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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
4.復帰前夜(下)
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「明日の朝、操言院に紀更が来るんだ。僕が出迎えて教室まで連れていくから、キミは操言院の事務室で教室の場所を聞いて先に待っててね~」
「最悪……ほんと最悪」
これだけクレームを述べても王黎に通じる気配はない。暖簾に腕押しだ。
この状況にも相手が王黎だということにも、不満と文句をぶつけるだけ無意味だとは思っていた。それでも雛菊は、ぶつけどころのない苛立ちをとにかくぶちまけたくて仕方がない。
「まあ、キミにもわかるよ。教えることの楽しさと……そうだね、紀更の面白さがね」
朗らかに口の端を上げて王黎はほほ笑む。
頷きも返事もせずに雛菊は王黎を一瞥すると、早歩きで待機室を出ていった。
◆◇◆◇◆
その夜、紀更は両親にしばらくの生活サイクルを説明した。王黎が操言士団の幹部に掛け合ってくれたおかげで、以前のように操言院の寮に缶詰めになることはない。五日間は寮で、二日間は自宅に戻って過ごすというリズムで修了試験合格までを過ごすことになったと。
「一度は王黎さんを招いてゆっくりお話がしたいわ。ねえ、あなた」
「そうだね。紀更、お誘いできないかな」
「う~ん……訊いてみるけど」
沙織と匠としては、娘が世話になっている王黎とは一度でいいからしっかりと言葉を交わして話しておきたいところだ。どんな人物なのか気になるし、お礼を言いたいのだ。
しかし紀更の中の王黎へのイメージとしては、そういう気遣いが似合わない。世話になっているお礼がしたいと言っても、やんわりと断られるだろう。
弟子の紀更に教えることを、王黎は感謝されるような行為だとは思っていない。かといって自分の仕事であるとも思っていない。もっと普通に、人と人が関係を築いて関わって生きていくようなそんな自然な形で王黎はとらえているように思う。
「王黎師匠も忙しいと思うし、それに私はもう成人してるのよ? お世話になっている人へのお礼くらい、自分で言うわ」
「そう? それならいいんだけど……でも、もしよかったらお声かけしてね?」
客商売をしているせいか、来客をもてなすことが好きな両親は残念そうな表情だ。
弟の俊が一年前に亡くなってしまい、せっせと世話をする必要のある子供がいなくなったことも影響しているのだろう。二人は紀更を未成年の子供のように扱い、手をかけたいのかもしれない。
だが紀更はもう「大人」の区分に入る方だ。いつまでも両親に世話をされていてはいけないし、そのつもりもない。ユルゲンや紅雷のように自分の食い扶持を稼ぐことはまだできないが、それも修了試験に合格して一人前の操言士になれば叶う。両親からの自立のためにも、ますます早く試験に合格しなければ。
「明日は弐の鐘が鳴る前に操言院に着きたいから、早めに寝るね。ごちそうさまでした」
紀更はそう言って夕食の席を立った。
五日間は操言院の寮に寝泊まりするため、初日の明日は持っていく荷物が多いがその準備はすでにすませてある。今日はもう、就寝準備さえしてしまえばあとは寝るだけだ。
しかし自室の寝台に横になった紀更は、ふとポーレンヌ出立時のことを思い出してしまい、頭の中が冴えてしまった。
ポーレンヌ城下町を出発するあのタイミングで、突然ユルゲンの名を呼んだマリカ。王黎の同期だという、とてもグラマラスで大人の女性の魅力があふれ出ている彼女とユルゲンの関係。それはどんなものなのだろう。今日の紀更が与えたように、マリカもユルゲンに操言の加護を与えたのだろうか。それはいつ? なぜ? ユルゲンが頼んだのか。それとも今日の紀更のように、マリカの方から言い出したのだろうか。そしてなぜそのことを黙っていて、お互いに知らない人同士のようなふりをしていたのだろうか。ほかの人には知られたくない、二人だけの何か事情があるのだろうか。
(ユルゲンさんとマリカさん……二人だけの秘密?)
