ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び

8.休養日(下)

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 王黎が操言院に顔を出したのは、紀更が操言院に復帰した初日の午前中だけだった。それ以降、しれっといなくなってから王黎は操言院に姿を出していない。雛菊とアンヘルがどのように紀更の授業を行っているのか、近くでは見ていないはずだ。それなのに見ていたかのように語る。

 確かに、いかにも教育部の教師操言士らしかったはずのアンヘルは少しずつ態度が軟化――というより、紀更に合わせているように感じられる。雛菊はアンヘルの人となりを詳しくは知らないが、「俺の言うことは正しいからお前はそれをそのまま受け入れろ」という態度が全身から滲み出ているタイプの、まごうことなき典型的な教師操言士だと思う。
 ところが、昨日の紀更への訓練では「紀更がどういうタイプの操言士か」という点に注目しながら指導しているように見えた。紀更にできないことがあっても頭ごなしに怒るのではなく、なぜできないかを分析したうえでできるようになるためには、と思考している素振りが雛菊にも見て取れた。初日の態度と比べると、間違いなく何かしらの変化が起きている。

「キミが絆されるのは想定してたけど、アンヘルさんまでとはちょっと意外だね。まあ、僕も彼のことはあまり知らなかったから仕方ないか」
「あの娘、一年間操言院で何をしてたの? 最初からあれくらい吸収できたなら、変なマイナス評価をつけられずにすんだでしょうに」
「変なマイナス評価って、〝特別な操言士のくせに落ちこぼれ〟ってやつ? そうだねえ……まあ、操言院のセンセーたちが悪かったんじゃないの。頭ごなしに暗記暗記って、そればっかり。しかも基礎のできてない初心者に。十六歳でいきなり操言院に放り込まれた元平和民団の普通の女の子がそんな教育で立派な成績を修められるなら、僕みたいに優秀な操言士がもっと増えてもいいはずだよ」
「あんたは優秀というよりヘンタイよ」
「失礼だなあ。マリカはまだ〝アタマがおかしい〟程度に褒めてくれたよ?」
「褒めてないでしょ、それ。というか、マリカに会ったのね」
「うん、王都に戻る前にポーレンヌでね」
「彼女……」

 雛菊は王黎と同じく同期のマリカの姿を思い浮かべ目を細めた。

「元気だった?」
「うん、かなり回復したんじゃないかな。根っこのところはまだ駄目そうだけど」
「そう」

 雛菊は声を落とした。
 かつてマリカの身に起きた残念な出来事は、まだ彼女の心を黒く染めているらしい。同情はするが、しかし雛菊にはどうしようもできないことだ。

「ねえ、言従士ってそんなにも特別なの?」

 雛菊は王黎に尋ねた。

「将来を誓い合った恋人を捨ててしまえるほど、強烈な存在なの?」
「捨ててしまえるかどうかはわからないけど強烈な存在であることは確かだよ」

 王黎は取り繕ったような笑顔を浮かべて答えた。

「キミも言従士が欲しくなった?」
「いいえ、私は要らないわ。一人で十分やっていけるもの」
「そうだね。言従士の役割を考えると、国内部のキミには不要かもね」
「でも、マリカは諦めていないのね」
「言従士に会えるかどうかは完全に運だ。会いたくないと思っていても出会っちゃうし、マリカみたいに心の底から欲していても出会えない場合もある。まあ、酷だよね。そういう存在がいるはずということはみんなに共通なのに、誰もが出会えるわけじゃない。操言士と同じだね。操言士という存在は誰もがなれるわけじゃない……望んでなれるわけでも、自由にやめられるわけでもない」
「王黎は操言士に生まれてよかった? 言従士と出会えてよかった?」

 ふと口を衝いて、雛菊は王黎にそんなことを尋ねていた。紀更の素直さがうつったのだろうか。
 王黎はくすりとほほ笑むと、雛菊が書いていた書類にさらさらと何かを記入した。そして記入の終わった申請書を雛菊に手渡す。

「それ、普通に申請するんじゃなくてイレーヌ様に相談してごらん」
「え、イレーヌ様に?」
「それとなくね。特別な操言士がもっと多くを知りたがっている、学びたがっているって話すだけでもいいと思うよ」

 そう言い残すと王黎は事務室を出ていった。雛菊の質問には何も答えずに。

「なによ」

 雛菊は少しばかり苛立ちながら、申請書に目線を落とした。先ほどまで空白だったはずの備考欄には「紀更の王都中央図書館への入館を希望する」の一文が記入されている。しかもご丁寧に、推薦者名として「師範操言士王黎」の名前まで。最高段位である師範の資格を持っている王黎からの推薦文は、見る人が見ればもしかしたら重要な申請であると気付いてもらえるかもしれない。

(でも、これをイレーヌ様に?)

