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第03話 海の操言士と不思議な塔
9.不思議な力(上)
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「ほぉ、ほぉ。こちらに敵意はござらん。そう構えるでない」
間延びしたしわがれ声の主は、音もなく二重螺旋階段のひとつから下りてきて、塔の中央に敷かれた絨毯の上に立った。
「歓迎するぞぃ。と言いたいんじゃが、まあ、おみゃーさんたち、ひどい格好じゃな。うむ、さっぱりしてくるがよい」
鼠色のフード付きローブをかぶった小柄なその人物は、フードで顔を隠したまま塔の壁にいくつかある扉のひとつを指差した。
「なんだ?」
「そこの扉じゃ。開ければわかる」
そうは言うが、その扉を開けた先は塔の外だ。もう一度雨風にさらされることが、さっぱりするということなのか。這う這うの体でここへ来た紀更とユルゲンには、笑えない冗談だ。
「ユルゲンさん……」
どうしましょうか、という不安な瞳で紀更はユルゲンを見上げた。
「ほれ、さっさと行ってこんか」
フードの人物は短気なようで、声に苛立ちが混ざり始める。顔は見えないが、おそらく男性の老人だろう。
ユルゲンはしばらくフードの老人を睨みつけていたが、ここで抵抗しても得られるものがなさそうなので、覚悟を決める。そして腰元を抱き寄せたままの紀更に視線を落とし、警戒心を含んだ声で言った。
「紀更、俺の言うとおりにしろ。何か危ないと思ったら、すぐにこの塔を出るんだ」
「でも……」
「塔の中の方が安全かと思ったが、得体の知れない塔の中の何かより、正体のわかってる外の嵐と怪魔の方がまだマシかもしれねえ。俺からなるべく離れるなよ」
まだよたよたとしか歩けない紀更の腰を押すと、ユルゲンはフードの老人に視線を戻した。彼が怪しい動きをしないか見張りつつ、指差された扉を目指し、壁を背にしたまま右側へ歩く。
「まったく、警戒心の強い奴じゃ。敵意はないと言うておるのに」
ユルゲンの抜かりのなさに、フードの老人はため息をついた。
「紀更、開けてみてくれ。ゆっくりな」
かくして鉄の扉にたどり着いたユルゲンは、なおも老人に視線を向けたまま紀更に指示する。紀更はくるりと身体の向きを変えて、ユルゲンに腰元を抱かれたまま、鉄の扉のドアノブを押した。
「え?」
奥に向かって開いた扉。その向こうには嵐が待っていると思ったのだが、そこはまるで昼間のように明るい、真っ白な空間だった。
数歩先には大人が三人は座れそうなソファがひとつ、真っ白な壁を背にしてこちらに向いており、そのソファの右と左に、それぞれ奥へと進む短い通路がある。その先には白い木製の扉があり、さらに奥の空間があるようだった。
「男女混合はいかんからの。ほれ、別々に行ってさっぱりしてこんか。んで、そこのソファで待ち合わせればよかろう」
「な、なんですか、ここ……」
紀更は塔の中央に振り向いて、馬鹿正直に老人に尋ねた。
「ん? 風呂じゃ風呂」
「風呂……」
「全身びしょ濡れで足元は泥だらけ。それでは塔の中が汚れるでの。はよ洗ってこんか」
この局面で老人の言うことの、なんと平和的で生活臭あふれることか。
そんな甘言に騙されるものかとユルゲンは身を引き締めたが、老人はとうとう我慢しきれなくなって、実力行使に出た。
【えぇから! はよその扉の向こうに行きんしゃい!】
「ぅおっ!」
「きゃっ!」
老人が紀更とユルゲンに向かって追い払うように手を払ったかと思うと、見えない何かに押されて二人は白い空間のソファの方へ転び出た。鉄の扉はぱたりと閉まり、慌てたユルゲンが開こうとするが施錠でもされたのかびくともしない。
「おい!」
ユルゲンは扉の向こうにいるはずの老人に怒鳴った。けれども反応はない。
