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六話 侵入者

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 王の二十七歳の誕生日を祝い王宮で夜会が開かれた。

 外交の場となる夜会は王妃が大きな役割を担う場であり、側妃であるイエリンは参加しない。しかし、イエリンは側妃となってから国内の貴族を集めた夜会にさえも参加することはなかった。

 珍しくも似た容姿の二人が王を挟んで並ぶなど滑稽だし、気品と威厳に溢れた王妃と比べられるのも不愉快だ……それ以上に、王と王妃の仲睦まじい様子を間近で見たくはなかった。

 側妃という立場をわきまえているし、王妃と張り合うつもりなんてさらさらないが、どうやら自分は王妃に嫉妬するくらいにはトビーを好きになっているようだ。

 王妃の代わりに子を産むという割り切った関係でいるつもりだったが、身体を合わせるという行為は想像以上にイエリンの理性を狂わせた。

 王妃が自分の存在を気にしているのは知っている。愛する男を他の女と共有するなんて嫌に違いないのに、こんな似た容姿の女なのだから余計に腹も立つだろう。

 王妃の立場上、態度や顔にも出せずに我慢しているのだ。仲睦まじいのに子に恵まれない可哀想な国王夫妻に同情の目が集まり、王妃の側近や侍女達、王妃の実家である公爵家の人々には酷く嫌われていることも重々承知している。

 廊下で鉢合わせしてしまった時には王妃の周囲を侍女達が一斉に囲み、私から危害を加えられる王妃を守るかのような態度で嫌悪を顕わにしたのだ。勿論、喧嘩などするつもりはないし立場をわきまえている私は、さっと隅に除け頭を低くしたのだけれど。

 イエリンは溜息をつきそうになり慌てて飲み込んだ。どうして私が悪者にされるんだろう? 側妃としての役割を果たす……ただそれだけだ。トビーのことを好きになったのは予想外だっだが、それでも王妃の立場を揺るがすものではない。

 王妃と側妃として初めて対面して以降、一切、関わってこないのも、こちらとしては腹の中を探り合いこともせずに済むし、かえって有難いくらいだったが……王の生誕祭となればそうもいかない。
 
 イエリンは今、控えの間で一人。侍女が呼びに来るのを待っていた。

 今夜、王妃が着るドレスは光沢のある若草色に金糸で刺繍が施された華やかなものだと事前に確認していた。
 色の被らない控え目なブルーグレーのドレスを選ぶと胸元と袖口を繊細なレースで飾り、スカートのお尻から繊細なレースで段を作り裾まで重ね地味になりすぎないように気を使った。
 
 装飾品も控えめなものを選んだ。この日、イエリンがシニヨンに結い上げた桜色の髪に飾ったのはアーロンから贈られた真珠の髪飾りだった。

『相手に望まれて結婚しなくちゃ……大切にしてもらわなくちゃ……』

 結婚すると伝えた時、アーロンが言っていた言葉を不意に思い出した。

「アーロン、今頃どうしているだろう……」

 ポツリと言葉が落ちると、胸の奥が微かに軋む。
 君の黒髪には真珠が似合うと言ってくれたっけ。

 本物の髪色は淡い桜色。乳白色に艶めく真珠ではアクセサリーとして少しぼやけた印象になるかもしれない。
 でも、それで良い。似合う似合わないの基準で選んだのではない。この髪飾りは自分の短かった自由の証であり、ほのかな恋にも似た思い出の大切な宝物だ。 
 今日はこの髪飾りに力を分けてもらっているのだから。

 側妃となってアーロンのことを全く思い出さなかった訳ではない。トビーと寝室で酒を飲むたびに彼のことを思い出した。彼は幸せに暮らしているだろうか。あの店の、あのカウンターで今も酒を飲んでいるのだろうか。感傷に浸りそうになる自分を振り払うように緩く頭を振る。

 控えの間に侍女がやって来た。感傷に浸る前に侍女が呼びに来てくれて良かったと安堵しながら、案内されたのは会場の入口の前だった。

 既に待機していた王と王妃がチラリとこちらを見た。微笑み、軽くお辞儀をする私に王も微笑み返してくれる。たが、王の横に立つ王妃は軽く目を見開くとすぐに視線をそらした。

 トビーの二十七歳の誕生日の今日、自分の前方を腕を組んで歩く王と王妃の姿を目にし、薄暗くなった心の中にはドロリとし嫉妬という感情が覗く。
 背筋を伸ばし感情を閉じ込めるとイエリンは微笑みを顔に貼り付けた。そして、お似合いの二人の後ろを付き従うように会場に入った。
 
 夜会の間、王と王妃とはほぼ一緒に行動する。

 イエリンは目立たぬよう壁の近くに立ったのだが、元王太子妃候補だった令嬢達……今や結婚し貴婦人となった彼女達のターゲットになり囲まれてしまった。

「ごきげんよう、イエリン様。あの頃と変わらず、お美しいですわ。本当に何を着てもお似合でいらっしゃる」

 暗に地味だと言いたいのだろう。
 王太子妃候補だった頃は王太子の目を惹く為にドレスも華やかな色合いのものばかりを選んでいたのだから。当て擦りに他ならない。

「本当ね、流石だわ。誰よりも輝いていたイエリン様がなかなかご結婚なさらなかったのは……まさか、こうなるためだったなんて知らなかったわ。私達は王太子妃になれなければ違う道を選択しましたけれど。最後までお諦めにならなかったなんて、その粘り強さには感嘆いたしますわ」

