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第2話
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「あ、猫」
ある日の放課後、帰ろうと思って学校の敷地を出ようとしていた私は、校舎裏の方へ歩いていく猫を見つけてしまった。黒い毛に金色の瞳。野良だと思ったけれど、ゆっくり追いかけて近付いてみるときれいな毛並みをしていることに気が付く。もしかしたら、野良ではなく飼い猫なのかもしれない。さわろうと思って伸ばした私の手を嫌がることもなく、むしろすり寄ってきたところを見ると、ますます飼い猫のように思われた。
(かわいい)
私は動物を飼ったことはない。両親があまり動物を好かないからだ。
でも私は結構動物が好きで、特に猫は好きな方だ。こうしてさわれるなんて、それも人懐こい猫だなんて貴重な機会で、嬉しくていつまでも構いたくなってしまう。
「ニャァ」
喉をなでてやると、猫はごろごろと甘えた声を出した。ああ、かわいいなあ。
でも、猫が好きなのはかわいいからというだけじゃない。猫を見ると、なんとなく佐竹くんを思い出すからだ。
片思い相手の佐竹くんは、とても同い年とは思えないくらいに大人びている。そんな佐竹くんは基本的に自由気ままで、まるで猫みたいだ。誰かと一緒にいることを嫌っているわけではないようだけど、でも一人の時間も好きみたいだから、一匹狼というより猫みたいだなと思う。
「ニャ~」
もっとなでて。そう言っているみたいに猫が鳴いた。
そのきれいな毛並みは、佐竹くんの髪みたい。佐竹くんもこんな風にさらさらでつやつやの髪だよね。なんて、何事につけても私は佐竹くんを思い出してしまう。
好きだけど、でも絶対に手の届かない人。両親がお医者さんで、頭が良くて、顔も整っているいわゆるイケメン。部活には入っていないけど、球技大会や運動会では運動部に負けないくらいの活躍をする運動神経も持ち合わせている。考え方が大人で、下品だったり馬鹿みたいだったりするような冗談は言わない男の子。
そんな佐竹くんに、平凡な私が釣り合うわけがない。いま同じクラスで毎日を過ごせるだけでも、多分一生分の幸せなんだろう。
「はあ……」
猫と戯れながらも、私の頭の中は佐竹くんでいっぱい。目の前のこの猫が佐竹くんの変身した姿だったらいいのに、なんて妄想までしてしまうほどだ。
もしもこの猫が佐竹くんだったら家に連れ帰って、親を説得してでも飼いたいなあ。ああ、でも無理か。きっとこの子はどこかの家の飼い猫だもんね。
(佐竹くん……)
会いたい。
もっと近くにいたい。
佐竹くんのために、何かしたい。
好き。大好き。君が好き。
「佐竹くん……」
「呼んだ?」
「え……ええっ!?」
予想していなかった返事に、私はとても驚いて背後に振り向く。素っ頓狂な叫び声を上げてしまった私の背にいたのは、正真正銘、佐竹くんだった。リュックを背負っているので、帰るところのようだ。
「え、あ、佐竹くんはっ……何?」
「何って訊かれても」
「えーっと……あ、帰るところ? この時間に残ってるの、珍しいね」
どうしよう。佐竹くんに会えたことが嬉しくて、でも動揺してしまう。もっと普通に喋らないといけないのに。
「夕焼けがきれいだったから、見てた」
「え、夕焼け?」
そういえば、そんな時間だっけ。
私は帰りのホームルームが終わったあとに放送委員会の集まりがあったのだけど、それが終わって猫を見つけてなでていたら、結構な時間が経っていたようだ。
「お前は猫と遊んでるのか」
「あ、うん。かわいくて、つい」
佐竹くんは私がまだなでている猫をじっと見つめて、それからゆっくりと私の隣に腰を下ろした。そして、自分も猫へと手を差し出す。私は猫をなでるのをやめて、佐竹くんが猫と戯れるのをじっと見ていた。
「どこかの飼い猫か」
「たぶん……毛並みがきれいだし」
「ボンベイだろうな。黒猫しかいない種類だ。推測だけど」
「佐竹くんって、猫が好きなの?」
黒猫なんてどれも同じに見えるのに、すぐに種類がわかるなんて。
「嫌いではないな。少なくとも、犬よりは好きだ」
そう言って佐竹くんは猫を抱き上げて立った。なんだか妙に手馴れた扱い。猫も全然嫌がっていない。
「犬より、ね。うん、なんか……やっぱり、って感じ」
猫っぽい佐竹くんが、猫を抱く。その構図はとてもほほ笑ましくて、私は立ち上がりながら笑ってしまった。
「なんだよ、やっぱりって」
「佐竹くんは猫っぽいな、って思ってたから」
