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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
9.会議(上)
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「もし結婚したら紀更のかかあ天下になりそうだな」
「んなっ、な、なっ!」
ユルゲンがしれっと言うと、サムは顔を真っ赤にして動揺した。誰と誰が結婚したら、とユルゲンははっきり言わなかったのに、自分と紀更がと解釈したようだ。
「それはないですよ! もう、ユルゲンさん、ひどいですっ」
ところが紀更はサムと違って「かかあ天下」という単語だけを切り取ったようで、強い口調でそれを否定すると抗議の眼差しをユルゲンに向けた。
「えっ……え」
サムは紀更の「それはない」という台詞を、「自分がサムと結婚することはない」と受け取ったようで、真っ赤にした顔を一気に青くした。
(それはないって……え、可能性もないってこと?)
ユルゲンが再び積極的な沈黙を作り始めたので、中途半端に話が終わる。
「あたしはどんな紀更様も好きですよ!」
紅雷が満面の笑みで主張すると、紀更はおざなりに頷いた。
「はいはい、ありがとうね、紅雷。そろそろお酒はやめてお水にしましょ?」
紀更は店員を呼び止め、お冷をひとつ頼む。そういう世話焼きなところを見ていると、サムは俊を思い出して少し胸が痛んだ。
このかわいくて素直で優しい紀更との結婚は、本当にないのだろうか。いや、それ以前に好きだと告白することさえ夢のまた夢だろうか。まったく本当に脈はないのだろうか。
「うふふ! 紀更様はあたしの紀更様~」
お冷を飲みながら紅雷は上機嫌に笑う。彼女のようにストレートに好意を表明できたらどんなにいいだろうかと、サムは紅雷を羨ましく思った。
こうして束の間の懇親会は終わり、四人は食堂を出た。空は相変わらず曇っており星明かりがないために、晴れている夜よりもあたりは暗い。街路を照らす明灯器の明るさだけが頼りだ。
紀更とサムはマルーデッカ地区がある西へ、ユルゲンと紅雷は共同営舎がある東へ二手に分かれる。
「紀更、家まで送るよ」
「えっ、途中までで大丈夫よ」
サムの申し出を、紀更は片手を振って辞退しようとした。するとそんな紀更の頭をユルゲンがぽんと小さくたたく。
「紀更、慣れてる地元でも夜道は危ない。一人で歩くな」
ユルゲンの穏やかな青い瞳に見つめられて、紀更は少しばかり頬が熱くなった。
「はい」
それからこくりと頷いてサムを見つめる。
「じゃあサム、お願いしていい?」
「ああ、うん」
「紀更様、おやすみなさ~い」
「うん、おやすみなさい。二人も帰り道、気を付けてくださいね」
紀更はユルゲンと紅雷に別れを告げて、サムと共に歩き出した。その二人の背中を、ユルゲンは見えなくなるまで見守る。まだ少し酔いの覚めない紅雷は身体を左右にゆらしながら、むふふと低い声で笑った。
「今のは眼鏡さんの勝利ですね~。残念ですね~送り狼になれなくて~」
「なるつもりなんかねぇよ」
そう吐き捨てると、ユルゲンは大股で歩き出した。その隣を歩きながらも紅雷のおしゃべりは止まらない。
「そうですか~? あたしは信じませんよ。あなた、隙あらば紀更様にさわるでしょ! ポーレンヌのあの騒ぎの次の朝も、あなたが紀更様に何かしたの知ってるんですからね」
「は?」
ユルゲンにしては珍しく、急所を突かれたような間抜けな声が出た。
「紀更様からなぜか! な、ぜ、か、ですよ! あなたの匂いがぷんぷんしてたの、あたしにはお見通しなんですからね。あたしの紀更様にな~にしてくれたんですかね~?」
鼻の利くミズイヌのメヒュラである紅雷は、隣を歩くユルゲンをジト目で見上げる。ユルゲンは無表情を取り繕い、進行方向に視線を向けた。
「あたしの紀更様に変なコトしたら、絶対に許しませんからね」
「お前のじゃないだろ、別に」
「あたしのなんです! あたしの! たった一人のご主人様なんですー」
