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第01話 特別な操言士と祈聖石
2.休暇(下)
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「わ……わかりました、乗ります。乗り方を教えてください」
根負けした紀更がそう言うと、最美はぱっと表情を輝かせた。
「ええ、もちろんですわ」
美人が笑うと、言葉通り笑顔が光って見える。その輝きが眩しくて目をそらしたいほどだ。
「こちらの手綱を掴んで、片方の足をここの鐙にかけてください。そしたらここを手で掴んで、もう片方の足を上げて、馬の腰を蹴らないように気を付けてまたいでください。人を乗せるのに慣れている馬ですから、乗るまで待っていてくれますわ」
紀更は最美の指示どおりに足を上げるが、大きな馬の背はなかなかまたげない。しかも、馬が勝手に動き出しそうで怖い。
ぎこちなく乗ろうとするので馬が怒るのではないかと紀更はドキドキしたが、最美の言うとおり乗るまで待っていてくれるようで、紀更の体重が変な方向にかかろうとも、おとなしくしていてくれた。
そうして、どうにかこうにか紀更が馬の背に乗ると、最美は手綱を手に持った。
「ご両親にご挨拶はすませましたか」
「はい、弐の鐘が鳴る前に」
「それはよかったですわ。では参りましょう」
最美の先導で、紀更を乗せた馬は王都の西に向かって歩き出した。
弐の鐘が鳴った直後なので、マルーデッカ地区の通りはにぎわい始めていた。パン屋や肉屋などの食料品の店だけでなく、金具屋、理髪店、本屋など、あらゆる店が開店札をかかげ、客を待っている。
馬上から見る景色はやけに高く、見慣れているはずの街中が、なんだか別の街のよう思える。尻の下の鞍の硬い感触が落ち着かないが、馬はゆっくりと歩いてくれているので、振り落とされる心配はなさそうだ。
「最美さんは操言士なんですか」
紀更は最美の横顔を見下ろした。
「いいえ、わたくしは言従士ですわ」
「げんじゅうし……」
最美の返答は、聞いたことがあるようなないような単語だった。
最美がそれ以上何も言わずに黙々と歩くので、紀更はその言葉をどこで聞いたのか、ゆっくりと思い出すことができた。
言従士――それは「操言士に仕え従う者」のことだ。紀更は、操言院でのいつかの授業を思い出した。
言従士とは、ただ一人の操言士を主として仕え従い、操言士と共に人々の暮らしと平和を守る者。操言士が生まれながらにして操言士であるように、言従士もまた生まれながらにして言従士であるという。ただし、言従士は操言士と違って、操言の力を持っているわけではない。ゆえに、言従士が《光の儀式》を受けても、その結果は「操言の力なし」となる。だが、言従士は生きていく中で自然と、己が言従士であることを自覚できるという。また、己が仕え従うべき操言士が誰なのかを認識することもできるそうだ。
「ということは、あの……最美さんは王黎師匠の?」
「ええ、わたくしの操言士は我が君、王黎がその人ですわ」
(王黎師匠って、言従士がいたんだ)
オリジーアの人口における操言士の比率は、およそ一割。十人の国民がいれば、その中の一人が操言士である。その人数は決して多くはないが、《光の儀式》による判別が全国民に義務付けられているうえに、操言院のような教育機関が国によって運営されて常に次世代の操言士が育成されているため、オリジーアではどの世代にも必ず操言士がいる。
ところが、言従士は《光の儀式》のような判別方法がなく、言従士であるかどうかは個々人の自覚に依拠している。そのため、自分が言従士であると自覚できていても、言従士自らがそれを申告しなければ、その人間が言従士かどうかは誰にもわからない。おまけに、操言の力を持っていない言従士は操言士と違って、言従士単体で何か特別なことができるわけではない。よってその存在は、操言士ほど国に必要とされていない。
ゆえに、言従士の数は操言士に比べてとても少ない。操言士のように国が主体となって発見、育成する制度もなければ、自ら言従士であると名乗り出る機会も需要もないからだ。