「そうか?」
「うん。だから、犬よりも猫が好きっていうのは、ああ、やっぱりなって」
いつでも背筋を伸ばし、自分を信じて歩く。自由気ままなところがあるけれど、その誇り高さが美しい。猫みたいな佐竹くん――。
「――私も好きだよ」
「は?」
「あ、猫がね! どちらかというと、犬より猫が、ね!」
本当は、君が好き――だけど。
今はまだいい。まだいいの。ただ好きなだけでいいの。
「お前、ちゃんと帰れよ」
佐竹くんは猫を地面に下ろした。猫は私と佐竹くんを見上げてニャアと鳴くと、すたすたとどこかへ歩いて消えてしまう。別れの挨拶もできるなんて、本当に人慣れしている猫ちゃんだ。
話題の中心だった猫がいなくなってしまい、二人の間に沈黙が流れる。緊張した私はその場をごまかすように、佐竹くんが見ていたという夕焼けを今になって見てみた。校舎と校舎の隙間にかろうじて見えたそれは、確かにきれいなオレンジ色だった。
「ほんとだ。きれいだね、夕焼け」
「明日も晴れだな」
「えっ」
「なんだよ」
「いや、なんか、佐竹くんが明日の天気についてコメントするなんて」
「お前は俺にどんなイメージを持ってんの」
「うーんと……猫みたいだな、って」
「それはさっき聞いた。ほかになんかないのか」
「えっと……えーと」
人に答えを催促するくせに、佐竹くんは私が答える前にズボンのポケットに手を入れて、夕焼けを背にしてゆっくりと歩き出してしまう。向かう先が正門だったので、帰るところだった私もなんとなく追いかけるように佐竹くんに続く。
「なんだろう……クラスメイト、かな」
「それは単なる事実」
「じゃあ、うーん……」
大きな背中が振り返る。私をまっすぐに見つめて、佐竹くんは尋ねる。
「千葉には、俺はどう見えてんの」
「どう、って……あの……格好いいと…………思う」
だから、好き。君が好き。本当は、今すぐ伝えたいくらいに。
「ま、当然だな」
佐竹くんはニヤりと笑うと、またさっさと歩き出した。自信に満ちていて颯爽としたその雰囲気は、やっぱり猫みたいだった。
「ほら、帰るぞ」
「う、うんっ」
佐竹くん――。
君が好き、君が好き、君が好き。
夕焼け色の道を二人で並んで歩く時間が幸せすぎて、私の頭の中はその言葉で埋め尽くされた。
◆◇◆◇◆
「ごめんね! 遅れちゃった」
「大丈夫よー。宮崎がまだだから」
「宮崎の奴、来たら何か奢らせるか」
ダチの日暮によって無理やり連れてこられた「思い出作り」。集合時間より少しばかり遅れて来た千葉を見て、俺は来てよかったと思った。
――このクラスは一生に一度しかない! だからこのクラスでの思い出を作ろう!
誰が発案したのか――大方イベント好きの学級委員長だろうが――そんな話が夏休み前からクラス内を駆け巡り、あれよあれよとその話は具体的になっていった。
俺は予備校の夏期講習の予定があるし、そもそも集団というものが好きな方ではないから、話を聞くふりはしつつも不参加の意思表示をしていた。それなのに、同じ夏期講習を受けている奴の計らいがあったのか、うまい具合に予備校の授業がない日に「思い出作り」が予定され、そして日暮によって半ば強制的に俺は連れてこられた。
一人二人とクラスメイトが集まる様を冷たい目で見ていたのだが、遅れてやって来た千葉を見て、鬱屈した気持ちは吹き飛んだ。一生に一度しかないクラスの思い出など、別に欲してはいない。でも、どんな形であっても千葉と学校外での時間を過ごせるのなら、それは願ってもないことだった。
「あ、やっと来た!」
「宮崎、遅い!」
「わりぃわりぃ。この素晴らしい髪型をキメるのに時間がかかっちまった!」
「あんたの髪型なんてどうでもいいし」
「あんたがワックスをいくら使おうとも、佐竹の方が普通に十倍はカッコいいし」
「それはそうだな! くそ~、イケメンは羨ましい!」
「俺に話をふるな」
ようやくやって来た宮崎をからかいつつ、先導者たちは集合場所から移動を開始する。目的地の場所へはここからしばらく歩くようだ。
「思い出作り」とはいえ、さすがにクラス全員は集まっていない。それでも二十人弱は集まっているから、かなりの大所帯だ。当然、歩くうちにいくつかのグループができあがる。
「彩音、そのワンピかわいいね」
「えへへ、ありがとう。ちょっと奮発しっちゃったの」
「今日のために~?」
「ち、違うけどっ」
「ねえねえ、絶対行こうね、あのバラエティ番組の体験コーナー!」
早くも女子数名のグループが盛り上がっている。
