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蛸
しおりを挟む煌びやかな衣装に身を包んだ紳士淑女、絢爛豪華な会場に呆気にとられながらもジョアキンにエスコートされ背筋を伸ばすと薄っすらと口角を上げ正面を向いた。
途端に視線が集まるのがわかった。
決して自惚れでも気のせいでもない。
刺さるような視線に怖気づきそうになっていると聞き慣れた優しい響きの声が聞こえた。
「エメリ様」
嬉しくなり満面の笑みで振り返る。
そこには相も変わらす透明感のある可憐な美しさのキャサリンがいる。
初めての舞踏会でキャサリンの存在は心強いものだ。
事業に成功しているパークシャー伯爵家は貴族の中でも屈指のお金持ちで、その令嬢キャサリンは美しさに教養、全てにおいて一目置かれる存在なのだ。
そういった存在キャサリンと親しくしているということだけでエメリに向ける目も変わってくるというものだ。
「侯爵様、ご機嫌麗しく…」
隣にいたジョアキンに礼をとるキャサリンの動きは実に優雅だ。
「ああ、パークシャー伯爵令嬢。先日のディナー以来かな…今日もお美しい」
「ご夫妻には敵いませんわ。エメリ様のドレスとても素敵で似合っていらっしゃいます。侯爵様の装いとも相まって遠くからでもわかるくらい輝いていらっしゃいますわ」
「いつもお洒落で素敵なキャサリン様から装いを褒められるなんて素直に嬉しいわ。ありがとう」
「まぁ…私がお洒落だなんて…」
「もう!キャサリン様は令嬢達の憧れの存在なのに謙遜ばかり。誰もが皆、キャサリン様の装いや持ち物を真似して社交界のご婦人方の流行が生まれると聞いております」
数年前まではジョアキンの元妻レナータがキャサリンの位置にいた筈だがジョアキンとの離婚と幼馴染との再婚で世間を騒がし社交界から少し距離を置いていた。
そして、その間にレナータに代わりキャサリンがその座を射止めたのだ。
キャサリンの纏う薄紫のドレスの裾には無数のクリスタルが縫いつけられ彼女が動く度にキラキラと輝き人々の熱い視線を集めた。
そんなキャサリンの周囲には常に人が集まる。
彼女に話しかけたくてソワソワしている若い紳士と令嬢達が視界に入った。
キャサリンも感じ取ったのか
「では、後ほど…」
言葉少なに微笑み去って行くキャサリンと入れ違いに二人の前にある人物が現れた。
キャサリン以上に注目される人物であり今日の主役、王太子殿下だ。
義母に特訓された完璧な礼をとると王太子は目を細め屈託のない笑顔を向けてくれる。
「ジョアキンの言うとおり可愛い仔猫ちゃんだな」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまい慌てて口をつぐむ。
「殿下!」
「おっと、失礼」
思わず口が滑ったとわざとらしく口元を押さえジョアキンに向けウインクする。
ジョアキンが苦々し気に恐れ多くも王太子殿下を睨みつけたのを見て驚きながらも気になって仕方がないエメリは勇気を差して問うてみた。
「仔猫ちゃん、とは…私がですか?」
王太子とジョアキンの顔を交互に見て答えを求めるも王太子は意味深に微笑みジョアキンの方を向く。
「なんでもない!」
ジョアキンの不機嫌な答えが返ってくると、そんなジョアキンを見て堪らないというように笑いを堪える殿下。
いや、正確には堪えられてはいなかったのだけれど。
これ以上、『仔猫ちゃん』について聞いてもジョアキンの機嫌を損ねるだけだ。
もの凄く気にはなるものの曖昧に微笑んだ。
タイミング良く会場に音楽が流れ始めるとジョアキンはあからさまにホッとした表情になる。
「殿下、ダンスのお時間では?」
早く行けと言わんばかりの態度だが、王太子は気にする様子もない。
「ああ、そんな時間か…残念だな。では、ミュラー侯爵夫人も夫君と楽しんでくれ」
そう言うと少し離れた場所で談笑していた王太子妃の手をとった。
王太子が妃と共にホールの中央に進み出て踊り始める。
それを合図に皆が踊り始めるのだ。
「行くぞ」
ジョアキンが差し出した手に自分の手を重ね踊りの輪の中に入る。
練習の成果か発揮されエメリのダンスは順調な滑り出しだ。
「大丈夫そうだな」
そう言うとジョアキンは急にスピードを上げた。
特訓をしてきたもののスピードが速すぎる。
このままだと足が絡んで倒れてしまう、必死の形相でジョアキンを睨みつけるがジョアキンは意地悪な笑みを浮かべたまま踊り続けた。