「言従士を従えることのできる操言士は、操言の力が強くて優秀だ、って聞いたことがあります。王黎師匠も優秀なんでしょうか」
そう紀更は尋ねたが最美からの相槌はなく、どことなくその横顔が硬くなったので、紀更は息を呑んだ。
「ご、ごめんなさいっ。最美さんに訊くようなことじゃないですよね」
紀更が謝罪すると、最美は落ち着いた声で答えた。
「言従士を従えていなくても、優秀な操言士はたくさんいらっしゃいます。言従士の有無は、操言士の能力に関係ありませんわ」
紀更が操言院で聞いた噂を、最美は一刀両断する。優しくも力強い最美のその声は、紀更の中に別の疑問を生んだ。
「あの……本当に、自分でわかるものなんですか」
操言の力も持っていない。《光の儀式》のようなもので判別されることもない。それでも、己の操言士に仕え従う者。自分がそういう存在だと、本当に自分で気付けるのだろうか。自分が従うべき操言士が誰なのか、わかるのだろうか。
「ええ、わかりますわ」
最美は前方を向いたまま、はっきりと頷いた。
「間違いはありません。わたくしは言従士。我が君に仕え、従う者です」
「どうして……」
「胸が痛むから」
「痛む?」
「ええ。ある時ふいに。だからわかるのです。この世界でたった一人の、己の操言士を見つけた瞬間にすべてが。己の生きる意味と意義のすべてが」
ふいに胸が痛む。その感覚を、紀更も知っている。胸の奥底で誰かが泣いているような、寂しい、悲しいという気持ちだ。
自分のそれは、最美の言う痛みと同じだろうか。操言士も、言従士が感じるような痛みを覚えるのだろうか。
(私が感じているのは)
言従士を求める痛みなのだろうか。
「あの……」
「おはよう、紀更。いい天気だね」
紀更が最美に尋ねようとしたちょうどその時、目的地にたどり着いてしまった。
そこは、王都を三百六十度ぐるりと囲む第一城壁の西門だった。北側に伸びる城壁は不完全で、一部は完全に壁を成していないが、右手に広がる畑に日光が燦々と降り注いでいるところを見るに、壁で日陰ができないようにあえて未完成のままにしているのだろう。
そこで先に待っていたらしい王黎は、馬上の紀更に向かってのんきに手を振った。彼も紀更と同じく騎乗しており、乗馬ができるという王黎の一面を紀更は意外に思った。
「おはようございます、王黎師匠」
「旅行日和だね。じゃあ行こうか」
「いえ、あの」
王黎はにこにことほほ笑んで出発しようとした。しかし、その両隣にはまったく笑っていない、どちらかというと鋭い目付きをした二人の男性が立っており、紀更は戸惑った。
かっちりとダブルボタンで止められた濃厚の上衣の丈は短く、その襟元には夕顔の徽章。ダークグレーのパンツに黒いロングブーツ。騎乗することを考慮してか、黒いクロークは肩に留めて前を開いている。その服装は三公団のひとつ、騎士団に所属する騎士のそれだ。
それぞれの馬の頭絡を手に持っている二人からただよう厳粛な雰囲気は、これが普通の旅行でないことを紀更に予感させた。
「王黎師匠、その騎士のお二人は……」
ゆるい表情の王黎と、硬い表情の二人の騎士の間にはあまりにも温度差がある。それを感じた紀更は、問いかけてもいいものなのかためらいながらも三人を見つめた。
「ああ、えっとね~」
王黎は左右を一瞥した。そして幼子をたしなめるように、まるで自分が大人になって一歩引いてやるといった風に、肩を上下してため息をつく。
「護衛だってさ」
「護衛?」
紀更が首をかしげると、黒髪の騎士の方が先に名乗り出た。
「初めまして、紀更殿。わたしは王都騎士団所属二等騎士、エリック・ローズィと申します」
「同じく、三等騎士ルーカスです」
先に名乗ったエリックは、三十歳の王黎よりやや年上のようで、苦労が多いのかよく見ると白髪が混じっている。グレーの目は切れ長で落ち着いており、王黎と違って年相応か、それ以上の成熟した大人の風格があった。
