ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第02話 消えた操言士と闇夜の襲撃

7.襲撃(下)

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「急いで街の南へ行ってください! 怪魔が街の中にいるんです!」
「おまえは?」
「え……私は……」
「見習いとはいえ、おまえも操言士だろう? 早く戦闘エリアへ向かうべきではないのか。怪魔殲滅は操言士の義務……ぼくにそう言いたいんだろう?」
「っ……」

 そのとおりだ。しかし情けない言い訳が、紀更の腹から喉元まで上がってくる。
 私はまだ見習いで、怪魔との戦闘経験はレイトに出現したキヴィネとの一戦だけ。対怪魔戦のための言葉だって、王黎師匠から少ししか教わっていない。怪魔はまだ怖い。そんな自分が行ったところで、きっと足手まといにしかならない。それに駆けつけたくてもこのドアが開かない。開けられないの。
 紀更は口から出かかった言い訳を、唾とともに呑み込んだ。その言い訳を口にしてしまったら、なぜか負ける気がした。

「ピァァァァァァ!」

 その時、音楽堂の外から甲高い断末魔が響いた。

「っ……」

 紀更は安全を確保しようと、思わず扉から離れる。

「ドサバトが斃されたか」

 紀更のすぐ傍まで近付いてきた青年が、感情のない声で呟いた。

「ドサバト……外に怪魔がいるんですか!?」

 紀更は問いかけたが、青年は答えようとしなかった。
 明灯器を再び床に置き、優雅に横笛を携えて目を閉じる。

――フゥ~……ピィ~……。

 ゆったりと、人の声と同じ高さの音が奏でられる。
 繊細で、優しさを帯びていて、それでいて物悲しい。それは言葉で語る以上に青年の心の中を表現しているようだった。彼はきっと、喜怒哀楽の浮かばない表情の下にこんな風に静かで、ふれると割れてしまいそうな繊細な感情を持っているのだろう。

(あ、れ……っ……)

 思わず青年の笛の音に聞き入ってしまっていた紀更は、自分の身体が強張っていることに気が付いた。手足の先がしびれるような感覚を伴ったと思ったら、動けと命令しても筋肉は動かず、立ったまま身動きができなくなる。

「なんでっ……なんでっ……!」

 身体は動かないが、かろうじて首から上、喉や唇は動くようだ。
 しかしそれはなんの安心感にもつながらない。紀更は焦りと恐怖の混じった、泣きそうな顔になった。

――フゥ~……フィ~……フゥ~フー……。

 青年の笛の音は続く。

〝どうして……こんなことに……〟

 そして笛の音にまぎれてかすかに人の声――言葉が聞こえる。

「だ、誰かっ……!」

 助けを求めることしかできない紀更がすっかり動けなくなると、青年は笛を吹くのをやめた。そして紀更をその場に残し、音楽堂の奥へと下がって姿を消した。


     ◆◇◆◇◆


「……っ!」

 目を開けたユルゲンは勢いよく上半身を起こした。窓の外に視線を向ければ、あたりはすっかり暗闇だ。

(夜!?)

 ラフーアの街に戻り、ルーカスに少し寝ると告げたのはまだ昼前だったはずだ。まさかそのまま、夜まで熟睡してしまったというのか。

(俺が……そんなに疲れていたか?)

 傭兵という職業柄、体力は人並み外れてある方だ。夜通しの仕事のため仮眠しかとれないという経験など、これまでに何度も重ねている。今日は奇妙なほど眠気が強かったが、まさか夜になるまで死んだように眠るとは。
 いつもと違う自分に、ひどい違和感を覚える。しかしそれ以上に、頭の中のどこか遠くの方で警鐘が鳴っている感覚がして、そのことがひどく気になった。
 ユルゲンは寝台を降りて立ち上がり、防具と武器を身に着けると大股で部屋を出ていく。人のいない宿の受付を通ってほの暗い外へ出ると、耳に聞こえる騒音が一気に大きくなった。

「早く! とにかく逃げるんだ!」
「騎士たちが追加で来る! それまでどうか!」

 南の方から逃げてくる人々。火事でも起きているのか炎に照らされた木々が少し遠くに赤く光っており、家屋が倒壊するドゴオという強い音が頬に響く。

(なんだ?)

