ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第03話 海の操言士と不思議な塔

1.ゼルヴァイス城下町(中)

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「頑丈そうな門ですね。開け閉めするのがたいへんそう」

 空堀の上にかかった跳ね橋の手前で馬を下りた紀更は、幅十メイほどの石造りの門を通りながら、視線をあちこちにめぐらして感嘆した。その隣を、紀更と相乗りしていた最美が馬を引きながら歩く。反対の隣では、王黎が馬を引きながら解説した。

「堅牢さなら王都に引けを取らないかもしれないね。ここは都市部の一番外側の第一城壁だけど、城にたどり着くまでにあとふたつ城壁があって、そのどれも頑丈だよ」
「三つも城壁があるんですか!?」

 驚く紀更に、エリックも説明する。

「オリジーア建国直後、このあたりで大規模な戦いがあったと言われている。その時の経験ゆえに防備が重視され、現在の三重城壁が完成したと言われているんだ」
「大規模な戦いですか」
「四百年以上前のことだから、詳細は不明だけどね。当時このあたりに住んでた人たちは、ものすごく臆病だったのかもしれないね」
「必要だっただけだろう。攻撃を防ぐために盾を使う。それと同じだ」

 王黎は冗談っぽく笑うが、エリックは真面目な顔のまま言った。
 都市部の外と中の境目である第一城壁を超えると、多くの一般市民が行き交う通りに出る。その人の多さは、ラフーアのライアー通りやウィーコー通り以上だ。紀更たちと同じように、城壁の内外を行き来している者も多く、老若男女みな、朗らかで生き生きとした表情で会話を交わしながら、足早に移動していた。

「ひとまず、公共厩舎に馬をつなぎましょう」

 王黎の先導で、一行は第一城壁沿いに左へ進む。城壁に接するその付近は、城壁に沿って細長い厩のスペースが確保されていた。しばらく歩き、空いている場所を見つけて五頭の馬を収容する。

「最美、操言支部会館へ飛んで、支部長に伝言してくれる?」
「はい、承ります」
「じゃあ……『王黎だよー。着いたよー。城主に挨拶したいからよろしくー。あと弟子の見学等々もよろしくー』……って感じで。頼んだよ」
「畏まりました」

 そんな友達に伝えるような軽い伝言でいいのだろうか。紀更は怪訝そうに王黎を見上げたが、最美は慣れているようで顔色ひとつ変えず、姿だけをニジドリに変えて飛び立っていった。

「さてさて、せっかくだから宿はあそこにしましょうか」
「怪しげなところは断るぞ」
「大丈夫です、超安全ですよ。何せ鬼女将の隣ですから。さあさあ、こっちこっち~」

 ご機嫌な王黎を先頭に、紀更とユルゲン、エリックとルーカスが続く。
 ラフーアはところどころ舗装された石畳の道だったが、ここの城下町はほとんどが土の道だ。しかし踏み鳴らす人が多いのか、土の割に歩きやすく平らである。馬車の轍も少ない。
 公共厩舎の近くは商業地区なのか露店等が多く、あつらえられた台の上に所狭しと商品が乗せられて、売主が積極的に客を呼び込んでいた。

「ゼルヴァイス城がある丘の上の敷地は上層、第三城壁を隔てて少し下がった位置が中層、そして第二城壁を隔てたこのエリアは下層って呼ばれていてね。下層は港ともつながっているし、第一城壁の外からの出入りが多いから、お店が多いんだよ。さっき通った第一城壁の正門に続く一番太い道を国道通りって呼ぶんだけど、国道通りに近いほどお店が多いんだ。民家は国道通りから離れたところに多いかな」
「中層と下層をつなぐ門は、ずっと開けっ放しにしているんですか」
「中門と呼ばれる門のことだね。ずっとではないよ。外と下層をつなぐ正門よりは遅いけど、夜には閉められるよ」

 ゼルヴァイス城下町について簡単な説明を終えた王黎は足を止める。紀更たちの目の前には、ラフーアで宿泊した宿より一回りも二回りも大きな木造の建物が建っていた。

「ここがお目当ての宿だよ」
「大きい……」

 集合住宅かと思うような宿を、紀更は目を見開いて見上げた。
 ラフーアで泊まった宿はレイトの宿よりもはるかに大きかったが、ここはまたさらに大きい。宿の大きさと都市部の大きさは、比例するようだ。

「空いてたらここがいいなあ。広いしきれいだしね」
「あ、鬼女将って」

 宿の隣にある食堂の看板に気が付き、紀更は王黎が言っていたことに納得した。

「鬼女将食堂……すごい名前をつけますね」
「初代の店主の奥さんが、それはもう、怒ると鬼のように怖い人だったらしいよ」
「じゃあ、こんな名前をつけてさぞ怒られたんじゃ?」
「いや、そこは怒らなかったらしい。実は全然怖くなかったんじゃないか、って話もある。まあ、店ができたのは何十年も前の話で、初代の店主夫婦は亡くなって、今は家族でもなんでもない別の人が切り盛りしてるらしいから、真相はわからないみたいだけどね」

