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第三幕 覚心 Heart of Awakening

29.鬼退治の専門家

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 自ら崖下に身を投げて命を断つか、それとも憤怒の鬼、羅刹刑部に体を引き裂かれて命を落とすか。

「はァッ……! はゥぁぁああっっ!!」

 秀秋は横目でちらりと羅刹刑部の恐ろしい姿を見て、悲鳴を発しながら城壁の縁に両手を掛け自ら命を断つことに決めた。

「──ガァゥルラァァッッ!!」

 そうはさせまいと羅刹刑部が跳躍するために両膝を深く折り曲げながら唸り声を上げたその時、羅刹刑部の後方から跳躍しながら現れる白い軽鎧をまとった桃色の長い髪の女武者。

「──ヤエァアアアアッッ!!」

 白い波紋を濃桃色の瞳に浮かべた桃姫は裂帛の声を張り上げながら両手に握りしめた銀桃色の光を放つ二振りの仏刀を中空で薙ぎ払うように羅刹刑部の背中に向けて斬りつけた。

「──ギャォオオオオオッッ!!」

 二刀による渾身の斬撃を体の右側面に受けた羅刹刑部は獣の咆哮を上げながら左に向かって吹き飛ばされた。
 桃姫は着地すると、死を覚悟し、縁から身を乗り出しかけていた秀秋と視線を合わせた。

「鬼の相手は任せてください」
「……あ、ああ……ああっ……」

 桃姫が力強くそういうと、秀秋は感動の涙を流しながらうんうんと頷いた。

「──グ……グがぁああ……!」

 城壁の上に倒れ込んでいた羅刹刑部が苦痛の声を上げながら起き上がると、桃姫を憤怒の形相で睨みつけた。
 その時、別の方向から五郎八姫の声が発せられた。

「──こっちでござるよッ! 大谷殿ッ!」

 五郎八姫はそう言うと、着火された火縄銃の銃口を羅刹刑部に向けて撃ち放った。
 放たれた弾丸はズドンッ──と羅刹刑部の腹部に命中して羅刹刑部は大きく怯んだ。

「──もう一丁ッ!」

 五郎八姫は叫びながら撃ち終わった火縄銃を放り投げて捨てると、隣の小早川兵が着火済みの火縄銃を五郎八姫に渡して、受け取った五郎八姫が羅刹刑部に向けて即座に構える。
 そして間髪入れずに発射された銃弾は、またしても羅刹刑部の腹部に命中した。

「──ガォオオオッッ!!」

 鉄砲の連射を受けて泣き叫ぶような声を上げながら膝をついた羅刹刑部。

「痛いでござるか大谷殿ッ! そのような図体になっても! 戦いには慣れていないようでござるなッ!」

 五郎八姫が叫びながら撃ち終わった火縄銃を投げ捨てて、更にもう一丁、小早川兵から着火済みの火縄銃を受け取る。

「やはり軍師は軍師らしく! 後方でみこしに乗って采配を振るっておれば! 良かったのではないでござらぬかァッ!?」

 五郎八姫は火縄銃を構えて、三発目の銃弾を羅刹刑部に向けて撃ち放った。
 羅刹刑部は憤怒の眼差しでちらりと秀秋を一瞥したあとに、膝をついた状態から跳躍して銃弾を避けた。

「……うッ!」

 そして、羅刹刑部は五郎八姫の眼前に着地すると、五郎八姫が羅刹刑部を見上げながら息を呑み、隣の小早川兵が恐怖に腰を抜かして尻もちをついた。

「──いろはちゃんッ!」

 桃姫が叫びながら両手に仏刀を構えて駆け出す。五郎八姫は桃姫の声を受けて正気を取り戻すと、右手で仏刀夜桜の柄を握りしめ、黒鞘から引き抜き様に羅刹刑部の二発の銃弾を受けた腹部に向かって斬りつけた。

