ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり

9.面会(中)

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 王黎を先頭にポーレンヌ城を訪ねると、待ってましたと言わんばかりの使用人たちがピシッとそろった列を作り、仰々しく紀更たちを出迎えた。王黎はそのような対応をされることに慣れているようで、特に戸惑う様子もなく我が物顔で城の中を歩いた。エリックとルーカス、ユルゲンも特に緊張した様子はない。
 わかりやすいのは紀更で、右手と右足が同時に出そうなほどに強張っていた。

「こちらでお待ちください」

 白黒の燕尾服を着た上級使用人に案内されて、紀更たちはポーレンヌ城の応接室にて王子を待つことになった。
 先に訪れたゼルヴァイス城では、十数名を超える使用人に囲まれて案内されるなんて待遇ではなかったし、ポーレンヌ城に比べれば城の中は質素だった。しかしポーレンヌ城は建てた当時の城主の趣味なのか、それとも「王都の目と鼻の先にある城」という自負がそうさせたのか、白塗りの眩しい壁は汚れなど一切なく、金やら銀やらに光る凝った飾りの美しいレリーフが、壁だけでなく柱にまで施されている。通された応接室の中もそれは変わらず、緻密な刺繍の施された生地で作られたソファや椅子、職人が彫ったと思われる細やかな彫り細工の入った木造のテーブルなど、そこかしこに一級の調度品があり、ここが一般市民の住まいでないことを雄弁に語っている。おかげで紀更の緊張は爆発寸前だった。

「帰りたい……」
「プッ」

 見るからに高価だとわかるソファに腰を下ろすことができず、小さく立っている紀更は小声で呟く。その情けない呟きが聞こえた王黎は鼻で笑ってしまった。

「紀更、緊張しすぎ。ほんとに大丈夫だって」
「だって、こんな……お城に市民が入るなんて」
「王都ベラックスディーオの王城なら珍しいことだけど、王城以外ならそう珍しくもないんだよ? 城主は王族に連なる方だけど、平和民団所属という意味では市民と同じさ」
「でも、王子様とお会いするなんて」
「サンディ王子も平和民団の所属だし、まだ二十一歳だ。ほら、ちょっと年上の近所のお兄さんに会うと思えばいいじゃないか」
「そんな風に思えませんよ」
「あたしも帰りたいです」
「ああ、もう。紀更がそんなだから、紅雷にも緊張がうつっちゃってるじゃないか」

 紀更の腕にしがみついている紅雷は、城に到着した時は王子様に会える、と楽しみにしている様子だった。しかし城の中に入り、大勢の使用人に出迎えられ、一歩、また一歩と進むごとにここが荘厳な場所であることに怖気づいたようで、今は紀更と同じように緊張で硬くなっていた。

「王子様だって、同じ人だってば」
「師匠さんは知らないんですか。普通の庶民にとって王族は神様の次に遠い存在なんですよ! それに王子様に会う以前に、この場所に自分が場違いすぎて萎縮してるんです」
「場違いって、そんなの気にしないでいいのに。僕ら客人だし」

 王黎は嘆息した。
 だが無理もないことではある。オリジーアには王族が住まう王都ベラックスディーオの王城以外に四つの城があるが、そのどれも、一般市民が出入りする機会は多くない。王黎は珍しくないと言ったが、仕事ならまだしも、紀更や紅雷のように普通の町娘、村娘として育ってきた庶民にとって、城に客として招かれるなど生涯あり得ない経験なのだ。

「そうですよ。皆様はわたしがお招きした大切なお客様です。どうぞ肩の力を抜いてください」

 その時、会話に入ってくる聞き慣れない声がして紀更の心拍数は跳ね上がった。
 声の聞こえた方を見れば、従者らしき二人の男性を伴った赤い瞳に紫紺の髪色の青年が優雅に近付いてくるところだった。

(紫紺の髪……王族)
「初めまして。サンディ・ヴィッツ・オリジーアと申します。貴女が〝特別な操言士〟ですね? お名前をうかがっても?」

 その青年、第二王子のサンディは明るい笑顔で紀更に右手を差し出した。

「あ、え……あの……き、紀更、と申します」

 紀更は緊張のあまりどもるが、とっさに王黎のアドバイスである「接客」の二文字を思い出し、一呼吸置いてから名乗ることに成功した。しかしサンディの差し出した右手と握手を交わす時は頭が真っ白の状態だった。

「紀更殿か。美しい名前ですね」
「い……いえ」
「ほかの皆様のお名前もうかがってよろしいですか」
「ご紹介しますよ、サンディ王子。まず紀更の護衛として王都から付き添ってくれている騎士団のエリック・ローズィさんと、ルーカスくん。それから傭兵のユルゲンくん。そして紀更の言従士、紅雷です」

 王黎は旅のメンバーを一人ずつ丁寧にサンディに紹介した。二人の騎士は黙って礼をとり、ユルゲンと紅雷はへこりと頭を小さく下げる。
 王黎があまりにも親しげにサンディに話すので、紀更は目を丸くして驚いた。だがそれ以上に声を出して驚いたのはサンディの方だった。

「言従士ですか!? ああ、失礼いたしました。女性を前に大きな声を出してしまい、申し訳ありません」
「いえ……」

 王子に謝られた紅雷は小声で呟き横を向く。
 サンディの優雅な物腰もさらさらとした王家特有の紫紺の髪も、キラキラと輝く赤い瞳も何もかもが「王子様らしく」眩しすぎて、紅雷は直視できない。小さい頃母が寝物語として語ってくれた王子様像そのままのサンディは、感動を飛び越えて居心地の悪さを紅雷に与えてしまうほど、高貴な空気を醸し出していた。