 何が起きているのか。そしてこの状況下で、紀更や王黎たちはどこにいるのか。
 ユルゲンの足は騒ぎの中心と思われる街の南ではなく、なぜか自然と北を目指していた。きらら亭を右折し、ウィーコー通りを北上。そしてザッハー広場へ。
 広場ステージでこの街一番の音楽家が演奏会をするのかと思うほどの人で、ザッハー広場は埋め尽くされていた。しかし、住民たちの表情はステージでの演奏を楽しみに待つ笑顔からは遠く、誰もが不安に翳り、泣き怯え、祈るような眼差しで南を向いている。

「ユルゲン!」

 そんな街の様子をどこか夢の世界の出来事のようにぼうっと見ていたユルゲンを、誰かが呼んだ。それは半日前までパーティを組んでいた傭兵の楊だった。隣にはミケルの姿もある。

「よかった、無事だったか」
「何があったんだ?」
「街の南に怪魔が現れたんだ。それも結構な数だ」
「この街の騎士と操言士が殲滅に向かったそうだ。俺たちは一応この広場に避難しているという状態だが」
「状況も気になるしな、手を貸そうかとじりじりしてたところなんだ」
「お前さえよければ一緒に行かないか」

 楊が真剣な表情でユルゲンを誘う。正式な仕事ではない怪魔退治だが、街の危機に無償で手を貸そうとする彼らの心意気は立派だ。
 ユルゲンは頷こうと思ったが、ふいに身体がぞわりとした。冷ややかな風になでられて、悪寒がする。その風は南ではなく、北から吹いてきているようだ。

(なんだ、これ)
――急いで。

 頭の中で誰かが告げる。

――行ってやり。
「楊、ミケル……悪い、南じゃなくて俺と一緒に北に来てくれ!」

 口に出したら、曖昧だった予感が確信に変わった。

「なんだって?」
「北? 怪魔が出たのは南だろ?」
「いや、北だ! 頼む!」

 ユルゲンの表情が必死な色に染まるので、楊とミケルの二人はユルゲンが錯乱でもしたのかと思った。少しばかり逡巡したが、ウージャハラ草原でのユルゲンを思い出し、リーダー格の楊が先に頷いた。

「わかった。お前がそう言うなら何か理由があるんだろう。いいな、ミケル」
「ああ、楊が決めたなら従うさ」
「すまん、助かる!」

 ユルゲンは手短に礼を述べると、人込みをかき分けて北坂を目指した。その背中に楊とミケルも続く。
 坂を上りながらも、謎の悪寒は強くなっていく。
 ユルゲンの表情は音楽堂に近付くにつれて、どんどん険しくなっていった。


     ◆◇◆◇◆


「最美、紀更はどこだ!」
『音楽堂の中に入ったようです』

 上空をニジドリの姿で飛ぶ最美から、片耳に装着した双声器を通して情報が入る。王黎にしか聞こえないその声を、王黎はエリックとルーカスに告げた。

「紀更は音楽堂の中です!」
「なんだってそんなところに!」
「急ぎましょう!」

 ろくにあたりも見えない、細すぎる三日月と星明かりのもと、王黎、エリック、ルーカスの三人は息を切らしながら北坂を上った。そしてラフーア中央音楽堂へまっすぐ続く平坦な道に差し掛かった三人は周囲の異様な気配に気が付き、警戒心を最高潮に高めて足を止めた。二人の騎士はすぐに抜剣できるように、長剣のグリップを握る。

「紀更殿はどうやって音楽堂の中に入ったんだ」
「わかりません。普通に考えて、すべての出入口が施錠されている時間のはずですが」
『我が君、わたくしの目が正しければ、音楽堂の正面扉はひとりでに開きましたわ』

