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第02話 消えた操言士と闇夜の襲撃
8.奮闘(中)
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「ピィイィアァッァ……」
「うしっ! ルーカス、クフヴェだ! 短くてもいいから蔓を切るんだ!」
ダメージの蓄積したドサバトが悲鳴を上げながら霧散し、ルーカスとユルゲンは外側からクフヴェに近付く。音楽堂に向かって中心にはキヴィネがいるため、そちらからクフヴェに近付くと容赦なく電撃を食らうからだ。
王黎が上空に出現させた光の玉のおかげで、怪魔は全体的に動きがにぶっており、こちらに向ける攻撃の間隔が狭まっていた。その隙に、少しでも怪魔にダメージを与えていく。
【悪しきを掃いし正義の刃。其が力は偉大なり。軽微の鎧の脆きに勝たん】
王黎が紡いだ言葉が力となり、楊とミケルの得物が淡く光った。
二人はコンビネーションを発揮して、クフヴェを同時に攻撃する。それぞれの得物は操言の力を得てクフヴェの身体に易々と突き刺さり、二人が力を込めるとさらにめり込み、ついに右方のクフヴェも霧散した。
「ミケル、いけるか!」
「ああ! すげぇなあの操言士。こりゃキヴィネまで加護がもつぜ!」
傭兵二人は霧散するクフヴェの残骸を手で払いのけつつ、中央に寄る。すると、キヴィネの身体を縛り上げていた光の縄が千切れ、空中にとけて消えた。操言の力の効力が切れたのだ。
自由になったキヴィネが電撃を練り、二人に狙いを定めてくる。
――バチバチッ!
その時、二人とキヴィネの間にエリックが割って入り、キヴィネの電撃を長剣で受けた。
――ジリリリリ!
「くっ!」
「おい、あんた!」
長剣をつたう電撃の強さに、エリックの両腕はしびれる。
「大丈夫だ! 防御の加護がまだある! 早く、先に残りのクフヴェを!」
戦闘開始直後、王黎によって怪魔の攻撃をはじく加護をもらったとはいえ、キヴィネの攻撃力はやはり高い。エリックを守る操言の加護の見えない壁は、クフヴェの蔓をはじいた際とまったく同じには機能しなかった。しかし、長剣がなんとか電撃を受け止めてくれたおかげで、エリック自身に大きなダメージはない。
「う、っらあ!」
エリックは両足に力を入れて踏ん張ると、長剣を前方に振り下ろした。長剣に止められていた電撃が、キヴィネに向かって飛んでいく。だがその電撃は、キヴィネに吸い取られるだけだった。
「しゃっ!」
左方では、楊のワイヤーブレードの刃がクフヴェの樹木のような本体の上部を、ユルゲンの両刀が同じく下部を切り裂いた。
「エリックさんは下がって! 残りの四人はキヴィネの各部位破壊を! エリックさん、ほかに怪魔が出現しないか、周囲の警戒をお願いします!」
残りがキヴィネだけになったところで、王黎が後方から指示を出した。
キヴィネの電撃を受け止めたエリックは、キヴィネに背中を見せないように後退する。加護と長剣があったとはいえ、両腕はじかに電撃を受けたようにビリビリとしびれており、しばらく使いものになりそうになかった。
「おらぁっ!」
ユルゲンたちはキヴィネの身体を組成している鉄の箱をひとつずつ攻撃して、破壊していく。鉄の箱が霧散するたびにキヴィネは怒り狂ったように放電したが、その威力は弱い。頭上に輝く光球のせいで、思うように反撃できないでいるようだ。
――ギイイィィン!
キヴィネの鉄の箱が、こすれ合って耳をつんざく音がする。それを見た楊とミケルはニヤりと笑った。
「怒ってるねえ」
「あと少しだ。ユルゲン、止めを刺せ!」
「おう!」
箱の数が減り、あとはほぼ身体の中央に残るのみとなったところで、ユルゲンはキヴィネの身体を蹴ってその頭上へ飛び乗った。
「王黎!」
【鈍色の塊鉄よ、砂が如きやわさに成り下がらん!】
王黎は思い描く――今夜一番、最大の集中力で。
鉄の箱は、入れ物を失った砂のように形を無くしていく。その砂がユルゲンの両刀に斬られて、宙に霧散していく様を。
「終わりだ!」
――ギイイィィンンン!