「思い出作り」の場所に選ばれたのは、夏休みの間だけやっているテレビ局主催の期間限定レジャーランドだ。ただでさえ外出する人が多い夏休みに、これでもかというぐらい人が集まりそうな場所に、これまたこんな大所帯で行くなど、俺には愚の極みとしか思えない。
だが、俺以外の奴らは心底そのレジャーランドが楽しみだったらしく、着いた瞬間、それはもう小学生のような元気さで駆け出していった。クラスの「思い出作り」なのだから全体行動でもするのかと思いきや、個々が自由に目当てのものをめがけて飛びついていく。下らないテレビ番組の体験コーナーなどに興味のない俺は、はしゃぎ回るクラスメイトをただ呆れた目で見るだけだった。
一人二人、三人と、それぞれがテンションを上げて方々に散り散りになっていく。気付けばクラスメイトたちの姿は見えなくなっていた。一応視界の中に何人かはいるのだが、彼らを気にかける義理は俺にはない。日暮の奴も別の男子と一緒にシューティング系の体験アクティビティに並んでいるし、早くも帰ろうかとすら思う。
「はあ……」
真夏の強い日差しのだるさも加わって、俺はやけに切実なため息をついた。強制的に連れてきておいて、自分のことしか見えてないのかよ。
人は集団になるほど、周りが見えなくなる傾向にある。集団の中にいることに安堵して、周囲への気配りを忘れるのだ。
「帰るか」
冗談ではなく、本気で。
呆れた目で周囲を見渡す。
人がいて、人がいる。家族連れ、恋人連れ、友達連れ。
誰もが同じに見える。
なぜ俺は、ここにいるんだろう。
「佐竹くん、人込みは嫌い?」
その時、様々な騒音の間をぬうようにして、きれいな声がした。
その声の主は、俺を見上げて心配そうな顔をする千葉だった。山川らとどこかへ行ったかと思ったが、この入り口付近に戻ってきたようだ。
「まあ……好きではない」
「疲れちゃうよね」
「いや……」
今はただ呆れているだけだ。よくもまあ、こんな暑い日にこんな場所で楽しめるものだと。
「山川たちと一緒じゃなくていいのか」
「うん……私はもう少しゆっくり行きたいなと思って」
千葉は苦笑すると、俺の横に並んだ。
手のひらをうちわ代わりにして、首元を扇ぐ。
「みんな、どんどん先に行っちゃうんだもの」
「千葉も行けばいいだろ」
「私はゆっくりじっくり眺める方が好きだから」
「そうか」
俺はそう頷きながら、今の今まで「帰るか」と思っていた気持ちがしぼんでいくのを感じた。
暑くても人が多くても、いまいる場所がくだらなくても、千葉が隣にいるだけで心が休まる気がする。千葉には人を和ませる何かがある。先ほどまでささくれ立っていた心が、やわらかさを取り戻していくようだ。
「涼みに行くか」
「え、あっ、佐竹くんっ!?」
やわらかくなりすぎて、どこか壊れたのだろうか。俺は千葉の手首を掴むと、すたすたと歩き始めていた。
それは条件反射的に、思わずしてしまった行為だ。歩き始めてから、俺は自分のしたことに自分で驚いていた。まさか、千葉の手首を掴むなんて。
千葉の存在は嫌いではないし、むしろ異性としてとても好ましく思っている。だが、こいつには好きな奴がいるはずだ。俺など、ただのクラスメイトでしかない。俺が多くの同級生たちを背景のようにしか見ていないみたいに、千葉にとっても俺はただの背景でしかないはずだ。こんな風に俺に手首を握られてどこかへ連行されるなど、迷惑にしかならないだろう。
そう頭ではわかっているのに、千葉の細い手を離せない俺は一心不乱に休める場所を探していた。どこかの店に入れば、この手を解放してやれる。ドクドクと脈打つ自分の心臓も鎮まるはずだ。
二人とも無言のまま、しばらく歩いた。そしてようやく見つけたレストラン街に入って空いている席に腰を落ち着けた時、俺はやっとまともな呼吸ができた気がした。掴んでいた千葉の手もちゃんと離した。
「ごめん」
「う、ううんっ」
俺が変な行動に出て黙ったからなのか、千葉も黙ってしまった。店に入ったはいいが、レジに注文に行く雰囲気ではない。どうしたものか。少し俯いている千葉と店内の込み具合を交互に見比べて考える。すると、千葉が髪の毛を耳にかけ直しながら口を開いた。
「みんなのこと、置いてきちゃったね」
「そうだな。先に置いていかれたのは俺の方だけどな」
「ふふっ」
クラスメイトのことなど、すっかり意識から抜け落ちていた。今はただ、すぐ近くでほほ笑む千葉から目が離せない。学校以外の場所で二人きりになるなど、今までになかったことだ。
「どうしようか。あっ、とりあえず何か飲むもの、買ってくるね」
