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第01話 特別な操言士と祈聖石
3.レイト東街道(上)
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オリジーアの領土面積は、この大陸の半分近くを占めている。大陸の中央部、南北に広がる逆三角形型のようなその国土は、場所によって気候が異なり、作物や風土も地域によって異なる。
王都ベラックスディーオは大陸の中央北部に位置し、一年のうち涼しい季節が長く続く。キアシュ山脈を水源とする広大なノート川から水を引き入れているため上水は豊富で、王城に住む王族はもちろん、多くの国民たちの生活が豊かに営まれていた。
その王都の外、南西に少し進んだところにあるスベルジニ湖は広く美しい湖で、多くの人々が訪れる景勝地だ。この世界を創った神様は、かつてこの湖のほとりで憩いのひと時を過ごしていたと言われている。
「紀更殿は、この街道を移動されたことはありますか」
「いえ、初めてです」
一行の先頭にはルーカスの馬と、紀更と最美を乗せた馬が並んで歩いていた。
西門を出てしばらくは馬を走らせていたのだが、乗馬に慣れていない紀更が「吐きそうです」と途中で音を上げたので、しばらく常歩で街道を進むことにしていた。
「ここはレイト東街道。この先にある水の村レイトと王都をつなぐ道のひとつです」
(水の村レイト……)
それは、弟の俊が亡くなった場所だ。
紀更は少しだけ表情を暗くしたが、ルーカスは紀更に構わず続けた。
「水の村レイトは、北にあるへーゲスト山地から流れてくるノノニス川周辺にある村です。ノノニス川のおかげで水に恵まれており、周辺の土がとてもやわらかいので、農業や酪農が盛んなんです。王都から馬で半日、のんびり行っても一日あれば十分たどり着けるくらい、王都に近い都市部ですよ」
ルーカスの丁寧な解説を、紀更は興味深く聞いていた。
操言の力を持つ者が通う教育機関は操言院だが、操言の力を持たない平和民団の子供たち向けの教育機関として、光学院というものがある。光学院に通うことは義務ではないが、そこでは文字の読み書きから歴史、数学、天文学など、生きていくのに役立つ知識を学ぶことができる。
紀更は実家の呉服屋の手伝いをしつつ、通えるだけ光学院に通っていた。そのため、オリジーア国内の地理については知っているつもりだった。しかし、ルーカスがしてくれた説明は、いままさに自分がその地にいるとう臨場感も相まって、新しい知見として紀更の心に沁み込んだ。名前を聞いたことのある都市部。地図上で知っている場所。俊が亡くなったところ。そうとしか思えなかったレイトという村の姿が、自分の中で具体的になっていくようだ。
「水の村レイトで栽培される穀物、野菜、あるいは牛乳や牛肉、羊毛などは、随時王都へ運ばれます。このレイト東街道は、水の村レイトから東に進み、王都へそれらを運搬するための街道として整備されました。だから、レイト東街道と名付けられたんです」
「道の名前にはそういう意味があるんですね。知らなかったです」
紀更の目が少し明るくなったので、ルーカスは解説し甲斐があると思い、さらに続けた。
「しばらくこのイーグの森の中を進みますが、森が終わると大きな畑が見えてきます。この先、農作物をレイトから王都へ運ぶ運び屋とすれ違うこともあるかもしれません」
「運び屋ですか」
「運搬を生業としている者のことですね。レイトの住民たちは農作業で手一杯ですから、収穫物の運送は運び屋に任せるんです。昼間の水の村レイトは、人がほとんどいません。皆さん、村の周りにある畑や牧草地へ作業に出るんです」
「そうしてレイトの方が育ててくれた食べ物を、王都にいる私たちがいただいているんですね」
「王都内でも農業は行われていますが、それだけでは賄いきれません。王都の人口は多いですからね。水の村レイトは、王都にとっての台所と言えますね」
「ふふっ、王都にとっての台所ですか」
ルーカスの冗談に、紀更はほほ笑んだ。
