと持っていたと考えられるガン因子を活性化させ死に至らしめた、特異な例」と。この発表に納得できなかった不倫相手の秘書・亜希子は仕事で知った私立探偵・大津秀樹に死因の調査依頼をするため事務所を訪ねた。


4.調査1

  初七日を過ぎた10月のある日、探偵大津はK大学病院で一郎の担当医だった青木医師を訪ねた。大津は一郎の死について「ざっくばらんな話をさせて欲しい」と言い、その日の夕方、2人は病院の近くにある居酒屋にいた。青木は新潟出身で熱燗の日本酒が好きなタイプだった。だいぶ飲んだ頃、青木はぼそっと言い出した。

  「漢方薬のような物で新陳代謝を非常に強く促進させる「薬」を飲めば、今回のような事態も考えられるんだ、でもそんな「薬」が有るのかどうか知らないですよね」。


5.疑惑

  「さあ出来上がったわ」花子は張り切って大きな声を出した。早く一郎に見てもらいたくてワクワクしていた。花子はカルチャーセンターの講師に手伝ってもらって作り上げた「フラワー・アレンジメント店の出店計画書」を読み直していたのだった。以前は夫の会社で経理を手伝っていたが、会社の拡大と共に出番が無くなってしまった。

  今は青山のカルチャーセンターでフラワー・アレンジメント講座を受けていた。いつの頃からか「店を持ちたい」という思いが大きくなっていた。そして今、計画書が出来上がった。花子は一郎に早く見て欲しかった。しかし最近の一郎は家に帰る事が少なく、たまに帰っても「フロ・寝る」の状態だった。「じゃあ会社に行くしか無いか!」思い立つと、アポイントも取らずに出かけていった。

  秘書室長の田端は、花子の突然の訪問に少しうろたえたような様子で一郎に取次ぎ、あたふたと戻って行った。田端を入社時から知っている花子にしてみれば、彼の表情と行動は「ん!」と警鐘を鳴らすに十分だった。一郎は忙しく書類に目を通しており、花子の来社に驚いたが、「出店計画」にざっと目を通してくれた。じっくりと判断する時間は無く、「あさっての夜、家で相談しよう」と約束した。

  田端の「うろたえ」に不審を感じた花子は、一郎のスケジュールを思い出していた。会社の拡大とテレビなどマスメディアへの登場が彼の忙しさに拍車をかけており、帰宅しない日々の多さに今更ながら驚いた。そして花子は一郎の尾行を思い立った。探偵など知らないし、依頼した事が後で問題になっても困ると思い自分で確認しようと思った。


6.調査2

  青木を訪ねた翌日、探偵大津は株式会社HVの専務・宮田と面会した。宮田は大田と共に創立メンバー3人の仲間だった。宮田から聞いた話は次のようなものだった。

  「株式会社HVは鈴木、大田、宮田の三人が前の会社をスピンアウトして作った。当初は鈴木夫人の花子さんがアルバイトで経理を助けていたが、会社の規模が拡大していく過程で専門家が必要になった。役目が終った花子さんは青山のカルチャー・センターでフラワー・アレンジメント講座を受け始めたと聞いた。子供に恵まれないこともあったのか、店を持つことを考えていたらしい。出店計画も出来上がっており、準備の一環で中国に旅行をしてきたと聞いていた。」

  探偵大津にとって青木医師の話「漢方薬の件」は酒席での「お遊び」のようなものでしかないと思っていたが、宮田専務の話と重なり何かが「中国」でつながったように感じた。


7.尾行

  一郎のスケジュールは田端室長から入手するつもりだった。そのため、田端室長にもフラワー・アレンジメント出店計画を説明し、一郎からタイムリーなアドバイスをもらう為にも「彼のスケジュールが欲しい」と言った。田端室長は同意しスケジュールを来週からFAXで送ってくれることになった。

