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第三幕 覚心 Heart of Awakening
33.桃配山の決斗
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桃姫に飛び掛かって体内に取り込んだ"大悪路王"は、しばしの間、身を固めた。
物見櫓を粉砕しながら亀のように巨体を丸めたその姿はまるで、桃姫の体を丹念に味わっているかのようであった。
事実、"大悪路王"の胸奥に居る役小角は恍惚の笑みを浮かべていた。
「──ああ、桃の娘よ──おぬしは、今、わしと共に"大悪路王"の中におる──こんなにも素晴らしいことが他にあるまいか──」
役小角は漆黒に染まった両眼から黒液の涙をしとどに垂れ流しながら愉悦を噛み締めた。
そして、力を蓄えた"大悪路王"はグッ──と顔を持ち上げた。
悪路王の純白の長い髪にも似た漆黒の長い髪を振り乱した"大悪路王"は、カッ──と巨大な真紅の魔眼を見開くと、背中から"千本の腕"をドバッ──と一気に差し伸ばした。
その姿はさながら漆黒のヤマアラシのようにも見えた。大小様々な黒い腕が千本、身を丸めた"大悪路王"の背中から伸びる。
その黒い腕の一本が、関ヶ原から逃げようと馬に乗って走る東軍の武将の背後に迫りくると、武将の体を掴んで上空に持ち上げた。
乗り手を失った馬は黒い腕を恐れて、口からよだれを吐き出しながら目をひんむいて全力で走った。
「──殿ォッ!」
「──ギゃああッッ!!」
馬に乗った家来が振り返りながら叫んだ。捕まった武将は悲鳴を上げながらもがくが、黒い手は万力の如き力で武将の体を強く締め上げて全身の骨を破壊していく。
そして、五本の黒い指が武将の体を包み込むように大きく広がると、その体をゴクッゴクッ──と腕の中に飲み込んでいく。
「……ッ!」
その光景はまるで、巨大な黒蛇が人間を丸呑みにしているかのようであり、家来は絶句しながら目を逸らして馬を疾駆させた。
また別の黒い腕は、迫りくる黒液から逃げる足軽の一団の前にドスン──と通せんぼするように落とされた。
「──ひぃっ!」
突然現れた黒い腕に慄きながら腰を抜かした足軽の集団に向けて、大壁のような黒い腕がズズズズ──と地面をこすりながら迫ってきた。
「あァァあッ! おっかあァッッ!!」
後方からは黒液の津波が迫り、前方からは黒い腕の大壁が迫る。
若い足軽の一人は絶望に顔を歪ませながら天に向かって泣き叫ぶと、黒い腕と黒液に挟まれ為す術なく飲み込まれた。
「──これよ──これこそが、真の悪行よ──」
役小角は満面の笑みを浮かべて、深く頷きながら言った。
"大悪路王"は背中から伸ばした千本の黒い腕でそれぞれの悪行を果たしながら、黒い海と化した関ヶ原の合戦場を闊歩して横断していく。
そして、徳川家康が本陣を敷いていた桃配山の斜面を黒い足で踏みしめると、桃配山に生える緑の木々を黒液で黒く汚染しながら、一歩、また一歩と桃配山を登っていった。
「──ふっ──何処にも逃げ場などないぞ、家康──」
桃配山の頂上に辿り着いた"大悪路王"の視界を得た役小角は、遥か東の地平線に土煙を立てながら馬で逃げる一団を見た。
「──"大悪路王"が花開いたこの日ノ本──何処までも黒く染まるのだ──くかかかかかかッッ!!」
「──ブオワァッ! ──ブオワァッ! ──ブオワァッ! ──ブオワァッ!」
制御している役小角の高笑いに合わせるように、桃配山の山頂に立った"大悪路王"もまた、両手を大きく広げて顎が裂けるほどの大口を開き、悍ましい爆音で東に向けて笑い声を放った。
その笑い声は、遥か東の彼方を走る徳川の一団の耳にも届いた。
「ひぃ……! 終わりじゃあ……! 日ノ本の終わりじゃあ……!」
白い馬に乗って一団の中央を疾駆する徳川家康が関ヶ原から届いた笑い声に対して、血の気の引いた顔で震え上がると、一心不乱に馬を東へと走らせた。
