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第一話 森で竜と出会った

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 鬱蒼とした森に薬草を取りに入った娘は、お目当ての薬草の群生を見つけ歓喜すると、すっかり摘むことに夢中になっていた。

「今日は大収穫だわ」

 嬉しそうに碧い瞳を輝かせる娘の名はファビオラ。
 明るい茶色の髪は腰まで落ちる直毛で、作業の邪魔にならないように後ろで一つにまとめられていた。

 額の汗を拭い周囲を見回す。随分と森の奥まで来てしまっていた。大きく深呼吸すると、この先にある小さな泉で一休みしようと思い立ち、藪をかき分け先を急いだ。

 暫く進むと鬱蒼とした木々が開け、何本もの光の柱が差し込む窪地に辿り着く。小さな泉からは心地よい水音が聞こえ、透明な湧き水は木漏れ日を受け揺らぎ輝いていた。

 ファビオラはピタリと足を止めた。

 そこには先客がいた。

 空色の美しい竜。
 その大きさは二メートルはあるだろうか。竜は自分の後ろ脚を気にするように首を傾け、後ろの右足を何度もパタパタと振っている。

「どうしたの?」

 竜を脅かさないように少し離れたところから声をかける。
 竜は金色の大きな目でじっと彼女を見つめ返した。

「足が痛いの? 見せてもらってもいい?」

 一歩近づいてみる。
 警戒はしているものの怯える様子はない。自分が近づくことに嫌悪感はなさそうだ。

 ここミタリア王国では、竜は人々の生活の中に生きている。
 庶民では簡単に飼える生物ではないが、竜の飼育許可を持つ者は竜を飼える。馬や牛では運べない重い荷を運ばせる商業用や、貴族や裕福な家庭の移動手段として飛竜が活躍している。

 時折、山の遥か上空を飛んでいる竜の姿を仰ぎ見る。その神々しい姿に見惚れ、自分も竜になってここから飛び立てたらと羨ましく眺めた。

 竜が気にしていた右足を見ると爪と皮膚との間に棘のようなものが刺さっている。竜の皮膚は強靭で固いが爪の間となると違うようだ。

「これは地味に痛いやつよね。棘を取ってあげるからじっとしていて」

 竜にとっては小さな棘でも、人間のファビオラには両手で掴んで引っ張らないと取れない大きさだ。

「んっ、ううっ…」

 渾身の力で引っ張る。だが一回目では取れず、汗で滑る手を持ち替えながら、上がる息を整え力を入れること三回目。ポンッと抜けてファビオラは勢いよく尻もちをついた。

「やったぁ! 取れた!」

 嬉しくて尻もちをついたまま、棘を握った右手を竜に見せるように上げて笑った。

 キュルキュルと可愛い声で鳴く竜もどこか嬉しそうだ。

「化膿しないように薬草を塗っておくね。少し沁みるかもしれないけど…我慢して」

 斜め掛けにしたバッグの中からさっき摘んだばかりの薬草を取り出すと、掌で揉みギュッと潰す。葉から出た汁を棘が刺さっていた箇所に擦りこんだ。
 
 薬草が沁みることもなかったようで、自分を見降ろす金色の透き通った瞳に思わず見とれていると、ガサガサっと藪をかき分ける音に驚き後ろを振り向いた。
 そこには、すらりと背の高い男が立っていた。

「ブラウ! 探したぞ」

 男は、はぁっと溜息をつき項垂れる。

 ファビオラはブラウと呼ばれた竜と、その飼い主らしき男を交互に見た。

 男はまだ年若い青年だった。
 自分と同じくらいだろうか。ファビオラは近づいて来る青年に見入った。
 青年の肌は、よく陽に焼けた小麦色。艶のある黒髪は毛先が緩くカールしていて無造作に分けられた前髪からは形の良い額が覗く。
 くっきりとした二重に潤んだ大きな黒目は静かな水面のように光を映す。まるで小鹿のような濡れた美しい瞳に吸い込まれそうになる。

「小鹿ちゃん…」

 思わず言葉が漏れる。

「は?」
「あ、いえ! なんでもないです」

 青年は怪訝な表情をしながらも素早くブラウの状況を理解した。
 ブラウはクルルっと小さく鳴き、男の腕に甘えるように頭を擦りつけた。

「ブラウを助けてくれてありがとう」

 青年は、尻もちをついたままのファビオラの腕を掴むと、勢い良く引いて立たせた。
 途端に彼の顔が間近に迫り、潤んだ大きな黒い瞳には自分の輪郭が写る。

 ドクンと心臓が波打ち目を離すことができない。

 先に視線を外したのは彼の方だった。横顔がうっすら赤く染まっているように見えたのは気のせいだろうか。

「…こんな山奥で何をしていたの?」

 青年はファビオラと距離を取ると遠慮がちに尋ねた。

「薬草を摘んでいたら結構奥まで来てしまって…せっかくだから泉で一休みしようと思って」
「町から薬草を摘みにこんな山奥まで来たのか? 大変だっただろう。ここまで何時間もかかるんじゃないのか?」

