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第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
4.復帰前夜(上)
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「サム!? 久しぶりね!」
「ああ、すごく久しぶりだ!」
サムは駆け寄り、嬉しそうに紀更の緑の瞳を見つめた。
「操言院にこもってると思ったら王都の外を旅してるって噂で聞いたけど、本当?」
「うん。水の村レイトやゼルヴァイス城、港町ウダ、ポーレンヌ城にも行ったの」
「そんなに! すごいな! いつ帰ってきたんだい?」
サムは驚き感心し、それから労わるように紀更を見つめた。
サムは紀更より三つ年上だが、ライザと同じように光学院で机を並べたことのある幼馴染だ。サムの家がマルーデッカ地区でパン屋を営んでいるので、母の沙織とよくパンを買いに行ったものだ。
「昨日よ。今日は休暇で家にいるけど、明日からまた操言院に行くの」
「そっか。その……大丈夫か? つらいこととか」
サムはどう表現していいのか迷いながら言葉を選んだ。紀更は少し答えにくそうに困った表情を浮かべたが、すぐに首を横に振った。
「大丈夫よ。あのね、突然見習い操言士になれって言われて、少し前までは正直つらかった。でも私、王都の外を旅して変わったと思う。早く操言院の修了試験に合格することを求められているんだけど、自分でも早く一人前になりたいって思うの」
昨日コリンたち幹部操言士を前にして、あらためて操言士団は一方的だと思った。それに操言院での窮屈な一年間を思い出すと、決してうきうきとした気分にはなれない。
しかし以前の自分と今の自分は違う。「やらされている」という思いや感覚はもう終わり。今度は能動的に学ぶのだ。それに王黎も便宜を図ってくれた。明日から操言院で過ごす日々は、以前とはまったく違うものになるだろう。
(ううん、違うものに自分で変えなくちゃ)
「そっか。頑張ってるんだな」
「そう、かな……へへっ」
光学院で一緒に学んだだけでなく、幼い頃からよく一緒に遊んで過ごしたサム。弟の俊が生きていた頃は、俊の遊び相手にもなってくれた。王都の中でも気が置けない友人の一人だ。そのサムに褒められて、紀更は少し照れくさそうにはにかんだ。
「ずいぶん荷物が多いけどお使い? 手伝おうか?」
「大丈夫よ。あとは夕飯の買い物だけだし、サムも用事があるでしょ」
「いや、買い物も付き合うし家まで送るよ。俺はもう、家に帰るだけのところだから。紀更、それ以上持てないだろ」
サムはそう言うと、紀更が抱えている荷物の入った籠をさっと手に持った。
「じゃあ、甘えちゃおうかな。ありがとう、サム」
紀更はふんわりとした笑顔をサムに向けた。
「う、うん」
サムはずれてもいないのに、眼鏡の位置をへんに直し明後日の方を向く。
紀更にとってサムは友人の一人だが、サムにとっての紀更は長年想い続けてきた大切な女の子だ。奥手な性格ゆえになんのアピールもできていないうえに、いつの間にか紀更は「特別な操言士」と呼ばれて操言院の寮に入ってしまい、簡単に会うことすらできなくなっていた。それでも、サムの中にじっくりと育ってきた想いの芽が枯れることはなく、今もまだその芽は花開く瞬間をじっと待っている。
「い、市場でいいの?」
「うん。市場は特に変わりないかしら」
たわいない話をしながら二人はマルーデッカ地区の市場へ向かう。
会えなかった時間のせいなのかそれとも成人したからなのか、久しぶりにゆっくりと見る紀更の横顔は少し大人っぽくなったようにサムは思う。
(なんか……きれいになったなあ、紀更)
サムは見下ろした視線の先、笑顔の紀更に密かに見とれた。
「あれま、紀更ちゃんじゃないの」
「おや! 久しぶりだね、つむぎさんのお嬢ちゃん」
「はい、お久しぶりです。お元気でしたか」
市場に着いた紀更は買い物をしながらも久しぶりに顔を合わせる住人たちと短い会話を繰り返し、懐かしさに笑顔を作った。無邪気に笑う紀更を見るたびに、サムの胸には「かわいいなあ」といういとしさがつのっていく。
