ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり

9.面会(下)

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「私は、王黎師匠に連れられて王都を出るまで、自分自身と向き合うなんてできていなかったと思います。そのことに、王黎師匠が気付かせてくれたんです。〝誰かにやらされている〟と、そうやって受け身のままでいても何も身に付かない。でも自ら学ぼうとすれば、毎日が刺激的で、意味のあることで……ひとつずつ積み重ねて全部肥やしにして、そうやって成長できるんだって。私は、自分が王黎師匠みたいになれるとは思いません。でも〝わたし〟にできることで、私も一人前の操言士になりたい……そう成長していきたい」

 紀更は、ゼルヴァイスで出会った操言士たちを思い出した。
 怪魔と戦うのが怖い、だから戦うのではなく別のことで役に立とうと考えた皐月。小さい頃から海に出る漁師たちを見てきて、操言士の母がしていたように自分も彼らを守ろうと考えたヒルダ。彼女たちは自分にできること、できないことを知っていた。そのうえで、操言士の自分にできることを精一杯こなしている。誰かの代わりではなく、誰かに自分を寄せるのでもなく、自分だからできることを日々考えている。

「王黎師匠は立派な操言士です。王黎師匠の代わりなんてどこにもいません」

 皐月もヒルダも、誰かになりたいとか、誰かの代わりにという視点ではなく、自分自身の中にしっかりと軸を作り、成長してきたのだ。

「自分がどんな操言士になれるのか、なりたいと思うのか……。操言士として何ができるのか、何が得意なのか……それはまだわかりません。でもいつかわかりたい。だから私は、王黎師匠の教えに感謝しています。祈聖石巡礼の旅はとても有意義でした。ここでやめてしまうのが寂しいと思うほどに……っ」

 紀更は涙がこぼれそうになって、慌てて大きく息を吸い込んだ。そして自分に言い聞かせる。大丈夫だ、旅はここで終わるがいつかまた始めればいい。前を向いて歩き続ければ自分のうしろに道はできるのだから。
 涙は溢れなかったが、それ以上は言葉が続かなかった。
 沈黙が流れ、王黎がティーカップを小皿に置いた音がやけに大きく耳につく。

「素直で真面目な方ですね、紀更殿は。貴女のような操言士がこの国にいることを、わたしは誇らしく思います」

 サンディは嬉しそうに目を細めた。

「王黎殿の代わりに、なんて申し上げるのは失礼でしたね。貴女にも、王黎殿にも」
「いえっ……いえ、すみません、私こそ……あの、生意気を言って」
「生意気などではありませんよ」

 小声でもごもごと喋る紀更にサンディは微笑する。
 後天的に操言の力を宿すという、過去に例のない経緯を持つ「特別な操言士」。その情報ばかりが先走ってしまい、特別な操言士がどのような人物なのかはあまり仔細が聞こえてこなかった。しかし、今ならその理由がわかる。

 特別な境遇を鼻にかけるのか、嘆くのか。それとも反発するのか、悪用するのか。サンディは様々な想像をしたが、そのどれも紀更には当てはまらなかった。紀更という少女は、その人間性を評するにはあまりにも普通だった。自分の置かれた特別な境遇を誇ることもなければ、ねちねちとした文句を言うこともない。彼女の中に感情がないとは言わないが、それをあまり他人に表現することはないのだろう。ゆえに、きっと操言士団は彼女の性格や特徴について「特筆すべき事項なし」と報告していたのだ。基本的に王城の中にこもっているサンディの耳に、待てども暮らせども「特別な操言士」の人間性が聞こえてこないわけである。
 だがこうしてじかに話してみて、少しではあるが彼女の人となりに触れることができた。普通――別の言い方をすれば素朴、純粋、素直。紀更という見習い操言士は、真摯に一人前の操言士を目指しているごく普通の真面目な少女だった。

「いい指導を受けている証拠ですね。さすが王黎殿だ。我が兄を虜にするだけのことはある」
「やめてください、サンディ王子。多大な誤解を与えそうですから、その言い回し」

 サンディに笑いかけられて、王黎は眉をへの字に曲げて苦笑した。

「紀更殿、明日、わたしと共に王都へ戻ることは聞いていますね?」
「はい。あの……行列のうしろを付いていけばいいのでしょうか」

 紀更は気になっていたことを恐る恐るサンディ本人に確認してみた。
 サンディは紀更の言ったことが理解できなかったようで目を丸くしたが、騎士を乗せた馬のうしろをとぼとぼと歩く紀更の姿を想像し、それが面白かったようで口を開けて笑った。

「あははっ。そういう帰り道をお望みならそれでも構いませんが、せっかくですからわたしと共に馬車に乗りませんか」
「えっ!?」

 端的に言って、それは嫌だ。紀更は即答しそうになった自分を押しとどめた。
 こうして応接室で対面して会話しているだけでも緊張でおかしくなりそうなのに、馬車などというもっと狭い空間で王都に着くまで王子と顔を合わせるなど、胃が痛いどころではすまないだろう。
 けれども本人を目の前にしてまさか嫌だとも言えず、紀更は今にも滝のような汗を流さんばかりに懸命に言い訳を探した。

「サンディ王子、紀更は王都を出るまで乗馬の経験すらなかったのですから、乗り慣れていない馬車に乗ったら体調を崩してしまいますよ。お気遣いはありがたいですが、僕らは普通に付いていきます。ただ馬がいないので、何頭かお借りできませんか」
(王黎師匠!)