続いて名乗ったルーカスは、三等騎士であるから二等騎士のエリックの部下なのだろう。朝日を受けて輝く金髪に、瞳の色はやや薄い緑で、鼻筋にはそばかすが目立っている。王黎より若いが紀更よりも年を重ねており、最美と変わらないくらいだろう。騎士としては最も活躍できそうな年頃だが、エリックよりもやや首が細く、若干薄い体付きだ。
エリックは、ぎこちなく馬上に座っている紀更を見上げて説明した。
「我々は、騎士団の命を受けて紀更殿の護衛につきます」
「そんな、わざわざ私のためにですか」
紀更が戸惑いながら尋ねると、ルーカスが少し表情を崩した。
「紀更殿は前例のない〝特別な操言士〟だと聞いております。何かがあってはいけませんからね」
「はあ……」
自分がそんな扱いを受けることに納得しがたい紀更は、困惑しながらため息をつく。すると、王黎がはた迷惑そうな表情をして呟いた。
「ちょっと旅行に行くだけなのにねえ。大げさだよねえ」
「王都の外には野生動物や怪魔が出ます。王黎殿、同行するあなたが操言士として優秀であることは聞き及んでおりますが、用心するにこしたことはありません」
エリックは冷静に、王黎に言い聞かせるように言った。
怪魔――それは動物とは違う、もっと危険で獰猛な、この大陸にいるすべての人々にとって共通の「敵」である。昼を嫌い、光を憎み、夜と闇の中に生きる怪魔は、山や森、水の中などあらゆる場所に出没し、なりふり構わずすべての生物を襲い、攻撃してくる。
この大陸に生きる人々は、都市部の外を出歩く際は必ず昼間に移動をする。夜間に比べれば、昼間の方がまだ、怪魔の出現数が少ないからだ。また、都市部間を移動する際は可能な限り、騎士や操言士などに護衛をしてもらうのが常である。怪魔と戦いそれを退治することは、騎士団と操言士団の重要な仕事のひとつなのだ。
しかし、紀更は王都の外にほとんど出たことがないので、野生動物や怪魔の脅威がいかほどのものかを知らない。そのため、護衛の大切さがいまひとつ理解しがたかった。
(特別な操言士って、確かに、ほかの人とは違う経緯で見習い操言士になったけど、そんな守られるような偉い存在じゃないと思うなあ)
つい一年前まで普通の一般市民だった一人の娘を護衛するために騎士が同行するなど、確かに王黎の言うとおり大げさだと紀更は思った。
「ご安心ください、どこへ行こうとも紀更殿の身はお守りいたします」
しかし、紀更の卑屈な自己評価など知らないエリックは、生真面目に騎士の礼をとった。右手で拳を作り、その右拳を左の鎖骨下に強く当てて相手に敬意を表す所作だ。
エリックという人物は、とても真面目な人なのだろう。そして、ルーカスも真面目なエリックにならって、同じ礼の姿勢をとる。そんな風に、初対面の騎士二人から礼を尽くされて、紀更は戸惑った。
「いえ、そんな、私なんてそんなたいそうな身分じゃないですから!」
「本人もこう言ってるし、エリックさんもルーカスくんも、護衛なんてしなくていいんじゃないですかね~」
王黎が間延びした声で提案すると、エリックは呆れた視線を王黎に投げつけた。それから、表情を引き締めて険しい声音で言いきる。
「騎士団の命令ですから。いつ、どこでもお守りします」
「はあ、わかりました~。好きにしてください~。じゃ、今度こそ本当に出発しようか」
そう言うと、王黎は手綱を操って馬を西門に向けた。
エリックとルーカスは、軽々と自分の馬に騎乗し、同じく西門を向く。
「王黎師匠、待ってください。最美さんはどうされるんですか」
紀更は慌てた声で王黎を引き留めた。
最美以外の四人が騎乗しているが、まさか最美は一人歩けと言うのだろうか。それに、さも当然のように自分は馬上にいるが、王黎たちのように馬を操るなんて技術は、紀更にはない。
「ああ、確認しなかったけど、紀更は一人じゃ馬に乗れないよね?」
「はい。いま、生まれて初めて馬に乗っています」
「じゃあ最美は紀更と相乗り。よろしくね」
「畏まりました、我が君」
「はい、行くよ~」
最美は華麗に馬にまたがると、紀更を背にするように相乗りをした。おとなしかった馬はさすがに重かったらしく少し嘶いたが、最美が首元をなでてやると落ち着きを取り戻す。