そう言うと千葉は俺の顔も見ずに席を立って、レジの最後尾に並びに行った。取り残された俺は、千葉が戻ってくるのをしずしずと待つしかできない。
夏休みの、人が多いレジャーランド。クラスメイトたちとはぐれて、千葉と二人。
これは願ってもない幸運だ。そう考えていいのだろうか。
どこにいても聞こえるきれいな声、人を和ませる穏やかさ。あまり目立つ存在ではないが、周囲を冷静に見ることができる思慮深さがあって、自分たちの楽しみばかりを追求して駆けていったほかの奴らとは違い、配慮ができる。千葉はそういう人間だ。
だから好きなのか。
いや、そうじゃない。ただ、千葉だから……千葉が……。
「アイスティーでよかったかな」
「え……ああ」
呆けていた俺は千葉の声ではっとした。
千葉がテーブルの上にドリンクのカップをふたつ置く。
「ご、ごめんね。何がいいか、訊かなかったね」
「いや、平気だ」
涼みに行くかと誘っておきながら、呆けていたのは俺の失態だ。千葉が謝ることなどないのに、その律儀な態度がいじらしく思えてしょうがない。
ドリンク代の小銭を千葉に渡してから喉に流し込んだアイスティーは、舞い上がって落ち着きをなくしかけていた心臓の高鳴りを少しばかり冷静にさせてくれた。
「なんか……ごめんね」
「何が?」
「えっと……ほら、佐竹くん、ここに来たかったわけじゃないんでしょ?」
「まあな」
「無理やり連れてきちゃったみたいで」
「千葉が謝ることじゃない。それに……」
「それに?」
俺が言葉に詰まったからか、千葉が俺を見る。
見つめられることに恥ずかしさを覚えて、俺は視線をそらした。
「今は、来てよかったと思える」
周囲には大勢の人がいて、耳障りな喧騒がしているはずだ。それなのに、俺たちの周りだけ音が消えたかのように静かだ。自分で言った言葉が、やけに大きな声となって響いた気がする。
千葉がいて、千葉に会えたから。千葉と一緒にいられるから。だから、来てよかったと思える。
そんな風に考えている自分が女々しくて、俺は後悔した。来てよかったなどと、千葉には伝える必要のないことだった。
「佐竹くんがそう思えるなら、よかったよ」
自分の胸の内につのる気まずさゆえに、千葉の顔を直視できない。けど、ちらっと見た千葉はとても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。その笑顔を見て、俺は再度思った。ここに来てよかったと。
「どこに行く?」
「え?」
「ゆっくりじっくり眺めるだけなら、付き合ってやってもいい」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、せっかくだから」
千葉はまた嬉しそうに笑った。その頬がやけに赤く見えたのは、きっと気のせいだ。
その後、夕方にクラスメイトたちと合流するまで、千葉に付き合う形でレジャーランド内をぐるぐると回った。言葉通り本当に千葉はじっくりゆっくり展示物を眺めるので、歩き疲れはしたがそんな千葉の様子を観察することができて、意外なほど俺はこの「思い出作り」を楽しんでいた。
◆◇◆◇◆
(手、掴まれちゃった)
湯気で白くなった浴室内。湯船に浸かりながら、私は自分の手首を見つめる。そこは今日の昼間、佐竹くんに掴まれた箇所だ。
(デートみたいだった……)
佐竹くんは来たくないだろう。そう思っていた。だから来るはずはないだろうと。
ところが、待ち合わせ場所に遅れて行ってみれば、佐竹くんの姿があった。それだけでも神様に感謝したいぐらいの幸運だったというのに、まさか佐竹くんと二人でレジャーランド内を見物できるなんて――。
(――嬉しすぎる)
思い出すだけでも高揚して、興奮して、ドキドキして、胸の奥が痛くなる。
(佐竹くん……好きだなあ)
猫みたいに掴みどころのないところ。一人行動が好きなくせに、意外と他人にも歩幅を合わせてくれるところ。陽気にぎゃあぎゃあと騒ぎはしない、大人なところ。
(私は、どんな風に思われてるのかなあ)
ただのクラスメイトという距離は、少しは縮まっただろうか。ただのクラスメイトではない、何か特別な存在だと、少しは思ってくれていないだろうか。
望んでしまう。期待してしまう。そして、そんなの叶うはずがないと臆病になって、頭をもたげる欲望をぎゅうぎゅうと胸の奥に押し込む。
(佐竹くん……)
それでも想いは止まらない。彼のことを思い出して、心臓のあたりがキュッと締まる。それはいとしさがつのっているせいか、それとも叶わない恋への痛みゆえか。
いつだったか二人で見たきれいな夕焼けのように頬が赤く染まるぐらいにのぼせるまで、私は昼間のことを反芻して一夏の思い出にふけっていた。
