リハビリな五月病

矢崎未紗

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リハビリな五月病

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 それなりにうまく続いていた彼女と、どういうわけだか別れることになった。別れにいたる経緯は論理的な順番を伴う明確なものではなく、そのせいなのか、辰也は自分がいまどんな気持ちを抱いているのか、自分のことなのに何もわからず混沌としていた。
 リハビリテーション――リハビリが必要だ。なんとなくそう思った。
 ゴールデンウィークが終わり、五月病が流行り出す新緑の季節。
 奥寺辰也はぼんやりと窓の外を眺める機会が多くなった。



 高校三年生の辰也は受験生だ。将来のことを考えて進路を選択し、大学受験に挑まなければならない。
 ついこの間まではそんなこと、悩むまでもなく当然の道だと思えていたはずなのだが、彼女との別離が原因だろうか、決めたと思っていたはずのことさえ今は自信がない。自分は将来に何を望むのか。どうなりたいのか。そのためにどの大学のどの学部へ行くべきなのか。いま優先して勉強すべきことは何なのか。それらが、どうにも頭の中からすり抜けて落ちていく。地に足が着いていない。どこにも定まらず、形があるわけでもないふわふわとした感情を持て余している。問題も原因もわからない。とても曖昧な状態だ。
 ぼんやりと教室の外を眺めていた辰也はある日、一階の渡り廊下で男子生徒が女子生徒に告白している場面を見かけた。校舎と体育館をつなぐ渡り廊下は三年生の教室からよく見えるうえに、周囲が静かならそこでの会話もかなり明瞭に聞こえてくるのだ。
 制服がまだ少し〝着られている〟感じがする男子生徒の方は、おそらく一年生だろう。入学から日は浅いだろうに、早速先輩の女子生徒を相手に恋のひとつやふたつ咲かせようという――

「ごめんね、いま、リハビリ中なの」

――わけにはいかなかった。
 振られた男子生徒は、女子生徒の謎の返事に首を傾げながらも残念そうに背中を丸めて去っていった。
 惜しかったな、と知りもしない下級生の男子生徒に同情の言葉を胸の内で呟いて、辰也はぼんやりと視線を空に向けた。
 将来をどうするとか。
 なんで別れたんだろうかとか。
 そもそも好きだったんだろうかとか。
 恋愛って何だっけだとか。
 中学二年生みたいな疑問が右から左へ、雲と同じ速度で流れていく。
 そしてまたある日、渡り廊下では恋物語の一部始終が演じられていた。

「ほかに好きな人がいるわけじゃないわ。でも、まだリハビリ中なの」

 なんだか聞き覚えがある単語だ。
 辰也が視線を下げると、それは先日も告白されていた女子生徒だった。セミロングの髪の毛はやけに細そうで、微風にすらさらさらと揺られている。相手の方は先日の制服に着られている感じが残る男子生徒と違ってどことなくフレッシュさはないので、二年生か三年生なのだろう。
 女子生徒の顔は見えないが、この短期間で二度も告白されているのだからそれなりの容姿なのだろう。それか、とてつもなく性格が良いか。だが、その謎の断り方から性格の良さを想像することはやや難しかった。



 辰也の五月病は、六月に入っても続いていた。そして、じとじとと雨が降る中でも、例の渡り廊下ではやはりリハビリ少女が告白されていた。

「もう少しでリハビリが終わりそうなんだけど、でもまだ時間が必要かも」

 相変わらず、不思議な断り方だ。電波ちゃんなのだろうか。
 雨の音にかき消されそうなその女子生徒の声をすくい上げて必死に耳につなぎとめようとする辰也は、今日もぼんやりとそんなことを考えていた。

「夏休みが始まるまでは、確実にリハビリが必要なの。ごめんね」

 六月二回目の告白も、そう言ってかわす。まったくもってこの女子生徒はいったい何なのか。
 それまでずっと不明瞭な心地で少女を見ていた辰也が、明らかな苛立ちを感じたのは梅雨が明ける頃だった。
 七月、期末テストも終わり、終業式まであと少し。
 その日は真夏日で、強い風が吹いていた。
 特に用事もない昼休み、辰也は教室を出て階段を下りると、いつもは上から眺めているだけの渡り廊下に向かった。そして、電波ちゃんがいつも立っている位置に立ってみる。彼女はここに立って、どんな気持ちで景色を見ていたのだろうか。廊下の先に続く体育館、傍にある木々の葉が揺れる音、校舎内にいる生徒の声。雨も太陽の眩しさもしのげる、屋根が付いた渡り廊下。

「奥寺先輩のリハビリは終わりましたか」

 ふに声をかけられて、辰也は校舎側へと続く廊下の先に視線を向けた。
 細い髪に、何度も聞いた声。
 初めて拝むその顔はなるほど、かわいらしい愛嬌の中にも美しさを感じる、凛とした魅力を秘めていた。男共が惹かれるのも無理はない。

「何のことだか、意味がわからない」
「あなたが私の告白現場を見ていたように、私はあなたを見ていました。ずっとずっと。あなたがなぜか彼女さんと別れたその日すらも」
「ストーカーかよ」
「近いですね。一年生の頃から、私はずっと奥寺先輩が好きですから」
「で、それをオレに伝えてどうする? 次の彼女になるか?」
「いいえ、伝えていません。これは私の独り言です」

 電波ちゃんは髪の毛を耳にかけて無邪気に笑う。凛とした雰囲気とのギャップが、辰也の胸をわずかに揺れ動かした。

「私のリハビリは終わりました。届かない恋心とも、もうお別れです。次の恋ができそうです。奥寺先輩が私を見てくれていたこの数ヶ月、へんに幸せでした」
「知ってたのか」
「三年生の教室からこの場所がよく見える……ということは、ここから見上げれば三年生の教室がよく見えるということですよ」

 なるほど、自分が彼女の告白現場をよく目撃したように、彼女はここからこちらを見上げていたのか。

「受験生の夏は大事なんですからしゃきっとしてください、奥寺先輩。あなたの恋も人生も、まだまだこれからなんですよ」
「何様だよ」
「遠藤佐代子様です。それではごきげんよう、奥寺先輩」

 辰也と話をするためだけに来たのだろうか、遠藤佐代子と名乗った女子生徒はくるりと背後を向くと、校舎内へと姿を消してしまった。

(変な奴)

 佐代子は辰也を好きだと言う。それも一年生の頃から。
 しかし、結局その恋が叶うことはなく、彼女は長いリハビリの期間を経て、どうやら諦めることにしたらしい。勝手に人を好きになって勝手に好きをやめて、次へ進んでいく。不思議ちゃんな後輩がいたものだ。
 だがなるほど、リハビリとは言い得て妙だ。思えば自分も、特に何かをしていたわけではないが、一度立ち止まってリハビリをしていたのかもしれない。何かが終わって何かがうまくいかなくて、でも「何か」が何なのかわからなくて、ずっと留まり続けていたすべてを覆い隠すもや。その靄を振り払うために、少しの間休息する時間を必要としていた。もう一度、確固たる足で日々を過ごせるようになるために、言葉にできない曖昧な時間を過ごしていた。
 辰也は急に目が覚めたような気がした。渡り廊下の屋根の下から一歩外に出てふと上を見上げれば、青い空と白い雲が眩しい。そうだ、五月はとっくに過ぎ去って、梅雨も終わっていたんだ。
 もしも次に恋をするとしたら、せめて顔は、佐代子ぐらい魅力的な女がいい。不思議ちゃんではあるが、没個性な相手よりは楽しい付き合いができるかもしれない。
 そんな下世話なことを考えながら、辰也は教室に戻った。
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