8 / 13
第4話 待つ夜のおしゃべり(後編)
しおりを挟む
その後しばらく、聖女様は神に祈る時間が増えた。儀式があるわけでもないのに神聖殿に赴き、床に膝を突いて両手を組み、目を閉じて心の中でじっと神に語りかけるのだ。神官たちは聖女様の祈りの時間が増えたことを、「神のご機嫌が悪く、それをなだめているのではないだろうか」と心配したが、ルシリシアはそれを否定した。ただ自分が神に感謝の祈りを捧げたくてそうしているだけだと。
だが、パメラと二人きりになったルシリシアはパメラだけに教えてくれた。ディルクとの関係は、あの夜だけで終わらせなければいけない。聖女である以上、どんな形であってもディルクと結ばれることはない。自分はこれからもただ聖女としてあらねばならない。それなのに、また彼に会いたいと思ってしまう。そんな自分を律するために、祈りの時間を増やしたのだと。聖女なのに恋をしてしまっている自分をどうか許してほしいと神に願い、これからも聖女としての務めをきちんと果たさなければならないと自分に言い聞かせるために、祈っているのだと。
そしてルシリシアは教えてくれた。あの日の夜、ディルクに自分の気持ちを伝えたところ、ディルクからも告白されたことを。
二人が両思いだということが明確になって、パメラは喜んだ。きれいで優しくて、かわいらしくおしとやかに笑う完璧な女性であるルシリシア。その相思相愛のお相手がぶっきらぼうな筋肉兵士というギャップにはかなり思うところがあるが、両思いならば二人は幸せになっていいはず――幸せになれるはずだ。
そう思ったパメラは、もう一度離小城を抜け出してディルクに会いに行くことを提案した。ルシリシアは及び腰になったが、パメラは言った。
「どうか諦めないでください。エングム様本人かウォンクゼアーザ様が否、と言うまではどうか」
当事者であるディルクに嫌われたり、あるいは神から「聖女は恋をしてはならぬ」という啓示を与えられたりしないかぎり、どうかこの秘密の恋を諦めないでほしい。聖女という身であっても、どうか誰かと愛し合う幸せをつかんでほしい。
そうしてパメラは再び離小城脱走の準備を始めた。まずは手始めに、離小城を警備する騎士たちのルート確認だ。前回と違うかもしれないという前提で、遅番の日は使用人室で就寝する時間を遅くして、こそこそと離小城内を移動して女性騎士たちの動きをチェックした。
それから、仕事が休みの日に特殊作戦部隊を訪れた。ルシリシアの身の回りの世話は侍女としての仕事ではあるが、それ以上にパメラにとっては生き甲斐であり喜びでもあるので、これまで休暇というのはどちらかというと嬉しくない時間だった。しかし、いまようやく休暇をありがたいと思うようになった。こうしてしっかりと準備できるからだ。
「やあ、こんにちは、パメラ嬢」
「こんにちは、リエルソン様。申し訳ありません、また会いに来てしまって」
「いいよ、君なら。でも場所は変えようか」
イケメン騎士に惚れて押し掛ける町娘――そんな態度をパメラはあえて演じた。すると近くにいた兵士が指笛を吹いて、「相変わらずモテモテだな。まったく羨ましいぜ」と野次を飛ばす。
「あの夜以来だから、結構久しぶりだね?」
「そうですね」
「秘密の恋は、あの日限りで終わったと思ったんだけど」
噴水広場のベンチに腰を下ろしたジェレミーは、すぐさま予想される本題に入った。基本的に聖女様のことしか考えていないパメラを相手に、ウォーミングアップのような世間話はあまり意味がない。先ほど特殊作戦部隊の庁舎内でパメラはジェレミーに片思いをしているような態度を演じてくれたが、素のパメラはジェレミーのことをただただ普通の騎士としてしか見ていない。ジェレミーとしては自分のこの整った顔に見惚れないパメラの態度が珍しくもあり、そして不思議と居心地がいいと思うようになっていた。
「いいえ、終わりません。もう一度、露の方と想い人の逢瀬を実現させたいのです」
「うーん……わかってはいたけど、本当にやらなきゃ駄目?」
「露の方は確かにおっしゃいました。もう一度会いたいと。でもその気持ちを我慢していらっしゃって……どうして、って思いませんか。どうして好きな人に会いたい気持ちを無理に我慢しないといけないんですか」
「それはね、パメラ嬢。世の中には恋情よりも優先されるべき道理があるからだよ。たとえば聖女様は生涯独身でただ神に祈り、その聖なる力を民のために使わなければならない、とかね」
「でも……」
