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第二部 四章

第六十六話 魔の好奇心

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「すまんすまん。いきなりの事で驚いたな。では順を追って説明するとしよう」
「説明されても!」

 アヤメの悲痛な叫びが密室に木霊する。

「実はな。昔から種は蒔いておったのじゃが、どうやら不届き者がいるようでな。産みだした端から、種を食べてしまうんじゃよ。人で言う『つきのもの』を回収して食べるなど、とんでもない変態がいるものじゃろう?」
「……」


 種というのは、どうやら現神の実ではないだろうか。
 定期的に生み出していたのはどうやら生理現象だったらしい。
 はた迷惑な生理現象だ。

 そして変態扱いされてるのは恐らく『神護者』の事だろう。
 現神から加護を受けた者だと言われていたが、当の本人からは『変質者』扱いらしい。


「種は当たり前じゃが生きておる。切られたり食べられてしまえば、その時点で芽吹く事は無い。ただの栄養となってしまうのじゃ。種が育つには、育つべき環境で、育てねばならん」

 神護者達は、実の扱いも間違っていたのだろう。
 そもそもアレは食べるものではなかった。
 確かに食べれば栄養という名の力は手に入るが、本来はどこかで育てる為のモノなのだ。

「じゃが、最近の事じゃ」

 木神は少し嬉しそうにしながら言った。

「遂に儂の種が芽吹いたのじゃよ。種を食べてしまうのではなく、ちゃんと身に宿した者が現れたのじゃ」

「――それって」


 アヤメの脳裏に亜人種の双子の顔が浮かぶ。

 あの二人は実を食べていない。
 実と融合した。

 もし、その事を言っているのだとしたら――。


「まあ、完璧な芽吹きではなかったのじゃがな。上からの感じでは、種は二つに分かれてしまっておるようじゃ。人で言う双子というものに近いが、十分には育たんじゃろうな」
「双子は大丈夫なんですか?」

「生育は悪いかもしれんが、育ちはするじゃろうよ」
「種の方ではなく、種を宿した双子の方です」

「ふむ……」

 木神は顎を撫でる。

 アヤメは、ごくりと唾を飲み込む。

 
「ま、大丈夫じゃろ。怪物になっとるなら、とっくになっとる」
「少しずつ蝕まれるとかはないですよね」

「蝕まれるというか――儂と近い存在にはなるじゃろうな。言わば儂の子のようなものじゃ」
「それは大丈夫なんですか!?」

 アヤメは木神に詰め寄る。
 その余りにも真剣な様子に、木神は僅かにたじろぎながらも答えた。

「何をもって大丈夫と言うのか分からんが、少なくとも理性を失った化け物にはならん」
「……そう、ですか」

 アヤメが最も心配していたのは、セツカとリッカが現神触『骸』のようになってしまう事だった。

 現神触『神護者』は実の摂取量が少なかったので、まだ理性はあった。
 一方でセツカとリッカは実の半分ずつを、その身に宿している。
 今は大丈夫でも、将来どうなるか分からなかった。

 だが木神の言葉を信用するならば、二人が理性のない化物へと変貌してしまう事はないのだろう。
 不安の一つが解決した事でアヤメは、ほっと胸を撫で下ろした。

「では話を元に戻すかの」
「戻さなくてもいいとおもいます」

「今までは自然に任せておったが、それでは種が芽吹く可能性は低い。じゃが種を保護し、育てたならば、種を無駄にしなくても済む――そう気づいたのじゃ。植物と司る儂としては、実に動物的行動ではあるのじゃが、そういう進化もありなのではないか? と思ったんじゃな」

