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第2話 まずはお相手の特定から(後編)

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「わかりました、正直に話します。でもその内容を聞いたリエルソン様は、私と秘密を共有する者になっていただきます。その覚悟はありますか」
「なんだか物騒な雲行きだね? ますますそう簡単には見過ごせなくなった。いいよ、どんな内容だろうと君の仲間になろう。君の話が真実ならね」
「真実です。嘘は一切申し上げません。その証拠に、私の話が本当ならウォンクゼアーザ様がそれを証明してくださいます」
「神が? 神の名を出すなんてずいぶんと大胆だね」

 挑発するようにこちらを見下ろしてくるジェレミーをじっと見つめ返してから、パメラは両手指を組んで目を閉じた。そして静かな声で祈る。

「ウォンクゼアーザ様……これから私がリエルソン様にする話に一切の嘘偽りがなければ、話の終わりにリエルソン様のマントを強い風でどこかへ吹き飛ばしてしまってください」

 ルシリシアが黒髪の兵士と目が合ったのは、神聖殿内に吹いた不思議な突風によって目隠し布が外れてしまったからだ。もしその風を吹かせたのが神であったならば、きっといまこの場に同じような風を吹かすこともできるはずだ。そしてなぜだかパメラは、ウォンクゼアーザがそうやって協力してくれるような気がした。

「神への祈りがすんだところで、君の本当の狙いを聞こうか」

 ジェレミーは真剣な眼差しでパメラをうながした。

「はい。離穢の儀を行う間、聖女様は最初から最後まで目隠し布をされているので、基本的には儀式を受ける方と直接顔を見合わせることはありません。ところが先日の離穢の儀の最中に激しい突風が吹いて、聖女様の目隠し布が吹き飛ばされてしまいました。そしてその際、聖女様は儀式を受けに来ていた黒髪の兵士の方と目が合ったのですが、その一瞬で恋に落ちてしまったのです」
「へっ?」
「それから聖女様はその兵士の方が忘れられず、かといって聖女ですからどうすることもできないですし、それどころか誰かに言えるはずもありません。そのことで悩むあまりに食欲が落ちて、ろくに食事も喉が通らない状態です。聖女様はどうにかこのパメラにだけ、自身の気持ちを教えてくださいました。そんな聖女様に、せめて相手の方のお名前やどんな方なのかを教えてあげたくて……」

 パメラの語尾は弱々しく消えた。黒髪の兵士の名前や人となりをルシリシアに伝えることができたとして、しかしその次は何ができるだろうか。何もできやしないじゃないか。

「でもルシリシア様が聖女である以上、どうにもならないですね……私のお節介は意味のないものです。申し訳ありません、リエルソン様。教えていただこうかと思いましたが、やっぱりやめておきます」

 ルシリシアのためにできることがないかと思ってこうして行動してみたが、しかし何か情報が得られそうになったことでその先の未来がありありと見えてしまった。名前や人となりを知ることができても、ルシリシアとその想い人はそれ以上どうにもならないのだという未来――いや、現実が。

――ビュゥッ!

 その時、パメラの背後から一筋の強烈な突風が吹いた。音を立てて駆け抜けていったその風はパメラのロングスカートの裾をおおいに揺らし、さらにパメラと向き合っていたジェレミーのマントをさらっていく。

「えっ、ちょっ」

 肩章でしっかりと止めていたはずのマントが外れて少し離れた地面の上に落ちたので、ジェレミーは慌てて駆け寄ってマントを拾い上げ、土埃を払った。ジェレミーのその動きを、パメラは目を見開いて見つめた。

「ウォンクゼアーザ様……っ」

 自分がお願いしたとおりの事態が起きたので、パメラは信じられないと思った。まさか本当に、今の風は神が吹かせたものだろうか。いや、そうに違いない。でなければ騎士の羽織るマントがただの風で易々と肩から外れて宙へ吹き飛ばされるはずがない。

(いいのですか……私、ルシリシア様の恋を応援しても……許されますか)

 実の血族からも引き離され、同世代の友人を作ることもなく、ただ神に祈り、民を癒す責務だけを死ぬまでずっと背負わされ続ける「聖女」。自分で望んでその立場に生まれたわけではなかろうに、嫌な顔をせずにこれまでずっとその役目を誠実に果たしてきたルシリシア。そんな心優しい主の許されざる恋。誰にも言えない秘密。この先どうなるかわからない、むしろ素晴らしい結果が待っているとは言えそうにない願い。それを支えてもいいのだろうか。聖女に生まれてしまったルシリシアだけれども、普通の女性としての幸せをつかんでほしいと、そのために奮闘してもよいのだろうか。

