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第04話 古の操言士と水の犬
5.船旅再び(下)
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「ほんと、どうなってるんですかね!」
動き出した船の甲板に立って進行方向を見ていたルーカスは、大きな声を出した。
六人が塔を出て浜辺に行くと、そこにはなかったはずの桟橋が海に向かって伸びており、桟橋の先端からは少し小ぶりのジャンク船へと昇り板がかけられていた。
ゼルヴァイスから乗ってきたジャンク船と比較すると二回りほど小さい船だったが、マストを支える柱は太く、風を一心に受けて推進力を生むその布は丈夫で、紀更たちが何か手を加えなくてもひとりでに開いて出港準備を整えた。目には見えない船乗りたちがいて、慌ただしく動いているかのようだ。
「あの塔に対して疑問を持ったらきっと負けだろうね。始海の塔は僕ら人間の英知を軽々超えた何か、まったく別の存在の棲み処なんだろう」
ルーカスの肩をぽんぽんとたたきながら、王黎は笑った。
不思議な塔が貸してくれた船だからなのか、ルーカスも紀更も最美も往路ほど船酔いがなく、揺れる海の上でも陸地と変わらない居心地でいられた。
それでも最美は海を見たくないのか、船内に下りて狭い寝台に横になっている。可能なら空を飛んで、自らの翼で移動したいと思っているのだろう。
「さて、船は港町ウダを目指してくれると信じるしかないわけだけど、気になるのは天気と怪魔だね」
六種類の存在が確認されている怪魔。そのうちのスミエルは、水のある場所に出現する。川や湖、そして海にだ。特に広大な海は絶好の生息地なのか、昼間であっても頻出する。
「この船は怪魔に対してどれくらい防御力があるのかな。皆無だったら、全員で協力して戦って退けるしかないねえ」
困った困った、と王黎は付け足すが、その表情は全然困っていない。これから楽しい何かが始まるような、そんな高揚感に満ちている。
「紀更、今度は船から落ちないでね? キミが望んだとおり、もしも怪魔スミエルが現れたら今回はキミも立派な戦力になるんだから」
「気を付けます」
王黎に笑いかけられて、紀更は気を引き締めた。
もしもまた嵐が起きたら、そのときは王黎に教えられたとおり、まず船と自分を縄でつなぐことを最優先に実行する。すべてはそれからだ。そして始海の塔でのスパルタ修行を無意味にしないためにも、少しは戦闘で役に立ってみせる。
紀更はそう気合を入れていたが、出港からしばらくは穏やかな船旅が続いた。
今はどのあたりを進んでいるのか、六人にはとんと見当がつかない。しかし船は順調に進んでいる。
その船旅の空気が少し変わったのは、陽が西に沈み始めた頃だった。夜の気配が近付く東の方向から、嫌な気配も近付いてくる。
「来るかな」
王黎が進行方向を向いた。それからエリック、ルーカス、ユルゲンが、それぞれの武器に手を添えて互いに背中を預け合うようにして三方を睨みながら甲板に立つ。
「紀更は船の後方にいてね。最美、必ず紀更を守るように」
「畏まりました」
船首に立つ王黎は、船内から呼び寄せておいた最美に紀更を預けた。
二人しかいない操言士は、対怪魔戦には欠かせない存在だ。しかし怪魔スミエルはどの方角から襲ってくるかわからない。そのため、王黎と紀更は船首と船尾に別れ、それぞれの守備エリアを持つ。そのエリアは当然王黎の方が広いが、紀更は紀更で、自分にできることを精一杯やろうと、暗くなっていく海に注意深く視線を這わせた。
――バシャッ、バシャッ。
