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第3話 僅かな勇気
しおりを挟む震える手で扉をノックした。返事が聞こえたのを確認すると、祝賀パーティーまでの束の間の休息の時間に合わせて香り豊かな紅茶と菓子の載ったワゴンを押して部屋に入った。
「お茶をお持ちしました」
「あ、ああ……」
ソファに座りテーブルの上にある何かを凝視していたエルガーは立ち上がろうとしてテーブルにぶつかった。テーブルの上に載っていた何かが落ち、ころころとアルマの方に転がって来た。
拾い上げるとキラキラと輝くブローチのようだが、よく見るとそうではない。
これは国王陛下から授けられた勲章だ。
青と白、黄色の三色が花弁のように見えることから、これが武功を認められた者に授けられる勲章だとわかる。
勲章を両手で慎重に持ちエルガーを見ると青褪めたまま固まっている。テーブルの上には勲章を服に留めるためのピンと飾りのリボンがあるようだが、リボンが無惨にもくしゃくしゃになっていることに気が付いた。
察したアルマは青褪めたまま立ち尽くすエルガーに勇気を出して声をかけた。
「なにか、私でお役に立てることはございませんか? 少しばかりですが裁縫なら心得がございます」
エルガーに勲章を差し出すと彼はじっとアルマの瞳を見つめた。いつもの鋭い眼光ではなく自信なさげに揺れている瞳にとくりと胸が鳴った。
エルガーは観念したように、ソファに座ると事の詳細を話してくれた。
騎士団では猫が飼われているらしく、茶トラの雄猫でジンジャーと呼ばれ可愛がられていると言う。訓練や、戦いで疲れた彼等の心を癒す重要な役割を担っているジンジャーは騎士団内であれば、どの部屋への入室も許可されており、団長の執務室や、騎士たちの私室にも自由に入れる。
勿論、エルガーの部屋にも入れるのだが、それが今回の悲劇を生んだ。
忘れっぽい団長に代わりパーティーで身に着ける礼服や勲章等の身の回りの持ち物を確認するのは副団長の役目となっているそうで。ちょっと目を離した隙にジンジャーが勲章のリボンにじゃれつき気付いた時には、リボンには引っかき傷とほつれが目立ち、皺でくしゃくしゃの無惨な状態になっていたそうだ。
このリボンは特別なリボンで、王族と王族に許可された者しか身に着けることが許されないセルリアンブルーと呼ばれる特別な色を使用しているのだ。同じ物を手に入れるのはかなり困難だ。
「あの、リボンに触ってもよろしいですか?」
「ああ……」
エルガーは力なく頷いた。
「……元通りとはいかなくても目立たない程度には出来るかもしれません。私が手を加えても構いませんか?」
「で、出来るのか!? た、頼む。俺の不注意でこんなことになって……関係のない君にまで迷惑をかける」
彼の縋るような視線に、とくとくと速くなる心音から気持ちを振り払うように作業に取り掛かった。
猫の爪で引っかけられ飛び出た糸や攣れた繊維を細い針で少しずつ引っ張り元の位置に戻していく。これが一番繊細で時間のかかる作業だ。かなりの時間をかけて飛び出た糸や繊維をもとの位置に戻したものの、表面がまだ凸凹しており皺も寄っている。
アルマは炭で温められたアイロンを持ち込むと当て布をして丁寧に皺を伸ばしていった。リボンの表面と裏面を、目を細めて確認する。
アルマは額に滲む汗を手の甲で拭った。
真剣に作業に打ち込む姿をずっと傍で見守っていたエルガーはポケットから白いハンカチを取り出し、彼女の額をそっと押さえた。
驚き動きを止めた彼女にエルガーは苦笑いを浮かべる。
「何の役にも立たない俺だ……これくらいさせてくれ」
「あ、ありがとうございます」
彼の優しい言葉に頬を染めながら、リボンの織り目、一目一目を慎重に確認する。
「あの、これでどうでしょう? だいぶ目立たなくなったと思うのですが」
漸く手を止めたアルマは修復が完成したリボンをおずおずとエルガーの前に差し出す。
「素晴らしいよ! 糸の引きつれがあった所も皺も見当たらない。これならパーティーで身に着けても差し障りないないだろう。本当にありがとう…助かったよ。この礼は必ずさせてもらう。本当にありがとう」
「お礼なんてとんでもない。お役に立てて嬉しいです!」
深々と頭を下げるエルガーに恐縮すると、彼の役に立てたことが心底嬉しくてならないアルマは満面の笑みで心からの本音を口にしていた。