「困ったな……もしかして、パメラ嬢を信じて協力しないと神の反感を買うかな」

 肩章で再びマントを止めつつ、ジェレミーは苦笑した。

「いいよ、わかった。君を、というよりウォンクゼアーザ様を信じよう。ただ、僕の心当たりが本当に聖女様の惚れた相手なのか、それを確かめてから名前とかを君に教えたいんだけど、それでもいいかな」
「え、あ……は、はい!」
「うん、元気ないい返事だ。念のため、もう一度その離穢の儀の時の様子を教えてくれる?」

 ジェレミーにそう頼まれたパメラは、見てはいないが聞きかじったその時の状況を説明した。神聖殿の中に今のような突風が吹いて、聖女様が身に着けていた目隠し布とベールが外れてしまったこと。そしてその時、聖女様は儀式を受けている最中だった黒髪の男性と目が合ったことを。

「わかった。班長に確かめてみる。明日のこの時間に……そうだな、城下町の東にあるマリエットってパン屋の外に来られる? 見回りついでにそこで買い食いして、君と話せる時間を作れると思うから」
「見回りついでに買い食いしていいのかどうか少々疑問ですが、承知いたしました」
「ふふっ、まあ大丈夫だよ。だいたいのことは、この顔でほほ笑めばなんとかなる」

 ジェレミーは自信たっぷりにそう言うと、甘い笑顔を作ってパメラを見下ろした。しかしパメラはそんなジェレミーの笑顔を見ても「うさんくさそう」としか思わず、そんな作り笑顔はどうでもいいから、ルシリシアの想い人の情報が得られるかもしれない明日のこの時間が一秒でも早く来ないかと思った。
 よろしくお願いします、とパメラはジェレミーに挨拶をすると、さっと踵を返して離小城へ通じる道を急いだ。


     ◆◇◆◇◆


「ディルク班長、先日受けた離穢の儀のことをお聞きしてもよろしいですか」

 あっさりとパメラに去られてしまったジェレミーは、その足で特殊作戦部隊本部の庁舎に向かった。そして訓練室の中で片手腕立て伏せをしている黒髪の男――ディルクを見つけると、彼のトレーニングの妨げにならないように二歩ほど離れたところから声をかけた。

「なんだ?」
「ディルク班長が儀式を受けていた時に、突風が吹いたんですか」
「ああ」
「もしかして、その風で聖女様の目隠し布とベールが外れて、聖女様のご尊顔を拝見なさいました?」
「なんでそんなことを訊く?」
「いえ、めったにないそういうアクシデントがあったと小耳に挟んだもので」
「まあ……見たが」
(マジか……)

 ディルクが肯定したので、ジェレミーはなんとも言えない気持ちになった。
 ジェレミー・リエルソンは、今年で二十五歳になる。リエルソン家は代々「騎士」の称号を授与される家柄で、ジェレミーの父も兄も神皇軍の一員として勤めている。母に似た美形のジェレミーは多くの女性に一目で好かれることが多く、礼儀正しくてさわやかで温厚な好青年というイメージを持たれやすい人生を過ごしてきた。
 確かに、そうした見た目と性格をしているとジェレミー自身も思っている。しかしジェレミーの中には、若い男子にありがちな「圧倒的な力で周囲を制圧する屈強な男」への憧れもあった。異性から秋波を送られるよりも、同性同士で品のない雑な会話を気軽にしたり、時には互いの力をぶつけ合って競ったり、そうした汗臭い時間も多く過ごしたいと思っていた。

 そこで二十歳になったジェレミーは一念発起して、それまで籍を置いていた治安維持部隊から特殊作戦部隊への異動を願い出た。都市部の治安維持が主たる業務である治安維持部隊とは違い、特殊作戦部隊は実力主義だ。近衛兵部隊や治安維持部隊では年功序列を基本に、「騎士」の称号を持つ由緒正しい家柄の者が主な役職に就く。騎士の称号を得られない三男以下の男児や、庶民家庭出身の兵士は生涯兵士のままで、出世の道はほとんどない。ところが特殊作戦部隊は、実力次第では「兵士」の身分の者がリーダーになり、「騎士」の身分であっても実力が劣ればただの一兵卒にすぎないという独特の文化だ。その文化を嫌って特殊作戦部隊には決して入ろうとしない騎士たちも多いが、騎士になれない者たちは逆にチャンスなので、腕に自信のある者たちが身分に関係なく集まる傾向にある。
 騎士ではあるが、自らの力で高みを目指してみたい。この美貌に頬を赤らめる女性たちから甘い言葉をかけられるよりも、男社会の中で怒号や罵声にまみれながらも自分自身の実力で成功を成し得てみたい。そうした野望を胸に、ジェレミーは特殊作戦部隊に入った。そんなジェレミーが出会ったのが、六歳年上のディルク・エングムだ。