寝台の中で紀更は寝返りを打つ。
昼間は薄い巻雲がたなびく程度で晴れていたが、陽が沈んでから一気に雲の層は厚くなった。そのため今夜は月明かりも星明かりもなく、明灯器を利用していない紀更の部屋は暗い。近くが何も見えない静寂の闇は、ユルゲンとマリカが隣り合っているシーンを紀更に悶々と想像させた。
(二人はどういう関係なんだろう)
もしもユルゲンが王都に着いてすぐほかの都市部へ旅立ってしまっていたら、マリカのことはこんなにも気にならなかっただろう。だがユルゲンはしばらく王都にいる。その安心感が、余計なことを紀更に考えさせる。
(紅雷と一緒にいるユルゲンさん……。紅雷が相手なら特に気にならない。でもマリカさんが相手だと……)
どういう風の吹き回しか、ユルゲンは紀更の言従士である紅雷と共に仕事をしているようだった。ユルゲンと紅雷が隣り合っていた昼間の遭遇シーンは、特に思うところはない。しかしマリカがユルゲンにほほ笑みかけたシーンを思い出すと、紀更の胸には不快感がじんわりと広がる。
(ユルゲンさんはいつまで王都にいるのかしら)
ユルゲン一人だったら、彼が王都を出ようがどこか紀更の知らない場所へ行こうが引き留める理由は何もない。けれど、紀更と絶対に離れることのない紅雷と一緒にいてくれるなら、紅雷を口実にまだユルゲンとつながっていられる。
(紅雷をだしにしてる……ごめんね、紅雷)
紅雷は紀更が自分の操言士であると、全身の感覚でわかっている。しかし紀更はまだ、紅雷が自分の言従士であるという感覚がわからない。ただ、紅雷が自分から離れていくかもしれないという不安感は一切ないため、きっと自分もどこかで「言従士紅雷」のことを無条件に信頼しているのだと思う。
ユルゲンがその紅雷と共にいるかぎり、ユルゲンと自分とのつながりはまだ終わらない。断ち切れることはない。どうにかつながっている。
(曖昧だから気になるの?)
旅が終わったからサヨナラ。そうやってすっぱりと切れない曖昧で不確かな関係だからこそ、こんなにも気になってしまうのだろうか。
ユルゲンとマリカがどういう関係なのか。ユルゲンはマリカを操言士として頼ったのか、信頼したのか。そのマリカと比べたら、自分のことは未熟で使えない操言士だと感じたのではないか。そのうち、そんなことまで考え始めてしまう。
(ユルゲンさん……)
もう一度、紀更は寝返りを打つ。眠気はこない。ただ胸の中がもやもやする。
もしも今すぐにユルゲンと話すことができたなら、この気持ちは落ち着くだろうか。安心できるだろうか。それとも始海の塔で話した時のように、わけもわからずいたたまれなくなってしまうだろうか。
ああ、そのどちらでも構わない。もっとユルゲンと話がしたい。一緒の時間を過ごしたい。せっかくこの王都にいるのだから、ユルゲンに王都の中を案内してあげたい。祈聖石巡礼の旅でそうしていたように、知らないことや見たことのないものを一緒に見つけたい。少しでもいいから傍にいたい。
(う~っ……だめだ! 明日から操言院なのに)
ユルゲン自身のこと、ユルゲンとマリカのこと、ユルゲンと紅雷のこと。どうしてもユルゲンを中心に気になることがありすぎる。
なかなか寝付けない紀更は、昨日訪れた操言士団本部を思い出すことにした。
重々しい空気で満ちた大会議室の円卓。表情を変えないコリン、硬い雰囲気の幹部操言士たち。でも、それらのプレッシャーに負けない自分を想像する。王黎のように自分の意志を強くはっきりと示せる姿を。そしてそんな自分になるために必要なものを考えてみる。
(いつかユルゲンさんに頼られる操言士になれるように……)
そうだ、とにかく試験に合格して早く一人前にならねば。さっさと見習いは卒業するんだ。気になることがあっても足を止めてはいけない。前に進まなければ。
ユルゲンとマリカはどんな関係なのだろうだなんて、きっと一人で考えても仕方のないことだ。本当に知りたいなら二人に尋ねればいいのだ。でも聞き出すことなんてできそうにない。だったらそれはもう、気にしない方がいい。
(修了試験……どんな試験なんだろう)