ユルゲンの両刀が、キヴィネの最も大きな箱を地面まで垂直に切り裂いていく。
光球に照らされながら、キヴィネを構成する鉄の箱は水蒸気のように薄くなって消えていった。
「やったか」
楊があたりを見回す。怪魔のいなくなった周囲は嘘のように静かに凪いでいた。
「エリックさん、大丈夫ですか!?」
ルーカスは王黎の傍で地面に膝を突いているエリックに駆け寄り、ダメージの度合いを確認した。
上空に浮かんでいた光球は、役目を終えてゆっくりと消えていく。しかし光球が消滅し終えるその寸前、羽ばたいた最美があることに気が付き、王黎に声を送った。
『我が君、音楽堂の上に人影が!』
「っ……!?」
王黎は光が消えてまだ暗闇に慣れない目を必死に凝らした。
「皆さん、油断しないで! 音楽堂の上に誰かいます!」
得物をしまいかけていたユルゲンたちは、その手を止めて再び武器を構えた。
全員が、音楽堂の屋根に注視する。
「誰かって誰だよ」
ミケルが王黎にちらりと視線をやる。
王黎は屋根の上から視線をそらさずに言葉を紡いだ。すると、屋根の上に先ほどよりも小さな光の球体が出現し、そこに立つ人影を薄く照らし出した。
「やるな。あれだけ戦ったあとだというのに」
人影はふたつ。そのうちのひとつは、前髪をオールバックにして長い三つ編みを一本、首のうしろから左胸に流している群青色の服の男だった。煙草を口元から離し、その男は息を吐く。その隣にいるもうひとつの影は、細長い顔立ちの無表情の青年だった。
「南も収束しそうです」
「今回も戦力不足か」
「申し訳ありません」
「いや、あの操言士が優秀だったな。それに、おそらく目的は果たせただろう」
屋根の上の二人は何やら言葉を交わしている。しかし何を言っているのか、距離が遠くて王黎たちには部分的にしか聞こえない。叫べば届くだろうか。そう考えた王黎は音楽堂に近付き、その二人を見上げながら叫んだ。
「何者だ! どうやって怪魔を引き寄せたのか! 祈聖石に何をした!」
屋根の上の二人と王黎。
お互いに視線はからみ合うのに、屋根の上の二人は返事をしない。
「怪魔を操ったのか!? お前たちはセカンディアの者か!」
「違うな。それだけは返事をしておこう」
三つ編みの男が口を開く。
王黎にはっきりと聞こえるように配慮したのか、その声はひときわ大きかった。
「ならばサーディアの者か! それともフォスニアか! 何が狙いだ!」
「よく喋る奴だな。さすが操言士だ」
「中にいる見習い操言士の関係者でしょうか」
「さあな」
三つ編みの男は煙草を口に戻して深く吸い込み、そしてまた吐き出す。その煙が自分の方へ流れてきたが、青年は眉ひとつ動かさず、無表情で王黎を見下ろしていた。
「行くぞ、ローベル。早いうちに今夜の報告をしておこう」
「はい」
「ローベル!? お前、ラフーアの操言士ローベルか!」
王黎は二人を引き留めようと、拘束するための言葉を紡ごうとした。けれども二人はうしろに下がり、建物の後方へ移動して姿を消した。どうやら屋根から降りたらしかった。
「待てっ!」
「ルーカス、追え!」
王黎とエリックが同時に叫ぶ。エリックに命じられたルーカスは、急いで音楽堂の裏手に走った。その背中に王黎も続く。
「紀更……紀更はっ!?」
その時、怪魔は片付いてもまだ片付いていない問題を思い出し、ユルゲンは音楽堂の正面扉に駆け寄った。
◆◇◆◇◆
仄暗い音楽堂の中に残された紀更は、身動きできない状況に徐々に焦り出した。こめかみに嫌な冷や汗が今にも垂れてきそうだ。
(どうして、操言士が)
ラフーアで生まれ育った操言士。それがなぜ、こんな場所にいたのだろう。街の南部に怪魔が現れ、住民たちが怯え、ほかの操言士や騎士たちが怪魔退治に赴いているいま、笛吹きの青年はなぜ――。
(扉……さっきは開いて、私は鍵をかけていないのに今は開かない……それにどうして私は動けないの!)