 ディルクの実家エングム家も、ジェレミーの実家リエルソン家と同じように長く続く軍人の家系だ。長兄と次兄は騎士になっているが、ディルクは三男なので騎士の称号は得ていない。三男坊で末っ子のディルクは、聞けば子供の頃から体格に恵まれて、兄二人に負けまいとあらゆる鍛錬をしてきたのでその身体は岩のように硬い。全身どこもがっしりと筋肉がついていて、そして当然ながらに武芸も優秀だ。どの武器も基本レベル以上には使いこなせるし、任務における判断力も優れており、頭の回転も速い。実力主義の特殊作戦部隊で、若干二十六歳にしてひとつの班を任されているのも頷けるほどに軍人として秀でていた。
 ジェレミーはディルクに憧れた。ディルクのような男らしい男に自分はなりたかったのだと確信した。そしてディルクに追いつけるようにと、鍛錬も任務も懸命にこなしてきた。

 そうして三年後、二十三歳になったジェレミーはディルクの班のメンバーになった。一緒に仕事をするようになってますますジェレミーは、ディルクのすごさを肌で感じた。訓練で模擬戦闘をすれば動きには一切の隙がなく、思ってもみなかった方向から攻撃をされてあっという間に致命傷の一手をとられる。他国への潜入任務を行えば、自分たちの痕跡を残さず慎重に、しかし確実に目標を達成する。
 ジェレミーは幾度となくディルクと自分との差を感じた。ディルクを真似て自分も鍛錬を重ね、多少は体付きが雄々しくなったが、しかし生まれつきの顔立ちは変えられず、今も城下町を巡回すれば若い女性からうっとりとした視線を向けられる。その視線が嬉しくないわけではないのだが、そんな自分が「なりたい理想の自分」というわけではないので、妙な不一致さが居心地悪い。なれるものなら、ディルクのように男の中の男、と呼べるような格好いい男になりたいものだった。

「どうでした?」
「何が」
「聖女様ですよ。遠くから見たことならありますが、そんなに近くで拝見したことはないですから」

 先ほどたまたま立ち寄った軍事院の庁舎で出会った、聖女付き侍女のパメラ。彼女が探しているという、「離穢の儀で聖女様と目が合い、そして聖女様が一目で恋に落ちた相手」。もしかしたらディルクかもしれないと思ったが、まさか本当にそうだったとは。

「特になんもねぇよ」

 ディルクは左右の腕を入れ替え、片手腕立て伏せを続けながら答えた。

「かわいらしい方でした? あ、銀髪だから、どちらかというと美しいと言うべきなんですかね」

 ジェレミーの知る限り、今のディルクに恋人はいないはずだ。もう少し若かった頃は異性との付き合いがないこともないようだったが、女性に現を抜かすよりも仕事優先のどちらかというと堅物のディルクが、まさか聖女様と同じく一目惚れをすることなどないだろう。だが、さすがにかわいいとかきれいとか、そういう簡単な感想ぐらいは抱いたはずだ。

「ふーっ」

 ディルクは深く息を吐きながら、ゆっくりと身体を持ち上げる。今は片手だが、そろそろ親指による腕立て伏せに切り替えそうだ。
 ジェレミーはそう思ったが、しかしディルクはジェレミーの予想に反して腕立て伏せを終えて立ち上がった。そしてひたいにかいた汗を手の甲で拭ってため息をつくと、ぼんやりと床を見下ろしたまま呟いた。

「忘れたいんだ。もう聖女の話はするな」

 そう言うとディルクはジェレミーに背中を向けて、訓練室を出ていった。

(え……あれ……えっ、もしかして……?)

 男性にしては人の心の機微に鋭いジェレミーは、ディルクのその切なげな返答と態度に唖然とした。
 異性関係よりも仕事重視。その仕事においては徹底的に自分を追い込んでトレーニングを積み、どんなに難しい任務も確実にこなす実力の持ち主。無駄なことはしない主義で、いつでもストイックな姿勢を貫いているディルク・エングムという男。そのディルクが、「忘れたいことなのだからもう聖女の話をするな」と言い残して逃げたのはなぜか。それは、聖女様との対面が彼にとってよほど大きな意味を持っていることの証左ではないだろうか。それなのに忘れたいと思うということは、少なからずその離穢の儀の出来事が、堅物なディルクの心を痛めるものなのかもしれない。そしてその痛みはおそらく、甘さに似たしびれを持つ痛みだろう。そんなディルクの心情を名付けるならそう、恋煩いといったところか。

(うわあ……パメラ嬢、どうしようか)

 明日会う約束をしているパメラになんと言えばいいのだろうか。まさか、ディルクの方もどうやら聖女様に惚れてしまったらしいなんて。
 この国で最も特別で尊くて清らかで、決して穢されてはいけない聖女という存在。その聖女様と自身の上司の秘密の両片思いを知ってしまったジェレミーは、頭を抱えて座り込んでしまいたい気持ちになった。
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