操言士と言従士。その関係性は友達でも家族でも恋人でもなく、戦場で背中を預け合うような仕事のパートナーだとユルゲンは思っているが、どうも紅雷にとっては違うらしい。
紅雷の感覚が言従士として普通なのかどうかは知らないが、何かと小言がうるさいところは、まるで息子を嫁にとられた姑のようだ。それにしては男女の関係性がちぐはぐだが。
「眼鏡さんは紀更様のことが好きみたいですね~。でも紀更様は眼鏡さんの気持ちにまぁ~ったく気付いていない、と。ふふっ、紀更様のそういうにぶいところもかわいいなあ~」
「お前にそこらへんの感情の機微がわかるとはな」
「そーゆー傭兵さんだって気付いてるじゃないですか。ちょー意外なんですけど」
「相手の動きと思惑を観察する癖がついてるだけだ」
ユルゲンは言い捨てた。
銀髪の青年、サムが紀更のことをどう思っているかなんて、紀更に向けられた彼の目を見ればすぐにわかる。彼が自分の気持ちを表明するのに勇気を出せずにいることも。
「ああ~、小さい頃の紀更様ってばほんとかわいいな~。トウモロコシが言えないとか……にゃははっ、想像しただけでニヤけちゃう」
「それはよかったな」
「子供紀更様を想像したら、明日も頑張れそうな気がしてきました」
「んじゃ、もっと難易度の高い依頼でも狙っていくか」
「えっ……それはほどほどで」
明日の二日酔いを懸念して、紅雷は情けなく眉をへの字に下げた。
ユルゲンは決して口には出さなかったが、サムから聞いた紀更の小さい頃を想像し、ほほ笑ましい気持ちになって胸の中がほっこりとしたのは紅雷と同じだった。
◆◇◆◇◆
(イレーヌ様の出勤予定は……)
紀更が自宅で過ごしている頃、雛菊は操言士団本部の敷地内にある守護部会館に来ていた。一階の一番目につく壁には誰もが自由に書き込みのできる黒板があり、守護部に所属する操言士が自由に書き込んでいる。たとえば誰が休みで誰が出勤だとか、複数人でひとつのチームを組んでいる場合そのチームの仕事はいつまでかかるのかなどだ。
国内部の北会館と東会館の一階にも同様の黒板があるが、そちらの場合は操言士から操言士へ助言を求める書き込みや、市民からの要望に関して共有すべき事項、あるいは幹部会からの通達なども書かれている。
(国内部に比べて書き込みが少ないのね)
書き込み方のルールや縛りは特になく、黒板には各々が自由に書き込める。
国内部の黒板の場合は、国内部が抱える業務が多種多様で多岐にわたり、ここ王都ベラックスディーオだけでなく各支部の総括もしている操言士団本部がゆえに、正直しっちゃかめっちゃかな状態になっている。やることと操言士の数が多すぎるため、へたにルールを作って整然とさせるよりも、それぞれが自由にしている方が最も自然で効率的な姿になるというのが国内部の組織風土だ。
しかし守護部の方は、書き込み自体がそもそも少ないようだ。高難度の任務や王族がらみの特別任務が多いので、同じ守護部同士だとしても互いの予定は秘匿しているのだろう。
その黒板を見上げる雛菊は、王族操言士イレーヌの出勤予定が黒板のどこかにないものかと首を後方に傾けて探していた。
見習い操言士紀更の王都中央図書館への入館を求める申請書。理由はわからないが、王黎によるとそれをイレーヌに見せるといいらしい。生真面目な雛菊にとっておちゃらけた王黎のアドバイスに従うことは少々悔しいことだったが、意地を張って助言を無視する局面でもないので、おとなしく言われたとおりに実行してみようと思ったのだ。
(書いてないか……まあそうよね)
黒板を隅から隅まで見回してみたが、残念ながらイレーヌの状況を把握できる情報はなかった。
黒板は自由に使っていい。それはつまり、書かなくてもいいということだ。このような公の場に情報開示することを好まない気質の操言士は、そもそも黒板を使用しないのが通常だ。
(イレーヌ様に会えるとしたら、やっぱりここの会館よね)
光の神様カオディリヒスから力を授かったという王家に操言士が生まれることは、とても珍しい出来事である。王位を継ぐ男児は後にも先にも操言士であったことはないし、王家の子女もほとんどは操言の力を持っていない。御年五十三歳のイレーヌは、約百年ぶりに生まれた王族操言士と言われていた。
