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帰国
しおりを挟む結局、私の夫であるというジョアキンとその幼馴染みであるテオという男は我家に宿泊した。
しかも、私とマルセルの寝室を別々にするよう強要し、結果、寝室に私が、マルセルは居間に、ジョアキンとテオは客間に寝ることになった。
しかも、私を連れ帰るまでここを離れないというジョアキンにテオも付き合う形で連泊していた。
息が詰まりそうな四人での生活に長くは耐えられそうになかった。
私はマルセルと二人だけで庭のベンチに座った。
私がジョアキンとテオにお願いして二人だけで話す時間をもらったのだ。
「マルセル…私、あなたに感謝しているの。ここで、穏やかな生活を送れたのもあなたが私を支えてくれていたからだもの…でも、嘘をついたことは怒っているのよ?」
考えてみれば、マルセルは自分の中でちゃんと線を引いていたのかもしれない。
妊娠中であることもあり、勿論閨事はなかった。ただ優しく抱き締めたりキスはするものの、キスをする場所は決まって頬や額だった。
「本当にごめん。君に嘘をついたことをきっとこの先も…一生後悔すると思う。嘘をついて手に入れた君との穏やかな生活が、いつ終わってしまうのか毎日不安でならなかった…」
苦しそうに顔を歪ませる。
「それは偽りの上に作られたものだから、いずれ崩れ去ってしまうのはわかっていた…穏やかな生活の中で常に罪悪感と暴かれる恐怖に苛まれていた」
マルセルの瞳には暗い影が落ちる。
「怒ってはいても…あなたを許せないなんて言ってはいないのよ。短い間だったけれど…私は幸せだったもの。でも…どこか胸の奥に軋むような感覚があったのは私の本能的なものなのかしら…」
マルセルの手を握った。
「私、ゼルクーナ王国に行く」
エメリの顔には強い決意が漲っていた。
「一体自分が、どんな人達と関わって、どんな生活を送っていたのか知りたい…そうしたら…何か、わかることも出てくると思うから。記憶を取り戻せるかも、わからないなら…過去の自分を知ることから始めようと思う。その結果、今の私がどう判断するか…それが全てだと思うの」
その数日後、エメリは侯爵邸の美しい庭に舞い降りた。
転移の魔法で簡単に移動できるものの、この魔法を使える者は魔法魔術研究所に所属する魔法使いの中でも限られた者だけだ。
スープラ医師が侯爵家の主治医であろうとも簡単に移転魔法を使わせる訳にはいかない。
エメリから帰国する意志を聞いてジョアキンは受け入れ準備を整えるべく先に帰国することになった。
ジョアキンは出立前にエメリとマルセルに寝室を別にすることを約束させ、マルセルには誓約書まで書かせていた。
エメリの体に負担をかけたくない、何より早く会いたい…エメリの気が変わったりでもしたらと、気が気ではないジョアキンは王太子の力を半ば強引に利用し、魔法使いをカイルイ王国のエメリの元に派遣させたのだ。
定刻どおりに、庭で待ち構えるジョアキンの前に眩い光と共に魔法陣が現れた。
エメリは魔法陣の中に光を纏いながらフワリと浮いて現れた。
ゆっくりと光が治まり地面に吸い込まれていく幻想的な光景と共に、夢にまで見たエメリの姿が自分の目の前にある。
その現実に震えながらヨロヨロと彼女に近づいて行く。
そして震える手で彼女の体を抱き寄せた。
ジョアキンの心臓は早鐘のように鳴っている。
その音に耳を傾けながら深呼吸してエメリはジョアキンの腕を解いた。
「…私にはあなたの記憶も、ここで結婚生活を送ったという記憶もない状態です。ここに来たのはあなたの存在が記憶を取り戻す手掛かりになると思ったからです。申し訳ないのですが、それ以上でもそれ以下でもないのです。それでも…私がここにいてよろしいのですか?」
「あ、ああ…勿論だ」
声を発するのが精一杯のジョアキンの目からは止めどなく涙が溢れる。
正直、面食らい呆れ顔で美しい男の泣き顔を見つめる。
「…つ、疲れているのではないか?身重なのだ…部屋で休まなくては…」
どうにか涙を堪えようとして遂には肩が震える。
「奥様、ご案内いたします…」
後ろに控えていた侍女が、やはり涙目になりながら部屋まで案内してくれた。
流石、侯爵家だ…豪華な家具が置かれた部屋に通された。
「もう少し楽な服装に着替えられますか?」
「いえ、このままでいいわ」
侍女の温かな視線を感じた。
「あ、あの…あなたの名前は?」