何もわからない。何もできない。何かいま、重要な人物と接触したことは間違いないのに。あの笛吹きの青年が、何か秘密を握っているはずなのに。
青年は、音楽堂を出てどこに行ったのだろう。街の南へ怪魔退治に向かってくれただろうか。
(動け……動け、私の身体!)
指先に、手のひらに、両足に、紀更は頭の中で命じてみる。しかし動きそうにない。首は多少動かせるが、横や上には向けられそうにない。心なしか、青年の吹いた笛の音が、耳の奥でまだ響いている気がする。
(どうして……どうしようっ……)
血の気が引き、焦る気持ちが混乱に変わっていく。
その時、音楽堂の中がほんのりと明るくなった。
「えっ……」
紀更の近くには、青年が置いていった明灯器がひとつあるだけだ。その灯りは半径二メイほどを照らすが、室内全体を照らすはずがない。
紀更は首が動かせないので眼球だけを可能な限り動かして、音楽堂内を見回した。そして、室内を明るくさせた光源はどうやら音楽堂の外にあり、壁の高い位置にある窓ガラスから室内に差し込んでいるらしい、ということがわかった。
「外に……誰かいるの」
夜の空の下に、明灯器よりもはるかに強い光を放つ何か。そんなものを作れるとしたら、それは操言士に違いない。
(王黎師匠!)
紀更は直感した。
王黎だ。王黎が外にいる。
ということは、この明かりは紀更のためか、あるいは外にいる怪魔と戦うためか。
(整理、しよう……っ)
紀更は、焦りと心細さで混乱しそうになっていた自分を叱咤した。
(音楽堂の正面扉……普通に考えれば、この時間なら鍵で施錠されているはず。でもさっきはひとりでに開いて、そして今度はひとりでに閉まった。私は何もしていないから、扉に何か細工をしたらさっきの人……)
音楽堂に入った時、扉はひとりでに開き、そしてひとりでに閉まった。そしてその後なぜか、施錠されたかのようで紀更は扉を開けることができなかった。
(思い出せ……あの人は……)
――未熟だな。その扉の開け方もわからないのか。
青年はそう言った。そして青年は操言士だ。
間違いない。音楽堂の正面扉は操言の力によってひとりでに開閉し、さらに操言の力によって開かないように固定されていた。その仕掛けに気付くことも解くこともできない紀更を、操言士として未熟だと彼は言ったのだ。
(それなら、きっとこれも)
紀更の身体が動けない理由。それもきっと、操言の力によるものだろう。だが笛吹きの青年は、紀更が見ていた限りでは操言の力を使うために言葉を紡ぎはしなかった。
(私には聞こえないほどの小さな声で……それとも、笛?)
攻撃的な音色。やさしく悲しげな音色。様々な表情を見せたあの笛は、もしかしたら「言葉」以上に彼にとって重要なものなのかもしれない。
(笛の音と操言の力の関係はわからない。でも私が動けないのが、笛の音が原因なのだとしたら……)
考えろ。考えろ。
青年が何をどうしたのか、未熟な紀更には解明できない。けれど操言士の彼が操言の力で何かをしたのなら、彼の力に勝てるように自分も操言の力を使えばいい。
(描いて……イメージする!)
紀更は自分自身に強い口調で言い聞かせた。
この身に何か影響を与えた、青年の笛の音。その音の効果を消し去るには、どうすればいい?
