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第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり
2.羨望(上)
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三十年ほど前、ここポーレンヌにいたエチュニャックという人物がかかげた思想や始めた運動のことで、「人間とはヒューマのみであり、メヒュラは家畜と同じ、下等な動物にすぎない」という過激な人種差別だった。
当時はたいそう世間を騒がせ、エチュニャックに同調するヒューマも多く現れたが、当時のポーレンヌ城城主によってエチュニャックが処刑されて、運動は下火になった。そしてそのエチュニャック運動に反対したメヒュラたちの一部は、今も当時の運動を忘れてはいない。二度と同じような思想を広めてなるものかと、ヒューマのメヒュラに対する扱いに敏感だ。
「ヒューマはメヒュラに対する理解が不足している、もっと理解せよ。というのが彼らの主張らしい。まあ確かに、ああやって見た目で判別できない以上、そいつがヒューマなのかメヒュラなのか、自己申告でもしてもらわないと基本的にはわからないしな。理解不足と言われる側面もあるだろう。俺に言わせれば、じゃあメヒュラのヒューマに対する理解は充足しているのか、ってんだ。問題の本質をはき違えている気がしてならん」
(自己申告か)
エリックは最美を思い出した。
最初に自分がメヒュラであると名乗ることもなく、もちろん時間が経ってから告げることもなく、彼女がメヒュラであると知ったのはラフーア襲撃事件の夜のことだ。
だが、それが一般的だ。あえて自分からメヒュラだと申告することもなく、あなたはメヒュラですかと尋ねることもない。なぜならヒューマの方も、あえて自分はヒューマだと表明することもなければ、相手がヒューマかどうかを確かめることもしない。厳密には違う身体の作りをしていても、ヒューマもメヒュラも「同じ人間」であるのだから、相手がどちらの種類なのかを正確に把握する必要はない。その関係性を「理解不足」ととらえる者もいるということか。
「メヒュラだと公言して、しかもああやって見た目でなんの動物型をとれるのか、見分けがつくようにしてくれるのは正直ありがたいけどな。メヒュラはヒューマよりも身体能力の優れた奴が多いから、早い段階で個々の能力を把握できて、上官としては助かっている面もある」
「ポーレンヌは王都の目と鼻の先だが、王都より一歩先を歩んでいるようだな」
猫耳を生やした騎士と、そうでない騎士が談笑し合う。猫耳がなければどうということはない光景だが、名も知らぬ若いそのメヒュラがあえて動物型の部分を残してその姿でいることには、彼なりの深い意義や意味があるのだろう。
ポーレンヌでかつて起きた、エチュニャック運動という人種差別。ポーレンヌに住まうメヒュラは、時が経っても差別されたことを忘れていない。
だがヒューマとメヒュラはあくまでも同じ人間であり、どちらが上等で下等かなどという違いはないと、楽しげに笑い合う表情に平等が見て取れる。猫耳を生やしているメヒュラの騎士とおそらくヒューマである騎士の間には、かつての人種差別運動の影響など何もないようにエリックの目には映る。
「ヒューマもメヒュラもこの世界に同じ頃に生まれて、同じ時間だけ過ごしてきたはずなのに、なぜかその数はヒューマの方が圧倒的に多い。そりゃ、メヒュラの奴らが自分たちの存在を理解してほしいと主張するのもわかる気がするが、過ぎたるはなんとやら、だと俺は思うんだがな」
「そうだな」
「まあ、三十年前のエチュニャック運動は、どう考えてもヒューマが悪いからな。けど、当時はメヒュラ側だって相当ヒューマを害したんだ。無意味な傷つけ合いにならないためにも、やはりヒューマだとかメヒュラだとかは、あえて触れなくてもいいことだと思う」
「お前がそう思うのはお前の自由だ。それでいいだろう」
サイモンの弁に、エリックはゆったりと相槌を打った。
メヒュラであることをあえて表にせず、どちらかというと伏せている最美のような人間もいれば、人前でも堂々と動物型になったり人型になったりする紅雷のような人間もいる。結局はヒューマかメヒュラかという違いではなく、個々人の性格や資質の違いによるのだろう。それをどこまで理解し合えるか。ポーレンヌという地にそこはかとなく残る問題の難しさに、エリックは息を吐いた。
◆◇◆◇◆
「へい兄ちゃん! あんた傭兵さんだろ。どうだ、うちの品は」