ある日の放課後、帰ろうと思って学校の敷地を出ようとしていた私は、校舎裏の方へ歩いていく猫を見つけてしまった。黒い毛に金色の瞳。野良だと思ったけれど、ゆっくり追いかけて近付いてみるときれいな毛並みをしていることに気が付く。もしかしたら、野良ではなく飼い猫なのかもしれない。さわろうと思って伸ばした私の手を嫌がることもなく、むしろすり寄ってきたところを見ると、ますます飼い猫のように思われた。
(かわいい)
私は動物を飼ったことはない。両親があまり動物を好かないからだ。
でも私は結構動物が好きで、特に猫は好きな方だ。こうしてさわれるなんて、それも人懐こい猫だなんて貴重な機会で、嬉しくていつまでも構いたくなってしまう。
「ニャァ」
喉をなでてやると、猫はごろごろと甘えた声を出した。ああ、かわいいなあ。
でも、猫が好きなのはかわいいからというだけじゃない。猫を見ると、なんとなく佐竹くんを思い出すからだ。
片思い相手の佐竹くんは、とても同い年とは思えないくらいに大人びている。そんな佐竹くんは基本的に自由気ままで、まるで猫みたいだ。誰かと一緒にいることを嫌っているわけではないようだけど、でも一人の時間も好きみたいだから、一匹狼というより猫みたいだなと思う。
「ニャ~」
もっとなでて。そう言っているみたいに猫が鳴いた。
そのきれいな毛並みは、佐竹くんの髪みたい。佐竹くんもこんな風にさらさらでつやつやの髪だよね。なんて、何事につけても私は佐竹くんを思い出してしまう。
好きだけど、でも絶対に手の届かない人。両親がお医者さんで、頭が良くて、顔も整っているいわゆるイケメン。部活には入っていないけど、球技大会や運動会では運動部に負けないくらいの活躍をする運動神経も持ち合わせている。考え方が大人で、下品だったり馬鹿みたいだったりするような冗談は言わない男の子。
そんな佐竹くんに、平凡な私が釣り合うわけがない。いま同じクラスで毎日を過ごせるだけでも、多分一生分の幸せなんだろう。
「はあ……」
猫と戯れながらも、私の頭の中は佐竹くんでいっぱい。目の前のこの猫が佐竹くんの変身した姿だったらいいのに、なんて妄想までしてしまうほどだ。
もしもこの猫が佐竹くんだったら家に連れ帰って、親を説得してでも飼いたいなあ。ああ、でも無理か。きっとこの子はどこかの家の飼い猫だもんね。
(佐竹くん……)
会いたい。
もっと近くにいたい。
佐竹くんのために、何かしたい。
好き。大好き。君が好き。
「佐竹くん……」
「呼んだ?」
「え……ええっ!?」
予想していなかった返事に、私はとても驚いて背後に振り向く。素っ頓狂な叫び声を上げてしまった私の背にいたのは、正真正銘、佐竹くんだった。リュックを背負っているので、帰るところのようだ。
「え、あ、佐竹くんはっ……何?」
「何って訊かれても」
「えーっと……あ、帰るところ? この時間に残ってるの、珍しいね」
どうしよう。佐竹くんに会えたことが嬉しくて、でも動揺してしまう。もっと普通に喋らないといけないのに。
「夕焼けがきれいだったから、見てた」
「え、夕焼け?」
そういえば、そんな時間だっけ。
私は帰りのホームルームが終わったあとに放送委員会の集まりがあったのだけど、それが終わって猫を見つけてなでていたら、結構な時間が経っていたようだ。
「お前は猫と遊んでるのか」
「あ、うん。かわいくて、つい」
佐竹くんは私がまだなでている猫をじっと見つめて、それからゆっくりと私の隣に腰を下ろした。そして、自分も猫へと手を差し出す。私は猫をなでるのをやめて、佐竹くんが猫と戯れるのをじっと見ていた。
「どこかの飼い猫か」
「たぶん……毛並みがきれいだし」
「ボンベイだろうな。黒猫しかいない種類だ。推測だけど」
「佐竹くんって、猫が好きなの?」
黒猫なんてどれも同じに見えるのに、すぐに種類がわかるなんて。
「嫌いではないな。少なくとも、犬よりは好きだ」
そう言って佐竹くんは猫を抱き上げて立った。なんだか妙に手馴れた扱い。猫も全然嫌がっていない。
「犬より、ね。うん、なんか……やっぱり、って感じ」
猫っぽい佐竹くんが、猫を抱く。その構図はとてもほほ笑ましくて、私は立ち上がりながら笑ってしまった。
「なんだよ、やっぱりって」
「佐竹くんは猫っぽいな、って思ってたから」
「そうか?」
「うん。だから、犬よりも猫が好きっていうのは、ああ、やっぱりなって」
いつでも背筋を伸ばし、自分を信じて歩く。自由気ままなところがあるけれど、その誇り高さが美しい。猫みたいな佐竹くん――。