船と並行するように、波が大きく乱れる。海面から少し姿を現して、怪魔スミエルが奇声を発する。獲物であるこちらとの距離を測っているようだ。
「ピシャァァ!」
全身からトゲが生えた青黒い魚のフォルムが、海中を飛び出て高くジャンプする。その牙が落ちてくる前に、王黎は言葉を放った。
【我が指先から走れ電、駆けろ雷!】
王黎がスミエルに五本の手指を向けると、そこから細い電撃が放たれる。それはまるで、怪魔キヴィネの攻撃のようだった。
電撃はまっすぐにスミエルに届き、その青黒い身体をしびれさせる。そしてしびれるだけではすまなかったようで、電撃によってダメージを受けたスミエルの身体はぴりぴりと音を立てて霧散した。
「やっぱりスミエルは速いなあ。ヒルダの技を借りるか」
身体の大きさ的にも体力的にも、スミエル単体はそれほど強い方ではない。こうして王黎が与える操言の力の攻撃ひとつで斃すことはできる。
問題は、その動きの速さと数だ。一匹ずつ対処していたのでは、こちらの攻撃速度をいずれ相手が上回るだろう。そこで王黎は、ヒルダの戦法を真似ることにした。
ヒルダは船を覆う壁のようなものを作り、その壁にふれた怪魔スミエルのスピードが愚鈍になるような効果を施していた。彼女とまったく同じ言葉を使うわけではなく、王黎は王黎なりの言葉を紡ぎ、同じ効果を持つ壁を張り巡らせる。
「ルーカスくん、頼んだよ」
「はい、お任せください!」
そして近くにいるルーカスに、怪魔への攻撃を頼んだ。王黎が操言の加護を与えれば、のろまに落ちてくるだけのスミエルはルーカスの長剣で一刀両断され、簡単に霧散する。
一方、船尾の紀更は最初からヒルダを意識していた。ただし、操言の力を広範囲にわたって正確に使うことはまだできないので、自分とユルゲンやエリックを覆う大きさ程度のドームを意識する。その範囲に到達したスミエルの動きが止まる画を思い浮かべて、紀更は集中した。
【私たちを覆う光の壁、接触する怪魔の動きを止めて】
音の街ラフーアからゼルヴァイス城までの道程でカルーテ相手に戦闘経験を重ねたおかげか、紀更は怪魔を目の当たりにしても、以前ほど腰が引けなくなった。
毎夜、短時間でもいいからと繰り返した内省のおかげで、怪魔に対して有効な手段をイメージし、それを言葉にすることも以前よりなめらかにできるようになっていた。
【光の壁は呼吸を奪い、身動きを奪い、スミエルの魂を破壊する】
怪魔は身体を持たないが魂は持っているかもしれないというラルーカから聞いた話が、より鮮明なイメージを紀更に与えた。自分たちを覆う光の壁が、怪魔の魂を打ち砕いて破壊する様を脳裏に描き、紀更は操言の力を使って戦う。
「はっ!」
船に飛び込んできたはいいものの、紀更の操言の力によって身動きがとれなくなって甲板に転がる怪魔スミエルを、ユルゲンとエリックは片っ端から斬りつけた。操言の力によるダメージが蓄積されているのか、スミエルの身体はすぐに霧散する。
「いいぞ、紀更殿。その光の壁を維持するんだ!」
エリックが紀更に檄を飛ばす。
紀更はスミエルの猛攻がおさまるまで集中を絶やさずに、操言の力を使い続けた。
◆◇◆◇◆
「ヒルダ殿、至急ゼルヴァイス城へお越しください。城主がお呼びです」
「城主様が? わかりました」
陽が沈む頃、港へ戻ってきた船から降りた操言士ヒルダに声をかけたのは身なりのいい平和民団の男で、それはゼルヴァイス城に務めている使用人の一人だった。
ヒルダは怪訝な表情を浮かべたが、城主に呼び出される理由に心当たりがあるのですぐに納得した。それから船乗りたちに別れを告げて、少し急ぎ足で上層のゼルヴァイス城を使用人と共に目指した。
(今日も見つからなかった)
始海の塔を目指したジャンク船が嵐に遭ったのは、二日前の晩のことだ。