威勢のいい声に話しかけられて、ユルゲンは視線を足元に下ろした。無精髭まみれの商人の男が指差す先、地べたの上に敷かれている薄汚れた敷物の上には、鋭利な刃を持つ武器が無造作に並べられている。どれも悪くないように見えたし、こういうものを見たくて歩いていたはずなのに、それらはユルゲンの予想と違って、渇いた心をかき立ても落ち着かせもしなかった。
「悪いが間に合ってる」
ユルゲンは露天商の男に右手を小さく上げ、その場を後にする。
操言支部会館へ行く紀更たちから離れて、ユルゲンはポーレンヌ城下町の南部に広がる商業エリアの一角を目的地もなく歩いていた。武器や防具、傷薬や頑丈な靴など、およそ傭兵に必要と思われる品々でも見れば気持ちがまぎれるかと思ったが、そううまくはいかない。
仕方がないので、ユルゲンは人通りの少ない場所を見つけて足を止めると、レンガの建物に背中をもたれさせた。
「ふぅ」
自分の耳に聞こえるほど大きな呼吸音は深呼吸か、それともため息か。
生きるために稼ぐ、稼ぐために戦う。これまでのユルゲンの日常はその繰り返しだった。死を覚悟するほど切迫した場面に遭遇したことは一度や二度ではない。故郷の傭兵たちとチームを組んで仕事をする時はいささか危険が分散されたが、単独行動をしている時はすべてが自己責任で、常に気を張っていた。
だが、ここ最近はどうだ。
紀更たちと――いや、紀更と出会ってからのユルゲンは、これまでにない感覚を抱いている自覚があった。それは馴染んだ戦闘の緊張感でもないし、戦いと戦いの合間に存在するわずかな安心感でもない。そわそわするような、ぞくぞくするような、正体を暴きたいような、反してずっと隠しておきたいようなそんな感覚、感情。船を揺らす波のようにゆらゆらと揺れて、行ったり来たりを繰り返す形容しがたいもの。
それはいま、新たな出会いによって変化しようとしていた。
(似ている……よな)
ミズイヌのメヒュラ、紅雷のことだ。
船の上で人型になるなり紀更を押し倒した桜色の髪の少女、紅雷に感じた最初の感想が「似ている」だった。また変な人間が現れたとか、陸地からよく泳いでこられたなとか、意外と体力があるんだなとか、そういう感想も浮かんではいたが、強く思ったのは「似ている」だった。
――意味がわからないと思われるかもしれないんですけど、何かが足りなくて、欲しくて、そのせいで身体がちくちくして、我慢しきれなくなって家を飛び出したんです。
紀更の問いかけに紅雷はそう答えた。その答えは、水の村レイトでのことをユルゲンに強く思い起こさせた。
――旅の目的は?
――探し物だ。それが何なのかはわからんが、どうしても見つけなきゃいけない気がしてな。それを探すために、一ヶ月ほど前に街を出たんだ。
自分が紅雷に似ているのか、紅雷が自分に似ているのか。
何か足りなくて、欲しくて見つけたくて、我慢しきれずに故郷を飛び出した二人。でも何が足りないのか、欲しいのはなぜなのか、それはわからない二人。
――あたしもね、わからなかったんですよ。ある日突然そわそわし始めて、それがどうしてなのかずっとわからなくて、もやもやして……。
紅雷が語るその感覚を、ユルゲンは知っている。自分もそうだから――。
(――いや、そうだった)
紀更と紅雷の会話を黙って聞きながら、ユルゲンはふと気付いてしまった。
紅雷と同じように何かを探し求め、欲しがっていた感覚。今の自分にはそれがないことを。そしてそれは今のいま喪失したのではなく、しばらく前から徐々に薄くなっていたことを。
――でも最近は落ち着いている。前ほど焦ってはいない。言い換えれば、何を見つけるべきなのか、何を探していたのか、わからなくなっちまった。
それは始海の塔を目指した船の上で紀更に言ったことだ。
紀更たちと水の村レイトで出会うその数日前、ユルゲンはここ、ポーレンヌ城下町にいた。ここで数日を過ごし、いくつかの依頼をこなして路銀を稼いだのち、港町ウダを経てレイト南街道を北上し、水の村レイトに向かったのだ。その頃を思い出すと、きっと紅雷と同じくらいに自分も身体がちくちくしていた気がする。
足りない、足りない、何か欲しい、何かが必要だ、それを見つけなければ――。
そんな風にざわついて、心が落ち着かないままだった。満たされない空腹感、飢餓感が常にまとわりついているようだった。
――でも今日のさっき、目の前が一気に開けてすとん、って自分の中に答えが落ちてきたんです。
紅雷はそう語った。
残念ながら、ユルゲンは紅雷と違って答えもピースも見つかっていない。しかし数週間前、ここポーレンヌ城下町にいた時に感じていたようなざわつきはなくなっている。
(俺も言従士なのか?)