「――私も好きだよ」
「は?」
「あ、猫がね! どちらかというと、犬より猫が、ね!」
本当は、君が好き――だけど。
今はまだいい。まだいいの。ただ好きなだけでいいの。
「お前、ちゃんと帰れよ」
佐竹くんは猫を地面に下ろした。猫は私と佐竹くんを見上げてニャアと鳴くと、すたすたとどこかへ歩いて消えてしまう。別れの挨拶もできるなんて、本当に人慣れしている猫ちゃんだ。
話題の中心だった猫がいなくなってしまい、二人の間に沈黙が流れる。緊張した私はその場をごまかすように、佐竹くんが見ていたという夕焼けを今になって見てみた。校舎と校舎の隙間にかろうじて見えたそれは、確かにきれいなオレンジ色だった。
「ほんとだ。きれいだね、夕焼け」
「明日も晴れだな」
「えっ」
「なんだよ」
「いや、なんか、佐竹くんが明日の天気についてコメントするなんて」
「お前は俺にどんなイメージを持ってんの」
「うーんと……猫みたいだな、って」
「それはさっき聞いた。ほかになんかないのか」
「えっと……えーと」
人に答えを催促するくせに、佐竹くんは私が答える前にズボンのポケットに手を入れて、夕焼けを背にしてゆっくりと歩き出してしまう。向かう先が正門だったので、帰るところだった私もなんとなく追いかけるように佐竹くんに続く。
「なんだろう……クラスメイト、かな」
「それは単なる事実」
「じゃあ、うーん……」
大きな背中が振り返る。私をまっすぐに見つめて、佐竹くんは尋ねる。
「千葉には、俺はどう見えてんの」
「どう、って……あの……格好いいと…………思う」
だから、好き。君が好き。本当は、今すぐ伝えたいくらいに。
「ま、当然だな」
佐竹くんはニヤりと笑うと、またさっさと歩き出した。自信に満ちていて颯爽としたその雰囲気は、やっぱり猫みたいだった。
「ほら、帰るぞ」
「う、うんっ」
佐竹くん――。
君が好き、君が好き、君が好き。
夕焼け色の道を二人で並んで歩く時間が幸せすぎて、私の頭の中はその言葉で埋め尽くされた。
◆◇◆◇◆
「ごめんね! 遅れちゃった」
「大丈夫よー。宮崎がまだだから」
「宮崎の奴、来たら何か奢らせるか」
ダチの日暮によって無理やり連れてこられた「思い出作り」。集合時間より少しばかり遅れて来た千葉を見て、俺は来てよかったと思った。
――このクラスは一生に一度しかない! だからこのクラスでの思い出を作ろう!
誰が発案したのか――大方イベント好きの学級委員長だろうが――そんな話が夏休み前からクラス内を駆け巡り、あれよあれよとその話は具体的になっていった。
俺は予備校の夏期講習の予定があるし、そもそも集団というものが好きな方ではないから、話を聞くふりはしつつも不参加の意思表示をしていた。それなのに、同じ夏期講習を受けている奴の計らいがあったのか、うまい具合に予備校の授業がない日に「思い出作り」が予定され、そして日暮によって半ば強制的に俺は連れてこられた。
一人二人とクラスメイトが集まる様を冷たい目で見ていたのだが、遅れてやって来た千葉を見て、鬱屈した気持ちは吹き飛んだ。一生に一度しかないクラスの思い出など、別に欲してはいない。でも、どんな形であっても千葉と学校外での時間を過ごせるのなら、それは願ってもないことだった。
「あ、やっと来た!」
「宮崎、遅い!」
「わりぃわりぃ。この素晴らしい髪型をキメるのに時間がかかっちまった!」
「あんたの髪型なんてどうでもいいし」
「あんたがワックスをいくら使おうとも、佐竹の方が普通に十倍はカッコいいし」
「それはそうだな! くそ~、イケメンは羨ましい!」
「俺に話をふるな」
ようやくやって来た宮崎をからかいつつ、先導者たちは集合場所から移動を開始する。目的地の場所へはここからしばらく歩くようだ。
「思い出作り」とはいえ、さすがにクラス全員は集まっていない。それでも二十人弱は集まっているから、かなりの大所帯だ。当然、歩くうちにいくつかのグループができあがる。
「彩音、そのワンピかわいいね」
「えへへ、ありがとう。ちょっと奮発しっちゃったの」
「今日のために~?」
「ち、違うけどっ」
「ねえねえ、絶対行こうね、あのバラエティ番組の体験コーナー!」
早くも女子数名のグループが盛り上がっている。
「思い出作り」の場所に選ばれたのは、夏休みの間だけやっているテレビ局主催の期間限定レジャーランドだ。ただでさえ外出する人が多い夏休みに、これでもかというぐらい人が集まりそうな場所に、これまたこんな大所帯で行くなど、俺には愚の極みとしか思えない。