かくして紀更たちは、王都ベラックスディーオを出発したのだった。
◆◇◆◇◆
根負けした紀更がそう言うと、最美はぱっと表情を輝かせた。
「ええ、もちろんですわ」
美人が笑うと、言葉通り笑顔が光って見える。その輝きが眩しくて目をそらしたいほどだ。
「こちらの手綱を掴んで、片方の足をここの鐙にかけてください。そしたらここを手で掴んで、もう片方の足を上げて、馬の腰を蹴らないように気を付けてまたいでください。人を乗せるのに慣れている馬ですから、乗るまで待っていてくれますわ」
紀更は最美の指示どおりに足を上げるが、大きな馬の背はなかなかまたげない。しかも、馬が勝手に動き出しそうで怖い。
ぎこちなく乗ろうとするので馬が怒るのではないかと紀更はドキドキしたが、最美の言うとおり乗るまで待っていてくれるようで、紀更の体重が変な方向にかかろうとも、おとなしくしていてくれた。
そうして、どうにかこうにか紀更が馬の背に乗ると、最美は手綱を手に持った。
「ご両親にご挨拶はすませましたか」
「はい、弐の鐘が鳴る前に」
「それはよかったですわ。では参りましょう」
最美の先導で、紀更を乗せた馬は王都の西に向かって歩き出した。
弐の鐘が鳴った直後なので、マルーデッカ地区の通りはにぎわい始めていた。パン屋や肉屋などの食料品の店だけでなく、金具屋、理髪店、本屋など、あらゆる店が開店札をかかげ、客を待っている。
馬上から見る景色はやけに高く、見慣れているはずの街中が、なんだか別の街のよう思える。尻の下の鞍の硬い感触が落ち着かないが、馬はゆっくりと歩いてくれているので、振り落とされる心配はなさそうだ。
「最美さんは操言士なんですか」
紀更は最美の横顔を見下ろした。
「いいえ、わたくしは言従士ですわ」
「げんじゅうし……」
最美の返答は、聞いたことがあるようなないような単語だった。
最美がそれ以上何も言わずに黙々と歩くので、紀更はその言葉をどこで聞いたのか、ゆっくりと思い出すことができた。
言従士――それは「操言士に仕え従う者」のことだ。紀更は、操言院でのいつかの授業を思い出した。
言従士とは、ただ一人の操言士を主として仕え従い、操言士と共に人々の暮らしと平和を守る者。操言士が生まれながらにして操言士であるように、言従士もまた生まれながらにして言従士であるという。ただし、言従士は操言士と違って、操言の力を持っているわけではない。ゆえに、言従士が《光の儀式》を受けても、その結果は「操言の力なし」となる。だが、言従士は生きていく中で自然と、己が言従士であることを自覚できるという。また、己が仕え従うべき操言士が誰なのかを認識することもできるそうだ。
「ということは、あの……最美さんは王黎師匠の?」
「ええ、わたくしの操言士は我が君、王黎がその人ですわ」
(王黎師匠って、言従士がいたんだ)
オリジーアの人口における操言士の比率は、およそ一割。十人の国民がいれば、その中の一人が操言士である。その人数は決して多くはないが、《光の儀式》による判別が全国民に義務付けられているうえに、操言院のような教育機関が国によって運営されて常に次世代の操言士が育成されているため、オリジーアではどの世代にも必ず操言士がいる。
ところが、言従士は《光の儀式》のような判別方法がなく、言従士であるかどうかは個々人の自覚に依拠している。そのため、自分が言従士であると自覚できていても、言従士自らがそれを申告しなければ、その人間が言従士かどうかは誰にもわからない。おまけに、操言の力を持っていない言従士は操言士と違って、言従士単体で何か特別なことができるわけではない。よってその存在は、操言士ほど国に必要とされていない。
ゆえに、言従士の数は操言士に比べてとても少ない。操言士のように国が主体となって発見、育成する制度もなければ、自ら言従士であると名乗り出る機会も需要もないからだ。
「言従士を従えることのできる操言士は、操言の力が強くて優秀だ、って聞いたことがあります。王黎師匠も優秀なんでしょうか」