先ほど、駆け足で移動していた際はお腹のあたりが気持ち悪くなってしまったが、常歩での移動ならそれもなく、紀更は周囲の風景を観察する余裕が生まれていた。
天気は晴れ。時折、頭上を野鳥が鳴きながら飛んでいく。あたりには少し冷気がただよっているが、地表は太陽の日差しによってゆっくりと温められているところだ。
イーグの森と言うだけあって、街道の左右には背の高い木々が叢生している。この森の木々を人の手で切り倒してこの道が開かれたのだ、ということが想像できた。
操言院にいた頃は――いや、見習い操言士になる前も、こんな風に自然の中をゆっくりと歩くことはなかった。紀更はどちらかというと都会っ子で、人の手が作った布や糸を見たり、王都を行き交う様々な人と話したりすることの方が多かった。
(王都の外に出たのなんて、スベルジニ湖に行った時以来かなあ)
まだ俊が生まれる前、家族三人で訪れたスベルジニ湖。観光地としても有名な湖のほとりは、子供ながらに美しいと思ったものだ。
(風が気持ちいい)
ゆるやかに吹く風が、紀更の栗色の前髪を揺らす。
操言の力を使って言葉を紡げば、紀更はこの風の勢いを強くすることができる。操言院では、そのための定型文を憶えさせられた。
しかし、実際にこうして自然の中にいると、言葉で自然現象を操るのは不自然な気がしてならない。いや、正確には、操言院で教え込まれた定型文が不自然な気がした。
【やさしく、やさしく、ずっと、この道の先まで、風よ吹いて】
紀更は思わず呟いた。そして、言葉を発するのと同時に、自分の中にある操言の力を使った。頬をなでるやわらかい風が、やさしく吹きますように。この街道の先、レイトの村の人たちにも届いて、こんな風に穏やかな気持ちになれますように。
すると、風の量がささやかに増して、紀更の背後から進行方向へ、次から次へと流れていった。草木の葉擦れ音が、そよそよと重なり合う。紀更の操言の力が、森羅万象に干渉したのだ。
(ああ、こう在ればいいのに)
紀更は思った。
操言の力は、操言士が発する「言葉」がキーとなる。操言士が頭の中に思い描いたイメージと発した言葉が一致して初めて、力が行使されるのだ。そのため、操言院では次から次へと、操言の力を使う際に用いる定型の言葉を暗記させられた。操言院を窮屈だと思った理由のひとつがそこだった。
言葉は本来、自由なものだ。人の数だけ感じ方が違うように、同じ風を身体に受けても、その風を表す言葉は十人十色になるはず。定型文でそろえられるものではない。
(操言院の先生なら、〝風よ、威信をもって啼け〟とか言う……でも、私はそうじゃないと思う。そんな言葉じゃない)
イメージと言葉が一致しなければならないのなら、使う言葉は自分で選びたい。そうでないと一致しない。
一方的で、窮屈で、頑固な操言院の教師たち。そんな操言院の教育や彼らに対する不満が、いま自分の中で腑に落ちていく。この優雅な自然のように自由であるはずの言葉を、誰かが勝手に決めた、角張った言葉に置き換えられることが、ずっと息苦しかったのだ。
(変だな。私、操言院や操言士から離れたくて、休暇をとってもらったのに)
いつの間にか、自然と操言の力を使っている。その力を使うにはどうすればいいのか、言葉の在り方を模索している。
紀更はぼんやりと、風が吹き抜けていった前方に視線を向けた。だが、その視線の先にうっすらと、何か黒っぽい塊が見えてきて、紀更は目を見開いた。
「最美さん、馬を止めてください!」
一歩先を進んでいたルーカスが叫んだ。続いて、硬い石と石を無理やりこすり合わせたような、やけに耳につく鳴き声が響く。
「ギィィイイ!」
「ギィィィイ! ギィィィイ!」
最美が手綱を引き、馬を停止させた。ルーカスは逆に、馬の腹を蹴って飛び出す。
「怪魔が現れました! そこでお待ちください!」
言うや否や、ルーカスは腰元の長剣を抜いた。うしろにいた王黎とエリックの馬が前進してきて、紀更と最美の乗る馬を左右から挟んで守るような陣形をとる。