だが、俺以外の奴らは心底そのレジャーランドが楽しみだったらしく、着いた瞬間、それはもう小学生のような元気さで駆け出していった。クラスの「思い出作り」なのだから全体行動でもするのかと思いきや、個々が自由に目当てのものをめがけて飛びついていく。下らないテレビ番組の体験コーナーなどに興味のない俺は、はしゃぎ回るクラスメイトをただ呆れた目で見るだけだった。
一人二人、三人と、それぞれがテンションを上げて方々に散り散りになっていく。気付けばクラスメイトたちの姿は見えなくなっていた。一応視界の中に何人かはいるのだが、彼らを気にかける義理は俺にはない。日暮の奴も別の男子と一緒にシューティング系の体験アクティビティに並んでいるし、早くも帰ろうかとすら思う。
「はあ……」
真夏の強い日差しのだるさも加わって、俺はやけに切実なため息をついた。強制的に連れてきておいて、自分のことしか見えてないのかよ。
人は集団になるほど、周りが見えなくなる傾向にある。集団の中にいることに安堵して、周囲への気配りを忘れるのだ。
「帰るか」
冗談ではなく、本気で。
呆れた目で周囲を見渡す。
人がいて、人がいる。家族連れ、恋人連れ、友達連れ。
誰もが同じに見える。
なぜ俺は、ここにいるんだろう。
「佐竹くん、人込みは嫌い?」
その時、様々な騒音の間をぬうようにして、きれいな声がした。
その声の主は、俺を見上げて心配そうな顔をする千葉だった。山川らとどこかへ行ったかと思ったが、この入り口付近に戻ってきたようだ。
「まあ……好きではない」
「疲れちゃうよね」
「いや……」
今はただ呆れているだけだ。よくもまあ、こんな暑い日にこんな場所で楽しめるものだと。
「山川たちと一緒じゃなくていいのか」
「うん……私はもう少しゆっくり行きたいなと思って」
千葉は苦笑すると、俺の横に並んだ。
手のひらをうちわ代わりにして、首元を扇ぐ。
「みんな、どんどん先に行っちゃうんだもの」
「千葉も行けばいいだろ」
「私はゆっくりじっくり眺める方が好きだから」
「そうか」
俺はそう頷きながら、今の今まで「帰るか」と思っていた気持ちがしぼんでいくのを感じた。
暑くても人が多くても、いまいる場所がくだらなくても、千葉が隣にいるだけで心が休まる気がする。千葉には人を和ませる何かがある。先ほどまでささくれ立っていた心が、やわらかさを取り戻していくようだ。
「涼みに行くか」
「え、あっ、佐竹くんっ!?」
やわらかくなりすぎて、どこか壊れたのだろうか。俺は千葉の手首を掴むと、すたすたと歩き始めていた。
それは条件反射的に、思わずしてしまった行為だ。歩き始めてから、俺は自分のしたことに自分で驚いていた。まさか、千葉の手首を掴むなんて。
千葉の存在は嫌いではないし、むしろ異性としてとても好ましく思っている。だが、こいつには好きな奴がいるはずだ。俺など、ただのクラスメイトでしかない。俺が多くの同級生たちを背景のようにしか見ていないみたいに、千葉にとっても俺はただの背景でしかないはずだ。こんな風に俺に手首を握られてどこかへ連行されるなど、迷惑にしかならないだろう。
そう頭ではわかっているのに、千葉の細い手を離せない俺は一心不乱に休める場所を探していた。どこかの店に入れば、この手を解放してやれる。ドクドクと脈打つ自分の心臓も鎮まるはずだ。
二人とも無言のまま、しばらく歩いた。そしてようやく見つけたレストラン街に入って空いている席に腰を落ち着けた時、俺はやっとまともな呼吸ができた気がした。掴んでいた千葉の手もちゃんと離した。
「ごめん」
「う、ううんっ」
俺が変な行動に出て黙ったからなのか、千葉も黙ってしまった。店に入ったはいいが、レジに注文に行く雰囲気ではない。どうしたものか。少し俯いている千葉と店内の込み具合を交互に見比べて考える。すると、千葉が髪の毛を耳にかけ直しながら口を開いた。
「みんなのこと、置いてきちゃったね」
「そうだな。先に置いていかれたのは俺の方だけどな」
「ふふっ」
クラスメイトのことなど、すっかり意識から抜け落ちていた。今はただ、すぐ近くでほほ笑む千葉から目が離せない。学校以外の場所で二人きりになるなど、今までになかったことだ。
「どうしようか。あっ、とりあえず何か飲むもの、買ってくるね」
そう言うと千葉は俺の顔も見ずに席を立って、レジの最後尾に並びに行った。取り残された俺は、千葉が戻ってくるのをしずしずと待つしかできない。
夏休みの、人が多いレジャーランド。クラスメイトたちとはぐれて、千葉と二人。
