ヒオクダルスの二重螺旋

矢崎未紗

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第02話 消えた操言士と闇夜の襲撃

7.襲撃(中)

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「よかったですね、ゴンタス支部長。ラフーアは騎士団が優秀ですから。操言士は後衛で回復と加護さえしていればいい。あなたが安全な場所で怒鳴るだけでもなんとかなるでしょう。騎士たちの命が犠牲になればね」
「王黎! ならばお前が行けばいい! 守護部のお前なら、怪魔との戦闘なんぞ朝飯前だろ! ラフーアに手を貸すと言ったじゃないか!」

 言ってやりたいことは山ほどあったが、これ以上ゴンタスと言い合いをしても何にもならない。それこそゴンタスの言うとおり、怪魔との戦闘に駆けつけたい。王黎もその気持ちは先ほどのルーカスと同じだった。

「王黎殿、操言士がそろえば第一陣とほぼ同戦力の第二陣が南へ向かうそうだ。だが」
「南以外の場所が不安、ですね」
「ああ、そうだ」

 王黎とエリック、ルーカスはライアー通りの端に集まる。

「どうする?」
「第二陣まで含めれば、騎士が二十名、操言士が八名……もう少し操言士が向かえば、被害はあるでしょうが、南の怪魔は殲滅できるでしょう。先ほどの最美の報告から怪魔が増えなければ、ですが」
「レイトの時のように別の方角から怪魔が来るかもしれない……か」
「あるいはもう、どこかに」

 エリックに続いてルーカスも、想定され得る事態を不安げに口にした。

(昼間に見て回った時、街中の祈聖石はすべて異常がなかった。それなのになぜ?)

 王黎は胸の中で、納得いかない点を洗う。そうして昼間のことを思い出しているうちに、ふと紀更の姿が見当たらないことに気が付いた。

「エリックさん、ルーカスくん……紀更は……紀更はどこに!?」
「なに?」
「つい先ほどまで、俺の隣にいましたよ!?」

 三人は慌てて周囲に目を配る。
 薄暗いライアー通りには、騒ぎを聞きつけた人々が集まり出していた。何人かが明灯器ではなく松明をかかげていたので周囲がだいぶ見えるが、紀更の姿は見当たらない。

「まずい! ルーカス、捜すぞ!」
「待ってください! 最美に捜させます!」

 走り出しそうになったエリックを、王黎は慌てて止めた。そして右耳に装着した柘榴石の双声器にふれながら、上空を飛ぶ最美に声をかける。

「最美、紀更がはぐれた! どこにいるかわかるかい!?」

 ラフーアの上空を旋回しているであろう最美の返答を、今か今かと待つ。その間もエリックとルーカスは、せめて視線の届く範囲内に紀更の姿がないものかと目を凝らした。
 あまりにも長く感じるわずかな時間が経過し、上空の最美から王黎へ報告が入る。

『我が君、紀更様はザッハー広場を北へ、一人で移動しています』
「エリックさん、ルーカスくん、北坂です! 行きましょう! 最美、そのまま紀更から目を離すな! キミは街全体の偵察のためにも上空にいるんだ!」

 三人は通りの人込みをかき分けて、ライアー通りを東進し始めた。
 街の南に怪魔が出現したという情報は伝言ゲームのように住民たちの間を駆け巡ったようで、心配で屋内にいられない住民たちが続々とザッハー広場へ集まっている。
 不安に駆られて母親の足にしがみついたまま離れない子供を誤って蹴り飛ばさないように気を配りつつ、三人は走った。


     ◆◇◆◇◆


――カナ……忘れ…………して……。

 なんだ?

――……も、……忘れ……。

 カナ……知っている……そうだ、知っている……でも今は……。

[もう起きてもええで。急いで行ってやり]

 そうだ、起きて行かなければ。見つけなければ。
 この魂が在るかぎりどうしても必要なものを。
 何度でも必ず見つけ出すと約束した――を。


     ◆◇◆◇◆


「こんな夜に操言士と騎士が集まってどうしたんだ」
「南の方で火事らしいのよ」
「いや、獣が出たって聞いたぞ?」
「たいへんだ、怪魔だ! 怪魔が都市部の中に!」
「なんだって!?」
「そりゃ大ごとだ! おい操言士団、祈聖石の守りはどうなってんだ!」

 人々がざわめくライアー通りにたどり着いたその時、紀更は誰かに見られているような気がした。王黎とエリックが、それぞれ街の要人と思われる人物に話しかけに行き、ルーカスもエリックに続いたため、紀更の意識はその視線の方に向いた。

(誰?)

 見られているような、呼ばれているような。
 集まってきている市民の中には、松明を手に持っている者たちがいる。その炎の明かりで、周囲はこの時間にしてはやや明るくなってきた。けれども光源から離れた場所では建物の輪郭がぼんやりと見える程度で、こちらを見ているかもしれない人物を見つけることはできそうにない。
 それでも誰かが自分を見ている気がする。背中がぞわぞわするような、妙な感覚。まるで紀更の意識をどこかへ向けさせたいような。

――……ピィ~……。
「南の小麦畑に怪魔が出たんだって!」
「たいへんだ! おい、騎士団は!」
「もう退治に向かったよ!」
――フゥ~……。
「おいおい、大丈夫かよ。ここらへんも危ないんじゃねぇのか」
「操言士は何してるんだ! 怪魔から都市部を守るのが操言士の役割だろう!」

 混乱して、とにかく叫ぶ者。操言士を糾弾する者。子供をぎゅっと抱きしめて「大丈夫」と繰り返しささやく者。
 そんな人々の声に交じって確かに、紀更の耳に聞こえる音。

(これは、笛の音……? そうだ、あの時の……っ!)