「──道満、晴明──おぬしらは、この足元の山──桃配山の名の由来を知っておるかのう──」
役小角は不意に"大悪路王"の胸の中にいる道満と晴明にたずねた。
道満と晴明が互いの顔を呪符越しに見合わせて沈黙して返すと、役小角は口を開いた。
「──千年前、壬申の乱において──天武天皇がこの山で兵士たちに桃を配り、勝利を祈願した──その逸話があるゆえ、家康は験を担いでこの桃配山を本陣としたのじゃろう──」
役小角はそう言うと、"大悪路王"の体から溢れ出る黒液で黒く染まっていく桃配山を見下ろした。
そして、深くため息をついたあと、口を開いた。
「──わしがな──天皇に桃を配るように進言したのじゃよ──」
「……なんとッ!」
「……ははぁッ!」
役小角の言葉に、道満と晴明は感服の声を上げて返した。
「──因果なものじゃろう──千年善行を始めたばかりのわしが、ここで天皇に桃を配らせ──そして、千年善行を終えて──今、その桃配山を黒く染めておるのだから──」
役小角は言うと、目を閉じて黒液を垂れ流させた。
「──桃──桃──桃──思えば、わしの人生は──桃、ばかりじゃのう──」
そう言って、静かに目を開いた役小角がしゃがれた声で告げる。
「──桃太郎──これがおぬしの御師匠様じゃ──」
宣言するようにそう告げた役小角は"大悪路王"を振り返らせた。その瞬間、漆黒の眼をこれ以上ないほどに大きく見開いた。
「──な、んじゃ、あ──ありゃぁ──」
「……っッ!?」
「……ッッ!?」
"大悪路王"の視界を得た道満と晴明もまた、呪符の下でこれ以上ないほどに大きく眼を見開いた。
関ヶ原を覆い尽くした黒液の大海原、空は灰色の雲に分厚く包まれており、まさに地獄の光景。
その地獄の光景の中にあって、分厚い雲を割って一筋の黄金の光の柱が伸びている。
「──も──桃──っっ──」
役小角が声を漏らして、息を呑んだ。
黄金の光の粒子が作り出す柱の中で、白く極光する天衣を身にまとった黄金の瞳を輝かせた桃姫が不敵な笑みを浮かべた。
物見櫓を粉砕しながら亀のように巨体を丸めたその姿はまるで、桃姫の体を丹念に味わっているかのようであった。
事実、"大悪路王"の胸奥に居る役小角は恍惚の笑みを浮かべていた。
「──ああ、桃の娘よ──おぬしは、今、わしと共に"大悪路王"の中におる──こんなにも素晴らしいことが他にあるまいか──」
役小角は漆黒に染まった両眼から黒液の涙をしとどに垂れ流しながら愉悦を噛み締めた。
そして、力を蓄えた"大悪路王"はグッ──と顔を持ち上げた。
悪路王の純白の長い髪にも似た漆黒の長い髪を振り乱した"大悪路王"は、カッ──と巨大な真紅の魔眼を見開くと、背中から"千本の腕"をドバッ──と一気に差し伸ばした。
その姿はさながら漆黒のヤマアラシのようにも見えた。大小様々な黒い腕が千本、身を丸めた"大悪路王"の背中から伸びる。
その黒い腕の一本が、関ヶ原から逃げようと馬に乗って走る東軍の武将の背後に迫りくると、武将の体を掴んで上空に持ち上げた。
乗り手を失った馬は黒い腕を恐れて、口からよだれを吐き出しながら目をひんむいて全力で走った。
「──殿ォッ!」
「──ギゃああッッ!!」
馬に乗った家来が振り返りながら叫んだ。捕まった武将は悲鳴を上げながらもがくが、黒い手は万力の如き力で武将の体を強く締め上げて全身の骨を破壊していく。
そして、五本の黒い指が武将の体を包み込むように大きく広がると、その体をゴクッゴクッ──と腕の中に飲み込んでいく。
「……ッ!」
その光景はまるで、巨大な黒蛇が人間を丸呑みにしているかのようであり、家来は絶句しながら目を逸らして馬を疾駆させた。
また別の黒い腕は、迫りくる黒液から逃げる足軽の一団の前にドスン──と通せんぼするように落とされた。
「──ひぃっ!」