しかし買い物を終えて市場を出、紀更の家があと少しで見えるという通りまで来ると、サムのボーナスタイムは終了した。
「紀更様!」
「紅雷? ユルゲンさんも!」
進行方向の少し先で、桜色の髪を二つ結びにした少女がもげてしまいそうなほどに手を振って紀更に笑顔を向けている。そしてその少女の隣には、黒髪で目付きの悪い長身の男が立っていた。
「やっぱり! 来ると思って待ってたんですよ!」
紅雷は紀更に駆け寄ると、その腕を掴んですりすりとひたいをこすりつけた。友人にしてはずいぶん過剰なスキンシップで、紀更の隣にいたサムは若干気持ちが引く。
「紀更の……知り合い?」
サムは恐る恐る紀更に問うた。幼い頃から一緒にいるが、彼女にこのようなタイプの友人はいなかったはずだ。
「うん、旅の途中で会ったの。名前は紅雷といって、私の言従士よ」
「げんじゅーし?」
紀更自身が聞き慣れていなかったように、サムも言従士という存在を聞いたことはないかもしれない。言従士という単語が言いにくそうなサムに紀更はやさしく答えた。
「特定の操言士に付き従う人、って言ったらいいのかな。サム、聞いたことある?」
するとサムは少し考えて、いつだったか誰かから聞いた話を思い出した。
「強い操言士の傍にいる人……だっけ。うっすら聞いたことがあるような。あれ、紀更はまだ見習いだろ? もう強い操言士ってやつになったのか?」
「えっとね、操言士の力の強さとか、見習いか一人前かというのは関係ないの」
「紀更様、そちらの人は?」
紀更と親しげに話すサムの存在が気になったのか、珍しく紅雷から尋ねた。紀更は笑顔で紅雷にサムを紹介する。
「紅雷、こちらはサム。パン屋の息子さんで私の幼馴染よ」
「幼馴染ですか」
「は、初めまして。サムです」
紅雷の今様色の瞳に頭のてっぺんから爪先までじろじろと見つめられて、サムは鑑定されているような気分になった。
「紅雷です。紀更様の言従士です」
サムの観察を終えた紅雷はぺこりと頭を下げた。しかしその声は友好的とは言いがたく、どこか事務的だった。
「ユルゲンさんも、こんにちは」
それから紀更は、紅雷のうしろで黙って成り行きを見守っていたユルゲンに声をかけた。
「おう」
ユルゲンはやや間を置いてからそっけない返事をする。紀更は一瞬不思議そうな顔をしたが、あえて意識して笑顔を浮かべた。
「紅雷と一緒にいてくれてるんですね。サム、こちらは傭兵のユルゲンさんよ。水の村レイトで会って、ユルゲンさんもずっと一緒に旅をしてきたの」
紀更はサムの方を向き、ユルゲンを紹介した。ユルゲンはのそりと紀更たちに近付き、じっとサムを見下ろす。
紀更は嬉しそうにその男を紹介するが、サムはとても同じように馴れ馴れしく声をかけることはできず、おずおずとユルゲンに頭を下げた。
「ど、どうも」
「ああ」
サムと紅雷の間もそうだったが、サムとユルゲンの間にも紀更には見えない妙な緊張の稲妻が走った。
(で……でかい)
サムはユルゲンを見上げて胸中で呟いた。
サムの身長は低くない方だ。紀更よりは手のひらひとつ分くらいは高い。それなのにそのサムよりもさらに手のひらひとつ分くらい、ユルゲンの背の方が高かった。
(しかも、なんかすげえ)
がっしりと太い首に服の上からでも見て取れる上腕の太さ、胸板の厚さ。腰元には使い込まれたような刀があり、鉄板で装甲を施したブーツなどという、普通の町人や農夫が選ぶはずもない靴を履いている。まるで戦うために生まれてきたかのような彼の身体的優位性を、同じ男だからこそサムはっきりと感じた。「こいつは強い、不必要に逆らうな」とこちらを委縮させる、目には見えないオーラがただよっている気さえする。
このユルゲンという男は、嘘偽りなく傭兵として生きてきた、非常に腕っぷしの強い人物だ。己のその身ひとつでここまで生き抜いてきたことがありありとわかる。おまけに眼光の鋭さからは、身体の屈強さだけではなくどことなく頭の良さも感じられる。
(紅雷さんもなんかあれだけど……この人もなんか怖ぇよ)
