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第三話 怪我と告白
しおりを挟むそれからというもの、カイトは泉ではなく山小屋を訪ねて来るようになった。
「俺も仕事があるから、いつ来られるかって確約は出来ないし。俺が来なかった時には山の中よりずっと安全だろ。俺もファビオラが不在の時は、ここで待てるから楽ちんだ。泉に行きたければブラウで一飛びだし。効率的だろ?」
小麦色の肌に良く映える白い歯を見せて笑うカイトの優しさが嬉しかった。
彼は隣国パータイルの人間で、仕事で兄と一緒にミタリア国に来ているらしい。彼は兄弟で小さな商会を営んでいるらしく、ミタリア国で自社の商品を扱ってくれる所がないか販路を開拓する為に入国しているそうだ。
今日はまだカイトは来ていない。いつも急に来て急に帰る彼の予定は読めないのだ。
「来てくれたとしても、今日は仕事があるし…」
少し寂しい気がするものの、ファビオラは薬草を確認し袋に詰める作業に集中することにした。
診療所に薬草を届け、料金をいただくと感謝の言葉を伝え診療所を後にした。
町の外れまで来たところで、額に強い衝撃が走りギュッと瞳を閉じてしゃがみ込んだ。熱さを伴う激しい痛みを感じ咄嗟に手で押さえた。
子供達の甲高い笑い声と乱れた足音が遠ざかっていく。
じんじんと痛む額からそっと手を外して見ると、ぬるりとした感触が残り手には赤い血がべったりと付いていた。
月の障り以外で、こんな量の血を見たのも初めてだ。ドクドクと痛む傷口と共に心臓の鼓動も早くなる。
足元には血のついた子供の拳くらいの石が転がっていた。石を投げつけられ、それが額に命中したのだと理解すると自分にぶつけられた剥き出しの悪意に顔を歪ませた。
ロダング子爵家が領民に与えた苦しみを思えば我慢するしかないと、嫌われ冷たい視線を向けられても仕方のないことだと受け入れてきた。
でも、今までこんな暴力的な行為を受けたことはなかった。
自分はこんなにも妬まれ疎まれていたのだろうか。
悲しさと悔しさが入りまじり説明のつかない感情に心が激しく揺さぶられた。
ぼろぼろと頬を伝う涙と嗚咽を止めることが出来ず泣きながら山小屋へ戻った。扉を閉めた途端に力が抜け、その場に座り込む。
「ファビ、いる~?」
外からカイトの明るい声が聞こえる。
次の瞬間、古い扉が軋む音がして外光が暗い室内に差し込む。
「ファビ、いたなら返事くらいしてよ」
ファビオラの顔を覗き込んだカイトは言葉を詰まらせた。
「…どうしたの? それ」
「こ、転んだ」
「下手な嘘つくな」
カイトは彼女の手をどけ額の傷を確認すると眉根を寄せた。
「直ぐ手当てをするから」
カイトはファビオラを椅子に座らせるとテキパキと動き、あっという間に額の傷は消毒され、清潔な布が当てられていた。
「何があったか聞いてもいい?」
全ての処置が終わるとカイトは向かいの小さな丸椅子に腰掛けた。彼の潤んだ黒い瞳から真っ直ぐ向けられる視線に思わず俯いた。
「転んだ傷ではないってことくらいは俺にでもわかるよ。正直に言って」
「う…」
まるで尋問を受けているようで言葉に詰まる。
今まで、カイトはファビオラの素性や生活について何も聞いてこなかった。知っているのは両親が亡くなり一人、山小屋で貧しい暮らしをしているということだけだろう。
観念したファビオラは今日起きたことだけを話した。
「どうして、ファビが石を投げつけられなくてはならないのか。その理由が俺にはわからないけど。何か町の人達とトラブルでもあった?」
誰だって石を投げつけられたと聞けば理由を知りたがるだろう。
自分が人々に疎まれる存在であるという事実を彼には知られたくなかった。
でも、この町に商売の拠点を置こうとしている彼の耳には入る可能性は充分ある。他人を介して伝わるより、自分の口から伝える方がずっとマシかもしれない。
ファビオラは覚悟を決めてゆっくりと話し始めた。その声は震えていた。
自分が名ばかりの子爵の称号を持っていること、父が領地を無くすことになった経緯、それにより領民が苦しい生活をしている現状、そして自分が無力であることを正直に話した。
「辛いことを話させて、ごめん。正直に話してくれてありがとう…」
黙って聞いていたカイトは、ファビオラが話し終えた後、彼女に向って頭を下げた。
「この国に来てから、人々が苦しい生活を送っているのは直ぐに分かったよ。一部の貴族が富を貪る、この国の中枢はとっくに腐っている」
カイトは拳を握り締めた。
「貴族に対する領民の悪意を全てファビが負うことはない。この腐敗しきった国を作り上げた貴族に対する不満や鬱憤を都合よくファビにぶつけている…弱くて逆らってこないファビを不満の捌け口にしているだけだ…くそっ! 腹立つ」