「──デヤァァアアアッッ!!」

 裂帛の声を上げた五郎八姫、しかし、それより素早く羅刹刑部は身を翻すと仏刀の腹部への斬撃をかわし、黒鱗の生えた長い尻尾を五郎八姫に向けて振り抜いた。

「──グラアァァアッッ!!」
「──尻尾ッ!?」

 羅刹刑部の憤怒の咆哮を耳にしながら驚愕の表情で声を発した五郎八姫。まさか、尻尾による攻撃が来るとは思わず油断していたその体に、渾身の一撃が放たれた。

「──がはッッ……!!」

 尻尾の一撃を横腹に喰らって城壁の上を転がりながら、物見櫓の柱に叩きつけられる五郎八姫。

「いろはちゃんッッ!!」
「っぐぅ……! 尻尾を使うな……! この、卑怯者……!」

 桃姫が叫ぶと、五郎八姫は激痛に顔を歪めながら腹部を抑え、目に涙を浮かべて羅刹刑部に向かって悪態を吐いた。

「──グガアァァアッッ!!」

 次いで、城壁の上を駆け寄ってきた桃姫に向かって、両手を広げて威嚇するように吼えた羅刹刑部。

「──来なさい」

 桃源郷と桃月を両手に構えた桃姫は濃桃色の瞳の白い波紋を拡大させていきながら、静かに羅刹刑部に告げた。

「グウウ……!! グヌウウッッ……!!」
「──楽にしてさしあげます……!」

 羅刹刑部は腹部から黒い鬼の血をボタボタと城壁の上に落としながら、桃姫を睨みながら唸り声を上げる。
 桃姫は静かに、しかし力強くそう言うと、全身の白い闘気を纏った。
 羅刹刑部はその姿を見て怯みながらも、桃姫の後方に震えながらこちらを見る小早川秀秋の姿を視界に捉えた。

「──許サンッッ……! 許ザァァアアアアンッッ!!」
「──来いッ!」

 鬼の黒い爪が伸びた黒鱗の生えた両脚を踏みしめ、、天に向かって吼えるように叫んだ羅刹刑部。
 それに相対して、桃源郷と桃月の柄を握りしめ、いつでも斬撃が放たれる構えを取った桃姫が叫ぶ。

「グゥゥウ……!! ──グラアァァアッッ!!」

 羅刹刑部は低い声を上げながら反転して、両脚を屈めると、爆発音のような大声を上げて城壁の外に向かって高く跳躍した。

「──っ!?」
「飛んだッ!?」
「……っ! 大谷殿……!」

 まさかの行動に驚いて声を漏らしたのは桃姫であった。五郎八姫も苦痛に顔を歪めながら声を上げ、秀秋も声を発した。
 跳躍した羅刹刑部は、東軍側の松尾山の斜面に着地すると、遠くの山、その山頂を赤い眼でギロリと睨みつけ、更に跳躍して松尾山城から離れていった。

「あ、あの方角は……まさかっ!?」

 秀秋が声を上げると、桃姫が振り返って秀秋を見た。

「間違いない……! 大谷殿の狙いは家康公だッ! 東軍総大将徳川家康の本陣、"桃配山"に向かっているッ!」
「……"桃配山"ッ!?」

 秀秋の言葉を聞いた桃姫は目を見開いて叫ぶように言った。
 そして、静かに振り返ると、羅刹刑部が向かった先、桃配山を見据えた。

「……行かなきゃ」

 桃姫はそう言って、白鞘に二振りの仏刀を納めると、城壁の上を歩き出した。そんな桃姫に向かって五郎八姫が声を投げかけた。

「もも……! 拙者も行くで、ござる……! ぐッ……」

 物見櫓の柱に身を預けた五郎八姫がそう言って立ち上がろうとすると、尻尾の一撃を受けた横腹に激痛が走り、苦悶の表情を浮かべてまた座り込んだ。

「いろはちゃんは、ここに残って」
「……でも」
「いろはちゃんッ!」
「くッ……! ……かたじけない……!」

 桃姫の必死の言葉を受けて、五郎八姫は歯噛みしながらついていくことを断念した。

「安心して、いろはちゃん──私は鬼退治の専門家だから」

 桃姫は笑顔でそう言って駆け出すと、城壁から颯爽と飛び降りて城門前で待っていた白桜にまたがって素早く駆け出した。

「……もも……信じてるでござるよ」

 五郎八姫はそう言うと、物見櫓の柱に寄りかかりながら灰色の雲がかった関ヶ原の空を見上げた。

「──どうッ! どうッ!」

 桃姫は声を上げながら白桜を走らせて羅刹刑部の後を追った。

「グウゥゥウッッ……!! グアァァアッッ……!!」

 松尾山を下山した羅刹刑部は、この世のものとは思えないおぞましい声を喉奥から発しながら、両手両足を器用に使って獣のように関ヶ原の戦場を疾駆していく。

「な、なんだァ……!? 化け物ッ!?」
「──グッラアァァアアッッ!!」
「ぎゃあああッ!」

 徳川本陣に向けた進行方向で発生している西軍と東軍の合戦のど真ん中に突撃し、敵味方関わらずその鬼の爪と鬼の牙で虐殺していく羅刹刑部。
 その光景はまるで、檻から放たれた獰猛な黒い獣が次々と人間を捕食しているように見えた。