十五メイ(※一メイは約一メートル)ほど前進したルーカスの馬の周りには、全体的に黒っぽい焦げ茶の毛で覆われた、一匹が大型犬ほどの大きさの四本足の生物が三匹。ルーカスの上半身に狙いを定めて大きく口を開け、威嚇の声を上げていた。
「あれは……」
ルーカスを取り囲む獰猛な生物の姿に、紀更は怯えた。
王都ベラックスディーオは大陸の中央北部に位置し、一年のうち涼しい季節が長く続く。キアシュ山脈を水源とする広大なノート川から水を引き入れているため上水は豊富で、王城に住む王族はもちろん、多くの国民たちの生活が豊かに営まれていた。
その王都の外、南西に少し進んだところにあるスベルジニ湖は広く美しい湖で、多くの人々が訪れる景勝地だ。この世界を創った神様は、かつてこの湖のほとりで憩いのひと時を過ごしていたと言われている。
「紀更殿は、この街道を移動されたことはありますか」
「いえ、初めてです」
一行の先頭にはルーカスの馬と、紀更と最美を乗せた馬が並んで歩いていた。
西門を出てしばらくは馬を走らせていたのだが、乗馬に慣れていない紀更が「吐きそうです」と途中で音を上げたので、しばらく常歩で街道を進むことにしていた。
「ここはレイト東街道。この先にある水の村レイトと王都をつなぐ道のひとつです」
(水の村レイト……)
それは、弟の俊が亡くなった場所だ。
紀更は少しだけ表情を暗くしたが、ルーカスは紀更に構わず続けた。
「水の村レイトは、北にあるへーゲスト山地から流れてくるノノニス川周辺にある村です。ノノニス川のおかげで水に恵まれており、周辺の土がとてもやわらかいので、農業や酪農が盛んなんです。王都から馬で半日、のんびり行っても一日あれば十分たどり着けるくらい、王都に近い都市部ですよ」
ルーカスの丁寧な解説を、紀更は興味深く聞いていた。
操言の力を持つ者が通う教育機関は操言院だが、操言の力を持たない平和民団の子供たち向けの教育機関として、光学院というものがある。光学院に通うことは義務ではないが、そこでは文字の読み書きから歴史、数学、天文学など、生きていくのに役立つ知識を学ぶことができる。
紀更は実家の呉服屋の手伝いをしつつ、通えるだけ光学院に通っていた。そのため、オリジーア国内の地理については知っているつもりだった。しかし、ルーカスがしてくれた説明は、いままさに自分がその地にいるとう臨場感も相まって、新しい知見として紀更の心に沁み込んだ。名前を聞いたことのある都市部。地図上で知っている場所。俊が亡くなったところ。そうとしか思えなかったレイトという村の姿が、自分の中で具体的になっていくようだ。
「水の村レイトで栽培される穀物、野菜、あるいは牛乳や牛肉、羊毛などは、随時王都へ運ばれます。このレイト東街道は、水の村レイトから東に進み、王都へそれらを運搬するための街道として整備されました。だから、レイト東街道と名付けられたんです」
「道の名前にはそういう意味があるんですね。知らなかったです」
紀更の目が少し明るくなったので、ルーカスは解説し甲斐があると思い、さらに続けた。
「しばらくこのイーグの森の中を進みますが、森が終わると大きな畑が見えてきます。この先、農作物をレイトから王都へ運ぶ運び屋とすれ違うこともあるかもしれません」
「運び屋ですか」
「運搬を生業としている者のことですね。レイトの住民たちは農作業で手一杯ですから、収穫物の運送は運び屋に任せるんです。昼間の水の村レイトは、人がほとんどいません。皆さん、村の周りにある畑や牧草地へ作業に出るんです」
「そうしてレイトの方が育ててくれた食べ物を、王都にいる私たちがいただいているんですね」
「王都内でも農業は行われていますが、それだけでは賄いきれません。王都の人口は多いですからね。水の村レイトは、王都にとっての台所と言えますね」
「ふふっ、王都にとっての台所ですか」
ルーカスの冗談に、紀更はほほ笑んだ。
先ほど、駆け足で移動していた際はお腹のあたりが気持ち悪くなってしまったが、常歩での移動ならそれもなく、紀更は周囲の風景を観察する余裕が生まれていた。
天気は晴れ。時折、頭上を野鳥が鳴きながら飛んでいく。あたりには少し冷気がただよっているが、地表は太陽の日差しによってゆっくりと温められているところだ。