「……ローラと申します。奥様付きの侍女でございます」
「そう、ごめんなさい…思い出せなくて」
「いえ、仕方のないことでございます。今はお体を大事になさってください。ゆっくりとした日常をお送りになれば…きっと記憶も取り戻せますわ」
「そうだと良いのだけれど…」
つい弱気な言葉が零れた。
夕食の席が用意された。
正面に座るジョアキンに先に話しかけたのはエメリだった。
「あの、ミュラー侯爵。私は…その、あなたをどのようにお呼びしたら良いのでしょう?」
ジョアキンは息を詰まらせた。
「旦那様と…以前は…そう呼んでくれていた」
「そ、そうですか…今の私にはあなたが夫であった記憶もないので……そう呼ぶのは馴れ馴れしいような気がします」
「そ、そうか。好きなように読んでくれて構わない。エメリの呼びやすい様に呼んでくれ」
「そうですか…では、侯爵様?」
「君も侯爵夫人だ…それに家の中では堅苦しいかもしれない…あ、あのエメリさえよければ名前で呼んではくれないか?」
「………ジョアキン様と?」
「ああ。あ!でも、さっきエメリの呼びやすいようにと言ったばかりだな。無理にとは言わない!」
慌てて訂正する。
「…では、お言葉に甘えてジョアキン様とお呼びしますね」
「ああ、ありがとう」
ジョアキンは心底ホッとしたのか、嬉しそうに微笑んだ。
料理を一口一口、口に運ぶ度に、こちらを見ては感無量といった表情のジョアキン。
しかも、彼の瞳は濡れているようだ。
「泣かないでください…それに、そんなに見つめられると食べ難いです…」
「あっ、すまない!嬉しくて、つい…」
シュンと肩を落とした。
「俺は…エメリがいなくなる直前、食事の席でも無愛想に振舞っていたから…おまえに不快な思いをさせてしまって…また、こんな風に穏やかに食事が一緒に取れるようになれて…嬉しくて」
「どうして、私にそんな態度をとっていたのですか?…何か私に対して不満でもおありだったのでしょうか?」
「不満なんかじゃない…今なら正直に言える。俺は嫉妬していたんだ…おまえが、あの男と仲が良かったから…本当にくだらない嫉妬だ。それだけじゃない、おまえにレナータ、元妻のことを疑われながらも、その疑いを晴らす機会を後回しにしていた。いずれ話せばわかってもらえると思って…それも自分勝手な甘えだった。それで…エメリと顔を合わせるのが気まずくて避けていたんだ…」
「やきもちを焼いていたってことでしょうか…」
「まぁ、そうだ…」
ジョアキンは頬を染めると、赤ワインをグイッと飲み干した。
「後で、話せばわかってもらえるっていうのは、ジョアキン様が私に信頼され…愛されていると思っていたからでしょうか…」
「そ、そう思っていたが……」
今度は青褪め視線を漂わせる。
「でも、私は…そんなあなたに耐えられず家出したと…」
「す、すまない…」
「いえ、いいのです。というか一つ一つ丁寧に確認したら何か…その時の感情の様なものが蘇るかなって…そしたら記憶が戻るきっかけになるかと思って」
「そ、それでっ、どうだ…何か…」
前のめりになるジョアキンに申し訳なさ気にエメリは首を振った。
「それが、まったく…」
「…いいんだ…気にするな。ゆっくりでいい…焦ることはないんだ」
ジョアキンはどこか自分に言い聞かせるように言った。
「ただ、一つ。はっきりとわかったことがあります」
エメリは小首を傾げながらニコリと微笑む。
「な、何だ?」
ジョアキンの顔を輝かせた。
「ジョアキン様は、私のことが大好きなのですね」
ジョアキンは首まで真っ赤になりながらも、決してエメリから目を逸らさなかった。
「ああ、大好きだ」
さっきまで潤んでいた瞳は熱を孕む。
「こんなに、人を好きになったことはない。こんなに失いたくないと思ったことも…」
エメリはジョアキンの熱い視線を正面から受けた。
「俺は、エメリを失って自分の気持ちをちゃんと伝えていなかったことを悔いた…もっと行動で示すべきだったと…だからもう、後悔しない…俺は、おまえが大好きだ」
ドクッドクッと一気に血流が良くなり心臓が煩くなる。
マルセルに愛を囁かれた時には恥じらいながらも嬉しく受け止めた。
ただ、胸の奥がチクリと痛む症状に悩まされていたが、ジョアキンの真っ直ぐな告白を受けた今は、胸が痛むことはなかった。
ただ動揺と甘い熱が体中を駆けた。
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