 珍しくはっきりと助け船を出してくれた王黎に、紀更は心の底から感謝した。
 王黎は角が立たない理由でサンディの気遣いをはっきりと断るだけでなく、馬を貸してくれとしれっと頼み込む。王子という立場の人にこれだけ堂々と要求できる王黎は肝が据わっている、または神経が図太いのかもしれないと思いつつも、今は王黎のその図太さが心からありがたかった。

「馬の用意はわたしではなく城主のパトリック殿にお願いすることになりますね。ウィリアム殿、いかがでしょうか」

 サンディは背後に立って控えていた従者――ではなく、ポーレンヌ城城主の息子、ウィリアム・シャフマンを振り返り尋ねた。

「人数分必要でしょうか」

 ウィリアムは落ち着いた物腰で王黎に確認する。
 王黎は指を折り、頭の中で数えてから答えた。

「五頭、お願いします」
「わかりました。ご用意いたします」
「紀更は最美と、紅雷は誰かと相乗りね」
「えっ」

 王黎に向かって抵抗するような声を上げたのは紅雷だった。

「借り物の馬を逃がされちゃ困るからね。ルーカスくんでもユルゲンくんでも、自由に選ぶといいよ」
「あたし、紀更様とがいいです」
「残念、それは却下だ」
「うぅ~」
「紅雷、おとなしく誰かにお願いしましょ? ね?」

 口を真一文字に結び小さな唸り声を上げる紅雷は、決して王子を前にして行儀がいいとは言えない。見かねた紀更が紅雷をなだめ、紅雷は黙って頷いた。

「皆様、親密でいいですね。わたしも気の置けない仲間と共に、自由に旅をしてみたいものです」

 サンディの目が細くなり、どこか遠いところに焦点が合ったのを紀更ははっきりと見てしまった。だがそれは一瞬で、すぐにサンディは笑顔になった。

「紀更殿、一日も早く、一人前の操言士になってください。この国には貴女のような務めに真摯な操言士が欠かせません。操言士なくしてこの国の成長はあり得ないのです」

 サンディの台詞からは、王家として国を率いる覚悟が見て取れた。いくつもの都市部を抱え、何千何万にわたる国民を抱え、国を動かし国を成長させ、国の繁栄を考えるオリジーア王家。その第二王子たる自覚と覚悟、そして国民への慈愛がそこに見えた。

「はい……頑張ります」

 紀更は最後まで緊張のためにすらすらとは話せなかったが、今日一番力強く、サンディの赤い瞳を見つめ返すことはできた。
 こうして第二王子との面会を終え、一行は安い食堂で夕飯をすませてから宿に戻った。
 今夜が祈聖石巡礼の旅、最後の夜。明日には王都に戻る。
 寝てしまうのがもったいない気がして、紀更は寝台に横たわってもなかなか寝付けなかった。


     ◆◇◆◇◆


 片膝を床に突き、もう片方の膝を立てて頭を下げている馬龍とアンジャリ。
 その態勢になってから、どれくらいの時間が経っただろうか。体感的にはとても長く感じているが、ほんの一、二分だろうか。
 ポーレンヌから戻った馬龍とアンジャリからの報告が終わると、黒いもやに包まれた玉座は押し黙った。その沈黙は深く考えているようにも、喜びを噛み締めているようにも、あるいは戸惑いを処理しきれず困っているようにも感じられる。

「ほ、んとう……? ほんと、うに……改具月石が……反応した?」

 長いようで短い沈黙が破られ、黒い靄がたどたどしく声を発する。
 馬龍は頭を下げたまま頷いた。

「真実です。わたしもアンジャリも、そしてローベルも見ました。間違いなく、改具月石は〝闇の子〟が使った操言の力に反応しておりました。改具月石は闇の子の力……神の力に反応するように闇神様自らが改良なされたもの。我々はついに見つけたのです」
「そう、だ……ね……嬉しい……ああ、嬉しい……。でも、不思議……どうして……まだ、幼いはず……違うのかな……どうして……ほんとうに……ほんと?」
「もう一度確かめてきますか」

 アンジャリも顔を上げることなく床を見下ろしたまま進言した。

「顔は憶えましたし名前もわかります。ローベルか、あるいはほかの操言士を使えば居所は把握できます」
「そう……そ、うだね……そう、操言士……集ま、った?」
「いえ、まだ完全には」

 馬龍が首を横に振る。叱責されるかと思ったが、黒い靄は機嫌よく言った。

「いいよ……任せ、る……ボク……ボクは、そうだ……そうだね……少し、興奮を……冷まさないと……嬉し、くて……あはは……だ、めだ……たくさん、たくさん……しまいそうだ……た、ましい……生物に、なれな、い……哀れな……ふふっ」

 黒い靄の体積が増え、玉座全体を覆う。それどころか馬龍とアンジャリを飲み込みかねない勢いで広がってくる。そしてその靄はやがていくつかの塊に分かれた。

「ふふっ……あげ、る……あげよう……たくさ、ん……ボク、の気持ち……キミに……届くと、いいな……困って……ああ、ボクを……思い出して」

 黒い靄の塊は固定の形にとどまることなくゆらゆらと空中をたゆたう。
 その数はひとつ、ふたつ――ではなく、五十、六十……百、二百とさらに分かれていく。

「ボクが、作、る……魂……さあ……肉を捕食し……広ま、れ」

 玉座からはくすくすと笑い声が絶えない。
 馬龍とアンジャリは横目で視線を交わすと、そろって玉座の間を退出する。
 二人の背中にはいくつもの黒い靄の塊が離れずに付いてきた。
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