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第一部 三章

第三十四話 猫オンステージ

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「よろしくお願いします」

 ミーミルはぺこりと頭を下げる。

「ここここここちらこそ、よろしくお願いします!」

 兵士が緊張のあまり「こ」を六連打しながら頭を下げる。

「そんな緊張しなくていいよ。リラックスリラックス」

 ミーミルはそう言ってぴょんぴょんとその場で跳ねる。
 何戦か戦闘を終え、自分がそこそこやれるという事が分かったミーミルには、余裕すら浮かんでいた。

「おお……」
「……素晴らしい」

 そんなミーミルに周りの観衆からは、ため息混じりの称賛が浴びせられる。
 何だかよく分からないが、褒められるのは気持ちが良かった。
 罵声と怒号が飛び交う会社勤めとは大違いだ。

「よーし、じゃあやろうか!」
「お願いします!」

 兵士が剣を構え、ミーミルもそれに応える。

「剣皇様! 無事ですか!」

 それと同時に練習場に、大声が響き渡った。

「アベルめ。思ったより早かったな……」

 エーギルはそう言って舌打ちをする。
 声の主はアベルであった。
 服が破れてボロボロだ。
 足元にはカナビスが意識を失っているにも関わらず、しっかりとしがみ付いている。

「エーギル! 何だこれは!」

 足に絡みつくカナビスを振りほどきつつ、柵の外から座っているエーギルを発見したアベルは叫んだ。

「おう、剣皇様の剣技をじっくりと堪能しているのだ! なあ、みんな!」
「はい。とても素晴らしいです」
「はい。ずっと見ていたいです」
「はい。何とかして結婚したいです」

 兵士が口々にミーミルを褒める。
 当のミーミルは戦闘に集中しており、兵士の言葉は届いていなかったが。

「自分はもう我慢できません。お先に失礼します」
「お疲れ」

 練習場から去っていく兵士もちらほら見かける。
 深く追求せず、エーギルはさっさと練習場から帰していた。

「貴様ら練習時間だろう! 他の隊長はどこだ!」

 アベルは柵を越え、人ごみをかき分けながら、エーギルの所まで何とかたどり着いた。

「よう」
「ようではない」

 アベルは座って戦いを眺めていたエーギルの肩を掴むと引き起こす。

「あいたた、暴力反対」
「暴力を先にけしかけておいて何を言うか!」
「落ち着けよ。ただ剣皇様が求めている事をお手伝いしているだけだ。何の問題がある?」
「剣皇様を晒し者にする事に問題が無いとでも?」
「それは言い方が悪い。亜人種だから不当な差別を受けそうな剣皇様に、熱心なファンを作っていると言ってくれ」
「言い方が良すぎる」
「そんな事より見ろ。皆の顔を……幸せそうだろう? こんな幸せそうな表情、久しぶりに見たと思わないか?」
「それはまあ、そうだが……」

 アベルは周りを見渡す。
 ヴァラクが鼻の下を伸ばしていた。

「!? お前は何をやってるんだ! 任せた現場はどうした! 何をやっている! 何故だ!」
「休憩中だから問題ないという事でどうだろうか」
「た、確かにお前の隊は休憩時間中――なら問題ない、か? いやいや、それでもだな」

 練習場に乾いた音が響き渡った。
 ミーミルがまた兵士の木刀を斬り飛ばしたのである。
 それと共に、練習場が歓声に包まれた。

「やったぜー」

 ミーミルはそう言って、木刀を高く掲げる。
 兵士達がさらに歓声を上げる。
 兵士達と一緒になって剣の練習する皇帝に、親近感が沸かない訳がない。

「おっ、アベル」

 アベルの姿を見つけたミーミルが走って来る。

「何かボロボロだな……大丈夫か?」
「大丈夫です。服がボロボロなだけですので」
「じゃあ一緒に練習するか?」
「確かに練習する予定でしたが、こう人の多い所でやるはずでは……」
「意外と行けるのが分かったから、問題ない」

