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愛馬
しおりを挟むエメリは事前に地図で確認しておいた馬小屋へ身を隠した。
ジョアキンに鉄砲玉と称されるエメリが大人しく待っている訳がない。
救出が無事済んだら誰よりも先に帰り、待っていた風を装えばどうにかなるだろう。
ジョアキンの無事を誰よりも先に確認したかった。
それに…キャサリンがここにいるなら会えるかもしれない。
ジョアキンの救出が無事に済むということはキャサリンが今回の事件にも関係していたことが明らかになるということだ。
そうなれば直ちに身柄は拘束されてしまうだろう。
更に犯罪と認定されれば罪を償うため刑に処される。
ジョアキンの身さえ無事であれば重罪は免れるかもしれない。
でも、伯爵様の件にキャサリンが係わっていたら?
そうなればキャサリンと二度と会えないかもしれない。
会って何を言いたいのか自分でもわからない。
でも、このままの状態で生涯会えなくなるのだけは嫌だった。
裏切られたという被害者めいた気持ちと、何もかもが偶然に起こったことでキャサリンは何も悪くなかった……そんな結末があればいいのにと子供染みた考えが頭をよぎる。
馬小屋周辺の状況を確認すると言い残し出て行ったレジスを待ちながらエメリは干し草の上に腰を掛けた。
田舎育ちのエメリにとって家畜の匂いも干し草の匂いも懐かしいものだった。
乗馬のレッスンも大好きだった。
ジョアキンには見せたことがないが乗馬の腕前は自分でもなかなかのものだと自負している。
視線を上げ周囲を確認すると馬小屋の奥が不自然に大きな板で仕切られていることに気がついた。
エメリは不審に思い近づくと仕切りに手をかけ重い仕切りを力いっぱい押し、どうにか人一人が通れるくらいの隙間を作った。
そっと中を覗くと、そこには侯爵家で大切に飼われていたジョアキンの愛馬の姿があった。
「そっか…おまえも一緒に連れ去られていたのね」
確か、馬番達が『シャドー』と呼んでいたのを思い出した。
その美しくも濡れているかのように艶めく漆黒の毛並がはジョアキンを想像させ暫し見とれてしまう。
何度も前脚で地面を蹴りブルルルッと荒々しく息を吐くと大きく頭を振る。
ずっと、この狭い空間に入れられていたせいか随分と苛立っているようだ。
早く出してあげたいのはやまやまだが、この状況で馬小屋から出すことは出来ない。
無事、ジョアキンが救出された後でないと。
せめて、今いる空間を広くしてあげたいと渾身の力で仕切りの大きな板を押したが、それが悪かった…エメリの背丈以上はある大きな板がバランスを崩し倒れそうになったのだ。
驚いたシャドーが前脚を大きく上げ嘶く。
シャドーは倒れそうになっていた板を後脚で蹴り上げた。
その勢いで繋いでいた皮紐が切れ、狭い空間で暴れ始める。
「シャドー!!いい子だから落ち着いて!シャドー!」
必死に手綱を取ったエメリだが、手綱を持ったせいで逆に転倒しそうになり必死でシャドーの首にしがみついた。
このままでは踏み殺される!恐怖の中、必死の思いでシャドーの背に這い上がり跨った。
よし、こうなればこっちのものだと思ったのも束の間。
手綱を引くもシャドーはエメリの指示に従う余裕などない、興奮したまま馬小屋の扉を蹴り破壊するとそのままの勢いで農場内に駆け出した。
あまりの勢いにエメリは手綱を掴んだまま前に突っ伏した。
「シャドー!止まってぇー!!」
エメリの叫び声が虚しく響く。
馬小屋から邸宅前の手入れされた庭まで一気に駆け抜けると、少し落ち着きを取り戻したのかシャドーは速度を緩めた。速足から常歩になるとエメリは恐る恐る顔を上げた。
こともあろうことかシャドーは庭園内の噴水の前で立ち止まり水を美味しそうにゴクゴク飲み始めたのだ。
「へ?…え、シャドー…喉、渇いていたの?」
大人しく水を飲む内にエメリはシャドーの背から降りた。
けたたましい足音が聞こえ、慌てて直ぐ近くの植え込みに身を隠すと数人の伯爵家の護衛がシャドーを見つけ駆け寄ってきた。