 けらけらと笑う王黎の隣で、変わった店もあるものだと、紀更は思った。
 しかし店名のセンスはともかくとして、真相がわからなくなるほど長い間この場所に店があるという事実は、どこか歴史を感じる。初代の店主夫婦が亡くなっていなくなっても、変わらぬ店名に彼らの生き様が残っているような気がしてなんだか感慨深い。紀更の知らない、王都にいたままでは決して知ることのできない、この城下町が積み重ねた時の流れのひとつだ。

「こんにちはー。六人で三部屋とりたいんですけど、空いてます?」

 宿のドアを開けると、王黎はすぐ目の前の受付に気軽に声をかけた。エリックより少し年上の男性が振り向き、のんびりと頷く。

「いらっしゃい。二階に一部屋、三階に二部屋でよければあるよ」
「構いません、お願いします。あ、代金の請求は操言士団にお願いしまーす」

 受付の男性が差し出した記帳簿に、王黎はさらさらとサインを書き込んだ。

「二階が紀更と最美、三階が僕とユルゲンくん、エリックさんとルーカスくんね。今日は夕食をとって、もう休もう。紀更、明日から城下町の祈聖石を巡るよ」
「ここにはどれくらいあるんですか」
「うーん……二十個くらいかな。もっとかも」
「ここも多いですね」
「ラフーアより広いしね。祈聖石作り専門の職人操言士もいるし、僕が最後に来た時から増えてるかもしれない」
「回りきれるでしょうか」
「一日じゃ絶対無理だね。まあ、じっくり行こうね」

 王黎はにこにことほほ笑んだ。


     ◆◇◆◇◆


「イーサン? どうしたの。もう日が暮れたんだから、帰らないと」

 埠頭の縁に突っ立っていたイーサンは、自分に声をかけた白い操言ローブの少女を見上げた。何か言いたげに口をもそりと動かしたが少女に返事をすることはなく、北西の海へと視線を移してぽつりと呟く。

「見えるもん……」
「見える?」
「海の向こう……でっかいの」
「イーサンも見えるの?」

 少女が問いかけると、イーサンはがばっと首を回して背後に立つ少女を再び見上げた。

「ヒルダも見えるの!? あの、空に伸びてるやつ!」
「うん……見えるよ」

 ヒルダと呼ばれた少女は、少々ためらいがちに頷いた。

「アレは何!? ヒルダ、知ってる!?」
「あれは……たぶん、塔」
「とう?」
「そう。見える人と見えない人がいる、不思議な塔」
「父ちゃんは見えないって……でもオレには見える」

 何かを納得したのか、イーサンの声に落ち着きが戻った。

「なんでなんだろう」

 呟くイーサンと共に、ヒルダもしばらくの間、日の沈んだ海を眺めていた。


     ◆◇◆◇◆


 宿の隣にある鬼女将食堂の夕食は、とても美味だった。王都ではめったに口にすることのできなかった海魚の刺身を紀更はびくびくしながら口にしたが、思いのほかあっさりとした味に驚いた。夕食に少し遅れて戻ってきた最美も合流し、海の幸の夕飯を堪能してから一行は宿に戻った。
 宿の一階で湯浴みをすませて客室に戻った紀更は、少しばかり内省を行ってから目を閉じた。音の街ラフーアを出てからここに来るまでの間の営所では使い古された絨毯をマットレス代わりにして寝ていたので、お世辞にも快眠とは言えなかった。そのため、四日ぶりの寝台のやわらかい寝心地によって身体の疲れがあっという間にとけていく。そうして紀更は、日の出を知らせる壱の鐘が鳴るまで熟睡した。



 東の空が白み、ゆっくりと太陽が昇ってくる。王都のものと似ているようでわずかに異なる鐘の音が、淡々と城下町に鳴り響く。
 壱の鐘が鳴ってしばらくしてから起床した紀更は、身支度を整えた。グレーのバルカンブラウスに、ミディ丈の紺青色のフレアスカート。街中で過ごすだけだろうから、防具の意味合いもあるコルセットベストは身に着けない。
 服を着て栗色の髪の毛をいつもどおりゆるいおさげにすると、図ったように客室のドアがノックされた。紀更がドアを開けると、そこには王黎とユルゲンがいた。

「おはよう。外に行ける?」
「おはようございます。大丈夫ですよ」

「じゃあ行こうか。あ、エリックさんとルーカスくんはゼルヴァイス騎士団に行くってさ。今日は最美とユルゲンくんが、二人の代わりに紀更の護衛かな」

 冗談めかす王黎を先頭にして、四人は階段を下りて宿を出る。
 外は日差しがあって明るかったが、青い空に映える白い雲も多い。上空の風が強いのか綿雲はなかなかの速さで移動しており、地上は雲の日陰になったり日向になったりを慌ただしく繰り返していた。

「支部長が早めに来てくれって言ってるから、祈聖石巡りの前に支部に行くよ~」
「我が君、正確には『朝一で来い、ひょろひょろ王黎』ですわ」

 やれやれ、という風に肩をすくめる王黎に、最美は昨日操言支部会館で支部長から預かった伝言を涼しい顔で正確に繰り返した。めったに戯言を言わない最美にしては珍しく、口元がささやかに上がっており、楽しそうだ。

「つまり、なるべく早めに来てね、ってことだよね」
「それは違うのでは」

 師匠の解釈違いを紀更は弱々しく指摘するが、王黎には馬耳東風だった。
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