「ど、どうしましょう」
姿勢を立て直しながら、紀更は困惑の表情を浮かべた。
ユルゲンは自分から離れた紀更を見下ろして、ため息をつく。
「紀更、少しの間ここで待てるか。俺が先に奥へ行く」
「でも……」
「馬鹿な話なのかありがたい話なのか騙されてるのか……わけがわからないがこの先にあるのが本当に風呂だとしても、ひとまず偵察は必要だ。いい子で待っていてくれ」
「はい……」
紀更も混乱しているが、ユルゲンもこの状況に混乱しているはずだ。それでもまだ冷静に打つ手を考えるユルゲンが、とても頼もしく思う。
紀更は頷き、右側の扉へ向かうユルゲンの背中を見送った。
ソファは目の前にあったが、老人の言うように海水と泥で汚れた身で座って汚すのはなんだか申し訳ない気がして、紀更は立って待つことにした。
一方、ソファのある空間から右手の扉へ進んだユルゲンは、扉の先にあった空間をひととおり見て回った。最初の空間には何もなかったが、さらに奥へ行くための引き戸があり、そこを開けると目の前は浴場だった。それも、ユルゲンが知っている並の公衆浴場とは比較にならないほどの広さがある。
(マジで風呂場か、ここは)
その広い浴場には誰か人がいるわけでも、動物がいるわけでもない。何か罠が仕掛けられているわけでもなく、危険因子はないようだ。
「一部屋挟んで、奥は風呂場だった。油断はできないが、たぶん安全だ」
あからさまに気を抜きはしなかったが、ソファの空間に戻ったユルゲンはそう言った。
それから、左側の扉へ行って風呂を使うように紀更に言いつけた。先ほどまで溺れて意識の失っていた紀更を一人にさせることは心配だったが、彼女を休ませるためにも、老人の言うとおりさっぱりしてからの方がいいだろう。
ユルゲンに指示された紀更は、恐る恐る左手の扉を開けた。そこは一辺が五メイほどの立方体のような空間で、調度品や家具の類は何ひとつなかった。
紀更は少し迷ったが、その何もない白い空間――脱衣所の床に着ているものをすべて脱ぎ落として、空間の奥にあった引き戸を開けた。
(な、に……ここ……)
そして、浴場内を見て絶句した。
そこは左右に二十メイ、奥に三十メイはあるかと思うほどの広い洗い場だった。王都にある一番大きな公衆浴場でも、こんなに広くはない。普通の風呂屋がふたつ、三つは入りそうな広さだ。湯気で全体が見えないが、浴場の最も奥にある浴槽は、同時に何十人も入れそうだ。
さらに驚くべきは広さだけではなかった。洗い場にはいくつかの小さな木製の椅子と桶が組になって置いてあったが、その桶は中のお湯が空になると、自動的に新たな湯が張られて満たされたのだ。中のお湯を全身にかけて、桶を床に置く。すると次の瞬間には新たな湯が張られ、その不思議な現象が途切れることはなかった。おかげで、全身の海水も泥もきれいさっぱり洗い流すことができたし、どこからともなく石鹸も現れて、髪も身体もしっかりと汚れを落とすことができた。
一体全体、どういう仕組みになっているのか。不思議というレベルを超えた、これはもういっそのこと、現実ではないのでは、とさえ思うような空間だった。王黎の操言の力と皐月の発想力を合わせても、こんな風呂は絶対に作り出せないだろう。
しかし驚愕すべきことは浴室を出てからも続いた。
湯浴みを終えて脱衣所の空間に戻ってくると、そこにはなかったはずの三面鏡付ドレッサーが待機しており、ドレッサーとセットの四角い背もたれのない椅子の上には替えの服まで存在していたのだ。
「ど、どういう……こと」
身体を清めたところで着るものがない。仕方ない、脱いだ服をもう一度着よう。そう覚悟して浴場から出てきたのだが、床に脱ぎ捨てたはずの服はどこかへ消えており、代わりに替えの服がある。おまけに身支度を整えろ、と言わんばかりにドレッサーまで。
おかしい。絶対におかしい。
この空間は、もしかしたら紀更の知っている世界ではないのかもしれない。