 思い出したら、紀更の足は無意識のうちに駆け出していた。

(間違いない! レイトと同じ、笛の音!)

 最初に聞こえたのは、水の村レイトを散策している時だった。あの時は鳥の泣き声かと思ったが、ザッハー広場でモーリスたちの演奏を聞いた今ならわらかる。これは笛の音だ。

(どうして……誰が……)

 疑問に思いながらも、紀更の足は駆ける。
 水の村レイトでは、この笛の音が気になった直後に怪魔キヴィネが出現した。

(もしかして……)

 ライアー通りからザッハー広場へ。集まってきている住民たちの間をすり抜けるように、街の北部にある音楽堂へ。紀更は北坂を早歩きで進んだ。
 水の村レイト、音の街ラフーア。
 その二か所で聞こえたこの笛は、同一人物が奏でているのだろうか。この笛が、その人物が、怪魔に関わりがあるのだろうか。それはもしかして、あの銀髪の青年モーリスなのだろうか。

(わからない……でもっ)

 わからないから知りたい。わかりたい。理解したい。
 紀更はザッハー広場を目指して北坂を下りる住民たちの流れに反して、夜の音楽堂を一人で目指した。
 坂道を上り終えて平地を少し歩くと、暗闇と一体化するラフーア中央音楽堂が正面に見えてくる。左右に佇むラフーア音楽院とラフーア光学院も、不気味なほど静まり返っていて人がいる気配はしない。少し強い風が吹くと、建物の背後に広がる木々の葉がわさわさと揺れて、ただでさえ怖い暗闇がさらに怖く感じて心細くなる。

――フゥ~……ピィ~……。

 笛の音が聞こえる。音楽堂の方からだ。
 紀更はごくりと唾を飲み込むと、ゆっくりと音楽堂の敷地に足を踏み入れた。
 ザッハー広場や、街の南方のざわめきが遠くなる。街の中に怪魔が出現して大騒ぎだというのに、音楽堂の周囲は対照的なほどに静まり返っている。

「誰か、いますか」

 心細さを打ち消すように声を絞り出す。
 すると施錠されているはずだろうに、音楽堂の入り口の扉がひとりでにゆっくりと開いた。まるで紀更を呼んでいるようだ。

「誰……ですか」

 いるかどうかわからない相手に向かってなおも呼びかける。星明かりのおかげでかろうじて扉がある場所はわかるが、その中は一歩先も見えないほど真っ暗だ。だが怖いもの見たさなのかそれとも身体が逆らえないのか、紀更はゆっくりと音楽堂の中へ入っていく。

――バタン!

 紀更の身体がすべて音楽堂の中に収まると、入り口の扉は勢いよく音を立てて閉まった。紀更はその音にひどく驚いて肩をびくつかせた。そして次の瞬間、音楽堂の奥でひとつの明灯器が灯された。紀更はすがるような思いでその光へ視線をやる。紀更から二十メイほど離れたそこには、明灯器を足元に置いて横笛を構えている青年がはかなげな表情でこちらを見つめていた。

「だ、れ……?」
「おまえこそ誰だ」

 紀更の声は小さかったが青年には聞き取れたようで、尋ね返されてしまう。
 紀更は恐る恐る青年に近付き、少し距離をとったところで停止した。

「私は、王都から来ました。紀更です……見習い操言士です」

 紀更の真面目な返事はさして求めていなかったのか、青年は無言でそっぽを向いた。

「笛は、あなたが吹いていたんですか。今も水の村レイトでも……あなたですよね? あの、怪魔と何か関係があるんですか」

 遠慮がちではあるが次々と質問をする紀更に対して、青年は黙っている。しかし紀更が怪魔と呟いた瞬間に、青年は姿勢を正して横笛を吹き始めた。それは先ほどまで聞こえていたひっそりと泣くような物静かな音色ではなく、とても甲高く攻撃的で、激しいリズムに乗った音の波だった。

「なっ……」

 なぜ青年がそんな音を奏でるのか、紀更にはわからない。けれど、その音が音楽堂いっぱいに響いていくにつれて、音楽堂の外でドガン、ドガンという爆音が響き、宿で感じたような地鳴りが続くことに紀更は気付いた。

「外っ……!」

 紀更はほとんど足元の見えない中、入り口の扉へ踵を返して駆け寄った。扉を開けようとドアノブを回したり押したり引いたりするが、扉はびくともしない。

「なんでっ……なんで開かないのっ!?」
「未熟だな。その扉の開け方もわからないのか」

 扉をばんばんとたたき始める紀更の背中に、青年の暗い蔑みの声が刺さる。

「なぜおまえに聞こえたんだろう」
「っ……!」

 扉をたたくことをやめ、紀更は背後を振り返る。
 青年は足元にあった明灯器を持ち上げ、もう片方の手には横笛を持ち、ゆっくりと近付いてくる。
 明灯器の灯りが顔に近くなったことで、青年の細長い顔立ちがはっきりと見えた。その顔に、紀更は既視感を覚える。

「ぼくはこの街で生まれ育った操言士だ」
「そっ、操言士?」

 紀更は驚き目を見開いた。
 この街で生まれ育った操言士なら、この街に住む操言士なのだろう。ならば、こんなところにいないで急いで南へ向かうべきだ。ラフーアの街はいま、怪魔の侵入に大騒ぎしているのだから。

「それなら!」

 紀更は目を細めている操言士に声を張り上げた。
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