ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び

6.快晴革命(下)

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「あの、訊いてもいいですか」
「なに?」
「雛菊さんは教育部の所属ではないんですよね。どうして国内部に?」
「質問の意図がわからないわ。何が知りたいの」
「えっと」

 ばっさりと切り捨てられて、紀更は言葉を探した。相手を気遣ってあえて曖昧な言い回しをしたが、それでは逆に伝わらない。あけすけなく雛菊には真正面からぶつかった方がいいのかもしれない。

「雛菊さんの説明がわかりやすくて……私が自分で考えるようにも誘導してくれましたし、教えることが上手な人なんじゃないかと思ったんです」
「それで?」
「教育部に所属して、こうして操言院で教えられそうな人なのにどうして教育部にいないのか……どうして国内部にいるのかなと」

 雛菊は迷った。試験に関係のない雛菊個人のことなど教えてやる必要はない。雛菊の今の仕事は、修了試験に合格できるように紀更の知識量を増やすことだ。それに関係ないことはしなくていい。そう頭の中の自分が理路整然と主張するのだが、なぜか紀更相手には口が動いてしまう。

「理由は三つよ。まずひとつ目、操言士団が私を国内部所属にしたから。ふたつ目、見てのとおり私は無愛想で大勢の人、ましてや子供を相手にするような働きはできないから。そして三つ目、国内部の今の仕事で満足してるからよ」
「国内部の今の仕事? 雛菊さんは本来何をされてる操言士なんですか」

 新たな疑問が生まれたようで、紀更はまだ雛菊を質問攻めにする。雛菊は半分投げやりになりつつも答えた。

「王都中央図書館の管理員よ」
「王都中央図書館?」
「王城がある第二城壁の中にある図書館よ。一般市民は入れなくて、王族と関わりのある操言士や騎士、平和民団の華族が利用できるの」
「かぞく……?」
「それも知らないのね」

 雛菊はため息をついた。

「私ね、偏っている状態が嫌いなの」
「偏っている状態……ですか」
「具体的には、操言士に関する知識がすべて等しく欲しいのよ」

 雛菊はめったにさらけ出さない自分を出している自覚がありながらも、不思議と口を止められなかった。まるで、誰にも話せずにいた鬱憤を吐き散らすような勢いで続ける。

「操言の力の使い方は千差万別よね。日光の明るさを集めて明灯器にしたり、火つけ石を使わなくても楽に点火できる装置を作ったり、遠方に手紙を飛ばしたり。かと思えば怪魔を斃したり、人の傷を癒したり、水たまりの水を一か所に集めて小さな池を作ったり。言葉とイメージでなんでもできる。万物に干渉できる。でも人には得手不得手があって、一人の操言士がすべてのことを実行できるわけじゃない。それはわかってるわ。でも知識なら……。どうやるか、どんな言葉があるか、新しく何ができて今は何が不必要になったか。そうした情報なら、すべての分野にまたがって得られるわ。私はね、王黎みたいに怪魔相手に華麗に戦うこともできないし、ゼルヴァイスの職人操言士みたいに器用に生活器を作ることもできないわ。でも戦闘に必要な言葉や生活器を作るのに必要な言葉を、知識としてなら彼らと同じくらい蓄えているつもり。知らないことがあるとか、これについては少ししか知らないとか、そういう偏りが自分の中にあることが許せないの。だから日々学び続けてるの。偏りがないようにね」

 一気に語ってから、雛菊はふと気が付いた。雛菊の勢いに呆気にとられてポカーンとしている紀更を見つめて、点と点がつながる。

――だってキミが適任なんだもん。
――キミの知識が紀更に必要だしなあ。

 へらへらとよくもまあ、面倒くさい仕事を寄越してくれたもんだと、王黎に対して苛立った昨日。本心を言わないのはいつもの王黎のことで、そして後になって彼の本心にこちらが気付いてしまうのもいつものことだった。

「そう……だから私を推薦したのね」
「え?」

 一部の操言士は、雛菊のことを「本の虫の頭デッカチ」と馬鹿にする。たいして操言の力も使わずに、王都中央図書館にこもりきりだからだ。
 そんな雛菊を、なぜ王黎は「特別な操言士」の専属講師として推薦したのか。

「なんでもないわ」

 雛菊は知識の偏りが許せない。すべてを等しく知り、情報の海は常になだらかな水平線を保っていてほしいと思っている。そんな雛菊だから適任だったのだ。

(見習い操言士として紀更が操言院で何を学んだかは知らない。だけど、王黎に連れられて祈聖石巡礼の旅に出たのなら、途中で学ぶことには間違いなく偏りが出てくる。特に王黎が師匠じゃ、それとなく彼の思想に添うように誘導されている可能性がある)