ジェレミーには再三にわたって反対される。それに、彼の言うことはパメラも頭の隅では理解している。理論的に言い返すことはできないが、しかしいま優先されるべきものは聖女という存在をとりまく道理よりも、ルシリシアの初めての恋情のような気がした。
「エングム様だって、もう一度露の方にお会いしたいはずです」
「どうかなあ」
「エングム様は何かおっしゃっていませんでしたか」
「パメラ嬢もディルク班長を見ただろう? あの堅物がそう簡単に誰かと恋バナなんてすると思う?」
「あ、はい、すみません。とてもではないけど思いません」
「わかってもらえて嬉しいよ。まあでも、ディルク班長も本気だろうな、って気はしているよ」
ジェレミーはあの日の夜のディルクの表情を思い出す。何食わぬ顔で聖女様と連れ立ってジェレミーの部屋のドアをノックしたディルクだったが、あの時の彼のそれはもう、さわやかな雰囲気! さっぱりした表情! 間違いなくやることはやったはずだ。そしてそれをしたということは、ディルクの中でいくつかの葛藤がばっさりと切り捨てられたということに違いない。
「僕らもそうだけど、神聖院にバレたら間違いなく首が飛ぶ。文字通りにね。そうとわかっていても、ディルク班長もたぶん、本気で露の方を想っているんだと思う」
「なら、そんな二人を引き合わせてあげたいと思いませんか」
パメラは切実な表情になった。
「もしもこれが良くないことなら、きっとウォンクゼアーザ様が止めてくださいます。でもそうでないなら私はお二人に……露の方に幸せになってほしいんです」
「ディルク班長との関係を続けることは、本当に露の方の幸せかな?」
「ええ……ええ、間違いありません」
いまだ懐疑的で慎重なジェレミーに、パメラは強く頷いた。
「露の方は産まれたその瞬間から、神に愛されているお方です。露の方にとって不幸をもたらすようなお相手なら、そもそも神が露の方に引き合わせるはずがありません。お二人が出逢って想い合ったということは、ウォンクゼアーザ様にとっても喜ばしいことのはずなのです」
「わかった」
ジェレミーは深くため息をついた。
「僕も腹をくくるよ。君の言うとおり、すべてが神のご意思に沿っているんだろう。それなら、ちっぽけな人間の身分で反論してもあまり意味はなさそうだ」
「申し訳ありません、リエルソン様。ほかに頼れる方がいればよいのですが、あなた様以外にいなくて」
ジェレミーに迷惑をかけている自覚はある。けれどもディルクの部下という非常に都合のいいポジションの彼の協力は、とてもありがたい。
「いいよ、気にしないで。ただ、僕らの首が飛ばないですむように……そこだけは何度でもウォンクゼアーザ様にお願いしておかなきゃね」
ジェレミーがそう冗談めかすと、パメラは困ったように苦笑した。なんの力みもなく自然と浮かんだパメラのその苦笑いはとても愛らしいと、ジェレミーはふと思った。
◆◇◆◇◆
「えっ、エングム様はグントバハロン国の血を引いていらっしゃるんですか?」
暇だから、という表現は少々不適切だが、しかし特にやることがないのは事実なので、パメラはジェレミーとのおしゃべりに興じていた。
パメラとジェレミーが画策して日取りを合わせ、再びルシリシアがディルクとの甘い時間を過ごしているその間。パメラは生活感がなくて殺風景なジェレミーの部屋で、二人の逢瀬が終わるのを待つ。夜の遅い時間なのでどうしても眠気が来てしまうが、しっかり寝てしまって万が一にも夜明け前に離小城に戻れないとまずいので、パメラは重たくなる瞼を懸命に持ち上げている。そんなパメラに付き合うようにジェレミーもまた寝ずに、一組の男女の夜が過ぎるのを待っていた。
「うん、確か父方のご祖母様が、グントバハロン国の武人の家系の出身だったかな。エングム家はずっとレシクラオン神皇国で軍人をしている家系だけど」
「グントバハロンは軍事大国ですから、そこの武人の家系の血を引いていると聞くと、エングム様のあの筋肉質な体型もなんだか納得ですね」
「遺伝的な素質もあるとは思うけど、ディルク班長、本当にストイックだからなあ……時間さえあれば鍛錬してるし」
「筋肉馬鹿……あ、いえ、失礼。決して馬鹿ではないんですよね」
「そうだよ。ディルクさんは頭もよくキレる。難易度を問わずどんな任務でも入念な準備をするし、確実に成功するタイミングを辛抱強く待つこともできる。いつだって、誰よりも一歩先を想定して考えて動くことのできる人だよ」
「それだけ聞くと、仕事一筋すぎて、女性と恋愛関係を持つような方には思えませんね」