紀更が海に落ちて、それを追うようにユルゲンも海に飛び込んだ。そしてその後、あろうことか王黎たち四人も波に攫われた。
(船は……あたしたちは全員無事だったけど)
第三城壁の中央門を通り、上層の地を踏んだヒルダはふと北西の方角に視線を向けた。城壁に阻まれて海は見えなかったが、その先に紀更たちが無事でいてほしい。いや、無事でいるはずだ。そう願っているし、そう信じている。
使用人に案内されたヒルダはゼルヴァイス城の応接室に入る。するとソファにはすでに先客がいた。
「弥生ちゃん?」
「ヒルダかい。今日もご苦労」
それは眼光の鋭い操言士、ゼルヴァイス操言支部の支部長弥生だった。
「お疲れ様です」
弥生の隣に腰を下ろしながら、ヒルダは挨拶をする。
弥生はヒルダの浮かない横顔に今日の成果を読み取って、気休めの言葉をかけた。
「あのひょろ坊はそう簡単にくたばりやしないよ。その弟子もね」
紀更とユルゲンに続いて王黎たち一行も海に落ちたあと、ジャンク船は完全に船乗りたちの手に負えなくなった。ヒルダたち船員はどうすることもできないまま、あの嵐の中をゼルヴァイスの港へ引き返した。いや、正確には追い払われた。強風のせいだとは思うが、それ以上の何か別の力がはたらいていた気がしてならない。そう思わざるを得ないほど不自然に船はそれ以上進むことが能わず、遠目に見える塔からどんどん離れていった。そして明け方にはゼルヴァイスの港にしれっと戻っていたのだ。
ゼルヴァイスの船乗りたちは海の天気を読むことに長けているが、その読みが外れることは往々にしてある。自然とはそういうものだ。だがあの嵐はどこかおかしかった。まるで紀更たち一行以外はそれ以上来てくれるなと、ヒルダたちを拒んでいるようだった。
「どうして紀更ちゃんたちは……」
「さて、どうしてだろうな。〝特別な操言士〟だからかねぇ」
応接室に城主ジャスパー・ファンバーレとその息子エミール・ファンバーレの二人が入ってくる。ヒルダは立ち上がって挨拶をしようとしたが、ジャスパーはそれを片手で制した。
「挨拶はいい。さっさと話をしようぜ」
「城主様、でも……」
「今日も特別な操言士一行は見つけられなかったか」
エミールとともにソファに座ったジャスパーに問われて、ヒルダはこくりと頷いた。
「弥生、別の手立てはないのか」
「ないさね。操言の力を使った捜索方法はいくつか考えて、実際に試したこともある。でもどれも失敗だ。肝心の捜索対象の波動がまったく感じ取れないからね」
「それは普通のことか?」
「……いや」
弥生は少しの間を置いてから答えた。
「二人が操言の力を使っていない可能性もあるが、生きているならそれはないさね。船から落ちたあと何をどうやって過ごしているかはわからんが、操言の力を一切使わずに二日も過ごしているとは考えにくい。遭難状態にあるならなおさらね。それなのに、優秀な奴に二人の操言の力の波動を探らせてみても駄目だった。まるで感じられないのさ。これは普通じゃない」
「お二人が遠い場所にいるからではないのでしょうか」
エミールが尋ねると、弥生は首を振った。
「王都の波動符官の操言士は、もっと遠い距離でも操言士の波動をとらえることができる。ここの民間部の操言士は波動符官ほどの実力じゃないが、サキトス湾を超えたぐらいの距離なら探知は無理じゃないはずだ。何か、二人とこちらの間を遮る壁のようなものがあるかもしれないね。その壁に阻まれて、こちらの捜索の手が及ばないんだ」
「壁か。それならまだましだな。操言の力を使えない状況、つまりすでに死んでいる可能性に比べればな」
「そういうことさね」
「そんな……」
ジャスパーに頷く弥生の横で、ヒルダの表情が陰った。