  花子は入手したスケジュールを見て、東京のホテルに宿泊する日だけに絞って尾行しようと思った。尾行は非常に難しかったが、知りたいと思う力が花子を前に進ませていった。スケジュールを入手してから三週間ほど経った。一郎が宿泊するホテルを事前に見に行き車の動きを確認し、自分が待っていられる場所を確認する、など事前の準備に多くの時間を使った。頭の中で考えるように簡単にいかなかった。今までの尾行では不審なことも無く、「気のせいかな?」と思い始めていた。また「気のせいであって欲しい」という願望もあった。

  4月の光は暖かで若葉がまぶしかった。その朝も花子はモスグリーンのBMW350iを運転してホテルTの出口が見える所に駐車して待っていた。その時、見覚えのある濃紺のメルセデスE240を運転した一郎が出口から出てきた。助手席にはサングラスの女性が乗っていた。花子は自分の目で一郎の不倫を確認してしまった。「尾行なんかしなければ良かった」との思いが脳裏をよぎった。一郎は女性をJRの駅で下ろすと会社へと走り去っていった。その女性は髪を短めにしてグレーのスーツをキチンと着たキャリアウーマン風だった。「女を追跡しなきゃ」駐車場を探しているうちに女を見失っていた。屈辱感、挫折感などいろんな感情が頭の中を駆け巡った。

  花子はなんとなくBMW350iを走らせ一郎の会社近くに止めた。「助手席に乗ってたって、不倫とは決まってない」と目の前の事実を否定しようと考えたり、「どうしようかなぁ」とボンヤリしていた。「あっ、あの人」助手席で見た女がバックミラーに映った。サングラスは外していたが、グレーのスーツ姿が間違いなかった。きびきびと歩いて来た女は一郎の会社に入って行った。「社員だったんだ」と余りに普通な関係に驚きと失望が浮かんだ。一郎ならもっと斬新な関係だって良いのに、などと変なプライドが浮かんだ。


8.調査3

  宮田専務と話をした数日後、探偵大津は秘書室長の田端を銀座のスタンドバーに誘った。地下鉄を降り地下街を歩いて地上に出ると風が吹き抜けて行った。店に入ると暖房が心地よく、そしてボンヤリとした照明もまた暖かな雰囲気を作っていた。壁にコートを架けると二人はカウンターの端に黙って座った。田端は一郎と花子のプライベートなことについて多くを話したがらなかったが次のことを語してくれた。

  「いつだったか、花子夫人の求めに応じてしばらくの間、一郎社長のスケジュールをお渡した事がありました。正確には記憶していないのですが、たぶん三月頃だったと思います。花子夫人がフラワー・アレンジメント出店計画を進める上で一郎社長のアドバイスをタイムリーに必要だ、と言っていた事を覚えています。」カウンターに置かれたジンフィズはそのままだった。


9.確認

  今すぐ会社に乗り込んで修羅場になるのはいやだった。花子は深呼吸すると「作戦を練ろう」と近くの駐車場に車を止めてドトールコーヒーに入った。エスプレッソを注文して窓際に座った。

  「まず女の名前を知ることよね」と思った。「でもいまさら会社内の見学なんて出来ないし」と思いながらカップを口に運びコーヒーを1口飲んだ。エスプレッソ、苦かった。「一郎にアドバイスを貰いに行って、時間が空くまで会社内で待つ」というのなら良さそう。「ふふふ」と微笑み納得した。いざ田端室長を訪ねようとすると、心臓が高鳴り顔のほてりを感じた。

  田端室長は不在だった。「田端は午後から出社します」と伝えに来たのは秘書の亜希子だった。探していた当人が目の前に居る、花子は心臓がドキドキした。胸の名札を見て名前を確認しながら「社長に会いたいのですが、お願いします」と言った。


10.調査4

  探偵大津は、亜希子が初めて花子を見たのは4月5日と言っていた事を思い出した。そして、花子は亜希子と一郎の関係を知っているように思ったとも話していた。花子はその1ケ月前から一郎のスケジュールを入手していたと推測された。