「そうだね。特殊作戦部隊での仕事が本当に生き甲斐みたいだし、恋愛をするなんて……それも聖女様に惚れるなんて、僕もいまだに驚いているよ。聖女様にロマンティックな台詞のひとつでも言えているといいんだけど」
「うーん……想像できません。リエルソン様が言うならまだわかりますが」
「いやあ……期待を裏切るようで申し訳ないけど、僕も決してロマンティックな方ではないと思うよ?」
「そうなんですか?」
待つことしかできないこの時間のパメラはさすがに聖女様以外のことにも興味が向くようで、ジェレミーの弁に首を傾げた。
「こんな顔だからさ、特に女性からは期待されがちだけど、僕の中身は見た目ほどキラキラしてないよ。自分からガツガツと女性にアピールすることもないし、お付き合いした女性がいたこともあったけど、相手が期待しているような甘やかしはできなかったし」
「不器用……というのとも何か違いますね」
「そうだね……なんだろう。勝手なイメージをもたれることが多すぎて、逆にどう振る舞えばいいのかわからない、って感じかな」
ディルクのようにむさ苦しいほどの男らしさがあるわけではなく、どちらかというと汚れを知らない清流のように光り輝く顔面の作りをしているジェレミー。眉目秀麗な彼の見てくれに惹かれたあまたの女性たちは、ドラマティックな恋ができるかもしれないと多大な期待をしてきたのだろう。しかしその期待通りに振る舞えないジェレミーは、モテはしたが同じくらい女性に振られることも多かった。望まれたとおり、ほんの少しの軽薄さをはらんだ紳士的な態度をとり続けることもしてみたが、最終的には自分の心がすり減るだけだった。
「僕自身はディルク班長みたいになりたいと思ってるんだ」
「エングム様のように……筋肉隆々に?」
「あははっ。まあ、見た目的にも、あそこまで自分の身体を鍛え上げられたらカッコいいなあとは思うよ。腕力による強さは、男なら合理的な理由なしに憧れるものがあるしね。でも見た目だけじゃなくて……うーん、芯の強さって言うのかな。誰にどう見られているかとかそういうことを気にするんじゃなくて、自分は自分、っていう強さでしっかりと独り立ちしていたいというか」
「私は……」
事前にジェレミーが用意しておいてくれた膝掛けを膝にかけたまま、パメラは両手の指を組んで自分の爪の小ささを見つめた。
「エングム様のことを理解しているわけではないので、エングム様の良さは正確にはわかりません。でも、誰かに憧れるリエルソン様のその気持ちは少しわかる気がします。今も昔も、私はルシリシア様に憧れています。ルシリシア様は聖女様としてその重責をきちんと果たされていて、それでいて誰にでも優しくて……ただ、憧れるほどにこうも思うんです。私はルシリシア様にはなれない、ルシリシア様とは違う人間だから。ルシリシア様に憧れて、そうなりたいなと思いつつも、私は私でしかない。だからルシリシア様に憧れるだけじゃなくて、自分で自分のことをもっと見て理解して、自分の理想の自分になれるように努力しなくちゃいけないんだなと」
「パメラ嬢の理想の自分って?」
「うーん……ルシリシア様みたいな女性、と言いたいところですが」
今の自分自身を嫌っているわけではない。けれど時折、不思議と焦燥感を抱くのだ。このままの自分ではいけない。もっと変わらないと――いや、成熟しないといけないなと。パメラは一呼吸おいてから答えた。
「強いて言うなら母のように……誰かの優しさにすぐ気付けたり、死を悟っても悲観することなく最期まで生きようとする強さがあったり……自分もそんな風になりたいものです」
「そっか……。僕が言っても信じられないかもしれないけど、それならもう、なっているんじゃなかな」
ジェレミーはダイニングテーブルの方の椅子から立ち上がった。そしてソファに座っているパメラに近付くと、小さなその頭にぽん、と手を置いた。
「パメラ嬢は強いよ。聖女様のこの秘密の恋は、君の行動力がなければ決して実らなかった。君が強い心と意志を持っていたから、聖女様とディルクさんの距離は縮まったんだ。それに、君は誰かの優しさに気付けているよ。この国の国民の多くは、聖女様のことは〝聖女様〟としてしか見ていない。〝聖女様〟だから優しくて当然だと。でも君は聖女様の中身……不敬にも名前を呼ばせてもらうけど、ルシリシア様という一人の女性を見ていると思う。〝聖女様〟という彼女の表面だけを見ているわけじゃなくて、本来のルシリシア様が持つ優しさにしっかりと気付けていると思うよ」