そもそも、ソファの空間に入った時からおかしかった。鉄の扉の向こうは塔の外――そう思ったが、そこはソファの空間だった。そしてその先には便利で清潔な脱衣所と大浴場。どう考えても、空間の在り方が円柱形の塔の構造から逸脱している。これが現実ならば、王黎を百人くらい合体させたような規格外の操言士が、この塔を造ったに違いない。
しばし呆然としていた紀更は、しかしいつまでも素っ裸でいるわけにもいかないので、ドレッサーの上にある清潔なパイル地の大きな手拭で身体を拭き、椅子の上に用意された替えの服――長袖の白いワンピースに袖を通した。下着と白いサンダルまで用意されていたところには、もう疑問の言葉すら出てこない。
ふんわりとした綿に近い手拭で髪の毛を拭くと、その手拭は操言の力でも施されているのかあっという間に水分を吸収して、紀更の髪はさらさらと乾いて艶やかにに光った。ドレッサーに用意された櫛でとかす手間もわずかだ。
(私、さっきまで海の中にいたはずなのに……)
忘れかけていたが、紀更はジャンク船から海の中に落ちたのだ。
落ちた直後、海面にたたきつけられた衝撃ははっきりと憶えている。水の中に落ちるというのはこんなにも痛くそして冷たいものなのかと、そんなことを思いながら意識はいつの間にか途切れていた。
その次に憶えている光景は、横風の雨に殴られながらも自分を心配そうに見下ろすユルゲンの青い瞳だ。あたりは暗いはずなのに、その青さはなぜだかとてもはっきりと見て取れた。
それが、今はどうだろう。すっきりさっぱり身体の汚れを落として服まで着替えて、ゼルヴァイスの港を出発した時よりも身ぎれいになっている。栗色の髪の毛をいつものように左右でゆるく三つ編みにしておさげにすれば、見知った自分がドレッサーの鏡に映っていた。だが、どこか夢の中の自分を見ているような気がする。
(戻らないと……)
ユルゲンがソファの空間で待っているはずだ。床に脱ぎ捨てて消えてしまった服が気になるが、紀更はひとまず脱衣所を出た。
間延びしたしわがれ声の主は、音もなく二重螺旋階段のひとつから下りてきて、塔の中央に敷かれた絨毯の上に立った。
「歓迎するぞぃ。と言いたいんじゃが、まあ、おみゃーさんたち、ひどい格好じゃな。うむ、さっぱりしてくるがよい」
鼠色のフード付きローブをかぶった小柄なその人物は、フードで顔を隠したまま塔の壁にいくつかある扉のひとつを指差した。
「なんだ?」
「そこの扉じゃ。開ければわかる」
そうは言うが、その扉を開けた先は塔の外だ。もう一度雨風にさらされることが、さっぱりするということなのか。這う這うの体でここへ来た紀更とユルゲンには、笑えない冗談だ。
「ユルゲンさん……」
どうしましょうか、という不安な瞳で紀更はユルゲンを見上げた。
「ほれ、さっさと行ってこんか」
フードの人物は短気なようで、声に苛立ちが混ざり始める。顔は見えないが、おそらく男性の老人だろう。
ユルゲンはしばらくフードの老人を睨みつけていたが、ここで抵抗しても得られるものがなさそうなので、覚悟を決める。そして腰元を抱き寄せたままの紀更に視線を落とし、警戒心を含んだ声で言った。
「紀更、俺の言うとおりにしろ。何か危ないと思ったら、すぐにこの塔を出るんだ」
「でも……」
「塔の中の方が安全かと思ったが、得体の知れない塔の中の何かより、正体のわかってる外の嵐と怪魔の方がまだマシかもしれねえ。俺からなるべく離れるなよ」
まだよたよたとしか歩けない紀更の腰を押すと、ユルゲンはフードの老人に視線を戻した。彼が怪しい動きをしないか見張りつつ、指差された扉を目指し、壁を背にしたまま右側へ歩く。
「まったく、警戒心の強い奴じゃ。敵意はないと言うておるのに」
ユルゲンの抜かりのなさに、フードの老人はため息をついた。
「紀更、開けてみてくれ。ゆっくりな」
