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第10話 直接対決
しおりを挟むエルガーと互いの気持ちを確かめあった翌日、アルマは邪魔者扱いされることを覚悟で割り当てられた仕事の持ち場へと向かった。窓拭きの作業の予定だったが、彼女に伝えられた時刻には既に作業は始まっていた。
慌てて走り寄ろうとしたアルマの耳に信じられない言葉が届いた。
「ねぇ、聞いた? アルマったら第一騎士団の副団長様にも手を出したんですって」
「ええ?! 本当?」
「本当よ。二人が庭園の木陰で隠れて熱烈なキスをしていたって! 見た人がいるのよ」
「尻軽だって知ってはいたけれど、流石にやりすぎよね。ソレーヌ様の恋人でしょう? 人の男に手を出すなんて最低よね」
「あら、ソレーヌ様って別れたんじゃなかったの?」
「噂だけだったみたいよ。ソレーヌ様本人から聞いたって言うから本当よ」
「男を取っ替え引っ替えしていたものねぇ、あの子。常に男がいなくちゃ耐えられないってやつ? ここ暫く大人しくしているなって思っていたら、こっそり人の男に手を出していたなんてね。呆れるわ」
「そうそう、ソレーヌ様が優しいからって、この前の特別な休みだって無理に頼み込んだらしいわよ」
柱の陰になり彼女達からアルマの姿が見えなかったのだろう。言いたい放題の言葉に彼女は愕然としてその場に立ち尽くした。
過去の恋愛については確かに次から次に交際相手が変わったことは事実だし言われても仕方ない。今まで普通に恋愛話をしていた仲間に、こんな風に思われていたことはショックだったが、それよりもエルガーとソレーヌが恋人同士で自分が浮気相手というポジションで悪く言われていることに一番心を掻き乱された。
エルガーが媚薬に侵されながらも必死に彼女に魔の手から逃れたことを考えても二人が付き合っているなんて嘘だとわかるし。何より、彼自身がはっきりと否定しているのだから。
ソレーヌとエルガーは元より交際などしていないのだ。自分はセフレになったつもりだったが、それが大きな勘違いだった。周囲に隠れるように会っていたのもソレーヌに気付かれぬようにする為だったと、勘違いさせてすまないと謝罪してくれたのだ。
自分が浮気相手扱いされていることも、ことのきっかけとなった特別な配慮のお休みも、それからの一連の流れもソレーヌが関わっている。
アルマの中には沸々と怒りが湧いた。
『エルガー様が心配されたとおりだった』
一対一で話をする必要があるのではないか。アルマはソレーヌと腹を割って話そうと考えた。この時、ソレーヌの本当の恐ろしさを知らなかった彼女は、沸々と湧いた怒りに後押しされるように覚悟を決め侍女達の控えの間に向かった。
多くの侍女は王妃、王太子妃の身の回りの雑用をこなす。身分の高い侍女は話し相手として、他の侍女たちより厚遇されたりもするが、ソレーヌは子爵令嬢なので侍女でも仕事の内容はメイド達の少し上くらいの立場だ。
この時間帯に、ソレーヌが控えの間で休憩を取ることは知っていた。エルガーに憧れていたアルマは、彼の恋人だと思っていたソレーヌにも似たような憧れの念を少しばかり持っていた。その為、彼女の行動パターンを把握していたのだ。
扉をノックすると返事を待ち中に入る。
紅茶のティーカップを手に、アルマを一瞥したソレーヌは僅かに眉を動かすも顔色一つ変えない。
「ソレーヌ様、お休みのところ申し訳ございません。お話があってまいりました。お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
ソレーヌはティーカップを静かにソーサーに戻した。
「悪いけれど、あなたに割く時間はないわ。忙しいの」
「短い時間で構いません。確認をしたいだけなので」
「ないと言っているのよ。立場をわきまえなさい」
普段なら貴族の令嬢相手にアルマがこのような態度を取ることはありえない。今までの自分なら恐れをなして退散するところだが、今日のアルマは違う。ソレーヌの言葉を無視し言葉を続けたのだ。
「エルガー様と交際なさっているっていうのは嘘ですよね?」
「黙りなさい。あなたと話す時間はないと言っているのよ」