「そうだと……いいのですが」
パメラは不覚にも泣きそうになった。今まで誰にも見せずにいたために肯定してもらえたこともない自分の心の内を認めてもらえた気がして、妙に嬉しかった。
「ごめん、頭をなでちゃった。大人の女性にすることじゃないね」
「あ、えっと……いえ、大丈夫です。気にしてません。リエルソン様は私のことを子供扱いしないって、わかっていますから」
「そっか」
「はい」
自分とジェレミーの関係は不思議なものだと、ふとパメラは思った。ルシリシアの秘密の逢瀬を実行するために必要不可欠な協力者――ただそう思っていたが、こうして二人きりであれこれと話していると、ただの協力者ではないと思えてくる。だが友達と呼ぶのは違うと思うし、知人にしてはもう少し距離が近い気もする。
少しこそばゆい気持ちになりながらも、パメラはジェレミーとたわいない話を続けた。ジェレミーは職務上、他国で任務を行うこともあるので諸外国の情勢についてなかなかに詳しく、なるべく堅苦しくないないように他国の庶民の様子などを教えてくれた。聖女付き侍女として多くの知識を持っていることは決して損ではないので、パメラはジェレミーの話に耳をかたむけた。北のチェブレリカ大陸にいくつかの大きな自治体がまとまってノルティスラ連邦という国ができたことや、東方のバフルソン国とデシエトロン国が相変わらず国境線付近での小競り合いを続けていることなど、政治的な話だったがジェレミーはずいぶんと噛み砕いてわかりやすく教えてくれた。
そんなおしゃべりをしながら、夜空に浮かぶ星々の傾きを見守ること数時間。その日もまたパメラとルシリシアの二人は、闇夜にまぎれるようにしながら離小城へ戻った。
その後も、ルシリシアとディルクの密会が何度か行われた。パメラたちは秘密の逢瀬が誰にも知られていないと思っていたが、しかし闇夜にまぎれていたのはパメラたちだけではなかった。ディルクが住むごく普通の集合住宅を訪れて短時間でいなくなる黒いローブ姿は、闇夜の徘徊者に確実に見られていたのだ。
だが、パメラと二人きりになったルシリシアはパメラだけに教えてくれた。ディルクとの関係は、あの夜だけで終わらせなければいけない。聖女である以上、どんな形であってもディルクと結ばれることはない。自分はこれからもただ聖女としてあらねばならない。それなのに、また彼に会いたいと思ってしまう。そんな自分を律するために、祈りの時間を増やしたのだと。聖女なのに恋をしてしまっている自分をどうか許してほしいと神に願い、これからも聖女としての務めをきちんと果たさなければならないと自分に言い聞かせるために、祈っているのだと。
そしてルシリシアは教えてくれた。あの日の夜、ディルクに自分の気持ちを伝えたところ、ディルクからも告白されたことを。
二人が両思いだということが明確になって、パメラは喜んだ。きれいで優しくて、かわいらしくおしとやかに笑う完璧な女性であるルシリシア。その相思相愛のお相手がぶっきらぼうな筋肉兵士というギャップにはかなり思うところがあるが、両思いならば二人は幸せになっていいはず――幸せになれるはずだ。
そう思ったパメラは、もう一度離小城を抜け出してディルクに会いに行くことを提案した。ルシリシアは及び腰になったが、パメラは言った。
「どうか諦めないでください。エングム様本人かウォンクゼアーザ様が否、と言うまではどうか」
当事者であるディルクに嫌われたり、あるいは神から「聖女は恋をしてはならぬ」という啓示を与えられたりしないかぎり、どうかこの秘密の恋を諦めないでほしい。聖女という身であっても、どうか誰かと愛し合う幸せをつかんでほしい。
そうしてパメラは再び離小城脱走の準備を始めた。まずは手始めに、離小城を警備する騎士たちのルート確認だ。前回と違うかもしれないという前提で、遅番の日は使用人室で就寝する時間を遅くして、こそこそと離小城内を移動して女性騎士たちの動きをチェックした。
それから、仕事が休みの日に特殊作戦部隊を訪れた。ルシリシアの身の回りの世話は侍女としての仕事ではあるが、それ以上にパメラにとっては生き甲斐であり喜びでもあるので、これまで休暇というのはどちらかというと嬉しくない時間だった。しかし、いまようやく休暇をありがたいと思うようになった。こうしてしっかりと準備できるからだ。
「やあ、こんにちは、パメラ嬢」
「こんにちは、リエルソン様。申し訳ありません、また会いに来てしまって」