突然現れた黒い腕に慄きながら腰を抜かした足軽の集団に向けて、大壁のような黒い腕がズズズズ──と地面をこすりながら迫ってきた。
「あァァあッ! おっかあァッッ!!」
後方からは黒液の津波が迫り、前方からは黒い腕の大壁が迫る。
若い足軽の一人は絶望に顔を歪ませながら天に向かって泣き叫ぶと、黒い腕と黒液に挟まれ為す術なく飲み込まれた。
「──これよ──これこそが、真の悪行よ──」
役小角は満面の笑みを浮かべて、深く頷きながら言った。
"大悪路王"は背中から伸ばした千本の黒い腕でそれぞれの悪行を果たしながら、黒い海と化した関ヶ原の合戦場を闊歩して横断していく。
そして、徳川家康が本陣を敷いていた桃配山の斜面を黒い足で踏みしめると、桃配山に生える緑の木々を黒液で黒く汚染しながら、一歩、また一歩と桃配山を登っていった。
「──ふっ──何処にも逃げ場などないぞ、家康──」
桃配山の頂上に辿り着いた"大悪路王"の視界を得た役小角は、遥か東の地平線に土煙を立てながら馬で逃げる一団を見た。
「──"大悪路王"が花開いたこの日ノ本──何処までも黒く染まるのだ──くかかかかかかッッ!!」
「──ブオワァッ! ──ブオワァッ! ──ブオワァッ! ──ブオワァッ!」
制御している役小角の高笑いに合わせるように、桃配山の山頂に立った"大悪路王"もまた、両手を大きく広げて顎が裂けるほどの大口を開き、悍ましい爆音で東に向けて笑い声を放った。
その笑い声は、遥か東の彼方を走る徳川の一団の耳にも届いた。
「ひぃ……! 終わりじゃあ……! 日ノ本の終わりじゃあ……!」
白い馬に乗って一団の中央を疾駆する徳川家康が関ヶ原から届いた笑い声に対して、血の気の引いた顔で震え上がると、一心不乱に馬を東へと走らせた。
「──道満、晴明──おぬしらは、この足元の山──桃配山の名の由来を知っておるかのう──」
役小角は不意に"大悪路王"の胸の中にいる道満と晴明にたずねた。
道満と晴明が互いの顔を呪符越しに見合わせて沈黙して返すと、役小角は口を開いた。
「──千年前、壬申の乱において──天武天皇がこの山で兵士たちに桃を配り、勝利を祈願した──その逸話があるゆえ、家康は験を担いでこの桃配山を本陣としたのじゃろう──」
役小角はそう言うと、"大悪路王"の体から溢れ出る黒液で黒く染まっていく桃配山を見下ろした。
そして、深くため息をついたあと、口を開いた。
「──わしがな──天皇に桃を配るように進言したのじゃよ──」
「……なんとッ!」
「……ははぁッ!」
役小角の言葉に、道満と晴明は感服の声を上げて返した。
「──因果なものじゃろう──千年善行を始めたばかりのわしが、ここで天皇に桃を配らせ──そして、千年善行を終えて──今、その桃配山を黒く染めておるのだから──」
役小角は言うと、目を閉じて黒液を垂れ流させた。
「──桃──桃──桃──思えば、わしの人生は──桃、ばかりじゃのう──」
そう言って、静かに目を開いた役小角がしゃがれた声で告げる。
「──桃太郎──これがおぬしの御師匠様じゃ──」
宣言するようにそう告げた役小角は"大悪路王"を振り返らせた。その瞬間、漆黒の眼をこれ以上ないほどに大きく見開いた。
「──な、んじゃ、あ──ありゃぁ──」
「……っッ!?」
「……ッッ!?」
"大悪路王"の視界を得た道満と晴明もまた、呪符の下でこれ以上ないほどに大きく眼を見開いた。
関ヶ原を覆い尽くした黒液の大海原、空は灰色の雲に分厚く包まれており、まさに地獄の光景。
その地獄の光景の中にあって、分厚い雲を割って一筋の黄金の光の柱が伸びている。
「──も──桃──っっ──」
役小角が声を漏らして、息を呑んだ。
黄金の光の粒子が作り出す柱の中で、白く極光する天衣を身にまとった黄金の瞳を輝かせた桃姫が不敵な笑みを浮かべた。
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