 セツカとリッカが実を育てるのを感じ取り、木神の中で変化が生まれたのだろう。

 もっと早くに気づくべきでは……と思ったが、人の尺度で測れる存在ではない。
 時間の感じ方や、常識も人とは全く違う領域にいるはずだ。

「つまり儂自らアヤメに種を直接仕込み、孕んで貰えば上手く行く訳じゃ」
「常識がなさすぎる……」

「アヤメの身体は非常に頑丈じゃろ? だから儂の力にも耐えられるはずじゃし」
「まず性別がおかしいとおもいます」

 少しずつ外堀を埋めようとしてくる木神に、アヤメは根本的な指摘をする。

「ああ……儂か」

 木神は自分の姿を見る。
 木神はどう見てもメスであった。
 女同士では、まず前提から不可能だ。

「うむ。その点に関しては、何の問題もないぞ。儂は肉体操作など訳はない」

 木神は息を吸い込むと、腹部に力を入れた。

「見よ。こんな風に生やせるのじゃ」
「きいゃー!!!!」


 生えてきたモノを見たアヤメの絹を裂くような悲鳴が密室に響き渡る。


 そう、ここは密室なのだ。
 逃げられないのが大変ヤバい。

 いざとなったら火属性の現神を、この場で呼ぶ覚悟であった。
 それでも駄目なら最悪、舌噛んで死ぬしかない。

 それで死ねるかどうかすら分からないが。
 
「どうじゃ?」
「どうじゃ? と言われても!!」

 アヤメは掌で顔を隠し、花畑に蹲りながら叫んだ。

「そう言えば人には処女というのがいて、行為に痛みを伴うらしいのう。もしかしてそれか? だから嫌がるのか?」
「しょしょしょしょ処女ちゃうわぁ」

 ネタを言っている場合ではない。
 だがアヤメは、ネタを言わなければならないほどに、いっぱいいっぱいであった。

「見よ。今しがた生成した樹液じゃ」

 そう言って木神は空中に液体を生成していた。
 不思議な事に空中にふわふわと、球状になった液体が浮いている。

「これには麻酔成分が含まれておる。さらに発情効果も足しておいた。これを使えば痛みは無いしアヤメも最初から気持ちよく」
「そういうエロゲっぽい設定やめて!」

「えろげ? なんじゃそれは」
「独り言!」

「まあ、落ち着くのじゃ。アヤメ」

 木神は急に、声のトーンを下げながら言った。

「少し考えてみて欲しいのじゃよ。冷静にな」
「なにを!?」

 木神は、とても真面目な表情をしながら、静かに話し始めた。

「儂は子を成した事が無い。我が力に耐えられる生物など、現神以外におらぬ。だが現神同士はとても仲が悪いのじゃ。現神は独りで産まれ、独りで永遠に生き続ける。そういう生き物じゃからの」
「……はい」

「そこにアヤメという存在が現れた。現神にすら届き得るような力の持ち主じゃ。そこで儂はとても興味が湧いたのじゃよ。そして儂は想像した。もしも、もしもじゃ」
「……」


「現神とアヤメのような強力な存在が、交配した場合。どれ程の才能に溢れた子が誕生するのじゃろうかと」

 
 現神とアヤメの子供。
 それは一体、どんな能力を持って生まれるのか。
 全く想像がつかない世界の話だった。

 もしもリ・バースの力と神の力を引き継ぐ生物が生まれたら――。
 
 一体、どんな事が起きるのだろうか。



「おっ、ちょっと興味が出たのではないか?」
「はっ」
 
 アヤメは自分に好奇心という魔物が湧きかけたのに気づく。
 それを木神は、しっかりと見抜いていた。



 
「じゃあ――子づくり、してみる?」




 急に口調が変わった木神に、アヤメの心臓が、どきっと跳ねあがる。

 アヤメに顔を寄せる木神。
 銀色の艶やかな毛並みが、目の前に迫った。
 木神は、その美しい藍色の瞳で、アヤメを熱っぽく見つめる。
 アヤメの肩を、木神の両手が優しく包む。
 想像以上に柔らかな毛と肉球の感触は、アヤメの背中をぞくりと粟立たせる。
 
 そしてアヤメの耳元に口を寄せると、囁いた。



「そういうの、興味あるでしょう」


 こづくり。
 究極の生物ができるかもしれないこづくり。
 生物の歴史が変わるかもしれないこづくり。

 
 …………。


「し――し……しません!!」

 アヤメは自分の中で育ちつつあった魔物を打ち消しながら、木神から離れる。
 
「チッ、なんじゃ。つれないのう。割と面白い試みだと思ったんじゃが」
 
 木神はつまらなさそうにしながら、立ち上がった。

 危ない。

 危うく勢いに流されそうになる所だった。
 この世界に来てから色々と変な事があったので、少し耐性がついていたようだ。
 もしこの世界に来て間もないタイミングだったら、勢いに流されていたかもしれない。
 