「いいよ、君なら。でも場所は変えようか」
イケメン騎士に惚れて押し掛ける町娘――そんな態度をパメラはあえて演じた。すると近くにいた兵士が指笛を吹いて、「相変わらずモテモテだな。まったく羨ましいぜ」と野次を飛ばす。
「あの夜以来だから、結構久しぶりだね?」
「そうですね」
「秘密の恋は、あの日限りで終わったと思ったんだけど」
噴水広場のベンチに腰を下ろしたジェレミーは、すぐさま予想される本題に入った。基本的に聖女様のことしか考えていないパメラを相手に、ウォーミングアップのような世間話はあまり意味がない。先ほど特殊作戦部隊の庁舎内でパメラはジェレミーに片思いをしているような態度を演じてくれたが、素のパメラはジェレミーのことをただただ普通の騎士としてしか見ていない。ジェレミーとしては自分のこの整った顔に見惚れないパメラの態度が珍しくもあり、そして不思議と居心地がいいと思うようになっていた。
「いいえ、終わりません。もう一度、露の方と想い人の逢瀬を実現させたいのです」
「うーん……わかってはいたけど、本当にやらなきゃ駄目?」
「露の方は確かにおっしゃいました。もう一度会いたいと。でもその気持ちを我慢していらっしゃって……どうして、って思いませんか。どうして好きな人に会いたい気持ちを無理に我慢しないといけないんですか」
「それはね、パメラ嬢。世の中には恋情よりも優先されるべき道理があるからだよ。たとえば聖女様は生涯独身でただ神に祈り、その聖なる力を民のために使わなければならない、とかね」
「でも……」
ジェレミーには再三にわたって反対される。それに、彼の言うことはパメラも頭の隅では理解している。理論的に言い返すことはできないが、しかしいま優先されるべきものは聖女という存在をとりまく道理よりも、ルシリシアの初めての恋情のような気がした。
「エングム様だって、もう一度露の方にお会いしたいはずです」
「どうかなあ」
「エングム様は何かおっしゃっていませんでしたか」
「パメラ嬢もディルク班長を見ただろう? あの堅物がそう簡単に誰かと恋バナなんてすると思う?」
「あ、はい、すみません。とてもではないけど思いません」
「わかってもらえて嬉しいよ。まあでも、ディルク班長も本気だろうな、って気はしているよ」
ジェレミーはあの日の夜のディルクの表情を思い出す。何食わぬ顔で聖女様と連れ立ってジェレミーの部屋のドアをノックしたディルクだったが、あの時の彼のそれはもう、さわやかな雰囲気! さっぱりした表情! 間違いなくやることはやったはずだ。そしてそれをしたということは、ディルクの中でいくつかの葛藤がばっさりと切り捨てられたということに違いない。
「僕らもそうだけど、神聖院にバレたら間違いなく首が飛ぶ。文字通りにね。そうとわかっていても、ディルク班長もたぶん、本気で露の方を想っているんだと思う」
「なら、そんな二人を引き合わせてあげたいと思いませんか」
パメラは切実な表情になった。
「もしもこれが良くないことなら、きっとウォンクゼアーザ様が止めてくださいます。でもそうでないなら私はお二人に……露の方に幸せになってほしいんです」
「ディルク班長との関係を続けることは、本当に露の方の幸せかな?」
「ええ……ええ、間違いありません」
いまだ懐疑的で慎重なジェレミーに、パメラは強く頷いた。
「露の方は産まれたその瞬間から、神に愛されているお方です。露の方にとって不幸をもたらすようなお相手なら、そもそも神が露の方に引き合わせるはずがありません。お二人が出逢って想い合ったということは、ウォンクゼアーザ様にとっても喜ばしいことのはずなのです」
「わかった」
ジェレミーは深くため息をついた。
「僕も腹をくくるよ。君の言うとおり、すべてが神のご意思に沿っているんだろう。それなら、ちっぽけな人間の身分で反論してもあまり意味はなさそうだ」
「申し訳ありません、リエルソン様。ほかに頼れる方がいればよいのですが、あなた様以外にいなくて」
ジェレミーに迷惑をかけている自覚はある。けれどもディルクの部下という非常に都合のいいポジションの彼の協力は、とてもありがたい。
「いいよ、気にしないで。ただ、僕らの首が飛ばないですむように……そこだけは何度でもウォンクゼアーザ様にお願いしておかなきゃね」
ジェレミーがそう冗談めかすと、パメラは困ったように苦笑した。なんの力みもなく自然と浮かんだパメラのその苦笑いはとても愛らしいと、ジェレミーはふと思った。
◆◇◆◇◆