これは願ってもない幸運だ。そう考えていいのだろうか。
どこにいても聞こえるきれいな声、人を和ませる穏やかさ。あまり目立つ存在ではないが、周囲を冷静に見ることができる思慮深さがあって、自分たちの楽しみばかりを追求して駆けていったほかの奴らとは違い、配慮ができる。千葉はそういう人間だ。
だから好きなのか。
いや、そうじゃない。ただ、千葉だから……千葉が……。
「アイスティーでよかったかな」
「え……ああ」
呆けていた俺は千葉の声ではっとした。
千葉がテーブルの上にドリンクのカップをふたつ置く。
「ご、ごめんね。何がいいか、訊かなかったね」
「いや、平気だ」
涼みに行くかと誘っておきながら、呆けていたのは俺の失態だ。千葉が謝ることなどないのに、その律儀な態度がいじらしく思えてしょうがない。
ドリンク代の小銭を千葉に渡してから喉に流し込んだアイスティーは、舞い上がって落ち着きをなくしかけていた心臓の高鳴りを少しばかり冷静にさせてくれた。
「なんか……ごめんね」
「何が?」
「えっと……ほら、佐竹くん、ここに来たかったわけじゃないんでしょ?」
「まあな」
「無理やり連れてきちゃったみたいで」
「千葉が謝ることじゃない。それに……」
「それに?」
俺が言葉に詰まったからか、千葉が俺を見る。
見つめられることに恥ずかしさを覚えて、俺は視線をそらした。
「今は、来てよかったと思える」
周囲には大勢の人がいて、耳障りな喧騒がしているはずだ。それなのに、俺たちの周りだけ音が消えたかのように静かだ。自分で言った言葉が、やけに大きな声となって響いた気がする。
千葉がいて、千葉に会えたから。千葉と一緒にいられるから。だから、来てよかったと思える。
そんな風に考えている自分が女々しくて、俺は後悔した。来てよかったなどと、千葉には伝える必要のないことだった。
「佐竹くんがそう思えるなら、よかったよ」
自分の胸の内につのる気まずさゆえに、千葉の顔を直視できない。けど、ちらっと見た千葉はとても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。その笑顔を見て、俺は再度思った。ここに来てよかったと。
「どこに行く?」
「え?」
「ゆっくりじっくり眺めるだけなら、付き合ってやってもいい」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、せっかくだから」
千葉はまた嬉しそうに笑った。その頬がやけに赤く見えたのは、きっと気のせいだ。
その後、夕方にクラスメイトたちと合流するまで、千葉に付き合う形でレジャーランド内をぐるぐると回った。言葉通り本当に千葉はじっくりゆっくり展示物を眺めるので、歩き疲れはしたがそんな千葉の様子を観察することができて、意外なほど俺はこの「思い出作り」を楽しんでいた。
◆◇◆◇◆
(手、掴まれちゃった)
湯気で白くなった浴室内。湯船に浸かりながら、私は自分の手首を見つめる。そこは今日の昼間、佐竹くんに掴まれた箇所だ。
(デートみたいだった……)
佐竹くんは来たくないだろう。そう思っていた。だから来るはずはないだろうと。
ところが、待ち合わせ場所に遅れて行ってみれば、佐竹くんの姿があった。それだけでも神様に感謝したいぐらいの幸運だったというのに、まさか佐竹くんと二人でレジャーランド内を見物できるなんて――。
(――嬉しすぎる)
思い出すだけでも高揚して、興奮して、ドキドキして、胸の奥が痛くなる。
(佐竹くん……好きだなあ)
猫みたいに掴みどころのないところ。一人行動が好きなくせに、意外と他人にも歩幅を合わせてくれるところ。陽気にぎゃあぎゃあと騒ぎはしない、大人なところ。
(私は、どんな風に思われてるのかなあ)
ただのクラスメイトという距離は、少しは縮まっただろうか。ただのクラスメイトではない、何か特別な存在だと、少しは思ってくれていないだろうか。
望んでしまう。期待してしまう。そして、そんなの叶うはずがないと臆病になって、頭をもたげる欲望をぎゅうぎゅうと胸の奥に押し込む。
(佐竹くん……)
それでも想いは止まらない。彼のことを思い出して、心臓のあたりがキュッと締まる。それはいとしさがつのっているせいか、それとも叶わない恋への痛みゆえか。
いつだったか二人で見たきれいな夕焼けのように頬が赤く染まるぐらいにのぼせるまで、私は昼間のことを反芻して一夏の思い出にふけっていた。
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