サムはユルゲンから視線をそらした。紀更の知り合いでなければ、決して話しかけることはないだろう。近付きたいとすら思わないかもしれない。
そんな風にサムが恐れたユルゲンに、しかし紀更はにこにこと話しかけた。
「ああ、すごく久しぶりだ!」
サムは駆け寄り、嬉しそうに紀更の緑の瞳を見つめた。
「操言院にこもってると思ったら王都の外を旅してるって噂で聞いたけど、本当?」
「うん。水の村レイトやゼルヴァイス城、港町ウダ、ポーレンヌ城にも行ったの」
「そんなに! すごいな! いつ帰ってきたんだい?」
サムは驚き感心し、それから労わるように紀更を見つめた。
サムは紀更より三つ年上だが、ライザと同じように光学院で机を並べたことのある幼馴染だ。サムの家がマルーデッカ地区でパン屋を営んでいるので、母の沙織とよくパンを買いに行ったものだ。
「昨日よ。今日は休暇で家にいるけど、明日からまた操言院に行くの」
「そっか。その……大丈夫か? つらいこととか」
サムはどう表現していいのか迷いながら言葉を選んだ。紀更は少し答えにくそうに困った表情を浮かべたが、すぐに首を横に振った。
「大丈夫よ。あのね、突然見習い操言士になれって言われて、少し前までは正直つらかった。でも私、王都の外を旅して変わったと思う。早く操言院の修了試験に合格することを求められているんだけど、自分でも早く一人前になりたいって思うの」
昨日コリンたち幹部操言士を前にして、あらためて操言士団は一方的だと思った。それに操言院での窮屈な一年間を思い出すと、決してうきうきとした気分にはなれない。
しかし以前の自分と今の自分は違う。「やらされている」という思いや感覚はもう終わり。今度は能動的に学ぶのだ。それに王黎も便宜を図ってくれた。明日から操言院で過ごす日々は、以前とはまったく違うものになるだろう。
(ううん、違うものに自分で変えなくちゃ)
「そっか。頑張ってるんだな」
「そう、かな……へへっ」
光学院で一緒に学んだだけでなく、幼い頃からよく一緒に遊んで過ごしたサム。弟の俊が生きていた頃は、俊の遊び相手にもなってくれた。王都の中でも気が置けない友人の一人だ。そのサムに褒められて、紀更は少し照れくさそうにはにかんだ。
「ずいぶん荷物が多いけどお使い? 手伝おうか?」
「大丈夫よ。あとは夕飯の買い物だけだし、サムも用事があるでしょ」
「いや、買い物も付き合うし家まで送るよ。俺はもう、家に帰るだけのところだから。紀更、それ以上持てないだろ」
サムはそう言うと、紀更が抱えている荷物の入った籠をさっと手に持った。
「じゃあ、甘えちゃおうかな。ありがとう、サム」
紀更はふんわりとした笑顔をサムに向けた。
「う、うん」
サムはずれてもいないのに、眼鏡の位置をへんに直し明後日の方を向く。
紀更にとってサムは友人の一人だが、サムにとっての紀更は長年想い続けてきた大切な女の子だ。奥手な性格ゆえになんのアピールもできていないうえに、いつの間にか紀更は「特別な操言士」と呼ばれて操言院の寮に入ってしまい、簡単に会うことすらできなくなっていた。それでも、サムの中にじっくりと育ってきた想いの芽が枯れることはなく、今もまだその芽は花開く瞬間をじっと待っている。
「い、市場でいいの?」
「うん。市場は特に変わりないかしら」
たわいない話をしながら二人はマルーデッカ地区の市場へ向かう。
会えなかった時間のせいなのかそれとも成人したからなのか、久しぶりにゆっくりと見る紀更の横顔は少し大人っぽくなったようにサムは思う。
(なんか……きれいになったなあ、紀更)
サムは見下ろした視線の先、笑顔の紀更に密かに見とれた。
「あれま、紀更ちゃんじゃないの」
「おや! 久しぶりだね、つむぎさんのお嬢ちゃん」
「はい、お久しぶりです。お元気でしたか」
市場に着いた紀更は買い物をしながらも久しぶりに顔を合わせる住人たちと短い会話を繰り返し、懐かしさに笑顔を作った。無邪気に笑う紀更を見るたびに、サムの胸には「かわいいなあ」といういとしさがつのっていく。
しかし買い物を終えて市場を出、紀更の家があと少しで見えるという通りまで来ると、サムのボーナスタイムは終了した。
「紀更様!」