「うしっ! ルーカス、クフヴェだ! 短くてもいいから蔓を切るんだ!」
ダメージの蓄積したドサバトが悲鳴を上げながら霧散し、ルーカスとユルゲンは外側からクフヴェに近付く。音楽堂に向かって中心にはキヴィネがいるため、そちらからクフヴェに近付くと容赦なく電撃を食らうからだ。
王黎が上空に出現させた光の玉のおかげで、怪魔は全体的に動きがにぶっており、こちらに向ける攻撃の間隔が狭まっていた。その隙に、少しでも怪魔にダメージを与えていく。
【悪しきを掃いし正義の刃。其が力は偉大なり。軽微の鎧の脆きに勝たん】
王黎が紡いだ言葉が力となり、楊とミケルの得物が淡く光った。
二人はコンビネーションを発揮して、クフヴェを同時に攻撃する。それぞれの得物は操言の力を得てクフヴェの身体に易々と突き刺さり、二人が力を込めるとさらにめり込み、ついに右方のクフヴェも霧散した。
「ミケル、いけるか!」
「ああ! すげぇなあの操言士。こりゃキヴィネまで加護がもつぜ!」
傭兵二人は霧散するクフヴェの残骸を手で払いのけつつ、中央に寄る。すると、キヴィネの身体を縛り上げていた光の縄が千切れ、空中にとけて消えた。操言の力の効力が切れたのだ。
自由になったキヴィネが電撃を練り、二人に狙いを定めてくる。
――バチバチッ!
その時、二人とキヴィネの間にエリックが割って入り、キヴィネの電撃を長剣で受けた。
――ジリリリリ!
「くっ!」
「おい、あんた!」
長剣をつたう電撃の強さに、エリックの両腕はしびれる。
「大丈夫だ! 防御の加護がまだある! 早く、先に残りのクフヴェを!」
戦闘開始直後、王黎によって怪魔の攻撃をはじく加護をもらったとはいえ、キヴィネの攻撃力はやはり高い。エリックを守る操言の加護の見えない壁は、クフヴェの蔓をはじいた際とまったく同じには機能しなかった。しかし、長剣がなんとか電撃を受け止めてくれたおかげで、エリック自身に大きなダメージはない。
「う、っらあ!」
エリックは両足に力を入れて踏ん張ると、長剣を前方に振り下ろした。長剣に止められていた電撃が、キヴィネに向かって飛んでいく。だがその電撃は、キヴィネに吸い取られるだけだった。
「しゃっ!」
左方では、楊のワイヤーブレードの刃がクフヴェの樹木のような本体の上部を、ユルゲンの両刀が同じく下部を切り裂いた。
「エリックさんは下がって! 残りの四人はキヴィネの各部位破壊を! エリックさん、ほかに怪魔が出現しないか、周囲の警戒をお願いします!」
残りがキヴィネだけになったところで、王黎が後方から指示を出した。
キヴィネの電撃を受け止めたエリックは、キヴィネに背中を見せないように後退する。加護と長剣があったとはいえ、両腕はじかに電撃を受けたようにビリビリとしびれており、しばらく使いものになりそうになかった。
「おらぁっ!」
ユルゲンたちはキヴィネの身体を組成している鉄の箱をひとつずつ攻撃して、破壊していく。鉄の箱が霧散するたびにキヴィネは怒り狂ったように放電したが、その威力は弱い。頭上に輝く光球のせいで、思うように反撃できないでいるようだ。
――ギイイィィン!
キヴィネの鉄の箱が、こすれ合って耳をつんざく音がする。それを見た楊とミケルはニヤりと笑った。
「怒ってるねえ」
「あと少しだ。ユルゲン、止めを刺せ!」
「おう!」
箱の数が減り、あとはほぼ身体の中央に残るのみとなったところで、ユルゲンはキヴィネの身体を蹴ってその頭上へ飛び乗った。
「王黎!」
【鈍色の塊鉄よ、砂が如きやわさに成り下がらん!】
王黎は思い描く――今夜一番、最大の集中力で。
鉄の箱は、入れ物を失った砂のように形を無くしていく。その砂がユルゲンの両刀に斬られて、宙に霧散していく様を。
「終わりだ!」
――ギイイィィンンン!