必死に一曲踊り終えた時にはエメリの息は上がりジョアキンの腕にしがみつく様に歩いた。
すると急に周囲の視線が私達と扉付近で出来た人だかりの方を交互に行き来する。
そして人だかりの中心にいる人物が誰なのか紹介されなくても直ぐにわかった。
周囲の視線を集める大輪の薔薇のような華やかな美しさ。
豊かな胸に細く括れたウエスト。
赤いドレスを纏った彼女は艶やかで大人の女性の色気を感じさせた。
蜂蜜色の髪は艶やかに輝きブルートパーズの青い瞳は自信に溢れている。
美しい人、ジョアキンの元妻レナータ。
彼女と腕を組み隣に並ぶ大柄の男は王太子の直属の騎士団で活躍著しいテオ。
焼けた肌が精悍さを際立たせた風貌とは対照的に妻を見つめる瞳はどこまでも優しい。
相思相愛の夫婦。
二人を包み込む雰囲気はどこまでも人々の羨望の的だ。
ジョアキンとエメリに向けられる好奇の視線とは正反対のものだ。
ジョアキンはエメリの耳元で呟く。
「見すぎだ」
ハッとしてジョアキンを見上げた。
いつもの冷たく憮然とした表情のジョアキンはエメリの手を引いて歩き出した。
チラリと二人を振り返るとレナータとほんの一瞬視線がかち合った。
先程の微笑みを称えた瞳ではなく、こちらを窺うような視線に心がざわついた。
バルコニーに連れ出され、会場内の喧騒と熱気から離れると幾分ざわついた心は落ち着きを取り戻した。
ゆっくりと深呼吸し新鮮な空気が体に入ったことで緊張も少し解れた気がする。
バルコニーの手摺に寄り掛かり腕を組むジョアキンもどこかホッとしているように見えた。
「今日のおまえは…いつもより悪くない。自信を持て」
いつもより悪くないって誉めているつもりだろうか、いや、慰めているつもりだろうか。
どちらにしても今のエメリには響くどころか勘に障る言葉でしかなかった。
「誰と比べて、そうおっしゃっているのでしょう?」
「は?」
明らかに気分を害したであろうジョアキンがこちらを呆れ顔で見つめ、ハアっと大きな溜息をつく。
「何を張り合っているんだ?馬鹿なことはやめろ」
張り合うという言葉に神経を逆撫でされた。
所詮、自分が悪足掻きをしているくらいにしか、この人の目には写っていないのだろう。
グッと奥歯を噛み締めた。
「おまえには、おまえの良いところがある」
「どんな良いところでしょう?」
「レナータにはないものだ。だから比べるな」
元妻の名前がジョアキンの口から出たことでカッと頭に血が上った。
「だから、それはどんなところですか!?私しかもっていない物なんてあるのでしょうか?」
「ある」
憮然としたままエメリを正面から見据えた。
「機転の速さ。優れた記憶力。その記憶力に胡坐をかくことなく勉強を怠らない真面目さ。使用人一人一人の仕事ぶりをちゃんと見ているところ。大量の書類を前にしても不満を言う前に一生懸命手を動かすところ。鉄砲玉みたいに後先考えず行動に移すところ。感情が前に出過ぎて咄嗟に相手を助けようとするところ」
「ああ!もういいですっ」
どれもこれも容姿とか美しさとか立ち居振る舞いとかエメリが期待していた言葉は一向に出てこない。
出てこないのに……なのに………エメリは急激に顔が熱くなるのがわかった。
この人、ちゃんと見てくれていたんだ。
ただ、それだけが嬉しくて。
赤くなった顔を両手で覆い隠す。
欲しくて堪らなかった言葉は貰えなかったのに、代わりに貰った言葉はエメリの日常を注視していないと気付けない事ばかりだった。
「わかったか?」
ジョアキンは手の隙間から見えるエメリの額を指で押した。
「イタッ…」
額を押さえながら漸く顔を上げるとジョアキンは今日初めての笑顔見せ可笑しそうに笑った。
「茹で蛸だな。昔、喰ったことがある」
「た、蛸だなんて!失礼な」
プイッと横を向き赤い顔を隠そうとする。
ジョアキンの笑いが治まるのとエメリの顔の赤みが引くまでの間、二人はバルコニーで過ごすことになった。
「さ、帰るぞ」
「ええ?!もう帰るのですか?」
「殿下に挨拶も出来たし、おまえを見せびらかしてダンスも踊った。もうすることなんてないさ。だとしたら、長居するだけ馬鹿らしい」
確かに、好機の目で見られるような場所にエメリだっていたくない。
「ほら、行くぞ」
ジョアキンはエメリの横に並ぶと腕を出した。
エメリは腕を絡めると来た時よりずっと晴れやかな気持ちで会場を後にした。
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