 エリックと言葉を交わす王黎に、最美が上空から情報を付け足す。

「紀更殿のほかに、誰かいるのでしょうか」
「それもまた妙だな。こんな時間にこんな場所で何をする必要があるんだ」

 ルーカスが考えられる可能性を示唆し、エリックが渋い顔をする。
 三人があと数メイで音楽堂の敷地に近付く、その時だった。ピンと張ったいくつもの弦を乱暴にひっかくような甲高い音が、水面にたゆたう波紋のように時差遅れで重なり合う。それはどこか攻撃的な音だった。そしてその不思議な音がやむと、音楽堂正面の宙に長さ五メイほどの三日月形の発光体が現れ始めた。それはうっすらとしたはなだ色の冷光を放っており、三日月全体は半透明だ。
 あたりを照らし出す、見たこともない幻想的な三日月の光に三人はしばし言葉を忘れて目を奪われた。しかし、その三日月をパキパキと割りながら不気味な何かがドガン、ドガンと地面に下り立ち、その姿が判明した瞬間に三人の顔色は一気に変わった。

「ピァァァ!」
「怪魔!」

 叫んだエリックとルーカスが抜剣する。

「最美! 種類と数の報告!」

 王黎も上空にいる最美に指示を出した。

『クフヴェが二匹、ドサバトも二匹、それにキヴィネが一匹です。ほかにはいません!』
「エリックさん、ルーカスくん! クフヴェ二、ドサバト二、キヴィネが一だ!」
「やはり、南は陽動か!」
「手薄になった北方から街を攻める気ですね!」

 音楽堂の真正面には鈍色にびいろの塊、怪魔キヴィネ。重なった鉄の箱のような身体は音楽堂の屋根の高さまでありそうだ。その両脇には、大樹のシルエットから複数の蔓を伸ばして遠距離攻撃をしてくる怪魔クフヴェ。そして、大柄な大人二人分ほどの大きさのひょうたん型の身体から八対の長い節足を生やした怪魔ドサバト。それぞれが左右に一匹ずつ陣取り、今にも坂を下りてラフーアの街を蹂躙しようと殺気立っていた。

「ルーカス、左をやれ! 右はわたしが行く!」
「了解!」

 エリックとルーカスが長剣を手にして左右に分かれる。

「エリックさん、ルーカスくん! 支援します!」

 王黎は両手の指をピンと張って手のひら同士を合わせると、目を閉じて一気に集中力を高めた。

【光り輝く、我が腕ほどの、太き縄。怪魔キヴィネを上下左右に縛り上げよ】

 まずは中央の怪魔キヴィネの動きを止めるべく、怪魔が苦手とする光を放つ太い縄を想像する。果たして、王黎の思い描いたとおりにキヴィネの周囲に太い光の縄が現れ、キヴィネを縛り上げてその動きを止めた。

――ジジジッ!

 キヴィネは光が苦しいのか、もだえるように小さく放電する。

【悪意を含み、敵意をはらみ、彼の者を襲うすべての暴力よ。汝の悪意は、我が奥意が生みし厚意にはじかれん、はじかれん】

 続いて、怪魔のあらゆる攻撃が降りかかっても、エリックとルーカスに届くことなくはじかれる様を思い描いて、王黎は左右の手のひらをエリックとルーカスのそれぞれの背中に向けた。二人の騎士に向かって見えない操言の力が放出され、二人を包む。目には見えないがその力はぬくもりを持ち、やさしく二人にまとわりついた。

【悪しきを掃いし正義の刃。其が力は偉大なり。軽微の鎧の脆きに勝たん】

 二人の長剣が絶対的な力を持って怪魔を裂く様。操言の加護がずっとずっと続くように。すべての怪魔が斃れる最後の瞬間まで消えないように。王黎は先ほどと同じように手のひらを合わせて目をつむり、ありったけの集中力で脳裏にイメージを浮かべながら次の言葉を紡いだ。すると二人の長剣が淡く光をまとった。
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