11.計画

  不倫を知って一郎への不信感が大きく膨らんだ。その時突然、ホータンの古老に聞いた不思議な話「食べると早く歳を取る魚」のことを思い出した。そして、あの魚を食べさせて「懲らしめよう」と決めた。

  中国のホータンには毎年6月中旬から9月中旬の3ケ月間だけ大河ホータンが出現する。崑崙山脈の氷河から融け出した水を源流として、タクラマカン砂漠を数百キロにわたり縦断する巨大な川、夏の終わりと共に消えてしまう幻のような光景だとか。この大河ホータンには3ケ月だけ生きる不思議な魚がいて、この間に生まれ~産卵し~死んで行く、という一生を3ケ月に凝縮した特異な魚です。産卵された卵は水が枯れると砂にもぐって翌年の大河出現まで生きながらえ、氷河の水が流れ来ると卵は砂の上に浮かび、転がりながら孵化し・稚魚になり・成魚となって産卵すると言われていた。

  周到な準備と同時に、中国旅行を一郎に納得させる理由も必要だった。花子の「懲らしめ計画」はこうだった。
大河ホータンで獲った魚はポリ袋に入れてホータンのホテルに戻る。そしてプラスチック容器に移し北京まで移動。プラスチック容器は北京で購入する予定だった。

  断熱材と保冷材で魚を足に巻き付けて検査をパスする。足を挫いた風を装い杖をついて歩く。足には包帯を巻いてカモフラージュする。北京のホテル出発から出国検査と飛行時間を経て成田での税関通過までは6時間程度かかると想定した。この時間を持たせる保冷材が必要になる。

  日本で購入する断熱材、保冷材の量、大きさ、購入可能な店など必要な情報をインターネットで入手した。またプラスチック容器に酸素を補給するための熱帯魚用ポンプも準備した。包帯、ポリ袋などの小物はドラックストアで揃えることが出来た。杖は折りたたみ式の小さいものを購入しておいた。

  フラワー・アレンジメントに中国的な感覚を取り込むこと。店を始めると忙しくなるので、今ゆっくり見ておきたいことなどを説明し、中国旅行について一郎の了解をもらった。花子は大河ホータンが発生する前、6月初旬のフライトで出発することにした。一郎は亜希子との事もあり、花子の旅行に反対はしなかった。


12.離陸

  成田10時40分発・北京行きJL781便はゆっくり離陸スポットに向かって移動して行った。仕事で出張する人々は新聞や書類を見ながら静かに座っていたが、旅に出る人々は軽い興奮に包まれて華やいだざわつきを起こしていた。管制塔の指示を得た飛行機はエンジンを全開し機体を震わせながら滑走しフワッと浮き上がると大きく旋回して目的地に向かった。中国時間13時15分、北京首都国際空港に着陸。

  久しぶりの中国だった。税関を通りホテルからのシャトルバスに乗りみホテルHにチェックインした。飛行時間は短いのだが、朝起きてから長い時間がたちさすがに疲れた。一息つくと街に出た。広い道をたくさんの車と自転車そして人々が行き来していた。路地に入ると両側にぎっしりと並んだ小さな商店と、そこで商いをする人々が醸し出す迫力に圧倒されながら、魚をさばくための包丁、プラスチック容器、魚を獲る網など買い揃えた。中国で国内航空に乗るため、大きな包丁は不審に思われると考え果物ナイフ程度のものを選んだ。花子は北京に2泊滞在する予定だった。

  街をぶらつきながら路地にまだわずかに残っている昔ながらの中国を見て回った。一方、近代的なデパートには大勢の人々が買い物に来ており華やかに賑わっていた。見物に疲れた体を休めるためレストランに入り飲茶を楽しみながら懐かしい時間を過ごした。

  ホテルに戻るとサービスマネージャーにウルムチ経由ホータンまでの航空チケット、そしてウルムチとホータン両方でのホテル予約を確認した。全てのチケットとホテルの予約は一郎を通じ会社で行なっていたが確認は必要だった。北京からホータンへの直行便は無く、乗り継ぎ便の時間が悪いため中継地ウルムチでの宿泊が必要だった。北京発14時40分、ウルムチ着18時25分、ウルムチ泊。翌ウルムチ発13時30分、ホータン着15時。

