ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び

5.授業開始(上)

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 次の日、空は朝からどんよりと曇っていた。とても重たそうに見える灰色の雲からは今にも雨粒が落ちてきそうで、自宅から操言院まで荷物を抱えて歩く間は降らないでいてくれたことが奇跡のようだ。

「おはようございます、王黎師匠」
「やあ、おはよう。今にも雨が降りそうだから早く室内へ入ろうか」

 自宅を出て中央通りを北上し、ミニノート川を渡って東へ進んだ先、メクレドス地区の端にある操言院の正門に紀更がたどり着くと王黎が待っていてくれた。王黎は紀更の抱えてきた荷物の一部をさっと持ち上げ、まっすぐに寮棟を目指した。その半歩うしろを紀更は付いていく。

「久しぶりの自宅でゆっくり休めた?」
「はい。街の人たちとも久しぶりに話ができて、王都に帰ってきたんだなーって気がしました。それにたくさん寝ちゃいました」
「うんうん、リフレッシュできたみたいだね」

 王黎は顔だけ振り返るとにっこりとほほ笑んだ。

「紀更の部屋は三階の三〇二七だってさ。はい、これ鍵」
「あ、ありがとうございます」

 王黎が投げて寄越した部屋の鍵を紀更はあわあわしながら受け取った。

「ひとまず大きな荷物を部屋に置いて、そしたら第二教室棟に来てくれる?」
「はい、わかりました」

 王黎と紀更は寮棟の中で一度別れた。
 紀更は王黎から荷物を受け取って階段を上り、自分に割り当てられた部屋にそれを置く。そして足早に第二教室棟に向かった。

「紀更、こっちだよ」

 先導する王黎と共に教室棟の二階に上がる。一番奥の教室に入ると、男性と女性の二人の操言士が特に会話をすることもなく無言で待っていた。

「雛菊、アンヘルさん、連れてきましたよ~。見習い操言士の紀更です。アンヘルさんは顔くらいすでにご存じですかね」

 小さな教室の中には生徒用の机と椅子が一組だけ用意されており、教室の後方には余りの机と椅子が片付けられている。教室前方の黒板の前、教壇には操言ローブをまとった男性の操言士が、そしてその横に少し距離をとって女性操言士が立っていた。

「紀更です。よろしくお願いします」

 教室に入るなり、紀更はその二人に頭を下げて挨拶をした。それから顔を上げてあらためて二人に視線を向ける。
 女性操言士の方は、藍色の少しぼさぼさした髪に眼鏡をかけている。男性操言士の方は金髪のマッシュルームヘアで頬は少しこけており、両目と平行な眉毛はどこか不機嫌そうだ。
 二人とも事前に打ち合わせでもしてそろえたかのように、笑顔からは程遠い表情で紀更と王黎を見つめた。

「紀更、男性の方が教育部所属の教師操言士アンヘルさん。過去一年間で教わったことはあるかな?」
「いえ……たぶんないかと」
「あれ、アンヘルさん、そうなんですか」
「ああ、僕の受け持ちは優秀な見習いのクラスだからな」

 アンヘルは嫌味たっぷりに言ってそっぽを向いた。遠回しに言っているつもりだろうが、その表現はかなり直接的に紀更が優秀な見習いではないと蔑んでいる。
 紀更は早速心の体力を削られた気がしたが、アンヘルの態度があまりにも幼く感じられたので、そんな言い回しひとつで傷つくこともないと気を取り直した。

「それから、女性の方が国内部所属の雛菊。僕とマリカの同期だよ。雛菊はアンヘルさんと違って操言院で教えた経験はないけど、紀更の修了試験合格のために協力してくれるから」
「よろしく」

 アンヘルとは違い、雛菊の方は不愛想ながらも紀更の目を見て挨拶をしてくれたので、紀更の中の二人への第一印象はひとまず雛菊に軍配が上がった。

「さて、まずは試験までの方向性を合わせておきましょうか」

 王黎は教壇の前にある椅子に座るよう紀更をうながし、自分も隅にある机に尻を乗せた。

「アンヘルさん、修了試験がどういう内容なのか紀更に教えてあげてくれませんか」
「ふん。君がいちいち仕切らなくても最初からそのつもりだ」
「じゃあ、僕はしばらく黙ってますので、どうぞ進めちゃってください」

 アンヘルはいちいち突っかかるようなことを言わないと気が済まない性格なのだろうか。黒板にカツカツと無言で試験内容を書き出していくアンヘルの手元を、紀更はそんなことを思いながら見つめた。

「操言院の修了試験は毎月開催されている。受験人数にもよるがだいたいが一日で終わる。見習い操言士のうち誰がいつ試験を受けるかは、本来なら教師操言士が推薦という形で決めている。君の場合は現時点で推薦されたようなものだ」
「はい」

