ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第04話 古の操言士と水の犬

3.怪魔の謎(上)

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「ある限界まで損傷を受けた怪魔の身体はその場で霧散するようですが、これは普通の肉の器ではあり得ないことです。生物が作り出す肉の器の崩壊とは、本来とてもゆっくり行われるものですから。つまり怪魔は普通の肉の器、身体を持っていないと考えられます。しかし怪魔は、普通の肉の器を持っているかのような特徴を有しています。たとえば怪魔からの攻撃は、野生動物に噛まれるそれと同じ痛みを我々にもたらしますし、我々が野生動物を狩るのと同じように、物理的損傷を怪魔に与えることもできます」
「肉の器、身体を持たないはずなのに、身体を持っている普通の生物と同じような反応がある、ということですね」

 王黎が言い直して確かめる。ラルーカは頷いた。

「持っていないはずなのに持っている……持っているはずなのに持っていない。それはどういうことなのか。おそらくですが、怪魔は普通の生物とは何か違う〝理〟のもとに存在していると考えられます」
「普通とは違うことわり……ですか」

 紀更は神妙に繰り返した。

「闇の神様ヤオディミスが魂を作る。光の神様カオディリヒスが、その魂を肉の器に入れる。肉の器を作るのは生物の仕事。それが普通の理です」
「怪魔はその理から外れた存在というわけですね」
「ですが完全に外れているとも言えないなのです。なぜなら、怪魔は魂と呼べるものを持っていると考えられるからです」
「怪魔が魂を持っている?」
「操言の力がなぜ怪魔に有効なのか、気になったことはありませんか」
「あ、あります!」

 紀更は大きく頷いた。
 音の街ラフーアでのある夜、被加護の武器について王黎とルーカスから教わった。強い怪魔ほどただの物理攻撃では斃せなくなり、操言の力を付与した武器でないとダメージを与えられない。ゆえに怪魔退治に操言士は必須だが、それはいったいなぜなのか。

「操言の力は魂に宿るもの、つまり魂と関わりの深い力です。その力があれば効果が出るということは、怪魔は魂を持っているのではないか。そう考えられます。霧散する怪魔の身体というのは、実は怪魔が持つ魂が霧散しているのではないか。操言の力が怪魔にダメージを与えられるというのは、魂が魂に干渉しているのではないか。確証はありませんが、そう仮説を立てることができると思います」
「儂らはいま、魂だけの存在じゃ。ほれ、こんな風に」

 クォンはテーブルの縁を掴むしぐさをしてみせる。しかしテーブルにふれることは叶わない。クォンの手はテーブルをすり抜けて無色透明に変わった。

「儂らのような魂だけの存在では、この世界の物質にさわれん。見方を変えれば、この世界の物質も、魂だけの存在にふれることは不可能ということじゃ」
「強い怪魔は弱い怪魔より強い魂を持っている。そのため、この世界の物質、つまり武器などの攻撃が強い怪魔には通じなくなる、ということでしょうか。でも魂と関わりの深い操言の力なら、強い怪魔の魂にふれることができる。つまり攻撃が通るようになる、と」
「一理あるな」
「む……難しいです」

 王黎とエリックは納得したようだったが、紀更は目をぎゅっと閉じて頭の中で整理しようと必死の顔になった。

「神様が関わっているんじゃねぇのか」

 すると、ユルゲンの声が全員の空気を一変させた。

「魂を作るだのなんだのをするのは神様の仕事なんだろ? ってことは、魂を持つ怪魔も神様の仕事の結果なんじゃねぇの?」
「まさか、神様が怪魔を作った?」

 ユルゲンの指摘した可能性に、紀更は瞼を上げて絶句した。
 生きている生物を見境なく襲う怪魔という理不尽な存在が、神様によって作られたものだと言うのか。では怪魔に襲われ、その脅威に人々が怯えるのも、この世界を創った神様の予定調和ということなのか。
 紀更が不安を覚える中、ラルーカは言った。

「その可能性も否定はできません。おっしゃるとおり、魂を扱うということは神様の領分です。我々人間に、神様と同じことができるはずがありません」
「でも……じゃあ本当に、神様が怪魔を作ったと言うんですか!?」