王黎いわく言従士かもしれないという、ゼルヴァイス城城主の娘カタリーナ。彼女にはそれほど既視感は抱かなかったが、紀更の言従士であることが確定した紅雷の弁には覚えがある。それはつまり、自分も紅雷と同じく、誰かの言従士なのかもしれないという可能性を示唆している。
(俺が見つけたいものは、俺の操言士?)
意味もなく、ユルゲンは空を仰ぐ。見上げる空には不透明な灰色がかった雲がやや多い。気温が高いから、海が温められて雲が発生しているのだろう。雨は降りそうにないが、どことなく重そうな雲たちだ。しかしその隙間から少しだけ姿を見せる太陽の光は、いつもと変わらず眩しい。
――あたしにとって紀更様は、人生で一番大事な人みたいです。一緒にいたいんですけどだめですか。
似ていると思った。少し前の自分を見ているようだった。
でも違うとも思う。
今の自分には、もうその感覚はない。薄らいでしまっている。
(それなのに……)
なぜか羨ましいと思った。
まっすぐに、ひたむきに、愚直に。
たった一人に向けてそんなことを言えるなんて。
どうしてだかわからない。自分がそうしたいのかもわからない。
でも羨ましい――。
突如紀更の隣を陣取るようになった紅雷のことが、ユルゲンは羨ましくて仕方なかった。
◆◇◆◇◆
当時はたいそう世間を騒がせ、エチュニャックに同調するヒューマも多く現れたが、当時のポーレンヌ城城主によってエチュニャックが処刑されて、運動は下火になった。そしてそのエチュニャック運動に反対したメヒュラたちの一部は、今も当時の運動を忘れてはいない。二度と同じような思想を広めてなるものかと、ヒューマのメヒュラに対する扱いに敏感だ。
「ヒューマはメヒュラに対する理解が不足している、もっと理解せよ。というのが彼らの主張らしい。まあ確かに、ああやって見た目で判別できない以上、そいつがヒューマなのかメヒュラなのか、自己申告でもしてもらわないと基本的にはわからないしな。理解不足と言われる側面もあるだろう。俺に言わせれば、じゃあメヒュラのヒューマに対する理解は充足しているのか、ってんだ。問題の本質をはき違えている気がしてならん」
(自己申告か)
エリックは最美を思い出した。
最初に自分がメヒュラであると名乗ることもなく、もちろん時間が経ってから告げることもなく、彼女がメヒュラであると知ったのはラフーア襲撃事件の夜のことだ。
だが、それが一般的だ。あえて自分からメヒュラだと申告することもなく、あなたはメヒュラですかと尋ねることもない。なぜならヒューマの方も、あえて自分はヒューマだと表明することもなければ、相手がヒューマかどうかを確かめることもしない。厳密には違う身体の作りをしていても、ヒューマもメヒュラも「同じ人間」であるのだから、相手がどちらの種類なのかを正確に把握する必要はない。その関係性を「理解不足」ととらえる者もいるということか。
「メヒュラだと公言して、しかもああやって見た目でなんの動物型をとれるのか、見分けがつくようにしてくれるのは正直ありがたいけどな。メヒュラはヒューマよりも身体能力の優れた奴が多いから、早い段階で個々の能力を把握できて、上官としては助かっている面もある」
「ポーレンヌは王都の目と鼻の先だが、王都より一歩先を歩んでいるようだな」
猫耳を生やした騎士と、そうでない騎士が談笑し合う。猫耳がなければどうということはない光景だが、名も知らぬ若いそのメヒュラがあえて動物型の部分を残してその姿でいることには、彼なりの深い意義や意味があるのだろう。
ポーレンヌでかつて起きた、エチュニャック運動という人種差別。ポーレンヌに住まうメヒュラは、時が経っても差別されたことを忘れていない。
だがヒューマとメヒュラはあくまでも同じ人間であり、どちらが上等で下等かなどという違いはないと、楽しげに笑い合う表情に平等が見て取れる。猫耳を生やしているメヒュラの騎士とおそらくヒューマである騎士の間には、かつての人種差別運動の影響など何もないようにエリックの目には映る。