 アンヘルは愛想のない茶色の目で紀更を一瞥した。

「試験内容は、大きく分けて三つの分野の習熟度を測る。三つの分野とはすなわち知識、技術、能力だ」
「知識、技術、能力」

 紀更は忘れないようにと、アンヘルの解説を小声で復唱した。

「合否に関わるのは知識と技術の分野だ。能力に関しては操言ブローチを与えるための指標にされる。直近の君の成績を見るかぎり、知識も技術も合格できるレベルには到達していない。これから修了試験までの三週間弱で、どちらも合格水準まで引き上げる。一度で合格できるよう、せいぜい励むんだな」

 教師ならばそこは普通に「頑張れ」と応援してくれるものではないのだろうか。なぜ上から目線で見下すような言い方をされないといけないのか。紀更は心底アンヘルに対して良い印象を抱けない。
 操言院で教えることを仕事としている教育部所属の教師操言士は、このようなタイプの人間しかいないのか。逆にこのような性格だから教職に就いたのだろうか。

「知識の分野については雛菊が、技術の分野についてはアンヘルさんが、それぞれ主導しましょうか」

 王黎が提案すると雛菊のこめかみがぴくりと揺れた。アンヘルもわざとらしく咳き込み、王黎の提案を聞き流す。

「雛菊くんは国内部所属の操言士で、人に教える経験など積んでいないのだろう。どの分野も僕が教えるから、雛菊くんはあくまでも僕をサポートしてくれればいい」

 王黎に言い聞かせているのか、それとも紀更に説明しているのか。はたまた雛菊を牽制しているのか。誰にどういう意図で伝えようとしているのか不明確なアンヘルに、三人は黙り込んだ。

「アンヘルさんは紀更の専属教師の仕事以外にも、普通の優秀な見習い操言士たちの授業があるんじゃないですか。全部が全部アンヘルさん一人じゃたいへんですよ」

 口を開いたのは王黎だった。アンヘルの幼いプライドを傷つけないように、彼を気遣う言い回しを選ぶ。だがアンヘルは表情ひとつ変えずに短く言った。

「問題ない」
「うーん……じゃあ、まあ、どういう授業が必要なのか骨組みはアンヘルさんに作ってもらいましょうか。僕や雛菊はそれに沿う感じで」
「言われるまでもなくそのつもりだ」

 アンヘルはふんと鼻を鳴らした。

「今日はまず、僕の方で用意したテストを受けてもらう。おそらく悲惨な結果だと思うが、その結果を見て、明日からのカリキュラムを調整する。大枠はすでに決めてあるがな」

 アンヘルは教壇の中から数枚の用紙を取り出した。
 紙は安価で大量に手に入る代物ではない。しかし王都では以前よりも技術が発達して、最近はなるべく安く紙を生産できるようになっていた。そのため、国の教育機関として最高峰のひとつである操言院では、こうして必要な場合は惜しみなくそれを活用していた。

「午前中はそのテストに取り組みたまえ。雛菊くんは彼女がカンニングしないように監督をしていてくれ。昼の鐘が鳴ったら昼食に行っていい。午後、僕が採点する。わかったな」
「は、はい」

 アンヘルは紀更の机に無造作にテスト用紙を置くと、ぴしゃりと言い放って教室を出ていった。

「最悪……ほんと最悪」

 静かな教室では、雛菊の低い声とため息がやけに大きく聞こえた。

「紀更、テストの前にちょっと」

 王黎は机から降りると紀更の方へ近付いた。アンヘルが置いていったテスト用紙を回収し、教壇の上にぽいっと雑に投げる。それから空いている椅子をひとつ引っ張ってきて紀更の机の近くに寄せ、そこに座った。

「アンヘルさんは見てのとおり、まあ~教育部の操言士らしい人だね。紀更も薄々気付いていると思うけど、教育部の人って基本的にみんなあんな感じなんだ」
「あんな感じ……」

 操言院で過ごした一年間、ずっとそれは感じていた。
 操言院の教師、つまり操言士団教育部に所属して後進の教育と指導を主な仕事としている教師操言士の多くは、たいそう横柄で露骨にこちらを見下してくる。一人二人だけかとも思ったが、教師操言士の全員がそうなのではないかとすら思う。むしろそうでない教師操言士の方が一人二人ぐらいしかいないかもしれない。

「ああいうタイプの人だから教育部にいるんですか。それとも、教育部にいるとああなるんですか」
「いい質問だね、紀更。話すと長いしそこまで紀更が理解してやる必要がないから割愛するけど、答えはその両方だよ」

 王黎は苦笑した。
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