ユルゲンの両刀が、キヴィネの最も大きな箱を地面まで垂直に切り裂いていく。
光球に照らされながら、キヴィネを構成する鉄の箱は水蒸気のように薄くなって消えていった。
「やったか」
楊があたりを見回す。怪魔のいなくなった周囲は嘘のように静かに凪いでいた。
「エリックさん、大丈夫ですか!?」
ルーカスは王黎の傍で地面に膝を突いているエリックに駆け寄り、ダメージの度合いを確認した。
上空に浮かんでいた光球は、役目を終えてゆっくりと消えていく。しかし光球が消滅し終えるその寸前、羽ばたいた最美があることに気が付き、王黎に声を送った。
『我が君、音楽堂の上に人影が!』
「っ……!?」
王黎は光が消えてまだ暗闇に慣れない目を必死に凝らした。
「皆さん、油断しないで! 音楽堂の上に誰かいます!」
得物をしまいかけていたユルゲンたちは、その手を止めて再び武器を構えた。
全員が、音楽堂の屋根に注視する。
「誰かって誰だよ」
ミケルが王黎にちらりと視線をやる。
王黎は屋根の上から視線をそらさずに言葉を紡いだ。すると、屋根の上に先ほどよりも小さな光の球体が出現し、そこに立つ人影を薄く照らし出した。
「やるな。あれだけ戦ったあとだというのに」
人影はふたつ。そのうちのひとつは、前髪をオールバックにして長い三つ編みを一本、首のうしろから左胸に流している群青色の服の男だった。煙草を口元から離し、その男は息を吐く。その隣にいるもうひとつの影は、細長い顔立ちの無表情の青年だった。
「南も収束しそうです」
「今回も戦力不足か」
「申し訳ありません」
「いや、あの操言士が優秀だったな。それに、おそらく目的は果たせただろう」
屋根の上の二人は何やら言葉を交わしている。しかし何を言っているのか、距離が遠くて王黎たちには部分的にしか聞こえない。叫べば届くだろうか。そう考えた王黎は音楽堂に近付き、その二人を見上げながら叫んだ。
「何者だ! どうやって怪魔を引き寄せたのか! 祈聖石に何をした!」
屋根の上の二人と王黎。
お互いに視線はからみ合うのに、屋根の上の二人は返事をしない。
「怪魔を操ったのか!? お前たちはセカンディアの者か!」
「違うな。それだけは返事をしておこう」
三つ編みの男が口を開く。
王黎にはっきりと聞こえるように配慮したのか、その声はひときわ大きかった。
「ならばサーディアの者か! それともフォスニアか! 何が狙いだ!」
「よく喋る奴だな。さすが操言士だ」
「中にいる見習い操言士の関係者でしょうか」
「さあな」
三つ編みの男は煙草を口に戻して深く吸い込み、そしてまた吐き出す。その煙が自分の方へ流れてきたが、青年は眉ひとつ動かさず、無表情で王黎を見下ろしていた。
「行くぞ、ローベル。早いうちに今夜の報告をしておこう」
「はい」
「ローベル!? お前、ラフーアの操言士ローベルか!」
王黎は二人を引き留めようと、拘束するための言葉を紡ごうとした。けれども二人はうしろに下がり、建物の後方へ移動して姿を消した。どうやら屋根から降りたらしかった。
「待てっ!」
「ルーカス、追え!」
王黎とエリックが同時に叫ぶ。エリックに命じられたルーカスは、急いで音楽堂の裏手に走った。その背中に王黎も続く。
「紀更……紀更はっ!?」
その時、怪魔は片付いてもまだ片付いていない問題を思い出し、ユルゲンは音楽堂の正面扉に駆け寄った。
◆◇◆◇◆
仄暗い音楽堂の中に残された紀更は、身動きできない状況に徐々に焦り出した。こめかみに嫌な冷や汗が今にも垂れてきそうだ。
(どうして、操言士が)
ラフーアで生まれ育った操言士。それがなぜ、こんな場所にいたのだろう。街の南部に怪魔が現れ、住民たちが怯え、ほかの操言士や騎士たちが怪魔退治に赴いているいま、笛吹きの青年はなぜ――。
(扉……さっきは開いて、私は鍵をかけていないのに今は開かない……それにどうして私は動けないの!)