  花子にとっては久しぶりの国内線だったが、騒音の大きさ、横揺れ、着陸時の乱暴さなど、子供の頃味わった怖さを十分に思い出させてくれた。長旅の疲れと目的地に着いた安堵感で、チェックインを済ませ部屋に入るや否やベッドに倒れこんで寝てしまった。2時間程経った頃、空腹で目を覚ましベッドから起き上がった。シャワーを浴び着替え、食堂を探して街に出掛けた。ホテルのレストランはすごく高いのでなるべく避けたかったし、街も見たかった。それに子供の頃からこの地にいたので味についての違和感も無かった。


13.追憶

  食堂を探して歩いていたとき骨董屋の看板が目に入った。近よってショーウインドウを覗き込んだとき、急に昔の事が甦った。

  花子の父は、T大学の教授・山田太郎。中国の辺境タクラマカン砂漠の近く、ホータンという町でイスラム教に追われ廃れてしまった仏教遺跡を研究していた。毎年夏に現地で遺跡の発掘を行い、日本に戻って発掘物の整理と研究を行なっていた。

  母は花子が中学生の時に病気で亡くなった。その後は近くに住む父の両親に育てらたのだった。毎年夏休みになると父の調査地だったホータンに行き、発掘を担っているウイグル族の子供達と遊びながら、父と一緒に過ごすことを楽しみにしていた。母がいない分ウイグル族の大人達に甘え、可愛がられて暮らしていた。

  花子は大学の同級生だった一郎と長い恋をしていた。母が早くに亡くなり、父も研究に没頭していたため一人ぼっちの時間が多かった。一郎と一緒にいることでそれまでの寂しさを埋め合わせているようなところがあった。数年のOL生活を経て、楽しい想い出とともに二人は結婚し幸せな生活をスタートした。

  「ニーハオ」店の主人の声で、ふっと我に返った。いまホータンにいた。食堂のメニューは漢字だったけれど、略字が多くて理解できない記述が多かった。他人のテーブルを見て、柔らかい焼きソバのようなものを注文した。ソバは皿にのって湯気を立ててきた。花子は一気に食べ、一息ついた。そして日本から持ってきた昔の地図を見ながら、ウイグル族が住んでいた場所を探しはじめた。


14.調査5

  探偵大津は花子の祖母タカから昔話を聞いていた。タカは懐かしむように花子の話をしてくれた。「花子は父の関係で子供のときから何度も中国に行ってました。夏休みの間ずっと向こうに行っていましてね、現地の子供達と一緒に遊んで楽しかったと言ってましたよ、きっとお母さんが早くに亡くなったもんだから、向こうで甘えていたのかもしれないねぇ。いつもお土産をもらって帰ってきてましたよ。」


15.捕獲

  花子はホテルのフロントにいた。持参した昔の地図を見せてウイグル族居住地への行き方を相談していた。地図が古かったためフロントの女性が持ってきた新しい地図と照らし合わせながら確認した。フロントの女性達は花子と話すときは英語だったが、仲間との会話は中国語でしかもすごく早かった。タクシーしか交通手段が無いと分かった。

  翌朝依頼してあったタクシーが来た。ドライバーはちょっとずるそうな感じの年配の人だった。走り出すとすぐに街を外れ、田園風景の広がる中を二時間くらい行った頃、居住地が見えてきた。車を降り、運転手を待たせ居住地に入っていった。料金を渡すと帰ってしまうとフロントからアドバイスを貰っていた。

  「ニーハオ」片言で話しかけると、相手はしばらく見ていたが花子を思い出し抱き合って再会を喜んだ。身振り手振りを交えてしばし話し込んでいると、運転手が運賃の催促に来た。車に戻り荷物を取って運賃を払った。そして彼女と一緒に長老に会いに行き、「しばらく滞在させてもらいたい」と申し出ていると、集まってきた人々も花子を思い出して大歓迎された。数日は昔話に興じていたが、大河ホータンが流れ始めると皆の興味は大河に移って行った。