「えっ、エングム様はグントバハロン国の血を引いていらっしゃるんですか?」
暇だから、という表現は少々不適切だが、しかし特にやることがないのは事実なので、パメラはジェレミーとのおしゃべりに興じていた。
パメラとジェレミーが画策して日取りを合わせ、再びルシリシアがディルクとの甘い時間を過ごしているその間。パメラは生活感がなくて殺風景なジェレミーの部屋で、二人の逢瀬が終わるのを待つ。夜の遅い時間なのでどうしても眠気が来てしまうが、しっかり寝てしまって万が一にも夜明け前に離小城に戻れないとまずいので、パメラは重たくなる瞼を懸命に持ち上げている。そんなパメラに付き合うようにジェレミーもまた寝ずに、一組の男女の夜が過ぎるのを待っていた。
「うん、確か父方のご祖母様が、グントバハロン国の武人の家系の出身だったかな。エングム家はずっとレシクラオン神皇国で軍人をしている家系だけど」
「グントバハロンは軍事大国ですから、そこの武人の家系の血を引いていると聞くと、エングム様のあの筋肉質な体型もなんだか納得ですね」
「遺伝的な素質もあるとは思うけど、ディルク班長、本当にストイックだからなあ……時間さえあれば鍛錬してるし」
「筋肉馬鹿……あ、いえ、失礼。決して馬鹿ではないんですよね」
「そうだよ。ディルクさんは頭もよくキレる。難易度を問わずどんな任務でも入念な準備をするし、確実に成功するタイミングを辛抱強く待つこともできる。いつだって、誰よりも一歩先を想定して考えて動くことのできる人だよ」
「それだけ聞くと、仕事一筋すぎて、女性と恋愛関係を持つような方には思えませんね」
「そうだね。特殊作戦部隊での仕事が本当に生き甲斐みたいだし、恋愛をするなんて……それも聖女様に惚れるなんて、僕もいまだに驚いているよ。聖女様にロマンティックな台詞のひとつでも言えているといいんだけど」
「うーん……想像できません。リエルソン様が言うならまだわかりますが」
「いやあ……期待を裏切るようで申し訳ないけど、僕も決してロマンティックな方ではないと思うよ?」
「そうなんですか?」
待つことしかできないこの時間のパメラはさすがに聖女様以外のことにも興味が向くようで、ジェレミーの弁に首を傾げた。
「こんな顔だからさ、特に女性からは期待されがちだけど、僕の中身は見た目ほどキラキラしてないよ。自分からガツガツと女性にアピールすることもないし、お付き合いした女性がいたこともあったけど、相手が期待しているような甘やかしはできなかったし」
「不器用……というのとも何か違いますね」
「そうだね……なんだろう。勝手なイメージをもたれることが多すぎて、逆にどう振る舞えばいいのかわからない、って感じかな」
ディルクのようにむさ苦しいほどの男らしさがあるわけではなく、どちらかというと汚れを知らない清流のように光り輝く顔面の作りをしているジェレミー。眉目秀麗な彼の見てくれに惹かれたあまたの女性たちは、ドラマティックな恋ができるかもしれないと多大な期待をしてきたのだろう。しかしその期待通りに振る舞えないジェレミーは、モテはしたが同じくらい女性に振られることも多かった。望まれたとおり、ほんの少しの軽薄さをはらんだ紳士的な態度をとり続けることもしてみたが、最終的には自分の心がすり減るだけだった。
「僕自身はディルク班長みたいになりたいと思ってるんだ」
「エングム様のように……筋肉隆々に?」
「あははっ。まあ、見た目的にも、あそこまで自分の身体を鍛え上げられたらカッコいいなあとは思うよ。腕力による強さは、男なら合理的な理由なしに憧れるものがあるしね。でも見た目だけじゃなくて……うーん、芯の強さって言うのかな。誰にどう見られているかとかそういうことを気にするんじゃなくて、自分は自分、っていう強さでしっかりと独り立ちしていたいというか」
「私は……」
事前にジェレミーが用意しておいてくれた膝掛けを膝にかけたまま、パメラは両手の指を組んで自分の爪の小ささを見つめた。
「エングム様のことを理解しているわけではないので、エングム様の良さは正確にはわかりません。でも、誰かに憧れるリエルソン様のその気持ちは少しわかる気がします。今も昔も、私はルシリシア様に憧れています。ルシリシア様は聖女様としてその重責をきちんと果たされていて、それでいて誰にでも優しくて……ただ、憧れるほどにこうも思うんです。私はルシリシア様にはなれない、ルシリシア様とは違う人間だから。ルシリシア様に憧れて、そうなりたいなと思いつつも、私は私でしかない。だからルシリシア様に憧れるだけじゃなくて、自分で自分のことをもっと見て理解して、自分の理想の自分になれるように努力しなくちゃいけないんだなと」