 ミーミルはふぅーと息をつきながら額の汗をぬぐう。
 アンダーウェアが汗を吸い、よりくっきりと体のラインを浮かび上がらせていた。
 そして通気性の良いアンダーウェアは、汗を素早く乾かしてくれる。
 ミーミルからは、男の本能を直撃するような香りが立ち昇り始めていた。

「こっ……いや、それ以前の問題がですね?」

 アベルは顔を真っ赤にしながら答える。

「その問題をまた指摘しようとしたら、今度は練習場にいる兵士全員をけしかけるぞ。熱烈な剣皇ファン達をな」

 いきなり会話に割り込んで来たエーギルはそう言って笑みを浮かべた。

「お前、さっきのはそういう事か! この状況を作ったのも、部下をけしかけて時間を稼いだのも、出来る限り同類を増やす為だな!?」
「ふははは! 今頃気づいたのか? 剣術だけで世の中を動かせると思うな。甘いぞアベル」
「貴様という奴は……! なんて小賢しい!」

「何の話だ?」

 ミーミルが二人の話に割って入る。

「いえ、こちらの話です。なあアベル」
「……」
「なあ?」
「剣皇様、剣術の練習をしましょう」

 アベルはそう言って近くにいたヴァラクから木刀をひったくる。

「ちょ、ちょっと待て。俺も剣皇様と至近距離で、剣の手ほどきをして貰おうと思っていたんだが? ちょっと理不尽なんだが?」
「剣皇様は忙しいのです。次で最後です」

 ヴァラクの抗議を完全無視し、アベルはそう言ってミーミルに剣を向ける。

「これで最後にしますからね」
「まだ頑張れるぞ?」

 ミーミルはそう言ってガッツポーズを取る。

「いいえ、終わりです。剣皇様は忙しいでしょう」
「そうでもない……」
「忙しいでしょう?」
「はい」

 アベルがかける謎の圧力にミーミルは気が付くと頷いていた。

「どうする? 強引に続けさせるか?」
「いや、そろそろ潮時だな……余り長くしても有難味が薄れる。こういうのは不意打ちで何度もチャンスがあった方がいい。もし服装が戻れば全部アベルのせいになる。ここにいる全員を敵にするような真似はしないだろう。機会は必ず、ある」

 ヴァラクとエーギルは小声でこそこそと相談している。
 近くにいるアベルにはもちろん聞こえていた。
 というか聞こえるように言っているのだろう。
 本当に小賢しい奴である。

「さ、早くやりますよ」
「よーし」

 ミーミルは剣を構える。
 アベルもゆっくりと剣を構えた。
 どこから見ても隙だらけだ。

 だが――。

 エーギルが持っている木刀に目を走らせる。
 木刀は半ばから刃物で切断されたように斬り落とされていた。
 練習で真剣を使う事は禁じられている。
 この場には木刀しかないはずだ。
 という事は、この木刀は木刀で切断されたという事になる。
 どれほどの速度で剣を振り下ろせば、こんな事が可能になるのか見当もつかない。
 まずガードはできないと思うべきだ。

「始め!」

 審判役の兵士が叫ぶと同時に、アベルは一歩踏み込んだ。
 袈裟掛けに剣を振り下ろす。
 その一撃をミーミルは焦りながらも受け止めた。

 ――重い。

 とアベルは一合で感じ取った。
 普通ならば木と木がぶつかり合った衝撃でミーミルの木刀がブレたりするはずだ。

 それなのに全くブレが無い。
 アベルの打ち込みの衝撃を筋力だけで抑え込んでいるのだ。
 まるで人ではなく巨大な大樹に木刀を撃ち込んでいるようであった。

「途轍もないですね」

 改めて剣皇が剣皇と呼ばれる意味を噛みしめるアベル。

「てい!」

 叫んでミーミルが剣を振りかぶる。
 その振りかぶりから、剣筋が予測できる。
 だがその剣筋をどうこうしようと考えてはいけない。
 アベルは剣で受けようとせず、体捌きだけで剣筋から逃れた。

 ミーミルの剣が消える。
 振りかぶりから振り下ろしまでの途中が全く見えない。

 アベルを外した木刀は勢い余って地面を抉る。
 抉った土がミーミルの左斜め後ろにいた観客の兵士に降り注いだ。

「うわー爆発が! ぺっぺっ!」
「目に砂が!」
「あ、しまった」

 ミーミルが一瞬、周りに気を取られる。
 その隙を見逃すアベルではなかった。

 最速で最も隙の小さい神速の突きを放つ!