すると護衛達の背後から優し気でありながら凛とした響きの声がする。
「何事ですか?」
「お嬢様、申し訳ございません。馬が逃げ出したとの連絡が入り探しておりました」
「その馬はジョアキン様の…」
消え入りそうな声は誰の耳にも届かない。
「直ぐに馬小屋に戻します」
シャドーと護衛達が去って行く後姿を見送りキャサリンは黙って佇むだけだった。
今を逃してはならない、エメリは意を決して声をかけた。
「キャサリン様」
ビクッと大きく肩が揺れた。
ゆっくりと振り向いた彼女の口元は固く結ばれ、いつも優しさを称えていた瞳には想像もできない憎しみを宿しエメリをきつく睨んだ。
キャサリンは以前会った時より痩せ、美しい顔は病的なまでにやつれていた。
「こんなところまで忍び込むだなんて。侯爵夫人とは思えない所業ね」
ああ、そんな目も出来るのね。
その時感じたエメリの感情は怯えでも悲しさでもなく怒りに近いものだった。
スンと胸の奥の何かが降りて、激しく揺れていたさっきまでの感情が落ち着くのがわかった。
「会えてよかったわ。このまま会えなくなったら、あなたの本心が聞けなくなってしまうから」
「私は会いたくなかったわ」
優し気な美人と思っていたキャサリンの睨みに一歩も引かないと奥歯を噛み締める。
「キャサリン様の気持ちにずっと気付けなくて、ごめんなさい」
「はぁ?何を言っているの。自分の夫を愛している女が傍にいて、それに気付いたなら不快に思うのが普通でしょ」
「キャサリン様が旦那様をどう思っていようがそれは自由だわ。感情を人形のように消すなんて出来ないもの」
今度はエメリが怒りを宿した瞳をキャサリンに向ける。
「でも、旦那様にあんな酷いことをしたことだけは許せないわ……蝋燭に薬を仕込んだのでしょう?……そんな得体のしれないものを身体に吸収して、後遺症でも残ったら?副作用で難病でも発症したら?そんな風には考えられなかったの?愛する人の体のことより自分の気持ちが何よりも優先されると思っていたなら、恋愛経験のない私でもそれは違うってはっきり言えるわ!」
キャサリンは視線を落とした。
「仕方ないじゃない……彼が他の人と幸せになるなんて耐えられなかったの。努力して…美しさも教養も手にしたのよ?こんなに頑張っているのに、どうして私じゃないの?…私に何が足りないの?あの方に相応しいのは私でしょう?!」
声が震えていた。
「私はずっとずっと、ずーっと…ジョアキン様だけを見てきた。ジョアキン様だけを愛してきたの。彼を好きでもないくせに、ただ子を産むためだけに侯爵家に受け入れられたあなたには、わかる筈もないでしょうけど…」
エメリはゆっくりと深呼吸するとキャサリンを見据えた。
「フェアじゃないから言っておくわ………私も旦那様のことが好きだわ…多分」
「多分って何?」
ハッと小馬鹿にしたように笑う。
「男性を好きになるなんて初めてで良くわからないの。でも…ただの子を産む道具だとしても。旦那様のお役に立てるなら良いかもしれないって思えるくらいには好きになってる」
キャサリンは唇を噛んだ。
「あなたなんかより、私の方が彼を愛しているわ!」
「どちらの愛が大きいか測れもしないものを比べるなんて、愚かなことはもうやめて!比べなくたって、あなたが旦那様を好きなことはわかっているわ」
言い切ると、一歩キャサリンに歩み寄る。
「キャサリン様、もう…やめて。お願い…旦那様がここに捕らわれているなら直ぐに開放して。何事もなかったかのように旦那様には口裏を合わせてもらえばいい…ただお茶をご馳走になったとかなんとか…お願い…このままだと罪に問われてしまうのよ?」
「ああ、そうだな。口裏を合わせるくらいなら俺にも出来そうだ」
男性なのに低すぎない彼の声は涼やかな響きで耳に心地いい。
毎日聞いている声を間違える筈かない。
勢いよく振り返るとジョアキンが庭に隣接した納屋の影から現れた。
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