何もわからない。何もできない。何かいま、重要な人物と接触したことは間違いないのに。あの笛吹きの青年が、何か秘密を握っているはずなのに。
青年は、音楽堂を出てどこに行ったのだろう。街の南へ怪魔退治に向かってくれただろうか。
(動け……動け、私の身体!)
指先に、手のひらに、両足に、紀更は頭の中で命じてみる。しかし動きそうにない。首は多少動かせるが、横や上には向けられそうにない。心なしか、青年の吹いた笛の音が、耳の奥でまだ響いている気がする。
(どうして……どうしようっ……)
血の気が引き、焦る気持ちが混乱に変わっていく。
その時、音楽堂の中がほんのりと明るくなった。
「えっ……」
紀更の近くには、青年が置いていった明灯器がひとつあるだけだ。その灯りは半径二メイほどを照らすが、室内全体を照らすはずがない。
紀更は首が動かせないので眼球だけを可能な限り動かして、音楽堂内を見回した。そして、室内を明るくさせた光源はどうやら音楽堂の外にあり、壁の高い位置にある窓ガラスから室内に差し込んでいるらしい、ということがわかった。
「外に……誰かいるの」
夜の空の下に、明灯器よりもはるかに強い光を放つ何か。そんなものを作れるとしたら、それは操言士に違いない。
(王黎師匠!)
紀更は直感した。
王黎だ。王黎が外にいる。
ということは、この明かりは紀更のためか、あるいは外にいる怪魔と戦うためか。
(整理、しよう……っ)
紀更は、焦りと心細さで混乱しそうになっていた自分を叱咤した。
(音楽堂の正面扉……普通に考えれば、この時間なら鍵で施錠されているはず。でもさっきはひとりでに開いて、そして今度はひとりでに閉まった。私は何もしていないから、扉に何か細工をしたらさっきの人……)
音楽堂に入った時、扉はひとりでに開き、そしてひとりでに閉まった。そしてその後なぜか、施錠されたかのようで紀更は扉を開けることができなかった。
(思い出せ……あの人は……)
――未熟だな。その扉の開け方もわからないのか。
青年はそう言った。そして青年は操言士だ。
間違いない。音楽堂の正面扉は操言の力によってひとりでに開閉し、さらに操言の力によって開かないように固定されていた。その仕掛けに気付くことも解くこともできない紀更を、操言士として未熟だと彼は言ったのだ。
(それなら、きっとこれも)
紀更の身体が動けない理由。それもきっと、操言の力によるものだろう。だが笛吹きの青年は、紀更が見ていた限りでは操言の力を使うために言葉を紡ぎはしなかった。
(私には聞こえないほどの小さな声で……それとも、笛?)
攻撃的な音色。やさしく悲しげな音色。様々な表情を見せたあの笛は、もしかしたら「言葉」以上に彼にとって重要なものなのかもしれない。
(笛の音と操言の力の関係はわからない。でも私が動けないのが、笛の音が原因なのだとしたら……)
考えろ。考えろ。
青年が何をどうしたのか、未熟な紀更には解明できない。けれど操言士の彼が操言の力で何かをしたのなら、彼の力に勝てるように自分も操言の力を使えばいい。
(描いて……イメージする!)
紀更は自分自身に強い口調で言い聞かせた。
この身に何か影響を与えた、青年の笛の音。その音の効果を消し去るには、どうすればいい?
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