 緑色の瞳に不安を浮かべる紀更に問われて、ラルーカは黙った。
 そのラルーカの代わりに口を開いたのは王黎だった。

「操言士ザンドラ……」
「えっ?」
「普通の生物の場合、闇の神様ヤオディミスが魂を作り、光の神様カオディリヒスがその魂を生物の身体に入れるらしい。つまり、魂を作るという最初の仕事をするのはヤオディミスだ。そのヤオディミスから力をもらった操言士のザンドラ女王なら、神様と同じことができるかもしれない」

 ラルーカは無言で頷いた。紀更の胸の中に、新たな動揺が走る。

「神様じゃなくて、操言士のザンドラ女王が怪魔を?」
「早まらないで、紀更。あくまでも可能性の話……いや、ただの憶測だ」

 王黎は紀更をたしなめたが、ラルーカはどこか悲しげに言った。

「ですが、十分考えられる可能性です。操言士ザンドラは初代操言士と同じく、ほかの操言士とは明らかに違う存在です。闇の神様ヤオディミスから直接力を授かっているのですから。普通の操言士と違うことができても、おかしくはありません」
「だがザンドラ女王が生きていたのは怪魔が現れるよりももっと前の時代だ。今の時代にザンドラ女王がちょっかいをかけられるはずがないだろ。あんたらと同じく魂だけの存在になっているなら話は別だろうが」

 ユルゲンがそう言うと、紀更は悲痛な表情を浮かべた。

「そうですよね。ザンドラ女王が……操言士のザンドラさんが怪魔を作り出す理由なんてないですよね!?」
「まあ、今のところその理由は思い当たらないかな」
「違う……きっと違います。神様もザンドラ女王も、怪魔を作るなんて」

 王黎は紀更の手前そう言ったが、ラフーアの操言士ローベルの例がある。操言士とて中身は普通の人間だ。何か深い理由があれば他人を、生まれ故郷を、この世界を、ひどく憎悪する。そしてその憎悪が破壊衝動となり、敵意になるかもしれない。

(ザンドラ女王とローベルが同じだ、とは思いたくないけどね)

 王黎は胸の中で独り言ちた。
 音の街ラフーア出身の操言士ローベルに何があったのかはわからない。裏切りの操言士に堕落した経緯も理由も、王黎の知るところではない。だが初代操言士の娘ザンドラという、フォスニアだけでなく大陸全土の歴史においてもなかなか重要な人物と、現代の平凡な一介の操言士が同じ境遇になって同じような経緯で世界を憎んだ、とはあまり考えられない。ローベルはただの小者だ、というのが王黎のローベルに対する印象だった。

「ほぉ、ほぉ。儂らは所詮、塔が与える情報を聞きかじっている程度じゃ。実際のところは怪魔とじかに接触できる、塔の外のおみゃーさんたちの方がわかるじゃろぅて」

 クォンはくすくすと笑った。

「質問はもうよろしいですか」
「えっ、と……はい」

 ラルーカに問われて、紀更はおずおずと頷いた。
 ほかにも訊きたいことはあるような気がした。けれどクォンもラルーカも、本人たちが言うように全知というわけではない。なんの因果なのか魂と心だけの存在でずっとこの塔の中に閉じ込められて、そして塔の主からどうやってか知識を授けられただけの身の上。すべてに正しく答えることはできないのだ。
 ラルーカは自分の役目は終わったとばかりに立ち上がった。

「皆様、もう一日ここでお過ごしください。皆様がオリジーアへ戻るための船の準備に、あと一日かかるようです。明日には出発できると思います」

 自分ではない誰かからの連絡を伝達するように言い残して、ラルーカは階段のひとつを上っていった。魂だけの存在だからなのか、ラルーカの足音は一切聞こえない。

「塔の中と外は、自由に行き来できるはずじゃ。扉は多々あるが、開いたり開かなかったりするから気を付けんしゃい。外に通ずる扉は正面扉だけじゃからな」

 クォンもそう言うと、円柱形の塔の壁にいくつかある扉のひとつをすり抜けて、どこかへ消えてしまった。
 残された五人は、互いに顔を見合わせる。

「せっかくだし散策に行こうか。最美が戻ってくるかもしれないしね」

 王黎が提案すると、ルーカスとエリックがため息をつきながら頷いた。

「そうしますか」
「あの二人は塔の周囲が安全とは言わなかったから、気を抜くなよ」

 そうして席を立った五人は塔の正面扉を開けて、外に出た。
 昨夜の嵐はすっかり静まっていた。塔の外は日光が燦々と降り注ぎ、青い空に隙間の多い叢雲が浮かんでいる。塔の周辺は草地が広がっており、東側にある密度の低い林の向こうに、昨夜漂着したと思われる浜辺が見えた。紀更たちはなんとはなしに、その浜辺を目指して歩く。
 ここはサーディアの領土だと思われるが、周辺に人の気配はない。それどころか、人が行き来するための道らしい道もない。ただひっそりと塔がそびえ立ち、海と空と大地が何者にも構うことなく泰然としている。