「ヒルダ。あんた、戻ってきてからあの塔は見えているのかい?」
「塔?」
弥生に問われてヒルダははっとした。
動き出した船の甲板に立って進行方向を見ていたルーカスは、大きな声を出した。
六人が塔を出て浜辺に行くと、そこにはなかったはずの桟橋が海に向かって伸びており、桟橋の先端からは少し小ぶりのジャンク船へと昇り板がかけられていた。
ゼルヴァイスから乗ってきたジャンク船と比較すると二回りほど小さい船だったが、マストを支える柱は太く、風を一心に受けて推進力を生むその布は丈夫で、紀更たちが何か手を加えなくてもひとりでに開いて出港準備を整えた。目には見えない船乗りたちがいて、慌ただしく動いているかのようだ。
「あの塔に対して疑問を持ったらきっと負けだろうね。始海の塔は僕ら人間の英知を軽々超えた何か、まったく別の存在の棲み処なんだろう」
ルーカスの肩をぽんぽんとたたきながら、王黎は笑った。
不思議な塔が貸してくれた船だからなのか、ルーカスも紀更も最美も往路ほど船酔いがなく、揺れる海の上でも陸地と変わらない居心地でいられた。
それでも最美は海を見たくないのか、船内に下りて狭い寝台に横になっている。可能なら空を飛んで、自らの翼で移動したいと思っているのだろう。
「さて、船は港町ウダを目指してくれると信じるしかないわけだけど、気になるのは天気と怪魔だね」
六種類の存在が確認されている怪魔。そのうちのスミエルは、水のある場所に出現する。川や湖、そして海にだ。特に広大な海は絶好の生息地なのか、昼間であっても頻出する。
「この船は怪魔に対してどれくらい防御力があるのかな。皆無だったら、全員で協力して戦って退けるしかないねえ」
困った困った、と王黎は付け足すが、その表情は全然困っていない。これから楽しい何かが始まるような、そんな高揚感に満ちている。
「紀更、今度は船から落ちないでね? キミが望んだとおり、もしも怪魔スミエルが現れたら今回はキミも立派な戦力になるんだから」
「気を付けます」
王黎に笑いかけられて、紀更は気を引き締めた。
もしもまた嵐が起きたら、そのときは王黎に教えられたとおり、まず船と自分を縄でつなぐことを最優先に実行する。すべてはそれからだ。そして始海の塔でのスパルタ修行を無意味にしないためにも、少しは戦闘で役に立ってみせる。
紀更はそう気合を入れていたが、出港からしばらくは穏やかな船旅が続いた。
今はどのあたりを進んでいるのか、六人にはとんと見当がつかない。しかし船は順調に進んでいる。
その船旅の空気が少し変わったのは、陽が西に沈み始めた頃だった。夜の気配が近付く東の方向から、嫌な気配も近付いてくる。
「来るかな」
王黎が進行方向を向いた。それからエリック、ルーカス、ユルゲンが、それぞれの武器に手を添えて互いに背中を預け合うようにして三方を睨みながら甲板に立つ。
「紀更は船の後方にいてね。最美、必ず紀更を守るように」
「畏まりました」
船首に立つ王黎は、船内から呼び寄せておいた最美に紀更を預けた。
二人しかいない操言士は、対怪魔戦には欠かせない存在だ。しかし怪魔スミエルはどの方角から襲ってくるかわからない。そのため、王黎と紀更は船首と船尾に別れ、それぞれの守備エリアを持つ。そのエリアは当然王黎の方が広いが、紀更は紀更で、自分にできることを精一杯やろうと、暗くなっていく海に注意深く視線を這わせた。
――バシャッ、バシャッ。
船と並行するように、波が大きく乱れる。海面から少し姿を現して、怪魔スミエルが奇声を発する。獲物であるこちらとの距離を測っているようだ。
「ピシャァァ!」
全身からトゲが生えた青黒い魚のフォルムが、海中を飛び出て高くジャンプする。その牙が落ちてくる前に、王黎は言葉を放った。