 祈聖石に関する操言の力の使い方、怪魔を斃すために求められる操言士の役割。そういったことは旅を通して実践的に学んでいけるだろう。だが快晴革命の知識だとか、あるいは都市部内での生活において求められる操言の力の使い方だとかは、おそらく旅の中で触れる機会が少ない。つまり偏りが生じてくる。

(修了試験の受験までになるべくその偏りをならして、満遍なく育てる……そう、そうね。私の性格ほど適任者はいないわね)

 アンヘルが今日中に共有してくれるという紀更のテストの結果。雛菊は急激にそれが楽しみになった。今の紀更の脳内にある情報は、どれだけ偏っているのだろう。補うべきところはどこだろう。早く均一にならしたい。乾いた土が水を吸収するように、見知らぬことを素直に受け入れていく彼女の頭の中に、もっといろんなことを教え込んでみたい。

(それに紀更がこういうだから……)

 これまで、「特別な操言士」と呼ばれる人物について、どんな性格の人間なのか考えもしなかった。紀更はどちらかというとゆっくり考えるタイプではあるが、偏見や思い込み、先入観などが少ないからなのか、新しく見聞きしたことをすとん、と自然のままに自分の中に吞み込んでいく。水と光と空気があれば一人でぐんぐん成長していく樹木のように、必要なことをこちらが与えればどんどん自分のものにしていく。もっと深く多角的に考える癖をつけさせて、アンヘルにだってぐいぐいと質問していくような一種の自分勝手さを覚えさせたら、もっともっと様々なことを吸収していくだろう。

「中央図書館ではね」

 雛菊は再び自分のことを語り始めていた。

「操言士が使った言葉を整理してまとめて本にしたり、蔵書を分析して使える言葉を探したりしているの。言葉は生き物よ。時代とともに姿形、意味すらも変えていく。昔から使われ続けている言葉もあれば、いつの頃からか使われなくなった言葉もある。生まれては死んでいく多くの言葉の中で、操言士が己の力を最大限に発揮できる言葉は何か、操言士がもっと巧く言葉を操るためには何が必要か、日々研究しているの」
「それが雛菊さんの国内部での仕事なんですね」
「そうよ。ほかのこともしているけどね」

 本の虫でも頭デッカチでもなんでも結構。それが楽しいのだから。
 そして雛菊はいま、新たな楽しみを知ってしまったかもしれない。

(教え子が成長するのを間近で見る……意外と面白いものね)

――まあ、キミにもわかるよ。教えることの楽しさと……そうだね、紀更の面白さがね。

 悔しいが王黎の言うとおりだ。
 今までずっと、自分一人の中にある知識の偏りことしか考えてこなかった。けれど後進の育成にこうして関わってみると、そこには意外な楽しさがあることを知る。紀更がどんどん吸収していく素直でやわらかい頭をしていることも大きく関係しているだろうが。

「あなた、学ぶ側としてひとつ徹底しなさい」
「は、はいっ。なんでしょうか」

 急に強く言われて、紀更は姿勢を正した。雛菊は厳しい眼差しのまま、紀更のひたいを指差す。

「わからないことがあったらすぐに訊きなさい。いい? すぐよ。知らないことはすぐその場で学び取り、疑問点はすぐに解消しなさい。気になったその瞬間が、憶えるのに最適なタイミングなの。理解に必要だと思うこと、気付いたこともすぐに言いなさい。相手が王黎でもアンヘルさんでもよ。いい?」
「はい」
「それと、学んだことは常に結び付けるように意識して。戦争、偽史、快晴革命、真史……やがてひとつの流れになるように、それをいつも心掛けなさい。世界はすべてつながっているのだから」

 授業の内容を丸暗記すればいいのではない。修了試験に合格するためだけに必要なのではない。操言士として生きていくために、この国に貢献できるようになるために、そのために、見習い操言士は操言院で学ぶのだ。そして学びにゴールはない。修了試験もひとつの通過点にすぎない。

「知識や情報は、やがてあなたを助け、あなたを導く。そう心得てしっかりと学ぶことね。じゃあ次は、華族についてよ」

 外の雨はやみそうにない。だが雛菊の心の中は少し晴れてきた。そしてそれは紀更も同じだった。王黎とはまた違った人から、新しいことを教えてもらえる。それが楽しくて、雨も時間も気にならない。
 アンヘルが採点の終わったテストを持ってくる夕方まで、紀更と雛菊は教科書の目次に沿うのではなく自由に、まるで普通のおしゃべりでもしているかのような授業を続けた。
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