「昨夜の嵐が嘘みたいに凪いでいますね」
「ゼルヴァイスの船は大丈夫だろうか」

 穏やかな浜波が打ち寄せる白い砂浜を見つめて、ルーカスとエリックが心配そうに遠くへ視線を向ける。

「あれ、最美じゃねぇか」

 ユルゲンが手のひらでひたいにひさしを作って、陽光の眩しさに目を細めながら上空を見上げて呟いた。その視線の先では、弧を描きながら高度を下げる虹色の鳥――ニジドリ型の最美が優雅に舞い下りてくるところだった。
 白く小さな粒でできた砂浜に細い足を付けるなり、最美はぬらりと人型に姿を変えて王黎を見つめた。

「戻りましたわ、我が君」
「お帰り、最美。どうだった?」

 王黎に問われると、最美は淡々と報告した。

「この土地ですが、大陸の北西に位置しています。サーディアの領土、ラッツ半島の先端で間違いないかと。それと、塔の周辺に都市部は見当たりません。南方にあるラッツ山脈にいたるまでの間で、人工物はこの塔だけのようです」
「ラッツ山脈まで行ったのかい? さすがに遠かっただろう?」
「途中までですわ。昨夜の嵐のせいか、上空は風が強く、速度が出せましたので」
「そうか、ご苦労様。船の行方は?」
「わたくしたちが乗ってきた船は、周囲に見当たりません。損壊を想定し、木片等が浮いていないか、可能な限りサキトス湾の海面も飛んで捜してみましたが」
「さすがに海は広くて、全部は無理か。海流でどこかに流されたかもしれないしね」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません」
「いいよ。船も乗組員もみんな無事で、僕らを捜してまだ海の上にいるのかもしれない。そう願おう。ありがとう」

 王黎は最美の肩をぽんとたたくと、朝から飛び続けていた最美を労わった。
 自分の操言士に褒められ、礼を言われる。それだけですべてが報われるようで、最美はとても嬉しそうにほほ笑んだ。

「ここはサーディア国内か」

 王黎は背後の塔を見上げた。始海の塔は空を貫く勢いで上へ上へと伸びている。塔の最上部はあまりにも遠く高くて、どんなに目を細めてもはっきりと視認できない。
 サーディアはこの塔の存在を認知しているのだろうか。ここから南方のラッツ山脈まで人工物がないということは、サーディアの人々はラッツ山脈を越えてこのあたりに来たことがないのだろうか。
 カオディリヒスとヤオディミスがこの世界を創る前から存在しているという、始海の塔。塔の主はその二神よりも優れた存在――神を超えた神。サーディアという国は、その存在と関わりがあるのだろうか。

「紀更、他国じゃ祈聖石巡りもできないから、今日は操言の力の修行をしようか」

 考えても詮無いことを考えるのはやめて、王黎は紀更へ視線を移した。

「えっ……王黎師匠、でも」

 すると紀更は少しだけ嫌そうな顔をした。クォンとラルーカの話の整理がまだできておらず、頭の中がパンパンだからだ。今はまだ、修行に打ち込める気がしない。

「拒否の言葉は聞かないよ。船の上での会話を忘れてはいないよね? 僕らが危ないと言っているのに自分も怪魔と戦う……そう啖呵を切ったのは紀更だよ? まあ、戦う前に海に落ちちゃったわけだけど。師匠として、弟子のその強気な姿勢にはそれ相応の指導をしてあげないといけないよね?」

 王黎の目の奥は笑っていない。船の上での紀更の勝手な行動を怒っている。当然だ。

(これ、しごかれるの確定だわ……)

 沈黙した紀更の背筋がひんやりと冷たくなる。

「ここは海も風も木々もあって自然が豊かだ。自然を利用した操言の力の使い方を、今日一日で一気に憶えようね、紀更?」
「はい……」

 紀更は弱々しい声で返事をした。王黎に逆らうことは、未熟な紀更には到底不可能だった。
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