かくして鉄の扉にたどり着いたユルゲンは、なおも老人に視線を向けたまま紀更に指示する。紀更はくるりと身体の向きを変えて、ユルゲンに腰元を抱かれたまま、鉄の扉のドアノブを押した。
「え?」
奥に向かって開いた扉。その向こうには嵐が待っていると思ったのだが、そこはまるで昼間のように明るい、真っ白な空間だった。
数歩先には大人が三人は座れそうなソファがひとつ、真っ白な壁を背にしてこちらに向いており、そのソファの右と左に、それぞれ奥へと進む短い通路がある。その先には白い木製の扉があり、さらに奥の空間があるようだった。
「男女混合はいかんからの。ほれ、別々に行ってさっぱりしてこんか。んで、そこのソファで待ち合わせればよかろう」
「な、なんですか、ここ……」
紀更は塔の中央に振り向いて、馬鹿正直に老人に尋ねた。
「ん? 風呂じゃ風呂」
「風呂……」
「全身びしょ濡れで足元は泥だらけ。それでは塔の中が汚れるでの。はよ洗ってこんか」
この局面で老人の言うことの、なんと平和的で生活臭あふれることか。
そんな甘言に騙されるものかとユルゲンは身を引き締めたが、老人はとうとう我慢しきれなくなって、実力行使に出た。
【えぇから! はよその扉の向こうに行きんしゃい!】
「ぅおっ!」
「きゃっ!」
老人が紀更とユルゲンに向かって追い払うように手を払ったかと思うと、見えない何かに押されて二人は白い空間のソファの方へ転び出た。鉄の扉はぱたりと閉まり、慌てたユルゲンが開こうとするが施錠でもされたのかびくともしない。
「おい!」
ユルゲンは扉の向こうにいるはずの老人に怒鳴った。けれども反応はない。
「ど、どうしましょう」
姿勢を立て直しながら、紀更は困惑の表情を浮かべた。
ユルゲンは自分から離れた紀更を見下ろして、ため息をつく。
「紀更、少しの間ここで待てるか。俺が先に奥へ行く」
「でも……」
「馬鹿な話なのかありがたい話なのか騙されてるのか……わけがわからないがこの先にあるのが本当に風呂だとしても、ひとまず偵察は必要だ。いい子で待っていてくれ」
「はい……」
紀更も混乱しているが、ユルゲンもこの状況に混乱しているはずだ。それでもまだ冷静に打つ手を考えるユルゲンが、とても頼もしく思う。
紀更は頷き、右側の扉へ向かうユルゲンの背中を見送った。
ソファは目の前にあったが、老人の言うように海水と泥で汚れた身で座って汚すのはなんだか申し訳ない気がして、紀更は立って待つことにした。
一方、ソファのある空間から右手の扉へ進んだユルゲンは、扉の先にあった空間をひととおり見て回った。最初の空間には何もなかったが、さらに奥へ行くための引き戸があり、そこを開けると目の前は浴場だった。それも、ユルゲンが知っている並の公衆浴場とは比較にならないほどの広さがある。
(マジで風呂場か、ここは)
その広い浴場には誰か人がいるわけでも、動物がいるわけでもない。何か罠が仕掛けられているわけでもなく、危険因子はないようだ。
「一部屋挟んで、奥は風呂場だった。油断はできないが、たぶん安全だ」
あからさまに気を抜きはしなかったが、ソファの空間に戻ったユルゲンはそう言った。
それから、左側の扉へ行って風呂を使うように紀更に言いつけた。先ほどまで溺れて意識の失っていた紀更を一人にさせることは心配だったが、彼女を休ませるためにも、老人の言うとおりさっぱりしてからの方がいいだろう。
ユルゲンに指示された紀更は、恐る恐る左手の扉を開けた。そこは一辺が五メイほどの立方体のような空間で、調度品や家具の類は何ひとつなかった。
紀更は少し迷ったが、その何もない白い空間――脱衣所の床に着ているものをすべて脱ぎ落として、空間の奥にあった引き戸を開けた。
(な、に……ここ……)
そして、浴場内を見て絶句した。