すっかり作業に夢中になっていたが、窓から差し込む夕陽が部屋の中をオレンジ色に染め、パーティーの時間が迫っていることを知らせていた。
「もう日が暮れてしまいます。ご準備を急ぎませんと!」
「ああ、そうだな」
アルマは部屋を出ると、今まで見たこともない彼の様々な表情を見られて、憧れの人と会話が出来た喜びと驚きに高揚する気持ちを抑えられずにいた。
困っている彼を放っておけなくて勇気を出して声をかけた。結果、彼は喜んでくれて…疲れなんて吹き飛ぶくらいの幸福感に満たされた。
多くのメイドの中の一人に過ぎない自分が彼の視線の先にいて、彼に頼られ労わりの言葉をかけられ、感謝されるなんて。僅かな勇気で自分の世界がこんなにも変わるのだ。
興奮で顔を赤くしたまま、夕陽で染まる回廊を食堂へと向かう。
回廊を歩いていると、美しく着飾った侍女達とすれ違った。元々、貴族の令嬢である彼女達は王妃や王女の付き添いとしてパーティーに参加するし、仕事が休みの者はプライベートで参加することも許されているのだ。
今までは何とも思っていなかったのに、彼女達は着飾りエルガーと同じ空間でパーティーを楽しめるのだと思うと急に羨ましくなった。
通り過ぎた侍女達の中に黒髪に紫の瞳の侍女がいることに気が付いた。薄紫のドレスを纏い、瞳の色と同じアメジストのチョーカーを着けた彼女は美しく輝いていた。
通り過ぎる間際に会釈をしたアルマはスカートをぎゅっと握り締めた。
黒髪の美女はエルガーの恋人だった子爵家の令嬢ソレーヌだった。
王宮にやって来たエルガーが周囲に視線を動かし誰かを探す素振りをすると、どこからともなくソレーヌは現れて彼のもとに駆け寄る。そんな姿を見てきたアルマにしてみれば、憧れの人の恋人であり知的で美しい貴族の令嬢に、やはり憧れにも近い感情を持っていたのだ。
でも今日は違う。何故か、もやりとした感情が心に広がった。
彼女の後姿を見送ると、さっきまでの高揚していた気持ちは一気に萎んでしまっていた。
パーティーは多くの着飾った紳士淑女で賑わっていた。会場である大広間から離れた宿泊棟にも楽団が奏でる美しいワルツが漏れ聞こえてくる。
アルマはエルガーが戻ってくる前にベッドサイドに置かれた水差しの水を新しいものに変えようと彼の部屋に向かった。
これが今日最後の仕事だ。明日にはエルガーは騎士団の寮に戻ってしまう。水差しを持ち部屋から出るとエルガーが長い廊下をこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
随分と早いお戻りだ。忘れ物でもしたのだろうか。アルマはさっと避け扉の前を空けて頭を下げた。
「ああ、丁度良かった。君に何かお礼をと考えていたんだが、若い女性が喜ぶ物が皆目わからなくてね。欲しい物を直接聞いた方が確実だろうと思っていたんだ。遠慮せずにリクエストしてくれ」
「いえ、お礼をいただくなんて滅相もない。私が好きでしただけですから」
「遠慮はいらない。何か受け取ってもらわなくては俺の気が済まないからな。お願いだから何でもいい、要望はないか?」
あると言えばあるが、それを言ったら嫌われてしまうかもしれない。でも、この機会を逃したらもう一生叶わないだろう願いであることも確かだ。
彼は明日になったら騎士団の寮に戻ってしまう。また、いつものようにエルガーを柱の陰から盗み見る日々に戻ってしまうのだ。
さっきだって、ちょっとの勇気で幸せを手にしたではないか。一か八か賭けることにしたアルマは、意を決して顔を上げエルガーを真っ直ぐ見つめた。
「で、では。その……抱き締めていだけませんか?」
エルガーは聞き間違ったかのように、ん?と首を傾げる。
「ごめん、だき……?」
「抱き締めて……ください。副団長様の筋肉を感じてみたいのです」
「え?」
二度、口にしたら途端に顔に熱が集まり真っ赤になる。
何か女の子らしいアクセサリーやドレスを要求されるのだと思っていたエルガーは一瞬たじろいだ。だが、アルマの真っ赤な顔を見て、ここで女性に恥をかかせるわけにはいかないと思った。
「わかった」
そう言うと彼女に向かって両腕を広げた。
アルマは吸い込まれるように彼の逞しい腕の中に収まる。エルガーはアルマを潰してしまわないように、慎重に彼女を包み込んだ。
『これは本当に、現実なのだろうか』
アルマは温もりに包まれながら、束の間の幸せに瞳を閉じた。
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