ギリリと歯を噛み締める。
ファビオラは自分の為にこんなに激怒するカイトを見て、胸の奥がじわりと温かくなるのがわかった。
激怒しているカイトには申し訳ないが、素直に嬉しかった。
「恥ずかしいことも正直に言ったら気持ちが楽になった気がする。ありがとう、カイト」
「ファビが町の人達に嫌われているとか疎まれているとか…俺の前ではそんなことを恥ずかしいなんて思わなくていい。そいつ等がファビを嫌いでも、俺はファビのことが好きだし」
好き、という言葉に目を丸くしてカイトを見つめた。
「それに、極論かもしれないけれど。俺は万人に好かれる人間なんていないと思っているから」
カイトの今まで見たことのない大人びた表情にドキリとする。
「君を嫌いな人がいて、それと同じくらい君を大切に思っている人だっている。それでちょうどバランスが取れていると思うんだ」
「私を大切に思ってくれていた両親は亡くなったわ。もう誰もいない」
「俺は? ファビを心配して大切に思っている奴が、今ファビの目の前に一人いるけど?」
ファビオラは唇を噛むと、言葉を絞り出した。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ。私、しっかり者のカイトに甘えちゃう…強くなりたいのに」
「ファビ、甘えていいよ。子爵家の令嬢が、こんな山の中で暮らすのは大変だっただろう。俺も、たいしたことは出来ないけれど、山で暮らすのに必要な知識はファビよりは持ちあわせていると思う。その術を俺から学べば生活に役立つだろう」
カイトはファビオラの震える手を握った。
「ファビは自分を無力だって言っているけれど。今、ファビは強くなる途中だ。俺を利用して貪欲に強く生きていく術を身につけよう。知らないことを学ぶことは恥ずかしいことじゃないだろう?」
ファビオラが震える手で彼の手を握り返し小さく頷くと、カイトは彼女の頭を抱き寄せ耳元で呟いた。
「ファビ、強くなろうぜ。俺、手伝うから」
彼の胸に顔を埋めたままファビオラは涙を必死で耐えた。
◆
カイトは山生活における有能な先生となった。
先日は魚の釣り方を教えてくれた。
山の反対側に小川があり、ここで暮らし始めた当初、何度か挑戦したものの全く成果を得られず諦めていたのだが…どうしてだろう? ファビオラは目を見張った。何かしらコツがあるのだろうか、面白いように次から次に魚が釣れたのだ。
二人は獲った魚を串に刺し軽く塩を振ると焚火で焼いた。ただそれだけの料理なのに、それはもう絶品だった。美味しい美味しいと連呼し満面の笑みで頬張るファビオラをカイトは心底幸せそうに見つめていた。
残った魚を日干しにするために作業に取り掛かると、二人の上に大きな鳥の影が落ちる。
瞬時にカイトは作業の手を止めるとファビオラに次の作業の説明をし、テキパキと釣り道具を仕舞った。そして仕事に戻ると言い残し慌ただしく帰って行った。
いつものことながら、カイトは忙しい。
超多忙な彼が自分を気にかけて山小屋へやって来てくれるのを、申し訳ないとは思いつつも嬉しさの方が勝ってしまう。
山小屋へやって来る時のカイトの嬉しそうな顔も、ファビオラの失敗に破顔して笑い転げる姿を見る度に、彼が嫌々来ている訳ではないとファビオラは思いたかった。
そして、今日も多忙な彼はやって来る。
「ファビ、いる~? 今日は狩りの仕方を教えてやるよ。そしたらさ、金がかからず肉が食えるし。この山には良い狩場が結構ありそうなんだ~」
意気揚々と山小屋に入って来たカイトにファビオラは恨めしそうな視線を向ける。
「今日は、タンドル先生の所に薬草を届けに行くのと食料の買い出しもあって…日の高いうちに出掛けないといけないの」
正直、石を投げられた日から山を降りるのが怖くなっていた。怪我した日のことを思い出すと今でも足が竦む。
ファビオラの表情が曇ると、察したカイトは自分も一緒に行くと言い出した。
「俺も買いたい物があるし、一緒に行く。俺がいれば荷物持ちにもなるしさ。それに、男が一緒の方がこの前みたいなことの抑止力にもなるし」
カイトは十五歳とは思えないしっかり者で、世間知らずの自分が年上だというのが本当に恥ずかしくなる。
「仕事はいいの? いつも忙しそうなのに」
「ああ、今日は兄貴が商談で王都に行っていて俺は留守番だから大丈夫」
こんな山の奥まで来ていて留守番の意味を成しているのか疑問だが、ファビオラはカイトの言葉に甘えることにした。
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