  花子は川に入り悪戦苦闘しながら魚を三匹獲ると持参したポリ袋に入れた。皆に別れを告げ、ウイグル族の友人に送ってもらいホテルに戻ってきた。北京で購入したプラスチック容器に魚を移し一息ついた。最初のステップクリア。

  サービスマネージャーにウルムチ経由北京行きのチケットとホテルの予約を頼み、翌日ホータンから北京に向かって飛び立った。


16.調査6
 十二月になっていた。探偵の大津は今までの情報を整理して報告書を作ると亜希子に送った。「一郎の急死は漢方薬のような薬を飲んだ結果とも推測できる」「花子が子供のころから行っていた中国ホータンで入手できる可能性がある」「よって花子がカギを握っていると考えることもできる」「必要なら中国に出張して調査を継続する」という内容で、別紙に花子の中国旅行スケジュールのコピーを付けた。これは田端室長から入手したものだった。

  亜希子は報告書を読んで驚くと同時に迷った。調査の継続は強く望んでいたが中国まで行ってもらうのは費用が心配だったし、確実に何かが分かるとも言い切れなかった。しばらく考え大津の調査は打ち切りにしようと決め、今までの費用を銀行に振り込む事にした。そして亜希子は自分で中国に行き確認しようと思い立った。花子と同じ時期に同じルートで、半年後。


17.追いかけて

  亜希子は大津の報告書に付いていた花子の中国旅行スケジュールをたどってホータンのホテルに着いた。長い旅だった。初めての中国だったし、中継地で一泊する便の悪さや不慣れな食事などが重なって亜希子はぐったりとしていた。翌日の昼過ぎフロントの女性達に花子の写真を見せ、知っている人を探し始めていた。運良く三人目の女性が花子を覚えていた。そして花子がタクシーでウイグル族の居住地に行ったことを教えてくれた。亜希子はその時のタクシードライバーを探してくれるようお願いした。数日後ドライバーがわかり、フロントの女性の休日を待って彼女を通訳として一緒にウイグル族の居住地まで行くことになった。

  数時間のドライブで車はウイグル続の居住地に着いた。ドライバーを待たせ亜希子は女性を伴って居住地に入って行った。ウイグル族の人々は花子の写真を見ると「花子は元気か」と喜んでくれた。亜希子は通訳を介して質問し始めた。「花子は何しに来たの?」「花子が来た時、ここで何してたの?」「漢方薬を持って帰らなかった?」など矢継ぎ早に聞いたが、花子の仲間から警戒心を持たれ、意味のある答えは何も得られなかった。

  質問は終わった。「何も分からない」という事が分かったのだった。「何を期待して質問したのだろう」「何を知りたくてここまで来たのだろう」亜希子は自問していた。居住地の周りの草原を少し散歩して気持ちを落ち着かせると待たせてあったタクシーに乗ってホテルに戻った。

  翌日亜希子はホテルにある漢方薬を売る土産物屋で、新陳代謝を促進する「薬」を探したが特別のものは無いようだった。そして当時の花子の行動についてもウイグル族の居住地に行ったこと以外は分からなかった。

  「残念だけど仕方ないな」と亜希子は思った。最後にもう一度居住地を訪ねて草原を見てから帰ろうと決め一人でタクシーに乗って行った。先日は砂漠と草原だった場所に川が流れ始めていた。そのダイナミックの変化に、慌てた亜希子はそのままタクシーでホテルに戻るとフロントの女性に川の話をした。そしてつぎのような不思議な話を聞かされた。

  この川は毎年6月中旬から3ケ月だけ発生する大河であること。タクラマカン砂漠を数百キロ縦断し、夏と共に消えてしまうこと。大河ホータンには成長の早い不思議な魚がいること。などだった。