十代の頃のイレーヌは王族としての教育を受けながらもほかの見習い操言士と同様に操言院に入り、修了試験に合格して今は守護部に所属している。王城に住まう王族でありながらも、一人の操言士として人々の生活を支えているのだ。王黎ほどの子供がいても不思議ではない年齢だが結婚はしておらず、子供もいない。守護部の操言士ではあるがそれ以前に王族なので、基本的に誰からも様付けで呼ばれている。
雛菊はイレーヌと直接話したことはないし、共に仕事をしたこともない。だが聞こえてくる話では、王族らしく洗練された優しい女性で、老若男女問わず王都の人々から慕われているという。きっと几帳面で丁寧な性格だろうから、こんな無秩序の権化のような黒板に出勤予定なんて書かないだろうし、規則正しく己にできることを日々こなしているに違いない。だとすれば、毎日きちんとこの操言士団本部を訪れて、業務報告や新たな任務の受託などをするはずだ。
(イレーヌ様が来たら教えてくれるように頼んでおこうかしら)
雛菊は守護部会館の一階をぐるりと見渡した。何人かの操言士が行き交い、言葉を交わしている。会館に常駐している操言士に頼めば、イレーヌと接触できる確率は高くなるはずだ。
(でも、なんだか気が進まないわね)
イレーヌに明確な用があるわけではない。申請書をイレーヌに見せるといい、という王黎のアドバイスを実行しようとしているだけだ。初対面の相手にそんな理由で待ち伏せされたのでは、イレーヌを困惑させるだけだろう。
(いいわ、急がないし。時間のある時に会えたらよし、会えなければそれまでのことよ)
雛菊は自分に言い聞かせると守護部会館を後にした。
前のめりで学ぶ姿勢を見せる紀更を中央図書館に入館させてやりたい教師心はある。だが、そもそも見習い操言士の入館が認められる可能性は低い。申請書をイレーヌに見せたところで許可は下りないだろう。どうせ棄却されるとわかっていて出す申請書だ。もしもイレーヌに話しかけるチャンスがあったらラッキーだ、ぐらいに思うことにして、雛菊は守護部会館を出て曇り空の下を歩いた。
◆◇◆◇◆
「んなっ、な、なっ!」
ユルゲンがしれっと言うと、サムは顔を真っ赤にして動揺した。誰と誰が結婚したら、とユルゲンははっきり言わなかったのに、自分と紀更がと解釈したようだ。
「それはないですよ! もう、ユルゲンさん、ひどいですっ」
ところが紀更はサムと違って「かかあ天下」という単語だけを切り取ったようで、強い口調でそれを否定すると抗議の眼差しをユルゲンに向けた。
「えっ……え」
サムは紀更の「それはない」という台詞を、「自分がサムと結婚することはない」と受け取ったようで、真っ赤にした顔を一気に青くした。
(それはないって……え、可能性もないってこと?)
ユルゲンが再び積極的な沈黙を作り始めたので、中途半端に話が終わる。
「あたしはどんな紀更様も好きですよ!」
紅雷が満面の笑みで主張すると、紀更はおざなりに頷いた。
「はいはい、ありがとうね、紅雷。そろそろお酒はやめてお水にしましょ?」
紀更は店員を呼び止め、お冷をひとつ頼む。そういう世話焼きなところを見ていると、サムは俊を思い出して少し胸が痛んだ。
このかわいくて素直で優しい紀更との結婚は、本当にないのだろうか。いや、それ以前に好きだと告白することさえ夢のまた夢だろうか。まったく本当に脈はないのだろうか。
「うふふ! 紀更様はあたしの紀更様~」
お冷を飲みながら紅雷は上機嫌に笑う。彼女のようにストレートに好意を表明できたらどんなにいいだろうかと、サムは紅雷を羨ましく思った。
こうして束の間の懇親会は終わり、四人は食堂を出た。空は相変わらず曇っており星明かりがないために、晴れている夜よりもあたりは暗い。街路を照らす明灯器の明るさだけが頼りだ。
紀更とサムはマルーデッカ地区がある西へ、ユルゲンと紅雷は共同営舎がある東へ二手に分かれる。
「紀更、家まで送るよ」
「えっ、途中までで大丈夫よ」