「皆様、どうぞお掛けください」

 サンディはそう言って我先にと応接室のソファに座った。
 王黎も続くように腰を下ろしたが、エリックとルーカスは絶対に座らなかった。同じように立ったままのことが多いユルゲンは、ソファが広く数も用意されていたのでなるべくサンディから遠い位置に腰を下ろした。紅雷も同じように座り、サンディの目の前には王黎と紀更が座る。

「王黎殿とはお久しぶりですね。お変わりはありませんか」
「ええ、特に。サンディ王子は少し細くなられましたか。王都での気苦労がよほど多いのでしょうね」
「わかっていてそういうことを言う。本当に貴方は意地の悪いお方だ」

 三人の侍女が応接室に入室し、サンディと紀更たちの前に黙々とティーカップをセットする。淹れ立ての紅茶に口を付け、サンディは紀更に視線を向けた。

「紀更殿、急にお呼びして申し訳ない。それもこんな中途半端な時間に」
「いえっ……あ、あの、いえ……全然、平気です」
「どうぞ気を楽にしてください。貴女をお呼びしたのはこれといった明確な目的があるわけではありません。ただ、せっかくなので少しお話ししてみたいと思いまして」
「は、はい」

 王子直々にそう言われたところですぐさま肩の力を抜くのは難しい。もしも王子を目の前にして本当に気を楽にできる市民がいるのなら、ぜひこの場所を代わってほしい。紀更は頭の隅でそんな失礼なことを思った。

「王都を出て祈聖石巡礼の旅をしておられるそうですね。どうですか。操言士としての修行になりましたか。師匠の王黎殿はきちんと指導してくれましたか」

 サンディは王黎の方をちらりと見て口元を上げるとニヤりと笑った。

「サンディ王子、まるで僕がきちんと指導しない、みたいな言い方ですね」
「そうは言っていませんよ。ただ、王黎殿は自由すぎるきらいがありますから」
「あ、あの……サンディ王子は王黎師匠と面識があるのでしょうか」

 紀更は緊張しながらもできる限り丁寧に尋ねた。紀更から話題を振ってくれたのが嬉しかったのか、サンディは楽しげに目元を細めて答える。

「わたしの兄が以前、王黎殿に助けていただいたのですよ。それで、王黎殿のことは信頼しています」
「助けた? サンディ王子の兄って」
「レイモンド・フォス・オリジーア。第一王子のことだね。でも大げさですよ、サンディ王子。僕はレイモンド王子のやんちゃにお供しただけです」
「やんちゃ?」

 サンディの言い回しと王黎の言い回しが一致しないので、紀更は首をかしげた。

「優秀な操言士だと、王族との関わりが深くなることがしばしばです。王黎殿もその一人なのですよ、紀更殿」
「そ、そうなんです、ね」

 王族と関わりがあるという王黎の知らない面を知って紀更は感心した。だが優秀な操言士だとなぜ王族と関わるようになるのか、その理由はわからず、曖昧に頷くことしかできない。
 そんな紀更にサンディは冗談めかして言った。

「紀更殿も王黎殿のように王族と関わるかもしれませんよ」
「えっ!? そ、そんな……そんな風に……王黎師匠みたいになんて」
「無理ですかね? むしろ王黎殿の代わりに王族を身近で支える操言士になってみる、というのはいかがですか」
「代わり……?」

 その時、サンディが口にした何気ない言葉に紀更は引っ掛かりを覚えた。何か胸の奥一点を突かれたような違和感が、じわじわと広がってくる。

「えっ、と……そ、そう……ですね」

 紀更は隣に座っている王黎をちらりと見る。王黎はわざとらしいまでにティーカップをゆっくり持ち上げ、会話に入ってくる様子がない。
 紀更はサンディの言葉を否定しないように、懸命に頭を回転させた。

「あの、でも……私はきっと、〝わたし〟にしか……なれないですから」

 たどたどしく語り始めた紀更を、サンディは毒気を抜かれたようなきょとんとした表情で見つめた。

「あの、もちろん……王黎師匠のような立派な操言士を目指したいとは思っています。でも、目指す先にいる私も〝わたし〟で……それ以外にはなれない、というか……その……誰かの代わり、というのは……誰にもできなくて……。す、すみません、わけわかんないこと、言っちゃって」

 紀更の語尾が弱気になる。だが言いたいことはサンディに伝わったようだった。

「なるほど。面白いことをおっしゃいますね、紀更殿は」
「面白いですか?」
「ええ。誰かを手本にすることと、誰かのようになりたいと思うことは似ているようで違います。後者はなりたい〝誰か〟ばかりを見て、自分自身と向き合うことを疎かにしがちです。貴女は他人を手本としつつ、自分自身と向き合うことのできる人なのですね」

 サンディの赤い瞳が紀更を真正面にとらえる。その目線の強さを受け止めきれず、紀更は少しだけ俯いた。するとサンディがまだ自分を見ていることを感じつつも、彼を視界に入れないことで少しだけ気持ちは落ち着き、今の言葉を咀嚼することができた。そうして少しの間を置いてから、紀更は絞り出すように言った。
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