「パメラ嬢の理想の自分って?」
「うーん……ルシリシア様みたいな女性、と言いたいところですが」
今の自分自身を嫌っているわけではない。けれど時折、不思議と焦燥感を抱くのだ。このままの自分ではいけない。もっと変わらないと――いや、成熟しないといけないなと。パメラは一呼吸おいてから答えた。
「強いて言うなら母のように……誰かの優しさにすぐ気付けたり、死を悟っても悲観することなく最期まで生きようとする強さがあったり……自分もそんな風になりたいものです」
「そっか……。僕が言っても信じられないかもしれないけど、それならもう、なっているんじゃなかな」
ジェレミーはダイニングテーブルの方の椅子から立ち上がった。そしてソファに座っているパメラに近付くと、小さなその頭にぽん、と手を置いた。
「パメラ嬢は強いよ。聖女様のこの秘密の恋は、君の行動力がなければ決して実らなかった。君が強い心と意志を持っていたから、聖女様とディルクさんの距離は縮まったんだ。それに、君は誰かの優しさに気付けているよ。この国の国民の多くは、聖女様のことは〝聖女様〟としてしか見ていない。〝聖女様〟だから優しくて当然だと。でも君は聖女様の中身……不敬にも名前を呼ばせてもらうけど、ルシリシア様という一人の女性を見ていると思う。〝聖女様〟という彼女の表面だけを見ているわけじゃなくて、本来のルシリシア様が持つ優しさにしっかりと気付けていると思うよ」
「そうだと……いいのですが」
パメラは不覚にも泣きそうになった。今まで誰にも見せずにいたために肯定してもらえたこともない自分の心の内を認めてもらえた気がして、妙に嬉しかった。
「ごめん、頭をなでちゃった。大人の女性にすることじゃないね」
「あ、えっと……いえ、大丈夫です。気にしてません。リエルソン様は私のことを子供扱いしないって、わかっていますから」
「そっか」
「はい」
自分とジェレミーの関係は不思議なものだと、ふとパメラは思った。ルシリシアの秘密の逢瀬を実行するために必要不可欠な協力者――ただそう思っていたが、こうして二人きりであれこれと話していると、ただの協力者ではないと思えてくる。だが友達と呼ぶのは違うと思うし、知人にしてはもう少し距離が近い気もする。
少しこそばゆい気持ちになりながらも、パメラはジェレミーとたわいない話を続けた。ジェレミーは職務上、他国で任務を行うこともあるので諸外国の情勢についてなかなかに詳しく、なるべく堅苦しくないないように他国の庶民の様子などを教えてくれた。聖女付き侍女として多くの知識を持っていることは決して損ではないので、パメラはジェレミーの話に耳をかたむけた。北のチェブレリカ大陸にいくつかの大きな自治体がまとまってノルティスラ連邦という国ができたことや、東方のバフルソン国とデシエトロン国が相変わらず国境線付近での小競り合いを続けていることなど、政治的な話だったがジェレミーはずいぶんと噛み砕いてわかりやすく教えてくれた。
そんなおしゃべりをしながら、夜空に浮かぶ星々の傾きを見守ること数時間。その日もまたパメラとルシリシアの二人は、闇夜にまぎれるようにしながら離小城へ戻った。
その後も、ルシリシアとディルクの密会が何度か行われた。パメラたちは秘密の逢瀬が誰にも知られていないと思っていたが、しかし闇夜にまぎれていたのはパメラたちだけではなかった。ディルクが住むごく普通の集合住宅を訪れて短時間でいなくなる黒いローブ姿は、闇夜の徘徊者に確実に見られていたのだ。
1
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

聖女は聞いてしまった
夕景あき
ファンタジー
「道具に心は不要だ」
父である国王に、そう言われて育った聖女。
彼女の周囲には、彼女を心を持つ人間として扱う人は、ほとんどいなくなっていた。
聖女自身も、自分の心の動きを無視して、聖女という治癒道具になりきり何も考えず、言われた事をただやり、ただ生きているだけの日々を過ごしていた。
そんな日々が10年過ぎた後、勇者と賢者と魔法使いと共に聖女は魔王討伐の旅に出ることになる。
旅の中で心をとり戻し、勇者に恋をする聖女。
しかし、勇者の本音を聞いてしまった聖女は絶望するのだった·····。
ネガティブ思考系聖女の恋愛ストーリー!