サムの申し出を、紀更は片手を振って辞退しようとした。するとそんな紀更の頭をユルゲンがぽんと小さくたたく。
「紀更、慣れてる地元でも夜道は危ない。一人で歩くな」
ユルゲンの穏やかな青い瞳に見つめられて、紀更は少しばかり頬が熱くなった。
「はい」
それからこくりと頷いてサムを見つめる。
「じゃあサム、お願いしていい?」
「ああ、うん」
「紀更様、おやすみなさ~い」
「うん、おやすみなさい。二人も帰り道、気を付けてくださいね」
紀更はユルゲンと紅雷に別れを告げて、サムと共に歩き出した。その二人の背中を、ユルゲンは見えなくなるまで見守る。まだ少し酔いの覚めない紅雷は身体を左右にゆらしながら、むふふと低い声で笑った。
「今のは眼鏡さんの勝利ですね~。残念ですね~送り狼になれなくて~」
「なるつもりなんかねぇよ」
そう吐き捨てると、ユルゲンは大股で歩き出した。その隣を歩きながらも紅雷のおしゃべりは止まらない。
「そうですか~? あたしは信じませんよ。あなた、隙あらば紀更様にさわるでしょ! ポーレンヌのあの騒ぎの次の朝も、あなたが紀更様に何かしたの知ってるんですからね」
「は?」
ユルゲンにしては珍しく、急所を突かれたような間抜けな声が出た。
「紀更様からなぜか! な、ぜ、か、ですよ! あなたの匂いがぷんぷんしてたの、あたしにはお見通しなんですからね。あたしの紀更様にな~にしてくれたんですかね~?」
鼻の利くミズイヌのメヒュラである紅雷は、隣を歩くユルゲンをジト目で見上げる。ユルゲンは無表情を取り繕い、進行方向に視線を向けた。
「あたしの紀更様に変なコトしたら、絶対に許しませんからね」
「お前のじゃないだろ、別に」
「あたしのなんです! あたしの! たった一人のご主人様なんですー」
操言士と言従士。その関係性は友達でも家族でも恋人でもなく、戦場で背中を預け合うような仕事のパートナーだとユルゲンは思っているが、どうも紅雷にとっては違うらしい。
紅雷の感覚が言従士として普通なのかどうかは知らないが、何かと小言がうるさいところは、まるで息子を嫁にとられた姑のようだ。それにしては男女の関係性がちぐはぐだが。
「眼鏡さんは紀更様のことが好きみたいですね~。でも紀更様は眼鏡さんの気持ちにまぁ~ったく気付いていない、と。ふふっ、紀更様のそういうにぶいところもかわいいなあ~」
「お前にそこらへんの感情の機微がわかるとはな」
「そーゆー傭兵さんだって気付いてるじゃないですか。ちょー意外なんですけど」
「相手の動きと思惑を観察する癖がついてるだけだ」
ユルゲンは言い捨てた。
銀髪の青年、サムが紀更のことをどう思っているかなんて、紀更に向けられた彼の目を見ればすぐにわかる。彼が自分の気持ちを表明するのに勇気を出せずにいることも。
「ああ~、小さい頃の紀更様ってばほんとかわいいな~。トウモロコシが言えないとか……にゃははっ、想像しただけでニヤけちゃう」
「それはよかったな」
「子供紀更様を想像したら、明日も頑張れそうな気がしてきました」
「んじゃ、もっと難易度の高い依頼でも狙っていくか」
「えっ……それはほどほどで」
明日の二日酔いを懸念して、紅雷は情けなく眉をへの字に下げた。
ユルゲンは決して口には出さなかったが、サムから聞いた紀更の小さい頃を想像し、ほほ笑ましい気持ちになって胸の中がほっこりとしたのは紅雷と同じだった。
◆◇◆◇◆
(イレーヌ様の出勤予定は……)
紀更が自宅で過ごしている頃、雛菊は操言士団本部の敷地内にある守護部会館に来ていた。一階の一番目につく壁には誰もが自由に書き込みのできる黒板があり、守護部に所属する操言士が自由に書き込んでいる。たとえば誰が休みで誰が出勤だとか、複数人でひとつのチームを組んでいる場合そのチームの仕事はいつまでかかるのかなどだ。
国内部の北会館と東会館の一階にも同様の黒板があるが、そちらの場合は操言士から操言士へ助言を求める書き込みや、市民からの要望に関して共有すべき事項、あるいは幹部会からの通達なども書かれている。
(国内部に比べて書き込みが少ないのね)
書き込み方のルールや縛りは特になく、黒板には各々が自由に書き込める。