「やっぱり幼女寄りが進行しとるの。並みの男なら今のでイチコロじゃろ」
「うぐっ」

「まあ気が向いたらいつでも」
「向きません」
「つれないのぉ」

 木神はとても残念そうな表情をする。
 だが、すぐに表情に明るさを取り戻した。

「今日の所はアヤメに会えただけで良しとするかの。久しぶりの楽しい時間じゃったし」
「今度はちゃんと予告してから呼んでください。わたしはいきなりでびっくりしました」

「おお、という事は、また来てくれるつもりか?」

 木神は嬉しそうにする。

「子作りは無理ですけど。話し相手になるくらいなら」

 非常に強引な呼び出しではあったが、かなり興味深い話が聞けた。
 現神は単純に強力な存在であるし、この世界における知識も深い。
 特に知識に関しては、現存する太古の文化財ですら残されていないような、旧く確かな知識を得られる可能性がある。

 この機会に仲を深めておけば、とても心強い味方になってくれるはずだ。

「うむうむ。そこから段々と愛が育まれる訳じゃな」
「はぐくまれません」

 アヤメは冷たく言い放つ。

「アヤメはアレじゃの? 人間世界でいう『どえす』とかいう奴じゃの?」
「もう来ませんからね」

「冗談じゃよ、冗談」

 木神はそう言うと、天井に向かって指を向ける。
 すると天井から一本の細い木の根が、するすると降りてきた。

「これに掴まれば上まで、あっという間に上がれるからの」
「ありがとうございます」

 アヤメは礼を言うと、木の根の近くまで歩みを進める。
 そして木の根を掴もうとした。

「ちょっと待つのじゃ」

 木神がアヤメを制止する。

「何ですか?」
「最後にアヤメの頭を撫でさせてくれんか?」

 アヤメは少し考える。
 木神には貴重な情報を教えて貰った。

 それくらいなら、まあ、いいかもしれない。

「いいです」
「本当か!? 幼女のくせに飴と鞭が上手いのう。やはりどえすの才能が」

「……」
「無言で木の根を掴もうとせんでくれ」

 アヤメは木の根に伸ばしかけた手を引っ込める。

「では、いいかの」

 近寄って来た木神はアヤメの前にしゃがみ込む。

「はい」
「うむ……」

 木神は手を伸ばすと、アヤメの頭を優しく撫で始めた。
 指先で髪の毛を掴み、感触を確かめる。

「サラサラの綺麗な髪じゃな」
「……ありがとうございます」

 この世界にはシャンプーやリンスは無い。
 十分なケアをしなければ、ここまで綺麗な髪の毛にはならないはずだ。
 しかし驚くべき事に、この体は髪の毛まで強靭らしい。
 お湯で流すだけでも、この綺麗さを保つ事ができた。