王黎の推薦した操言士雛菊とはどんな人物だろう。それから、専属教師になるという教育部の操言士もどんな人物が選ばれるのだろう。操言院にいた間に、一度は教えてもらったことがある教師操言士だろうか。
(どんなことを……明日からは……学んで)
祈聖石巡礼の旅のように実になる日々だといい。操言士として自分の得意なことやできることが見つかればいい。
そんなことを考えているうちに、ようやく紀更は睡魔に襲われて夢の中へ落ちていった。
「最悪……ほんと最悪」
これだけクレームを述べても王黎に通じる気配はない。暖簾に腕押しだ。
この状況にも相手が王黎だということにも、不満と文句をぶつけるだけ無意味だとは思っていた。それでも雛菊は、ぶつけどころのない苛立ちをとにかくぶちまけたくて仕方がない。
「まあ、キミにもわかるよ。教えることの楽しさと……そうだね、紀更の面白さがね」
朗らかに口の端を上げて王黎はほほ笑む。
頷きも返事もせずに雛菊は王黎を一瞥すると、早歩きで待機室を出ていった。
◆◇◆◇◆
その夜、紀更は両親にしばらくの生活サイクルを説明した。王黎が操言士団の幹部に掛け合ってくれたおかげで、以前のように操言院の寮に缶詰めになることはない。五日間は寮で、二日間は自宅に戻って過ごすというリズムで修了試験合格までを過ごすことになったと。
「一度は王黎さんを招いてゆっくりお話がしたいわ。ねえ、あなた」
「そうだね。紀更、お誘いできないかな」
「う~ん……訊いてみるけど」
沙織と匠としては、娘が世話になっている王黎とは一度でいいからしっかりと言葉を交わして話しておきたいところだ。どんな人物なのか気になるし、お礼を言いたいのだ。
しかし紀更の中の王黎へのイメージとしては、そういう気遣いが似合わない。世話になっているお礼がしたいと言っても、やんわりと断られるだろう。
弟子の紀更に教えることを、王黎は感謝されるような行為だとは思っていない。かといって自分の仕事であるとも思っていない。もっと普通に、人と人が関係を築いて関わって生きていくようなそんな自然な形で王黎はとらえているように思う。
「王黎師匠も忙しいと思うし、それに私はもう成人してるのよ? お世話になっている人へのお礼くらい、自分で言うわ」
「そう? それならいいんだけど……でも、もしよかったらお声かけしてね?」
客商売をしているせいか、来客をもてなすことが好きな両親は残念そうな表情だ。
弟の俊が一年前に亡くなってしまい、せっせと世話をする必要のある子供がいなくなったことも影響しているのだろう。二人は紀更を未成年の子供のように扱い、手をかけたいのかもしれない。
だが紀更はもう「大人」の区分に入る方だ。いつまでも両親に世話をされていてはいけないし、そのつもりもない。ユルゲンや紅雷のように自分の食い扶持を稼ぐことはまだできないが、それも修了試験に合格して一人前の操言士になれば叶う。両親からの自立のためにも、ますます早く試験に合格しなければ。
「明日は弐の鐘が鳴る前に操言院に着きたいから、早めに寝るね。ごちそうさまでした」
紀更はそう言って夕食の席を立った。
五日間は操言院の寮に寝泊まりするため、初日の明日は持っていく荷物が多いがその準備はすでにすませてある。今日はもう、就寝準備さえしてしまえばあとは寝るだけだ。
しかし自室の寝台に横になった紀更は、ふとポーレンヌ出立時のことを思い出してしまい、頭の中が冴えてしまった。
ポーレンヌ城下町を出発するあのタイミングで、突然ユルゲンの名を呼んだマリカ。王黎の同期だという、とてもグラマラスで大人の女性の魅力があふれ出ている彼女とユルゲンの関係。それはどんなものなのだろう。今日の紀更が与えたように、マリカもユルゲンに操言の加護を与えたのだろうか。それはいつ? なぜ? ユルゲンが頼んだのか。それとも今日の紀更のように、マリカの方から言い出したのだろうか。そしてなぜそのことを黙っていて、お互いに知らない人同士のようなふりをしていたのだろうか。ほかの人には知られたくない、二人だけの何か事情があるのだろうか。
(ユルゲンさんとマリカさん……二人だけの秘密?)