イーグの森と言うだけあって、街道の左右には背の高い木々が叢生している。この森の木々を人の手で切り倒してこの道が開かれたのだ、ということが想像できた。
操言院にいた頃は――いや、見習い操言士になる前も、こんな風に自然の中をゆっくりと歩くことはなかった。紀更はどちらかというと都会っ子で、人の手が作った布や糸を見たり、王都を行き交う様々な人と話したりすることの方が多かった。
(王都の外に出たのなんて、スベルジニ湖に行った時以来かなあ)
まだ俊が生まれる前、家族三人で訪れたスベルジニ湖。観光地としても有名な湖のほとりは、子供ながらに美しいと思ったものだ。
(風が気持ちいい)
ゆるやかに吹く風が、紀更の栗色の前髪を揺らす。
操言の力を使って言葉を紡げば、紀更はこの風の勢いを強くすることができる。操言院では、そのための定型文を憶えさせられた。
しかし、実際にこうして自然の中にいると、言葉で自然現象を操るのは不自然な気がしてならない。いや、正確には、操言院で教え込まれた定型文が不自然な気がした。
【やさしく、やさしく、ずっと、この道の先まで、風よ吹いて】
紀更は思わず呟いた。そして、言葉を発するのと同時に、自分の中にある操言の力を使った。頬をなでるやわらかい風が、やさしく吹きますように。この街道の先、レイトの村の人たちにも届いて、こんな風に穏やかな気持ちになれますように。
すると、風の量がささやかに増して、紀更の背後から進行方向へ、次から次へと流れていった。草木の葉擦れ音が、そよそよと重なり合う。紀更の操言の力が、森羅万象に干渉したのだ。
(ああ、こう在ればいいのに)
紀更は思った。
操言の力は、操言士が発する「言葉」がキーとなる。操言士が頭の中に思い描いたイメージと発した言葉が一致して初めて、力が行使されるのだ。そのため、操言院では次から次へと、操言の力を使う際に用いる定型の言葉を暗記させられた。操言院を窮屈だと思った理由のひとつがそこだった。
言葉は本来、自由なものだ。人の数だけ感じ方が違うように、同じ風を身体に受けても、その風を表す言葉は十人十色になるはず。定型文でそろえられるものではない。
(操言院の先生なら、〝風よ、威信をもって啼け〟とか言う……でも、私はそうじゃないと思う。そんな言葉じゃない)
イメージと言葉が一致しなければならないのなら、使う言葉は自分で選びたい。そうでないと一致しない。
一方的で、窮屈で、頑固な操言院の教師たち。そんな操言院の教育や彼らに対する不満が、いま自分の中で腑に落ちていく。この優雅な自然のように自由であるはずの言葉を、誰かが勝手に決めた、角張った言葉に置き換えられることが、ずっと息苦しかったのだ。
(変だな。私、操言院や操言士から離れたくて、休暇をとってもらったのに)
いつの間にか、自然と操言の力を使っている。その力を使うにはどうすればいいのか、言葉の在り方を模索している。
紀更はぼんやりと、風が吹き抜けていった前方に視線を向けた。だが、その視線の先にうっすらと、何か黒っぽい塊が見えてきて、紀更は目を見開いた。
「最美さん、馬を止めてください!」
一歩先を進んでいたルーカスが叫んだ。続いて、硬い石と石を無理やりこすり合わせたような、やけに耳につく鳴き声が響く。
「ギィィイイ!」
「ギィィィイ! ギィィィイ!」
最美が手綱を引き、馬を停止させた。ルーカスは逆に、馬の腹を蹴って飛び出す。
「怪魔が現れました! そこでお待ちください!」
言うや否や、ルーカスは腰元の長剣を抜いた。うしろにいた王黎とエリックの馬が前進してきて、紀更と最美の乗る馬を左右から挟んで守るような陣形をとる。
十五メイ(※一メイは約一メートル)ほど前進したルーカスの馬の周りには、全体的に黒っぽい焦げ茶の毛で覆われた、一匹が大型犬ほどの大きさの四本足の生物が三匹。ルーカスの上半身に狙いを定めて大きく口を開け、威嚇の声を上げていた。
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