「都合が悪いことは話す気もないということですか。エルガー様と交際しているとか、私が特別な休みを望んでいるだとか……随分と子供じみた嘘ですよね。本人に確認すれば簡単に嘘だとバレるというのに」
話しに応じない彼女の態度に苛立ったアルマはソレーヌの目の前に立った。
「あなたはエルガー様の恋人なんかじゃないわ。本当の恋人は私だもの」
アルマは恋人という言葉を使い、わざとソレーヌを挑発した。
「私に喧嘩を売るつもり? 世間が、あなたの言葉と私の言葉どちらを信じると思うの? 現状を見れば明らかじゃない」
「現状? そうですね、事実上仕事を干されているような状況で周囲には人も寄り付かない。でも、私とエルガー様が恋人同士だということは、そう時間がかからず広まる筈です。私がソレーヌ様からエルガー様を奪い取ったと悪評が広まっているようですが、彼側の人間から真実が広まり撤回されるのも自然の流れだと思いますが?」
ソレーヌは、ふふふっと小さな笑いを漏らすが決してアルマに視線を向けない。
「嫌だわ。今まで彼に近寄ってきた、どの女よりも骨がありそう」
ティーカップをテーブルに置くと、まるで目の前のアルマの姿が見えないかのように静かに暖炉の前に立つ。
「褒め言葉と受け取っておきます。今まで、彼の周囲にいた女性達にも嫌がらせをなさっていたというのは本当なのですね。あなたの嫌がらせで過去の女性達は去ったのかもしれませんが、私は違います。だって、私は既に彼の恋人ですから去る理由がありません。ソレーヌ様……これ以上やったら彼に好かれるどころか、嫌われるだけではありませんか? もうやめてください」
「ああ、もう。うるさい! うるさい! うるさい!」
急に大声を出すソレーヌに驚きアルマは後退った。
「何を偉そうに……上から目線で私に忠告じみたことを言うなんて」
ソレーヌは手近にあった暖炉の火かき棒を掴み振り返った。
「どれだけ私が彼を見てきたか知りもしないくせに。彼の心が離れて行くのを感じる度に、どれ程の絶望が私を苦しめたか……知りもしないくせに! あなたにはわからないでしょ? でもね、私にはわかるの。いずれエルガーは私を愛するようになるってね」
彼女の目は焦点が合っていない。常軌を逸した様子にアルマは息を呑んだ。
「もう、恋人だから去る理由がないですって? じゃあ、いなくなってもらわなくちゃ。そうでしょう? 邪魔者は排除しないとね」
火かき棒を振り上げた途端、開いていた窓から茶色い物体がソレーヌに飛び掛かった。
「きゃあ!」
ソレーヌの悲鳴と同時に床に着地した茶色の物体は茶トラの大きな猫、エルガーだった。ソレーヌの手の甲を引っ掻いたエルガーは、また飛び掛からんばかりに唸り声を上げ全身の毛を逆立てている。
「なんなの?! 私に、こんな酷いことをするなんて…エルガー、あなたは変わってしまったわ…この女の所為で!」
引っ掻かれ血の滲む手に力を込めると両手で再び火かき棒を振り上げ、アルマに歩み寄る。
又もや、エルガーはソレーヌに飛び掛かった。彼女は視界の端に入ったエルガーに向かって無我夢中で火かき棒を振り回した。
グゥギャーン。
猫の唸りとも悲鳴とも聞こえる鳴き声が響き渡り、火かき棒で殴られた皮膚が切れ飛沫が飛んだ。
アルマの目の前で猫の大きな体は落下し床に叩きつけられた。
アルマは悲鳴を上げてその場に、へたり込む。額からは大量の脂汗が流れ、顔は血の気を失っていた。ガクガクと大きく震える体を自らの腕で抱き締めた。
「嫌よ! やめてー!」
這いずるようにして横たわる猫の側に行くと、震える手で血で濡れた毛に触れる。猫が怖いという感情は微塵もなくなっていて、猫の姿のエルガーを抱き上げる。
『私の所為で、また誰かが犠牲になる……また?』
アルマの中で何か重要なことを忘れてしまっているような、もどかしさが込み上げる。
何も出来ない自分の所為で…脳内で繰り返す言葉。ドクドクと心臓が波打つ。
息苦しくて顔を歪めるアルマの目の前にはもう一つの光景が蘇っていた。
どこだか、わからない。埃やカビの匂い……薄暗い室内……横たわる猫。
呼吸が苦しくなり空気を取り込もうと必死になるが口をハクハクとさせるばかりで上手く吸い込むことが出来ない。
アルマは猫のエルガーを抱えたまま意識を手放した。
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