「ちょっと頬も、さわって良いか?」
「……少しだけなら」

 少し踏み込んできた木神の要求を受け入れるアヤメ。
 木神はアヤメの頬を軽く摘まんだり、指でぷにぷにしたりする。

 首に木神の毛が触れて、少しくすぐったい。

 それに目ざとく気づいたのか、木神がアヤメの首筋を手の甲で撫でる。

「ふふ」

 アヤメは、くすぐったさに我慢できなくなって少し笑った。

「その、儂の毛並みは心地よいか?」
「――くすぐったいです」

 アヤメは笑みを浮かべながら、木神の手に頬を擦りつける。

 猫や犬の身体に頬を擦りつけたような、柔らかで温かい感触。
 何だか懐かしいような不思議な感触だった。


「不思議なものじゃな。こんな感覚は初めてなのじゃが――」
「?」

 木神はアヤメの頬を撫でながら呟くように言った。

「何故か無理やりでもアヤメに種付けしたくなってきたわ」
「ヒィッ」

「お主、魔性の気もあるな?」
「な、ないです」

 アヤメは木神から離れる。
 何気ない行動が、木神の琴線に触れてしまったようだ。

「仕方ない。今日は、ここまでじゃな」
「今日は」

 不穏な言葉を言い含める木神に警戒を強めるアヤメ。

「そう警戒するでない。また来てくれるんじゃろ?」
「……まあ、また来ますけど」

 多分、また来る事になる。
 それも近いうちに。

「ではしばしのお別れじゃの。名残惜しいが、また、じゃな」

 久しぶりの客人なので、もう少し話していたい気持ちはあった。
 しかし余り引き延ばすのも、良くないだろう。
 そう思った木神は、別れの言葉を告げる。


 
「……あの」



 だが意外にも、話を続けようとしたのはアヤメだった。

「なんじゃ?」

 アヤメは少し考えてから、木神に聞いた。

 
「木神だと何か変な感じがします。何て呼べばいいですか?」


 木神は初めての質問に戸惑った。

 この世界に産まれてから、「何と呼べばいいか」と聞かれた事がない。

木神テラー アズライト・オブ・イモータリティ』は『木神テラー アズライト・オブ・イモータリティ』でしかなく、それ以外に呼ばれる事もなかった。

「……儂は木神テラー アズライト・オブ・イモータリティじゃ」

 だから木神は、そう答えるしかなかった。

「じゃああだ名みたいなのはないんですか?」

 アヤメの問いに、またも困窮する木神。

 あだ名など存在しない。
 同様に今まであだ名など、考えた事も無かったし、呼ばれる事も無かった。
 
「……好きにつけよ」

 結果、木神はアヤメに丸投げする。


 アヤメは少し考えると、あだ名を考えた。

 
「……じゃあアズさんは?」
「ふーむ。アズさん。アズさん、のう」
 
 
 丸投げしておいて何だったが、もう一ひねり欲しい所だった。
 短絡的すぎる気がする。

 アヤメはもう少し考える。
 すると、いいあだ名が閃いた。


 
「……じゃあ、『ア』ズライト・『オ』ブ・『イ』モータリティの頭文字をとって『アオイ』さんはどうですか?」



「――」


 
 しっくりきた。
 それしかない。
 そう呼ばれる為の、我が名だった。

 とすら思える程だった。




「ではアオイと呼ぶがよい。アヤメ」
「はい、アオイさん」
 

 アヤメは『アオイ』に笑いかける。

 その笑みに、アオイは体の奥を揺さぶられた。
 好奇心を越えた情動のようなものが、アオイを突き動かす。


 気が付くと、口が動いていた。
 
 
「アヤメよ」
「何ですか」

「もはや、どんな才能の子が生まれるかどうかなど、どうでも良くなったわ」
「え?」




「今すぐ儂の子を産め」




 あっ。
 これガチなやつだ。



「かえります」



 そう直感したアヤメは木の根を掴む。
 すると途轍もないスピードでアヤメは引っ張り上げられた。
 
 天井にぶつかる。
 と思った時には、アヤメの身体は天井に半分、沈み込んでいた。
 
 何の衝撃もなく、アヤメは地面に中に潜り込む。
 辺りは一瞬で暗くなり、光はアヤメの遥か下へと消えていった。
 


―――――――――

 
 
 
「……」

 アオイはアヤメが消えていった天井を、じっと見つめていた。
 
 こんな情動に駆られたのは、初めてだった。
 あったとしても、思い出せない程に遥か昔の事だろう。
 
「また、か」

 次は一体、何時になるのか。
 あの唄で呼び出されるのか。
 ここに会いに来るのか。
 それとも自分が会いに行くか。
 
「会いに行ったら、怒りそうじゃのう」
 
 アオイが動けば、森は無くなる。
 現神の森に住むあらゆる生物は住処を失うだろう。

 もちろんアヤメが必死に護った亜人種達もだ。
 
「仕方ないのー。待つとするかのぉ」
 
 何千年も眠るのには慣れていたが、誰かを待つのは慣れていない。
 そもそも誰かを待つ事など、産まれてこの方なかった。
 
 アヤメがいなくなって数分しか経っていない。
 なのに、何か忘れ物をしたアヤメがひょっこり帰って来ないか、とアオイは思っている。


 ――たった数分。


 なのに悠久の時を生きてきたアオイの中で、その数分は最も長い時間であった。


  
 アオイは自分の指先を見る。
 指先には金の毛髪が一本、絡めとられていた。

 アヤメの髪の毛だ。

 実はこっそり一本だけ、抜け毛を盗み取っていた。

 アオイは、その髪の毛を空中に跳ね飛ばす。
 すると、その髪の毛は空中で独りでに丸まった。
 そして、地面に落ちる。

 
 地面に落ちたそれは種だった。

 
 全ての植物を統べる木神が、創り出した新種の植物。
 アヤメの体組織から生成した花の種。
 
 アオイはそれを、花畑に植える。



「では次にアヤメが来るまでに、花畑をこの花で埋め尽くしておこうかの」
 
 
 
 そしてアオイは、花の名前を何にするか考えながら、種を育て始めるのだった。

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