【我が指先から走れ電、駆けろ雷!】
王黎がスミエルに五本の手指を向けると、そこから細い電撃が放たれる。それはまるで、怪魔キヴィネの攻撃のようだった。
電撃はまっすぐにスミエルに届き、その青黒い身体をしびれさせる。そしてしびれるだけではすまなかったようで、電撃によってダメージを受けたスミエルの身体はぴりぴりと音を立てて霧散した。
「やっぱりスミエルは速いなあ。ヒルダの技を借りるか」
身体の大きさ的にも体力的にも、スミエル単体はそれほど強い方ではない。こうして王黎が与える操言の力の攻撃ひとつで斃すことはできる。
問題は、その動きの速さと数だ。一匹ずつ対処していたのでは、こちらの攻撃速度をいずれ相手が上回るだろう。そこで王黎は、ヒルダの戦法を真似ることにした。
ヒルダは船を覆う壁のようなものを作り、その壁にふれた怪魔スミエルのスピードが愚鈍になるような効果を施していた。彼女とまったく同じ言葉を使うわけではなく、王黎は王黎なりの言葉を紡ぎ、同じ効果を持つ壁を張り巡らせる。
「ルーカスくん、頼んだよ」
「はい、お任せください!」
そして近くにいるルーカスに、怪魔への攻撃を頼んだ。王黎が操言の加護を与えれば、のろまに落ちてくるだけのスミエルはルーカスの長剣で一刀両断され、簡単に霧散する。
一方、船尾の紀更は最初からヒルダを意識していた。ただし、操言の力を広範囲にわたって正確に使うことはまだできないので、自分とユルゲンやエリックを覆う大きさ程度のドームを意識する。その範囲に到達したスミエルの動きが止まる画を思い浮かべて、紀更は集中した。
【私たちを覆う光の壁、接触する怪魔の動きを止めて】
音の街ラフーアからゼルヴァイス城までの道程でカルーテ相手に戦闘経験を重ねたおかげか、紀更は怪魔を目の当たりにしても、以前ほど腰が引けなくなった。
毎夜、短時間でもいいからと繰り返した内省のおかげで、怪魔に対して有効な手段をイメージし、それを言葉にすることも以前よりなめらかにできるようになっていた。
【光の壁は呼吸を奪い、身動きを奪い、スミエルの魂を破壊する】
怪魔は身体を持たないが魂は持っているかもしれないというラルーカから聞いた話が、より鮮明なイメージを紀更に与えた。自分たちを覆う光の壁が、怪魔の魂を打ち砕いて破壊する様を脳裏に描き、紀更は操言の力を使って戦う。
「はっ!」
船に飛び込んできたはいいものの、紀更の操言の力によって身動きがとれなくなって甲板に転がる怪魔スミエルを、ユルゲンとエリックは片っ端から斬りつけた。操言の力によるダメージが蓄積されているのか、スミエルの身体はすぐに霧散する。
「いいぞ、紀更殿。その光の壁を維持するんだ!」
エリックが紀更に檄を飛ばす。
紀更はスミエルの猛攻がおさまるまで集中を絶やさずに、操言の力を使い続けた。
◆◇◆◇◆
「ヒルダ殿、至急ゼルヴァイス城へお越しください。城主がお呼びです」
「城主様が? わかりました」
陽が沈む頃、港へ戻ってきた船から降りた操言士ヒルダに声をかけたのは身なりのいい平和民団の男で、それはゼルヴァイス城に務めている使用人の一人だった。
ヒルダは怪訝な表情を浮かべたが、城主に呼び出される理由に心当たりがあるのですぐに納得した。それから船乗りたちに別れを告げて、少し急ぎ足で上層のゼルヴァイス城を使用人と共に目指した。
(今日も見つからなかった)
始海の塔を目指したジャンク船が嵐に遭ったのは、二日前の晩のことだ。
紀更が海に落ちて、それを追うようにユルゲンも海に飛び込んだ。そしてその後、あろうことか王黎たち四人も波に攫われた。
(船は……あたしたちは全員無事だったけど)