 驚いた様子でこちらを振り返る。

「ううん。この山に住んでいるから。大して時間はかからなかったわ。平気よ」
「この山に住んでいるの?」
「うん…」

 こうやって人と話をするのはいつぶりだろう。緊張と嬉しさのあまり、ファビオラは頬を赤らめた。

「あ、あなたは、どうしてこんなところに?」
「ああ、ブラウ…こいつは俺の飼っている竜なんだけど。ここに旨い湧水があるからって寄りたがったから」

 そうだったのか。
 山の上を飛んでいく竜を眺めてはいたが、まさかこの山の泉水が竜のお気に入りだとは知らなかった。

「こんな山でも気に入っていただける物があるなんて嬉しいです。私もここの美味しい湧水を時々汲みに来るんですよ」
「こんな山でも、気に入ってって…もしかして、この山の持ち主とか?」
「ええ、まぁ」

 持ち主といわれるような立派なものではない。手入れも行き届いていない荒れ果てた山なのだから。ファビオラは気まずくなり視線を落とした。

「ごめん! 勝手に入り込んじゃって、泉の水も勝手に飲んじゃってるし…」
「いいんです! この山に自分以外の人がいて嬉しいから。どうか、これからも自由に来て沢山飲んでください」

 ファビオラはこの山の所有者であり、古くから国境の町フロラスを治めたロダング子爵家の一人娘だ。

 末端とはいえ貴族の令嬢がなぜこんな暮らしをしているのか。全ては子爵家に胡散臭い投資話が持ち込まれたのが始まりだった。
 この投資話を持ち込んだのは、子爵家の隣の領地を治めるダルキン伯爵だった。人を疑うことを知らない子爵は胡散臭い投資話にまんまと乗せられ、敢え無く失敗し財産の殆どを借金の返済の為に失い、領地、邸宅も伯爵に奪われたのだ。

 本来なら、領地を明け渡すともなれば国王の裁可が必要だ。正当な理由があったとしても、いくつもの手続きを踏むことになる。それにも拘らず、簡単に国王の裁可がされ簡易な手続きで済まされてしまった。

 この国の政治経済の中枢は腐敗が進んでいる。国王の権威は地に落ち、一部の貴族だけが富を貪り、私利私欲により肥えた貴族達に都合が良いように政治や経済が動かされ、国民は貧しく、苦しい生活を余儀なくされていた。

 全てを失った子爵一家は町の小さな借家で親子三人慎ましく暮らすしかなかった。食べる物にも困る状況で貧しい暮らしと心労から父が病に倒れ亡くなると、後を追うように母も亡くなった。
 
 ファビオラには両親の死を悲しむ時間さえも与えられなかった。不幸に追い打ちをかけるように彼女は借家から追い出されてしまったのだ。彼女に残されたのは価値がないからと唯一手元に残った荒れ果てた山。そして、山の中腹にある小さな山小屋だった。

 町の者達は皆一様にファビオラや家族に冷たかった。
 家族に向けられる厳しい視線も冷たい態度も致し方なかった。実際に子爵が領地を奪われたことで、更に領民は苦しむことになったのだ。ロダング子爵家の領地を新しく治めることになったダルキン伯爵は領民に高い税金を課し、領民は子爵が治めていた頃とは比べ物にならない程、苦しい生活を送るしかなかった。

 邸宅も領地も失ったのに、子爵という貴族の称号はそのままだった為、彼女は、名ばかりの子爵令嬢ファビオラ・ロダングと呼ばれるようになった。
 
 本来なら婿を取り子爵家を継ぐ立場にありながら、当時十六歳だった彼女は無力だった。そして二年経った今でも何も出来ぬまま、こうやってその日暮らしをしているのだ。

 忌み嫌われている自分が住む山に町の人々は足を踏み入れない。この山にいるのは自分と野生生物くらいだ。

「ね、これからも遊びに来てね。お水も沢山飲んでいいよ」

 ファビオラはブラウと呼ばれていた空色の竜に子供に話しかけるように言って微笑んだ。竜は彼女の腹の辺りに鼻先を擦りつけてきた。そっと頭を撫でてやるとグルグルと喉を鳴らす。

「ごめん、馴れ馴れしい竜で。こう見えてもまだ子供で、甘えん坊というか。まぁ、人懐っこい奴なんだ」
「え、これで…まだ子供なの?」
「ああ。成長すれば、もっと大きくなるよ」

 竜の種類によって、大きさにかなりの違いがあるのは知っている。小さいものだと掌に乗るものもあると図鑑で見たことがある。どうやらブラウは大型種に属する竜なのかもしれない。

「じゃあ、お言葉に甘えてまたお邪魔させてもらうよ。良かったな、ブラウ」

 キュウっと小さく鳴くと、それに続くように空から鳶の鳴く声が聞こえる。

 ピーヒョロロロロー。

 青年の視線が一瞬だけ空に向けられた。

「おっと、そろそろ戻らないと兄貴にどやされるな。美味い水をありがとう。じゃ、またね」

 そう言うと颯爽とブラウの背に跨った。
 ブラウが両翼を上下に動かすと、落ち葉を舞い上がり地面を突風が駆け抜ける。
 ファビオラは目が開けられず咄嗟に腕で顔を覆うった。風が収まり顔を上げると青年を乗せたブラウは木々の上。そのまま上空まで一気に舞い上がろうとしていた。

「はぁ、凄い。あ! 名前、聞くのを忘れちゃった…」

 竜を飼っているということは荷を運ぶ仕事等、竜を必要な仕事を生業としているに違いない。

「また来てくれるって言っていたし。会えると良いな」

 ファビオラは誰かを待つ楽しみを手に入れ、久し振りの幸福感に包まれた。
 薬草でパンパンになった袋を背負うと、帰路に就く彼女の足取りは心と同様に弾んでいた。


    
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