寝台の中で紀更は寝返りを打つ。
昼間は薄い巻雲がたなびく程度で晴れていたが、陽が沈んでから一気に雲の層は厚くなった。そのため今夜は月明かりも星明かりもなく、明灯器を利用していない紀更の部屋は暗い。近くが何も見えない静寂の闇は、ユルゲンとマリカが隣り合っているシーンを紀更に悶々と想像させた。
(二人はどういう関係なんだろう)
もしもユルゲンが王都に着いてすぐほかの都市部へ旅立ってしまっていたら、マリカのことはこんなにも気にならなかっただろう。だがユルゲンはしばらく王都にいる。その安心感が、余計なことを紀更に考えさせる。
(紅雷と一緒にいるユルゲンさん……。紅雷が相手なら特に気にならない。でもマリカさんが相手だと……)
どういう風の吹き回しか、ユルゲンは紀更の言従士である紅雷と共に仕事をしているようだった。ユルゲンと紅雷が隣り合っていた昼間の遭遇シーンは、特に思うところはない。しかしマリカがユルゲンにほほ笑みかけたシーンを思い出すと、紀更の胸には不快感がじんわりと広がる。
(ユルゲンさんはいつまで王都にいるのかしら)
ユルゲン一人だったら、彼が王都を出ようがどこか紀更の知らない場所へ行こうが引き留める理由は何もない。けれど、紀更と絶対に離れることのない紅雷と一緒にいてくれるなら、紅雷を口実にまだユルゲンとつながっていられる。
(紅雷をだしにしてる……ごめんね、紅雷)
紅雷は紀更が自分の操言士であると、全身の感覚でわかっている。しかし紀更はまだ、紅雷が自分の言従士であるという感覚がわからない。ただ、紅雷が自分から離れていくかもしれないという不安感は一切ないため、きっと自分もどこかで「言従士紅雷」のことを無条件に信頼しているのだと思う。
ユルゲンがその紅雷と共にいるかぎり、ユルゲンと自分とのつながりはまだ終わらない。断ち切れることはない。どうにかつながっている。
(曖昧だから気になるの?)
旅が終わったからサヨナラ。そうやってすっぱりと切れない曖昧で不確かな関係だからこそ、こんなにも気になってしまうのだろうか。
ユルゲンとマリカがどういう関係なのか。ユルゲンはマリカを操言士として頼ったのか、信頼したのか。そのマリカと比べたら、自分のことは未熟で使えない操言士だと感じたのではないか。そのうち、そんなことまで考え始めてしまう。
(ユルゲンさん……)
もう一度、紀更は寝返りを打つ。眠気はこない。ただ胸の中がもやもやする。
もしも今すぐにユルゲンと話すことができたなら、この気持ちは落ち着くだろうか。安心できるだろうか。それとも始海の塔で話した時のように、わけもわからずいたたまれなくなってしまうだろうか。
ああ、そのどちらでも構わない。もっとユルゲンと話がしたい。一緒の時間を過ごしたい。せっかくこの王都にいるのだから、ユルゲンに王都の中を案内してあげたい。祈聖石巡礼の旅でそうしていたように、知らないことや見たことのないものを一緒に見つけたい。少しでもいいから傍にいたい。
(う~っ……だめだ! 明日から操言院なのに)
ユルゲン自身のこと、ユルゲンとマリカのこと、ユルゲンと紅雷のこと。どうしてもユルゲンを中心に気になることがありすぎる。
なかなか寝付けない紀更は、昨日訪れた操言士団本部を思い出すことにした。
重々しい空気で満ちた大会議室の円卓。表情を変えないコリン、硬い雰囲気の幹部操言士たち。でも、それらのプレッシャーに負けない自分を想像する。王黎のように自分の意志を強くはっきりと示せる姿を。そしてそんな自分になるために必要なものを考えてみる。
(いつかユルゲンさんに頼られる操言士になれるように……)
そうだ、とにかく試験に合格して早く一人前にならねば。さっさと見習いは卒業するんだ。気になることがあっても足を止めてはいけない。前に進まなければ。
ユルゲンとマリカはどんな関係なのだろうだなんて、きっと一人で考えても仕方のないことだ。本当に知りたいなら二人に尋ねればいいのだ。でも聞き出すことなんてできそうにない。だったらそれはもう、気にしない方がいい。
(修了試験……どんな試験なんだろう)
王黎の推薦した操言士雛菊とはどんな人物だろう。それから、専属教師になるという教育部の操言士もどんな人物が選ばれるのだろう。操言院にいた間に、一度は教えてもらったことがある教師操言士だろうか。
(どんなことを……明日からは……学んで)
祈聖石巡礼の旅のように実になる日々だといい。操言士として自分の得意なことやできることが見つかればいい。
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