第三城壁の中央門を通り、上層の地を踏んだヒルダはふと北西の方角に視線を向けた。城壁に阻まれて海は見えなかったが、その先に紀更たちが無事でいてほしい。いや、無事でいるはずだ。そう願っているし、そう信じている。
使用人に案内されたヒルダはゼルヴァイス城の応接室に入る。するとソファにはすでに先客がいた。
「弥生ちゃん?」
「ヒルダかい。今日もご苦労」
それは眼光の鋭い操言士、ゼルヴァイス操言支部の支部長弥生だった。
「お疲れ様です」
弥生の隣に腰を下ろしながら、ヒルダは挨拶をする。
弥生はヒルダの浮かない横顔に今日の成果を読み取って、気休めの言葉をかけた。
「あのひょろ坊はそう簡単にくたばりやしないよ。その弟子もね」
紀更とユルゲンに続いて王黎たち一行も海に落ちたあと、ジャンク船は完全に船乗りたちの手に負えなくなった。ヒルダたち船員はどうすることもできないまま、あの嵐の中をゼルヴァイスの港へ引き返した。いや、正確には追い払われた。強風のせいだとは思うが、それ以上の何か別の力がはたらいていた気がしてならない。そう思わざるを得ないほど不自然に船はそれ以上進むことが能わず、遠目に見える塔からどんどん離れていった。そして明け方にはゼルヴァイスの港にしれっと戻っていたのだ。
ゼルヴァイスの船乗りたちは海の天気を読むことに長けているが、その読みが外れることは往々にしてある。自然とはそういうものだ。だがあの嵐はどこかおかしかった。まるで紀更たち一行以外はそれ以上来てくれるなと、ヒルダたちを拒んでいるようだった。
「どうして紀更ちゃんたちは……」
「さて、どうしてだろうな。〝特別な操言士〟だからかねぇ」
応接室に城主ジャスパー・ファンバーレとその息子エミール・ファンバーレの二人が入ってくる。ヒルダは立ち上がって挨拶をしようとしたが、ジャスパーはそれを片手で制した。
「挨拶はいい。さっさと話をしようぜ」
「城主様、でも……」
「今日も特別な操言士一行は見つけられなかったか」
エミールとともにソファに座ったジャスパーに問われて、ヒルダはこくりと頷いた。
「弥生、別の手立てはないのか」
「ないさね。操言の力を使った捜索方法はいくつか考えて、実際に試したこともある。でもどれも失敗だ。肝心の捜索対象の波動がまったく感じ取れないからね」
「それは普通のことか?」
「……いや」
弥生は少しの間を置いてから答えた。
「二人が操言の力を使っていない可能性もあるが、生きているならそれはないさね。船から落ちたあと何をどうやって過ごしているかはわからんが、操言の力を一切使わずに二日も過ごしているとは考えにくい。遭難状態にあるならなおさらね。それなのに、優秀な奴に二人の操言の力の波動を探らせてみても駄目だった。まるで感じられないのさ。これは普通じゃない」
「お二人が遠い場所にいるからではないのでしょうか」
エミールが尋ねると、弥生は首を振った。
「王都の波動符官の操言士は、もっと遠い距離でも操言士の波動をとらえることができる。ここの民間部の操言士は波動符官ほどの実力じゃないが、サキトス湾を超えたぐらいの距離なら探知は無理じゃないはずだ。何か、二人とこちらの間を遮る壁のようなものがあるかもしれないね。その壁に阻まれて、こちらの捜索の手が及ばないんだ」
「壁か。それならまだましだな。操言の力を使えない状況、つまりすでに死んでいる可能性に比べればな」
「そういうことさね」
「そんな……」
ジャスパーに頷く弥生の横で、ヒルダの表情が陰った。
「ヒルダ。あんた、戻ってきてからあの塔は見えているのかい?」
「塔?」
弥生に問われてヒルダははっとした。
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