そう紀更は尋ねたが最美からの相槌はなく、どことなくその横顔が硬くなったので、紀更は息を呑んだ。
「ご、ごめんなさいっ。最美さんに訊くようなことじゃないですよね」
紀更が謝罪すると、最美は落ち着いた声で答えた。
「言従士を従えていなくても、優秀な操言士はたくさんいらっしゃいます。言従士の有無は、操言士の能力に関係ありませんわ」
紀更が操言院で聞いた噂を、最美は一刀両断する。優しくも力強い最美のその声は、紀更の中に別の疑問を生んだ。
「あの……本当に、自分でわかるものなんですか」
操言の力も持っていない。《光の儀式》のようなもので判別されることもない。それでも、己の操言士に仕え従う者。自分がそういう存在だと、本当に自分で気付けるのだろうか。自分が従うべき操言士が誰なのか、わかるのだろうか。
「ええ、わかりますわ」
最美は前方を向いたまま、はっきりと頷いた。
「間違いはありません。わたくしは言従士。我が君に仕え、従う者です」
「どうして……」
「胸が痛むから」
「痛む?」
「ええ。ある時ふいに。だからわかるのです。この世界でたった一人の、己の操言士を見つけた瞬間にすべてが。己の生きる意味と意義のすべてが」
ふいに胸が痛む。その感覚を、紀更も知っている。胸の奥底で誰かが泣いているような、寂しい、悲しいという気持ちだ。
自分のそれは、最美の言う痛みと同じだろうか。操言士も、言従士が感じるような痛みを覚えるのだろうか。
(私が感じているのは)
言従士を求める痛みなのだろうか。
「あの……」
「おはよう、紀更。いい天気だね」
紀更が最美に尋ねようとしたちょうどその時、目的地にたどり着いてしまった。
そこは、王都を三百六十度ぐるりと囲む第一城壁の西門だった。北側に伸びる城壁は不完全で、一部は完全に壁を成していないが、右手に広がる畑に日光が燦々と降り注いでいるところを見るに、壁で日陰ができないようにあえて未完成のままにしているのだろう。
そこで先に待っていたらしい王黎は、馬上の紀更に向かってのんきに手を振った。彼も紀更と同じく騎乗しており、乗馬ができるという王黎の一面を紀更は意外に思った。
「おはようございます、王黎師匠」
「旅行日和だね。じゃあ行こうか」
「いえ、あの」
王黎はにこにことほほ笑んで出発しようとした。しかし、その両隣にはまったく笑っていない、どちらかというと鋭い目付きをした二人の男性が立っており、紀更は戸惑った。
かっちりとダブルボタンで止められた濃厚の上衣の丈は短く、その襟元には夕顔の徽章。ダークグレーのパンツに黒いロングブーツ。騎乗することを考慮してか、黒いクロークは肩に留めて前を開いている。その服装は三公団のひとつ、騎士団に所属する騎士のそれだ。
それぞれの馬の頭絡を手に持っている二人からただよう厳粛な雰囲気は、これが普通の旅行でないことを紀更に予感させた。
「王黎師匠、その騎士のお二人は……」
ゆるい表情の王黎と、硬い表情の二人の騎士の間にはあまりにも温度差がある。それを感じた紀更は、問いかけてもいいものなのかためらいながらも三人を見つめた。
「ああ、えっとね~」
王黎は左右を一瞥した。そして幼子をたしなめるように、まるで自分が大人になって一歩引いてやるといった風に、肩を上下してため息をつく。
「護衛だってさ」
「護衛?」
紀更が首をかしげると、黒髪の騎士の方が先に名乗り出た。
「初めまして、紀更殿。わたしは王都騎士団所属二等騎士、エリック・ローズィと申します」
「同じく、三等騎士ルーカスです」
先に名乗ったエリックは、三十歳の王黎よりやや年上のようで、苦労が多いのかよく見ると白髪が混じっている。グレーの目は切れ長で落ち着いており、王黎と違って年相応か、それ以上の成熟した大人の風格があった。
続いて名乗ったルーカスは、三等騎士であるから二等騎士のエリックの部下なのだろう。朝日を受けて輝く金髪に、瞳の色はやや薄い緑で、鼻筋にはそばかすが目立っている。王黎より若いが紀更よりも年を重ねており、最美と変わらないくらいだろう。騎士としては最も活躍できそうな年頃だが、エリックよりもやや首が細く、若干薄い体付きだ。