「――っ!」

 ミーミルの短い呼気と共に、甲高い音を立ててアベルの突きが弾かれた。

 信じられない。
 途中まで確実に気が逸れていた。
 しかし突きが届く一歩手前で、それに気づいたミーミルは突きを弾いた。

 もはや人ではない。

 アベルはオルデミア団長と何度も戦ったが、団長はあくまで人の範疇であった。
 さっきのタイミングならば、団長にすら一本を取れていたはずだ。
 普通ならば確定で当たる瞬間に、当たらないという事実にアベルに恐怖すら覚える。

「今のを受けますか……」
「いやー、ちょっとよそ見してたな」

 そう言ってミーミルは剣を構えなおす。

「あれで、ちょっと、ですか」

 身体能力の基本スペックが違いすぎる。
 もう剣皇を倒せるとすれば、不意打ちや騙し打ちといった意識外からの攻撃しかない。

「食らえっ!」

 ミーミルはそう言って剣を振りかぶる。
 剣の軌道が非常に分かりやすい事だけが救いだった。
 剣を振る前に掛け声をかけてくれるのも有り難い。
 攻撃のタイミングがしっかり分かる。
 アベルはミーミルの攻撃を避けながら、チャンスが来るのを待つ。

「くそっ、剣の軌道が読まれてる気がする!」

 ミーミルはなかなか当たらない剣に焦り始める。
 ならば、とミーミルは一歩深く踏み込み、水平斬りを繰り出す。
 深く踏み込んだ横薙ぎの一撃。
 これならば避けようがないはず。

 だが、それをアベルは待っていたのだ。
 アベルは地面に伏せるように体を投げ出しながら、同時に剣をミーミルの足元に向かって繰り出す。

「っ!」

 アベルの剣はミーミルの脛を、しっかりと捉えていた。
 ミーミルは何故か下段攻撃を全く行わず、目線もアベルの上半身にしか行っていなかった。
 ならば下段攻撃で不意を打てるのではないか? と思ったのが正解だったようだ。

「――これ一本?」
「そうなりますね。足が無くなったら、戦えないでしょう」

 アベルは地に伏せたまま言う。
 ルール上はそうだが、実戦だと剣皇なら片足でも十分戦えそうだった。

「そうか……剣道とはルール違うもんなぁ。下段もアリか」

 ミーミルはそう言って両手を挙げ、こう言った。

「参りました」 

 その瞬間、周囲の兵士がひと際大きな歓声を上げた。

「凄い! 剣皇様から一本取るなんて!」
「アベル隊長ー!」

 歓声を上げる兵士は口々にアベルへの賛辞を送る。

「おお……何事」

 そのテンションの上がりっぷりについていけず、狼狽えるミーミル。

「正直、勝てるとは思いませんでした」

 地面から声が聞こえる。
 うつ伏せになっていたアベルは仰向けに倒れていた。

「いやー、さっきのは完全に隙を突かれたよ。カウンターってやつ? 凄いな」
「凄くも何ともありません。知識不足につけ込んだだけですし」

 地面に仰向けになって深呼吸しながら言うアベル。

「次は下段も気をつけるよ」
「もう二度とやろうと思いません。次は勝てる気がしませんので」
「えー、そう言わずまたやろうぜ」

 ミーミルは地面に倒れているアベルに手を差し伸べる。


「とても楽しかった」


 汗を滲ませながら、笑顔を浮かべる剣皇の姿は、とても美しく見えた。


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