そこは左右に二十メイ、奥に三十メイはあるかと思うほどの広い洗い場だった。王都にある一番大きな公衆浴場でも、こんなに広くはない。普通の風呂屋がふたつ、三つは入りそうな広さだ。湯気で全体が見えないが、浴場の最も奥にある浴槽は、同時に何十人も入れそうだ。
さらに驚くべきは広さだけではなかった。洗い場にはいくつかの小さな木製の椅子と桶が組になって置いてあったが、その桶は中のお湯が空になると、自動的に新たな湯が張られて満たされたのだ。中のお湯を全身にかけて、桶を床に置く。すると次の瞬間には新たな湯が張られ、その不思議な現象が途切れることはなかった。おかげで、全身の海水も泥もきれいさっぱり洗い流すことができたし、どこからともなく石鹸も現れて、髪も身体もしっかりと汚れを落とすことができた。
一体全体、どういう仕組みになっているのか。不思議というレベルを超えた、これはもういっそのこと、現実ではないのでは、とさえ思うような空間だった。王黎の操言の力と皐月の発想力を合わせても、こんな風呂は絶対に作り出せないだろう。
しかし驚愕すべきことは浴室を出てからも続いた。
湯浴みを終えて脱衣所の空間に戻ってくると、そこにはなかったはずの三面鏡付ドレッサーが待機しており、ドレッサーとセットの四角い背もたれのない椅子の上には替えの服まで存在していたのだ。
「ど、どういう……こと」
身体を清めたところで着るものがない。仕方ない、脱いだ服をもう一度着よう。そう覚悟して浴場から出てきたのだが、床に脱ぎ捨てたはずの服はどこかへ消えており、代わりに替えの服がある。おまけに身支度を整えろ、と言わんばかりにドレッサーまで。
おかしい。絶対におかしい。
この空間は、もしかしたら紀更の知っている世界ではないのかもしれない。
そもそも、ソファの空間に入った時からおかしかった。鉄の扉の向こうは塔の外――そう思ったが、そこはソファの空間だった。そしてその先には便利で清潔な脱衣所と大浴場。どう考えても、空間の在り方が円柱形の塔の構造から逸脱している。これが現実ならば、王黎を百人くらい合体させたような規格外の操言士が、この塔を造ったに違いない。
しばし呆然としていた紀更は、しかしいつまでも素っ裸でいるわけにもいかないので、ドレッサーの上にある清潔なパイル地の大きな手拭で身体を拭き、椅子の上に用意された替えの服――長袖の白いワンピースに袖を通した。下着と白いサンダルまで用意されていたところには、もう疑問の言葉すら出てこない。
ふんわりとした綿に近い手拭で髪の毛を拭くと、その手拭は操言の力でも施されているのかあっという間に水分を吸収して、紀更の髪はさらさらと乾いて艶やかにに光った。ドレッサーに用意された櫛でとかす手間もわずかだ。
(私、さっきまで海の中にいたはずなのに……)
忘れかけていたが、紀更はジャンク船から海の中に落ちたのだ。
落ちた直後、海面にたたきつけられた衝撃ははっきりと憶えている。水の中に落ちるというのはこんなにも痛くそして冷たいものなのかと、そんなことを思いながら意識はいつの間にか途切れていた。
その次に憶えている光景は、横風の雨に殴られながらも自分を心配そうに見下ろすユルゲンの青い瞳だ。あたりは暗いはずなのに、その青さはなぜだかとてもはっきりと見て取れた。
それが、今はどうだろう。すっきりさっぱり身体の汚れを落として服まで着替えて、ゼルヴァイスの港を出発した時よりも身ぎれいになっている。栗色の髪の毛をいつものように左右でゆるく三つ編みにしておさげにすれば、見知った自分がドレッサーの鏡に映っていた。だが、どこか夢の中の自分を見ているような気がする。
(戻らないと……)
ユルゲンがソファの空間で待っているはずだ。床に脱ぎ捨てて消えてしまった服が気になるが、紀更はひとまず脱衣所を出た。
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