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茶会

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侯爵夫人となったエメリに漸く義母による夫人教育が始まった。

いくら田舎の下級貴族とはいえ貴族の令嬢である以上、それなりの礼儀作法は叩き込まれたが侯爵夫人ともなると上流社会での立ち居振る舞い社交術、話術でも普通以上のスキルを求められる。
加えて、ジョアキンの助けとなり侯爵家の裏方を仕切らなければならない。
学ぶべきことは多岐に及ぶのだ。

戸惑うことばかりだが大家族の中で十一人兄弟姉妹の中間子として育ったエメリは要領がよく物覚えも早かった。

「お母様、昨日頂いた名簿をお返ししますわ」

「そうね、今度の茶会の名簿を渡してあったわね」

茶会の参加者名簿と共に侯爵家の親族や交友の深い貴族たちの名簿、王都に住まう貴族全員の分厚い名簿を二冊重ねてテーブルに置く。

「もしかして、これを全部覚えたの?」

「お顔を拝見して記載された特徴と一致させれば大丈夫なところまで覚えました」

「エメリ……あなた教えがいがあるわ!こうなったらどんどん行くわよ!」

最初は公爵家との釣り合いが取れないと結婚に難色を示していた義母もエメリの記憶力の良さや打てば響くような快活な性格をいたく気に入ったようだ。
その目覚ましい成長ぶりを目の当たりにし教育にも一層熱が入る。

「そうそう、今日はドレスの採寸もあるのよ。茶会用や舞踏会用にも必要ですからねぇ、まとめて注文しておかなくてはいけないわ。これからは侯爵夫人として顔を出してもらわなければならない所が沢山あるのよ」

午後になると宝石商も加わりドレスを数十着、それに合わせる装飾品を注文することになった。
部屋中に並べられた美しい布地とテーブルに所狭しと置かれた宝石に義母のテンションがどんどん上がっていく。
エメリは面食らいながらも大人しく着せ替え人形に徹することにした。



公爵夫人として初めてのお茶会は王太子妃主催のものだった。
この国で二番目に高貴な方の主催するお茶会ともなれば集まるメンバーも高位貴族の婦人や令嬢達だ。

グレイス王太子妃は隣国から嫁いでこられた美しい方だった。
義母と共に参加者に一通りの挨拶を済ませ漸く席に着くころには張り付いた笑顔とは裏腹に既に疲労困憊だった。

「ミュラー侯爵夫人。お疲れになったのでは?このハーブティーにはリラックス効果があるそうですよ」

そう言って美しいプラチナブロンドの令嬢が給仕係に目線を送ると、新しいティーカップに温かなお茶を注がれる。

「お気遣いありがとうございます。パークシャー伯爵令嬢」

事前に勉強していたことが役に立つ。
パークシャー伯爵家の令嬢、キャサリン様。
社交界で特定の派閥に所属しないパークシャー伯爵家だが、鉱山や商会を持つ伯爵家は貴族社会の中でも屈指の資産家。その伯爵家の令嬢であるキャサリンは当然一目置かれている訳で、プラチナブロンドに紫色の瞳という美しい容姿も相まって令嬢達の間では憧れの存在だ。

「まぁ、そんな畏まった呼び方はよしてください。キャサリンとお呼びください」

「では…キャサリン様ではいかが?私のこともエメリとお呼びください」

「そんな!私などが………では…エメリ様とお呼びしてもよろしいのですか?」

戸惑いがちに首を傾げる姿も令嬢らしく優雅に見えた。
キャサリンが自分よりも五歳は年上だと既に勉強済みのエメリは静かに頷く。

「勿論ですわ」

二十四歳ともなれば些か行き遅れという部類に入る。
優しげな微笑みに美しく洗練された貴族の令嬢といった感じのキャサリンが今まで独身でいるということが不思議でならない。

もしかして、もの凄く理想が高いとか…既に恋人がいるが只ならぬ恋とか…純粋な片想いとか…微笑みながら頭の中で妄想を膨らませていると邪魔が入る。
背後から聞こえてきた令嬢達の声だ。

「あれが、ミュラー侯爵夫人?…まだ、子供じゃない…」

「それに、ケバケバしい赤毛ね…品がないわ」

「仕方ないわよ…所詮、田舎貴族ですもの」

「ああ、そうみたいね…なんでも多産の家系だからって…大抜擢されたのでしょう?」

プッ、クスクスっと笑い声が耳につく。

「レナータ様の次が…あんな貧相な夫人だなんて…」

「でも、お可哀想よね。同情するわ…社交界の薔薇と称えられたレナータ様の後ですもの。どうしたって貧相に見えるのは仕方ありませんわ」

「しかも今日はキャサリン様の傍に…そんなに引き立て役がしたいのかしら?」

フフフッ。


膝の上でグッと拳を握る。
こうなることは想定済みだ。
貴族社会でのマウントの取り合い、噂話、プライドの高い令嬢達が集まれば自ずとこうなるのはわかっていた。
しかし、こんなに聞こえよがしに悪口を言われるとは…高位貴族が集まる茶会と聞いていたのに貴族社会はどこに行っても同じということか。


エメリが置かれたミュラー侯爵夫人という立場は令嬢達が今更頑張ったって到底手に入れられないものだ。

悪評高き…耳を覆いたくなるような噂で汚れたジョアキンとはいえミュラー家は名門侯爵家。
ジョアキンは男にも拘らず女性が羨ましくなるほどの美貌の持ち主、そのうえ王太子殿下の信頼も厚い前途有望な若き侯爵だ。
ここ数年、離縁に伴いこれ以上ないくらい地に落ちたジョアキンの評判のせいで誰もが彼を訳アリ物件として腫れ物に触るように扱っていたが、実は他に類を見ない超優良物件なのだ。
噂に惑わされ心眼曇った令嬢達だったがエメリとジョアキンが結婚したことでジョアキンの価値を再確認したのだろう。

この再婚によってジョアキンの評判は確実に回復しつつあった。

田舎の下級貴族の令嬢が自分達が手に入れられないものを手に入れた。
それが気に入らないのでしょう?悪口を言うことぐらいでしか鬱憤を晴らせないのだから…まぁ、笑いたければ笑えばいいわ。
エメリはティーカップを手に取り口元に運ぶ。

バチンッと大きな音が響いた。
エメリは驚きティーカップを持ったまま動きを止めた。
キャサリンが手に持っていた扇子を力強く閉じ掌に打ち付けたのだ。

響いた音に令嬢達はハッとして口をつぐんだ。

「あら、ごめんなさい…小さな羽虫を払おうと思ったのだけれど少々力が入り過ぎてしまいましたわ…」

ホホホホと再び扇子と開くと口元を隠し朗らかに笑った。

凄い…これが牽制というものか。
噂には聞いていたし、小説ではヒロインを虐める場面なんかでよく読んだものだが実際に自分がその立場になるとこんなにもヒリヒリするものなのか。

目をぱちくりさせたままのエメリにキャサリンは扇子で口元を隠したまま小声で呟く。

「エメリ様、気にすることはありません。所詮、妬みですわ。本当にくだらない人達…」

思わずプッと吹き出してしまった。
可笑しくてクシャクシャになりそうな顔を扇子で隠し笑いを嚙み殺した。

「ふふ…キャサリン様ありがとうございます」

「まぁ、お礼などおっしゃらないで……私はね…欲しいものがあるのに自分で行動を起こす勇気も覚悟もない癖に悪口や陰口を言う人間が好かないだけですの」

そう言うと優雅な仕草で何事もなかったかのようにティーカップを口に運んだ。

エメリはキャサリンのきっぱりとした言いぐさと大胆な態度を好ましいと感じずにはいられなかった。



キャサリンとエメリの交流はお茶会以降も続き、互いの邸宅を行き来するようになっていた。

キャサリンがエメリの好きな推理小説を持参してくれた。
好きな作家の旧作品が読めると喜ぶエメリをキャサリンも嬉しそうに眺めた。

「エメリ様は恋愛小説はお読みにならないの?」

「読まないこともないけれど、推理小説や冒険小説のほうが好みね。だってワクワクするじゃない」

「あら、恋愛小説だってワクワクドキドキしますのよ?」

「ふうん、そういうものですか。確かに読まず嫌いなのかもしれませんね」

「ふふ…では、私のお勧めの恋愛小説を是非ともお読みいただきたいわ」

そう言うとキャサリンは数冊の本をドンッとテーブルの上に乗せた。

「ぜひ、感想を聞かせてくださいね」

キラキラと期待を膨らませた瞳を向けられると、それに応えなければという使命感が芽生える。
エメリは推理小説を横に置くと男女が見つめ合う表紙の本を手に取った。
キャサリンがお勧めの恋愛小説について熱く語っているのを聞いているのは実に楽しかった。
あっという間に時間は過ぎていき、まだ話し足りなかったエメリはキャサリンを夕食に誘った。

「良かったら夕食を召し上がって行かない?」

「でも…侯爵様がご帰宅なさるでしょう?お邪魔してはいけないわ」

「せっかくだし、キャサリン様のことを私の仲の良い友人としてちゃんと紹介しておきたいの。良いでしょう?」

使者からジョアキンの帰宅が遅くなると言う報告を受けると二人は先に食事を始めた。

メインを食べ終えた頃。

「遅くなってすまない」

着替えを済ませ入ってきたジョアキンは事前に執事から聞いていたのかキャサリンがいることにも驚きもせず、終始紳士の対応を見せた。

キャサリンが立ち上がり淑女の礼をとろうとするとジョアキンは手で制した。

「パークシャー伯爵家のキャサリン嬢だったね…そんなに畏まらないでくれ。妻から聞いているよ、これからも妻と仲良くしてくれると有難い」

キャサリンは薄っすら頬を染めた。
ティーカップを持つ彼女の指先が微かに震えジョアキンと視線が合うと目を伏せてしまう。

キャサリンがこんな顔をするなんて意外だった。
ジョアキンの美貌の破壊力って本当に凄いのね。
彼の前では大概の女性はこうなるのだから仕方ないのだけれどキャサリンも例に漏れなかったようだ。

「恐れ多いことにございます。今日は厚かましくも夕食までご一緒させていただき…」

「厚かましいなんて私が強引に誘ったのに…こんな私で良かったら、これからも仲良くしてね」

「嬉しいお言葉ですわ」

素敵な男性を見れば誰だってそうなるだろう。
エメリは終始、キャサリンの態度を微笑ましく眺めた。


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