「ヒューマもメヒュラもこの世界に同じ頃に生まれて、同じ時間だけ過ごしてきたはずなのに、なぜかその数はヒューマの方が圧倒的に多い。そりゃ、メヒュラの奴らが自分たちの存在を理解してほしいと主張するのもわかる気がするが、過ぎたるはなんとやら、だと俺は思うんだがな」
「そうだな」
「まあ、三十年前のエチュニャック運動は、どう考えてもヒューマが悪いからな。けど、当時はメヒュラ側だって相当ヒューマを害したんだ。無意味な傷つけ合いにならないためにも、やはりヒューマだとかメヒュラだとかは、あえて触れなくてもいいことだと思う」
「お前がそう思うのはお前の自由だ。それでいいだろう」
サイモンの弁に、エリックはゆったりと相槌を打った。
メヒュラであることをあえて表にせず、どちらかというと伏せている最美のような人間もいれば、人前でも堂々と動物型になったり人型になったりする紅雷のような人間もいる。結局はヒューマかメヒュラかという違いではなく、個々人の性格や資質の違いによるのだろう。それをどこまで理解し合えるか。ポーレンヌという地にそこはかとなく残る問題の難しさに、エリックは息を吐いた。
◆◇◆◇◆
「へい兄ちゃん! あんた傭兵さんだろ。どうだ、うちの品は」
威勢のいい声に話しかけられて、ユルゲンは視線を足元に下ろした。無精髭まみれの商人の男が指差す先、地べたの上に敷かれている薄汚れた敷物の上には、鋭利な刃を持つ武器が無造作に並べられている。どれも悪くないように見えたし、こういうものを見たくて歩いていたはずなのに、それらはユルゲンの予想と違って、渇いた心をかき立ても落ち着かせもしなかった。
「悪いが間に合ってる」
ユルゲンは露天商の男に右手を小さく上げ、その場を後にする。
操言支部会館へ行く紀更たちから離れて、ユルゲンはポーレンヌ城下町の南部に広がる商業エリアの一角を目的地もなく歩いていた。武器や防具、傷薬や頑丈な靴など、およそ傭兵に必要と思われる品々でも見れば気持ちがまぎれるかと思ったが、そううまくはいかない。
仕方がないので、ユルゲンは人通りの少ない場所を見つけて足を止めると、レンガの建物に背中をもたれさせた。
「ふぅ」
自分の耳に聞こえるほど大きな呼吸音は深呼吸か、それともため息か。
生きるために稼ぐ、稼ぐために戦う。これまでのユルゲンの日常はその繰り返しだった。死を覚悟するほど切迫した場面に遭遇したことは一度や二度ではない。故郷の傭兵たちとチームを組んで仕事をする時はいささか危険が分散されたが、単独行動をしている時はすべてが自己責任で、常に気を張っていた。
だが、ここ最近はどうだ。
紀更たちと――いや、紀更と出会ってからのユルゲンは、これまでにない感覚を抱いている自覚があった。それは馴染んだ戦闘の緊張感でもないし、戦いと戦いの合間に存在するわずかな安心感でもない。そわそわするような、ぞくぞくするような、正体を暴きたいような、反してずっと隠しておきたいようなそんな感覚、感情。船を揺らす波のようにゆらゆらと揺れて、行ったり来たりを繰り返す形容しがたいもの。
それはいま、新たな出会いによって変化しようとしていた。
(似ている……よな)
ミズイヌのメヒュラ、紅雷のことだ。
船の上で人型になるなり紀更を押し倒した桜色の髪の少女、紅雷に感じた最初の感想が「似ている」だった。また変な人間が現れたとか、陸地からよく泳いでこられたなとか、意外と体力があるんだなとか、そういう感想も浮かんではいたが、強く思ったのは「似ている」だった。
――意味がわからないと思われるかもしれないんですけど、何かが足りなくて、欲しくて、そのせいで身体がちくちくして、我慢しきれなくなって家を飛び出したんです。
紀更の問いかけに紅雷はそう答えた。その答えは、水の村レイトでのことをユルゲンに強く思い起こさせた。
――旅の目的は?