 王黎の言うとおりにするのは癪に障るが、彼の助言で紀更が王都中央図書館へ入館できるならそれも構わない。それに師匠である王黎も希望するなら、図書館への入館は紀更にとって意味のあるものになるだろう。
 雛菊はそんな気持ちでこの申請書をイレーヌ――現国王であるライアンの姉であり、非常に珍しい「王族操言士」の目に触れさせる方法を思案した。


     ◆◇◆◇◆


 王都ベラックスディーオ内に肆の鐘が鳴り響き、日没を知らせる。人々の影は長く伸び、多くの店が店じまいを始める。しかし同時に、夕刻以降に営業を開始する店が看板を「開店中」へと替えていく。
 地区図書館でサムは商売に関する本を、紀更は言葉に関する本を手に取った。気になるページを見つけては読み込むといった具合にのんびりと過ごす。そして二人で図書館を出ると、中央通りを南下してルンドネゲ地区に入った。首を長くして紀更を待っていた紅雷と、感情の読めないそっけない表情のユルゲンと合流すると、サムが同席を願い出た。紀更は意外そうな顔をしたが、幼馴染のサムと、共に旅をした仲間の距離が縮まることを嬉しく思ったため、ユルゲンと紅雷に確認をとって四人で夕食をとることにした。

「それで小さい頃の紀更はトウモロコシがうまく言えなくて、いつも『トコモウシ』って言ってたんだ」
「にゃははは! かわいい! かわいいです、紀更様! トコモウシ!」
「サム、恨むわよ」

 大口を開けて笑う紅雷の横で、紀更はじろりとサムを睨んだ。
 サムはなんとか紅雷とまともに会話ができないかと考え、幼い頃の紀更の話をし始めたのだ。するとサムの予想通り紅雷は食い付き、酒を飲んで酔い始めたことも重なってすっかりサムに心を開いたようだった。

「紀更様、トコモウシは好きですか~」
「たったいま嫌いになりそうなところよ」

 酔って頬の赤い紅雷が上機嫌に問うと、紀更は果実水を飲みながらぷいっとそっぽを向いた。ユルゲンは会話よりも食い気らしく、無口なまま黙々と食事を進めている。

「はぁ~、子供の頃の紀更様もかわいかったんだろうなあ。あたし、紀更様のこともっと好きになっちゃった」

 紅雷は酒の入ったグラスをサムのグラスにコツンとぶつけた。大好きな紀更の子供時代を教えてくれたことへの感謝の意だ。

「そ、そう……って、え、えっ」

 しかし紅雷の言う「好き」がどんな「好き」なのか判別のつかないサムは、紅雷の台詞に妙にそわそわしてしまった。

「あ、あの……紀更は、王都の外ではどんなでしたか」

 一抹の動揺を抑えながら、今度は自分が知らない紀更の姿を知りたいと思い、サムは紅雷に問いかけた。

「ん~……素直でまっすぐであったかくて強くて弱くて大好きです!」
「いや、そうじゃなくて」

 酔った紅雷はいつにもまして笑顔で口がよく回る。だがサムの欲しい回答ではないので、サムは困ったようにもごもごした。

「王都にいる今の方が、気が強いかもしれないな」

 ある程度腹がふくれて満足したのか、ユルゲンが紅雷に代わって答えた。紀更は「そうですか?」と首をかしげている。

「王都にいる身近な人間は小さい頃からの顔見知りで、年齢も近いだろう。でも旅のパーティは俺らを含め、全員が紀更より年上だったからな。少し遠慮していた面があるんじゃないか」

 紀更を様付けで呼ぶ紅雷とて、年齢は紀更よりふたつ上だ。王黎も最美も、当然エリックもルーカスも、確かに旅の仲間はみな年上で、紀更は基本的にずっと敬語だった。遠慮していたつもりはないが、王都の外のことをほとんど知らないのも重なって、王黎やエリックの言うことに従う場面の方が多かったように思う。紀更は納得の表情でゆっくりと頷いた。

「そう……かもしれないです」
「サムと話しているところを見るに、紀更にはもっと強気で積極的な部分もあるんだろうな」
「サムと話していると?」

 サムと紀更は視線を交わし、不思議そうにする。するとユルゲンはニヤりと口の端をつり上げて言った。
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