国内部の黒板の場合は、国内部が抱える業務が多種多様で多岐にわたり、ここ王都ベラックスディーオだけでなく各支部の総括もしている操言士団本部がゆえに、正直しっちゃかめっちゃかな状態になっている。やることと操言士の数が多すぎるため、へたにルールを作って整然とさせるよりも、それぞれが自由にしている方が最も自然で効率的な姿になるというのが国内部の組織風土だ。
しかし守護部の方は、書き込み自体がそもそも少ないようだ。高難度の任務や王族がらみの特別任務が多いので、同じ守護部同士だとしても互いの予定は秘匿しているのだろう。
その黒板を見上げる雛菊は、王族操言士イレーヌの出勤予定が黒板のどこかにないものかと首を後方に傾けて探していた。
見習い操言士紀更の王都中央図書館への入館を求める申請書。理由はわからないが、王黎によるとそれをイレーヌに見せるといいらしい。生真面目な雛菊にとっておちゃらけた王黎のアドバイスに従うことは少々悔しいことだったが、意地を張って助言を無視する局面でもないので、おとなしく言われたとおりに実行してみようと思ったのだ。
(書いてないか……まあそうよね)
黒板を隅から隅まで見回してみたが、残念ながらイレーヌの状況を把握できる情報はなかった。
黒板は自由に使っていい。それはつまり、書かなくてもいいということだ。このような公の場に情報開示することを好まない気質の操言士は、そもそも黒板を使用しないのが通常だ。
(イレーヌ様に会えるとしたら、やっぱりここの会館よね)
光の神様カオディリヒスから力を授かったという王家に操言士が生まれることは、とても珍しい出来事である。王位を継ぐ男児は後にも先にも操言士であったことはないし、王家の子女もほとんどは操言の力を持っていない。御年五十三歳のイレーヌは、約百年ぶりに生まれた王族操言士と言われていた。
十代の頃のイレーヌは王族としての教育を受けながらもほかの見習い操言士と同様に操言院に入り、修了試験に合格して今は守護部に所属している。王城に住まう王族でありながらも、一人の操言士として人々の生活を支えているのだ。王黎ほどの子供がいても不思議ではない年齢だが結婚はしておらず、子供もいない。守護部の操言士ではあるがそれ以前に王族なので、基本的に誰からも様付けで呼ばれている。
雛菊はイレーヌと直接話したことはないし、共に仕事をしたこともない。だが聞こえてくる話では、王族らしく洗練された優しい女性で、老若男女問わず王都の人々から慕われているという。きっと几帳面で丁寧な性格だろうから、こんな無秩序の権化のような黒板に出勤予定なんて書かないだろうし、規則正しく己にできることを日々こなしているに違いない。だとすれば、毎日きちんとこの操言士団本部を訪れて、業務報告や新たな任務の受託などをするはずだ。
(イレーヌ様が来たら教えてくれるように頼んでおこうかしら)
雛菊は守護部会館の一階をぐるりと見渡した。何人かの操言士が行き交い、言葉を交わしている。会館に常駐している操言士に頼めば、イレーヌと接触できる確率は高くなるはずだ。
(でも、なんだか気が進まないわね)
イレーヌに明確な用があるわけではない。申請書をイレーヌに見せるといい、という王黎のアドバイスを実行しようとしているだけだ。初対面の相手にそんな理由で待ち伏せされたのでは、イレーヌを困惑させるだけだろう。
(いいわ、急がないし。時間のある時に会えたらよし、会えなければそれまでのことよ)
雛菊は自分に言い聞かせると守護部会館を後にした。
前のめりで学ぶ姿勢を見せる紀更を中央図書館に入館させてやりたい教師心はある。だが、そもそも見習い操言士の入館が認められる可能性は低い。申請書をイレーヌに見せたところで許可は下りないだろう。どうせ棄却されるとわかっていて出す申請書だ。もしもイレーヌに話しかけるチャンスがあったらラッキーだ、ぐらいに思うことにして、雛菊は守護部会館を出て曇り空の下を歩いた。
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