エリックは、ぎこちなく馬上に座っている紀更を見上げて説明した。
「我々は、騎士団の命を受けて紀更殿の護衛につきます」
「そんな、わざわざ私のためにですか」
紀更が戸惑いながら尋ねると、ルーカスが少し表情を崩した。
「紀更殿は前例のない〝特別な操言士〟だと聞いております。何かがあってはいけませんからね」
「はあ……」
自分がそんな扱いを受けることに納得しがたい紀更は、困惑しながらため息をつく。すると、王黎がはた迷惑そうな表情をして呟いた。
「ちょっと旅行に行くだけなのにねえ。大げさだよねえ」
「王都の外には野生動物や怪魔が出ます。王黎殿、同行するあなたが操言士として優秀であることは聞き及んでおりますが、用心するにこしたことはありません」
エリックは冷静に、王黎に言い聞かせるように言った。
怪魔――それは動物とは違う、もっと危険で獰猛な、この大陸にいるすべての人々にとって共通の「敵」である。昼を嫌い、光を憎み、夜と闇の中に生きる怪魔は、山や森、水の中などあらゆる場所に出没し、なりふり構わずすべての生物を襲い、攻撃してくる。
この大陸に生きる人々は、都市部の外を出歩く際は必ず昼間に移動をする。夜間に比べれば、昼間の方がまだ、怪魔の出現数が少ないからだ。また、都市部間を移動する際は可能な限り、騎士や操言士などに護衛をしてもらうのが常である。怪魔と戦いそれを退治することは、騎士団と操言士団の重要な仕事のひとつなのだ。
しかし、紀更は王都の外にほとんど出たことがないので、野生動物や怪魔の脅威がいかほどのものかを知らない。そのため、護衛の大切さがいまひとつ理解しがたかった。
(特別な操言士って、確かに、ほかの人とは違う経緯で見習い操言士になったけど、そんな守られるような偉い存在じゃないと思うなあ)
つい一年前まで普通の一般市民だった一人の娘を護衛するために騎士が同行するなど、確かに王黎の言うとおり大げさだと紀更は思った。
「ご安心ください、どこへ行こうとも紀更殿の身はお守りいたします」
しかし、紀更の卑屈な自己評価など知らないエリックは、生真面目に騎士の礼をとった。右手で拳を作り、その右拳を左の鎖骨下に強く当てて相手に敬意を表す所作だ。
エリックという人物は、とても真面目な人なのだろう。そして、ルーカスも真面目なエリックにならって、同じ礼の姿勢をとる。そんな風に、初対面の騎士二人から礼を尽くされて、紀更は戸惑った。
「いえ、そんな、私なんてそんなたいそうな身分じゃないですから!」
「本人もこう言ってるし、エリックさんもルーカスくんも、護衛なんてしなくていいんじゃないですかね~」
王黎が間延びした声で提案すると、エリックは呆れた視線を王黎に投げつけた。それから、表情を引き締めて険しい声音で言いきる。
「騎士団の命令ですから。いつ、どこでもお守りします」
「はあ、わかりました~。好きにしてください~。じゃ、今度こそ本当に出発しようか」
そう言うと、王黎は手綱を操って馬を西門に向けた。
エリックとルーカスは、軽々と自分の馬に騎乗し、同じく西門を向く。
「王黎師匠、待ってください。最美さんはどうされるんですか」
紀更は慌てた声で王黎を引き留めた。
最美以外の四人が騎乗しているが、まさか最美は一人歩けと言うのだろうか。それに、さも当然のように自分は馬上にいるが、王黎たちのように馬を操るなんて技術は、紀更にはない。
「ああ、確認しなかったけど、紀更は一人じゃ馬に乗れないよね?」
「はい。いま、生まれて初めて馬に乗っています」
「じゃあ最美は紀更と相乗り。よろしくね」
「畏まりました、我が君」
「はい、行くよ~」
最美は華麗に馬にまたがると、紀更を背にするように相乗りをした。おとなしかった馬はさすがに重かったらしく少し嘶いたが、最美が首元をなでてやると落ち着きを取り戻す。
かくして紀更たちは、王都ベラックスディーオを出発したのだった。
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