※ハッピーエンドなので、安心してお読みください!

【完結】公女さまが殿下に婚約破棄された
杜野秋人
恋愛
突然始まった卒業記念パーティーでの婚約破棄と断罪劇。
責めるのはおつむが足りないと評判の王太子、責められるのはその婚約者で筆頭公爵家の公女さま。どっちも卒業生で、俺のひとつ歳上だ。
なんでも、下級生の男爵家令嬢に公女さまがずっと嫌がらせしてたんだと。
ホントかね?
公女さまは否定していたけれど、証拠や証言を積み上げられて公爵家の責任まで問われかねない事態になって、とうとう涙声で罪を認めて謝罪するところまで追い込まれた。
だというのに王太子殿下は許そうとせず、あろうことか独断で国外追放まで言い渡した。
ちょっとこれはやりすぎじゃねえかなあ。公爵家が黙ってるとも思えんし、将来の王太子妃として知性も教養も礼儀作法も完璧で、いつでも凛々しく一流の淑女だった公女さまを国外追放するとか、国家の損失だろこれ。
だけど陛下ご夫妻は外遊中で、バカ王太子を止められる者などこの場にはいない。
しょうがねえな、と俺は一緒に学園に通ってる幼馴染の使用人に指示をひとつ出した。
うまく行けば、公爵家に恩を売れるかも。その時はそんな程度しか考えていなかった。
それがまさか、とんでもない展開になるなんて⸺!?
◆衝動的に一晩で書き上げたありきたりのテンプレ婚約破棄です。例によって設定は何も作ってない(一部流用した)ので固有名詞はほぼ出てきません。どこの国かもきちんと決めてないです(爆)。
ただ視点がちょっとひと捻りしてあります。
◆全5話、およそ8500字程度でサラッと読めます。お気軽にどうぞ。
9/17、別視点の話を書いちゃったんで追加投稿します。全4話、約12000字………って元の話より長いやんけ!(爆)
◆感想欄は常に開放しています。ご意見ご感想ツッコミやダメ出しなど、何でもお待ちしています。ぶっちゃけ感想もらえるだけでも嬉しいので。
◆この物語も例によって小説家になろうでも公開しています。あちらも同じく全5話+4話。
悪役令嬢のビフォーアフター
すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。
腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ!
とりあえずダイエットしなきゃ!
そんな中、
あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・
そんな私に新たに出会いが!!
婚約者さん何気に嫉妬してない?

図書館でうたた寝してたらいつの間にか王子と結婚することになりました
鳥花風星
恋愛
限られた人間しか入ることのできない王立図書館中枢部で司書として働く公爵令嬢ベル・シュパルツがお気に入りの場所で昼寝をしていると、目の前に見知らぬ男性がいた。
素性のわからないその男性は、たびたびベルの元を訪れてベルとたわいもない話をしていく。本を貸したりお茶を飲んだり、ありきたりな日々を何度か共に過ごしていたとある日、その男性から期間限定の婚約者になってほしいと懇願される。
とりあえず婚約を受けてはみたものの、その相手は実はこの国の第二王子、アーロンだった。
「俺は欲しいと思ったら何としてでも絶対に手に入れる人間なんだ」

少し先の未来が見える侯爵令嬢〜婚約破棄されたはずなのに、いつの間にか王太子様に溺愛されてしまいました。
ウマノホネ
恋愛
侯爵令嬢ユリア・ローレンツは、まさに婚約破棄されようとしていた。しかし、彼女はすでにわかっていた。自分がこれから婚約破棄を宣告されることを。
なぜなら、彼女は少し先の未来をみることができるから。
妹が仕掛けた冤罪により皆から嫌われ、婚約破棄されてしまったユリア。
しかし、全てを諦めて無気力になっていた彼女は、王国一の美青年レオンハルト王太子の命を助けることによって、運命が激変してしまう。
この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。
*小説家になろう様からの転載です。

【完結】悪役令嬢の反撃の日々
くも
恋愛
「ロゼリア、お茶会の準備はできていますか?」侍女のクラリスが部屋に入ってくる。
「ええ、ありがとう。今日も大勢の方々がいらっしゃるわね。」ロゼリアは微笑みながら答える。その微笑みは氷のように冷たく見えたが、心の中では別の計画を巡らせていた。
お茶会の席で、ロゼリアはいつものように優雅に振る舞い、貴族たちの陰口に耳を傾けた。その時、一人の男性が現れた。彼は王国の第一王子であり、ロゼリアの婚約者でもあるレオンハルトだった。
「ロゼリア、君の美しさは今日も輝いているね。」レオンハルトは優雅に頭を下げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる