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結婚式
しおりを挟む男の美しい顔が近づいてくる。
エメリはそっと瞳を閉じた。
男の唇はほんの少し斜めのまま重なる。
重なった唇は思っていた以上に柔らかく温かいものだった。
唇が離れるのがわかり瞳を開けるとまだ間近にあった金色の瞳と視線が絡む。
正真正銘、エメリのファーストキスは会って二度目の男と結婚式での誓いのキスだった。
そして目の前の男の妻となった。
ゼルクーナ王国の王都の中でも最も歴史が古く由緒ある教会には荘厳な雰囲気が漂う。
結婚式は新郎が二度目の結婚ということもあり質素にと聞いていたが、なかなか立派なものだ。
参列者もエメリが打ち合わせで聞かされていた人数よりはるかに多い。
侯爵家で用意してくれた純白のウエディングドレスには極上のシルクが使われ艶やかな光沢と滑らかな肌触りの一級品だ。仕立ても素晴らしくレースが袖と襟元にあしらわれたデザインは上品で洗練されていて、今までエメリが着たこともない代物だ。
本来なら田舎の子爵家の五女が王都でも名門と言われる侯爵家に嫁げるなんてありえない話だろう。
しかも隣に並ぶ男は見目麗しい美形侯爵だ。
年頃の女の子であれば喜び勇んで嫁に来るだろう。
だが、それは…相手が悪評高き侯爵様でなければだ。
ほんの一時間前までエメリは控室で豪華なウエディングドレスを纏い身を固くしていた。
母も兄弟姉妹もウエディングドレス姿のエメリを褒めちぎってくれたが、当の本人は緊張のあまり笑顔さえも作れず指先は冷たくなっていた。
「嫌だわ…エメリったら大丈夫?いくら緊張しているからって…侯爵様の前ではもう少し可愛らしい笑顔を見せないと」
にこやかな母とは対照的に父は表情を曇らせた。
「エメリ、いいかい?本当に嫌なことがあったら……我慢なんかせずに帰って来るんだよ?侯爵様がおまえに何か酷いことをしようものなら……」
侯爵の悪評を気にしているのか終始、心配顔の父にエメリは最大限の作り笑顔を向け大丈夫だと言って聞かせた。
エメリはこの時、既に自分の役割を理解していた。
結婚式前日にジョアキンの祖母ナタリアに涙目で両手を握られたのだ。
愛嬌があり健康的なあなたなら孫のジョアキンともきっと上手くいく筈だし、エメリなら元気な子を沢山うめるだろう…くれぐれも孫を頼むと。
結婚相手に選ばれたと聞いた時に、十一人兄弟で子沢山の我家をナタリア様が異様に褒め称えていたことを思い出した。
自分の役割は侯爵の子を産むこと。
それは多ければ多いほど喜ばれるだろう。
田舎の下級貴族で容姿も十人並み、何の取り柄もない自分が選ばれたのだから大方そんなものだろうとエメリはどこか達観していた。
ナタリアの言葉にも周囲が自分に望む役割にも大して傷つきはしなかった。
十一人兄弟の真ん中に生まれたエメリは良くも悪くも両親の注目を浴びることなく育ってきた。
今回、ミュラー侯爵と結婚することで家中の注目を集め心配され羨望されたのだ。
十九年間の人生の中で初めてのことである。
しかし、見合い前からジョアキンの離縁に纏わる悪評を耳にしていたエメリは、ただの噂であって欲しいと切に願うばかりだった。
神父の言葉を聞きながら自分の左手薬指にはめられた金の指輪に視線を落とした。
挨拶くらいで、ほぼ会話なんてしたことのない相手と二度目に会ったのが結婚式で、ファーストキスは誓いのキス。そして夜には初夜を迎える。
貴族の政略結婚がこういったものだとは知っている。
結婚式当日に初対面ということだってあるのだ。
でもまさか自分がそうなるとは思わなかったのだけれど。
隣に並ぶ美しい男に聞こえないように小さく吐息をついた。
そして会って二度目の男と腕を組みバージンロードを参列者の祝福を浴びながら歩いた。
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