「紅雷? ユルゲンさんも!」
進行方向の少し先で、桜色の髪を二つ結びにした少女がもげてしまいそうなほどに手を振って紀更に笑顔を向けている。そしてその少女の隣には、黒髪で目付きの悪い長身の男が立っていた。
「やっぱり! 来ると思って待ってたんですよ!」
紅雷は紀更に駆け寄ると、その腕を掴んですりすりとひたいをこすりつけた。友人にしてはずいぶん過剰なスキンシップで、紀更の隣にいたサムは若干気持ちが引く。
「紀更の……知り合い?」
サムは恐る恐る紀更に問うた。幼い頃から一緒にいるが、彼女にこのようなタイプの友人はいなかったはずだ。
「うん、旅の途中で会ったの。名前は紅雷といって、私の言従士よ」
「げんじゅーし?」
紀更自身が聞き慣れていなかったように、サムも言従士という存在を聞いたことはないかもしれない。言従士という単語が言いにくそうなサムに紀更はやさしく答えた。
「特定の操言士に付き従う人、って言ったらいいのかな。サム、聞いたことある?」
するとサムは少し考えて、いつだったか誰かから聞いた話を思い出した。
「強い操言士の傍にいる人……だっけ。うっすら聞いたことがあるような。あれ、紀更はまだ見習いだろ? もう強い操言士ってやつになったのか?」
「えっとね、操言士の力の強さとか、見習いか一人前かというのは関係ないの」
「紀更様、そちらの人は?」
紀更と親しげに話すサムの存在が気になったのか、珍しく紅雷から尋ねた。紀更は笑顔で紅雷にサムを紹介する。
「紅雷、こちらはサム。パン屋の息子さんで私の幼馴染よ」
「幼馴染ですか」
「は、初めまして。サムです」
紅雷の今様色の瞳に頭のてっぺんから爪先までじろじろと見つめられて、サムは鑑定されているような気分になった。
「紅雷です。紀更様の言従士です」
サムの観察を終えた紅雷はぺこりと頭を下げた。しかしその声は友好的とは言いがたく、どこか事務的だった。
「ユルゲンさんも、こんにちは」
それから紀更は、紅雷のうしろで黙って成り行きを見守っていたユルゲンに声をかけた。
「おう」
ユルゲンはやや間を置いてからそっけない返事をする。紀更は一瞬不思議そうな顔をしたが、あえて意識して笑顔を浮かべた。
「紅雷と一緒にいてくれてるんですね。サム、こちらは傭兵のユルゲンさんよ。水の村レイトで会って、ユルゲンさんもずっと一緒に旅をしてきたの」
紀更はサムの方を向き、ユルゲンを紹介した。ユルゲンはのそりと紀更たちに近付き、じっとサムを見下ろす。
紀更は嬉しそうにその男を紹介するが、サムはとても同じように馴れ馴れしく声をかけることはできず、おずおずとユルゲンに頭を下げた。
「ど、どうも」
「ああ」
サムと紅雷の間もそうだったが、サムとユルゲンの間にも紀更には見えない妙な緊張の稲妻が走った。
(で……でかい)
サムはユルゲンを見上げて胸中で呟いた。
サムの身長は低くない方だ。紀更よりは手のひらひとつ分くらいは高い。それなのにそのサムよりもさらに手のひらひとつ分くらい、ユルゲンの背の方が高かった。
(しかも、なんかすげえ)
がっしりと太い首に服の上からでも見て取れる上腕の太さ、胸板の厚さ。腰元には使い込まれたような刀があり、鉄板で装甲を施したブーツなどという、普通の町人や農夫が選ぶはずもない靴を履いている。まるで戦うために生まれてきたかのような彼の身体的優位性を、同じ男だからこそサムはっきりと感じた。「こいつは強い、不必要に逆らうな」とこちらを委縮させる、目には見えないオーラがただよっている気さえする。
このユルゲンという男は、嘘偽りなく傭兵として生きてきた、非常に腕っぷしの強い人物だ。己のその身ひとつでここまで生き抜いてきたことがありありとわかる。おまけに眼光の鋭さからは、身体の屈強さだけではなくどことなく頭の良さも感じられる。
(紅雷さんもなんかあれだけど……この人もなんか怖ぇよ)
サムはユルゲンから視線をそらした。紀更の知り合いでなければ、決して話しかけることはないだろう。近付きたいとすら思わないかもしれない。
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