 厄介な奴等に話しかけられたものだ。軽く頭痛がしてくるが、イエリンは笑顔を貼り付けたまま明るい声色を心がけた。

「まぁ、皆さま……本当に懐かしい! 各々納まる所に無難に納まっているようで羨ましいですわ。私のような者が側妃に望まれるなんてお恥ずかしい限りです……しかし、陛下にどうしてもと乞われて…不安でいっぱいだったのですが、お優しい陛下のお導きの元、今では妃として日々精進しておりますのよ」

 妃という言葉を敢えて使い、お前達とは対等ではない格上だと知らしめる。

 彼女等は悔しさを滲ませるも、これ以上喧嘩を売れば自分の立場が悪くなることくらいわからないお馬鹿さんではない。

「ホホホ……陛下の女性のお好みは一貫していらっしゃるのね。最愛の王妃様に似た容姿のイエリン様をお選びになるなんて。私も、その髪色に生まれていればねぇ。本当に羨ましいですわ」

 最後に一番痛いところを突いて、にこやかに去って行った元王太子妃候補達を見送ると、侍女に頭痛を理由に退席すると告げ会場を後にした。
 これ以上、会場にいても悪目立ちするだけ……逃げるが勝ちだ。

 大広間から離れ、王と王妃の私室が並ぶ宮殿から花の館まで続く回廊近くまで歩くと、ある部屋の前に立つ人影が目に入る。

 背格好からして男の様だ。そして男は部屋の扉を開け周囲を窺い中に入って行った。イエリンは目を疑った。男が入って行ったのはアウロラ王妃の部屋だったからだ。

 どうしたって怪しい、侵入者だ。
 王の生誕祭で警備が会場に集中しているからだろうか、内部の警備がこんなに手薄になっているなんて。

 いくら警備が手薄と言っても王宮の奥まで入り込めるのは王族に近しい一定の貴族でしかない。

「もしかして、王妃の愛人?」

 貴族の間では男女問わず愛人を複数持つ者もいる。王族とて同様だ。だとしたら騎士を呼び出すのは拙いだろう。

 強烈な興味が湧き上がる。王妃の愛人だとしたら一体誰なのか?
 気づいたらイエリンは男が消えた扉の前に立っていた。そして興味という名の強い衝動に突き動かされ目の前の扉をそっと開いた。
 そこは控えの間になっていて王妃の寝室に繋がる簡易的な応接の間になっている。

 男の姿はない。

 あの男が王妃の愛人なら、奥の寝室にいるのかもしれない。ゴクリと唾を飲み込み寝室の扉の前に立つと、ほんの少し扉を開け中の様子を窺う。
 薄暗い室内に背の高い男がいる。心音がどんどん大きくなり煩い。窓から差し込む月明かりに晒らされた男の横顔を見てイエリンは目を見開いた。

 煌めく金髪に、青空の様の鮮やかなブルーの瞳。物語に登場する王子様を具現化した容貌。

 王弟殿下だ。

 さっきまで煩かった心臓が一瞬止まったかのように息さえできない。

「まさか……」

 王妃の愛人が王弟殿下?!

 王弟殿下は美しい容貌で既婚未婚を問わず女性を虜にする。嫡男として生まれ王太子となったトビーと弟であるパウロ王子は長年比較される対象だった。

 トビーだって外見は悪くない。鍛えられた肉体、がっしりとした男らしい体躯。意志の強い口元に切れ長の瞳の精悍な顔立ちだ。対してパウロ様は、身長はトビーと変わらないもののスレンダーでしなやかな肉体。何を着ても様になる舞台の人気役者のような、そんな男だった。

 男が惚れる男らしいトビーとは対照的に女性受けが著しく良いパウロ様。

 勿論、王太子妃候補だったイエリンとも昔から面識はあったが、色男で軽薄な感じのする彼はイエリンの苦手とするタイプの男性だった。
 王太子妃候補の中には彼に懸想している令嬢もいたし、パウロ王子が王太子だったらなんて笑えない冗談を言っていた者もいた。

 パウロは徐に鏡台の椅子の前に跪くと椅子の座面に頬擦りし始め、遂には座面に顔を埋め恍惚の表情でスーハーと呼吸をするように匂いを嗅ぎ始めた。
 うっとりとした表情のまま今度は鏡台の引き出しを開け始め、中から一枚の白い布を取り出すと、また匂いを堪能し始めた。しかも今度は、ズボンの前をくつろげ取り出した陰茎を激しく扱き始めた。

 正真正銘の変態だ。

 王妃の愛人であるなら、こんな変態染みた事はしないだろう。

 彼が愛人ではなくて不審者であることは間違いないが、王弟殿下を不審者として警備の騎士達を呼んでも信じてもらえるのだろうか。

 見てはいけないものを見てしまった。

 出来れば見なかったことにしたいと思いながら一歩後退ると、トンっと背中に何かがぶつかる。青褪めて振り返ると、そこに立っていたのはこの部屋の主、アウロラだった。

「ひっ……」

 イエリンは言葉にならない微かな悲鳴を上げた。



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