  亜希子は通訳の女性を伴ってもう一度居住地を訪ね、花子が魚を獲ったかと聞いてみた。皆顔を見合わせるだけで誰も何も言わなかった。

  偶然の機会が亜希子に花子の計画を垣間見せた。そして亜希子の推理はこうだった。花子は一郎と亜希子の不倫を知って報復を計画した。子供の頃から知っていた不思議な魚を食べさせる事にした。そして中国にきて魚を獲り日本で一郎に食べさせた。

  でもどうやって日本に運んだのか分からなかった。「絶対に黒、でも証明は出来ない」ウイグル族の人々は花子に対する友情で何もしゃべらないと思った。悠久の大自然、雄大な草原と季節に現われる大河を見ながら亜希子は涙が溢れてきた。


18.そして
  北京のホテルHにチェックインすると直ぐに魚を調べた。大丈夫、生きていた。2番目のポイントクリア。

  日本への帰国便は混んでおり3日後のフライトしか入手できなかった。北京で3日間滞在することになり、準備した水槽用のポンプが役に立った。

  出発の朝、荷物の整理を済ませると魚を3枚におろした。東京で練習してきた通りに断熱材と保冷材を使って魚を足に巻き付け包帯で留めた。魚のアラは臭わないように新聞紙で包みポリ袋に入れて口をヒモでしっかりと縛った。ナイフも新聞紙で包み、2つの「ゴミ」を紙袋に入れ、空港でゴミ箱に捨てるつもりだった。

  を使って歩き、チェックアウトカウンターに並んだ。朝のホテルHは出張帰りのビジネスマンで混んでいた。列が進み自分の番になった花子はしっかりと明細を見て確認のサインをした。

  タクシーで空港に行き、運転手に頼んで二つのスーツケースをカートに乗せてもらった。JALチェックインカウンターに並んで荷物を預けると窓側の席をとった。花子はチェックインを済ませるとハンドバックと紙袋を持ってトイレに行き、紙袋の中を別々にしてゴミ箱に捨てた。

  出国検査の列は混んでいた。これからが正念場だった。ここで発覚したら全てが水の泡、心臓がドキドキして顔から少し血の気が引き青白くなっているのが自分でもわかった。慎重に杖をついて進んでいった。杖を使っていることや青白い顔などが良かったのか、杖のレントゲンチェックも問題なく検査をクリアした。「ほっ」と小さく息を吐き、「Thank you」と言って通り過ぎた。3番目のポイントクリア。

  免税店やレストランの脇を抜け、搭乗エリアまでゆっくりと歩いて行った。既に多くの人が集まっていてアナウンスを待っていた。花子は辺りを見回すとトイレに行った。個室の中で包帯を外し、刺身と保冷材を取り出すと、ハンドバックにしまった。足の包帯は元に戻して搭乗エリアに戻った。杖のためか男性が席を譲ってくれたので礼を言って座った。

  JAL782便は大きな遅れも無く14時50分に離陸し成田空港に19時10分予定通り着陸した。バッゲージレーンから2つのスーツケースを取り出すのには隣に並んでいた男性の力を借りる必要があった。

  カートを押して税関検査、申告なしのレーンに並んだ。「どこに行ってきましたか?」と聞かれたが特に問題も無く通過した。花子はハンドバックからベルト状のヒモを取り出し、2つのスーツケースを結ぶと押して検査ゲートから通路に出た。ほっとして少し力が抜けたのを感じた。最後のポイントクリア。

  宅配サービスコーナーに行き2つのスーツケースの送付を依頼した。そして洋菓子店に行きケーキを買って自宅まで3時間分のドライアイスを入れてもらった。トイレに行ってケーキを捨てるとハンドバックから刺身を取り出してケーキの箱に入れた。ドライアイスは刺身を冷やすためだった。これらの作業を終えると花子は一郎に帰国の電話を入れタクシー乗り場の列に並んだ。もう杖は使ってなかった。

  帰宅した花子は刺身を冷凍庫に移し「あとは一郎に食べてもらうことね」。

おわり
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