――探し物だ。それが何なのかはわからんが、どうしても見つけなきゃいけない気がしてな。それを探すために、一ヶ月ほど前に街を出たんだ。
自分が紅雷に似ているのか、紅雷が自分に似ているのか。
何か足りなくて、欲しくて見つけたくて、我慢しきれずに故郷を飛び出した二人。でも何が足りないのか、欲しいのはなぜなのか、それはわからない二人。
――あたしもね、わからなかったんですよ。ある日突然そわそわし始めて、それがどうしてなのかずっとわからなくて、もやもやして……。
紅雷が語るその感覚を、ユルゲンは知っている。自分もそうだから――。
(――いや、そうだった)
紀更と紅雷の会話を黙って聞きながら、ユルゲンはふと気付いてしまった。
紅雷と同じように何かを探し求め、欲しがっていた感覚。今の自分にはそれがないことを。そしてそれは今のいま喪失したのではなく、しばらく前から徐々に薄くなっていたことを。
――でも最近は落ち着いている。前ほど焦ってはいない。言い換えれば、何を見つけるべきなのか、何を探していたのか、わからなくなっちまった。
それは始海の塔を目指した船の上で紀更に言ったことだ。
紀更たちと水の村レイトで出会うその数日前、ユルゲンはここ、ポーレンヌ城下町にいた。ここで数日を過ごし、いくつかの依頼をこなして路銀を稼いだのち、港町ウダを経てレイト南街道を北上し、水の村レイトに向かったのだ。その頃を思い出すと、きっと紅雷と同じくらいに自分も身体がちくちくしていた気がする。
足りない、足りない、何か欲しい、何かが必要だ、それを見つけなければ――。
そんな風にざわついて、心が落ち着かないままだった。満たされない空腹感、飢餓感が常にまとわりついているようだった。
――でも今日のさっき、目の前が一気に開けてすとん、って自分の中に答えが落ちてきたんです。
紅雷はそう語った。
残念ながら、ユルゲンは紅雷と違って答えもピースも見つかっていない。しかし数週間前、ここポーレンヌ城下町にいた時に感じていたようなざわつきはなくなっている。
(俺も言従士なのか?)
王黎いわく言従士かもしれないという、ゼルヴァイス城城主の娘カタリーナ。彼女にはそれほど既視感は抱かなかったが、紀更の言従士であることが確定した紅雷の弁には覚えがある。それはつまり、自分も紅雷と同じく、誰かの言従士なのかもしれないという可能性を示唆している。
(俺が見つけたいものは、俺の操言士?)
意味もなく、ユルゲンは空を仰ぐ。見上げる空には不透明な灰色がかった雲がやや多い。気温が高いから、海が温められて雲が発生しているのだろう。雨は降りそうにないが、どことなく重そうな雲たちだ。しかしその隙間から少しだけ姿を見せる太陽の光は、いつもと変わらず眩しい。
――あたしにとって紀更様は、人生で一番大事な人みたいです。一緒にいたいんですけどだめですか。
似ていると思った。少し前の自分を見ているようだった。
でも違うとも思う。
今の自分には、もうその感覚はない。薄らいでしまっている。
(それなのに……)
なぜか羨ましいと思った。
まっすぐに、ひたむきに、愚直に。
たった一人に向けてそんなことを言えるなんて。
どうしてだかわからない。自分がそうしたいのかもわからない。
でも羨ましい――。
突如紀更の隣を陣取るようになった紅雷のことが、ユルゲンは羨ましくて仕方なかった。
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