「たすけ……がぁッ!」
「──ガウッッ!! ガゥルッッ!! グラァァアアッッ!!」

 雑兵たちの臓物を宙空に撒き散らしながら羅刹刑部は関ヶ原の戦場を横断し、徳川が本陣を構える桃配山へ向けて猛進する。

「……待てッ! くっ……こんな戦場の中を……!」

 桃姫は巧みに白桜のたづなを操りながら、混乱と混沌の渦巻く関ヶ原の合戦場を駆け抜けた。
 その時、桃姫の乗る白桜目掛けて一本の矢が放たれた。

「──ドウッ!」

 桃姫はたづなを強く引いて白桜の胴体を持ち上げて盛大に嘶(いななか)せると、矢を寸での所で回避させる。
 興奮した白桜が胴体をドスン──と地面に降ろすと同時に、桃姫は白桜の胴体を両足で強く蹴り、再び全力で走らせた。

「──怖いよね、でも、もう少し……! もう少しだけ走って……! 白桜……! お願いッ……!」

 桃姫は前傾姿勢を取って白桜の体に自身の体を密着させると、血管の張った白い首を右手で撫でながら祈るように告げた。
 その時、白桜の首に付けられた金色に輝く伊達家の家紋入りの馬装を見て桃姫はハッ──と気付いた。

「──っ! そうだ、私は東軍の陣地を通れるんだ……!」

 桃姫は合戦場のど真ん中を直進する羅刹刑部の道を逸れて、東軍の陣地が展開されている関ヶ原の南東部に向けて馬を走らせた。

「──忠勝殿ッ! 西の方角から白い馬が走ってきますッ! いかがなされますかっ!?」
「なに……戦場に白馬だと……! いや、待てッ! あの家紋は……! あれは、伊達の馬だッ! 撃つな! 通せッ!」

 本多忠勝が椅子から立ち上がり、野太い声を発しながら名槍とんぼ切りを掲げた。

「──感謝しますッ……!」
「──んんッ!? 戦場を白馬で走る……桃色の髪の、女武者……?」

 本多忠勝は白馬が通ったあとに残された不思議な桃の香りを嗅ぎながら、牡鹿の角が飾られた黒い兜と鬼の面の下で疑問符を浮かべた。

「──どうッ! どうッ!」

 東軍陣地を駆け抜けた桃姫は桃配山の斜面を登り始めた羅刹刑部を追いかけるようにして白桜を走らせた。
 そして遂に、徳川の葵の家紋が描かれた陣幕が貼られた桃配山の山頂まで来ると、羅刹刑部は家康を護ろうと詰め寄せた武者たちを両腕を振るって薙ぎ払いながら前進していた。

「……ひ……ひぃ……!」

 そんな羅刹刑部に向かって怯えた声を発しながら、震える手で弓を構えた東軍の若い兵の姿を桃姫は視界に捉えた。

「──借りますッ!」

 桃姫は声を上げると、白桜で走りながら若い兵の手から弓と矢を取り上げた。
 そして、揺れる馬上で器用に弓の弦に矢をあてがうと、武者の体を鬼の爪で引き裂いた羅刹刑部の赤い目に狙いを定めて限界まで引き絞った矢を撃ち放った。
 矢はビュオン──という凄まじい風切音を上げながら羅刹刑部の赤い目にドスッ──と深々と突き刺さる。

「──ギャオオォォオオッッ!!」

 羅刹刑部は突如の激痛に絶叫すると武者の亡骸を踏みにじりながら、四つ脚で駆け出す。
 そして、勢いそのまま陣幕を引き裂いて内部に突入した。

「──お、お、鬼……ッッ! 外の武者どもはいったい何をしとるか……!」

 椅子から転げ落ちた徳川家康が軍配を掲げながら叫んだ。家康の左右に侍っていた鎧武者が家康の前方に移動して、羅刹刑部に向けて長槍を構えるが、その長槍の切っ先は恐怖に震えていた。

「お、おぬしら! 何をしとるッッ! やれぇッッ!!」
「──ウォオオオッッ!!」

 家康にけしかけられた二人の鎧武者は恐怖心を振り払うように雄叫びを上げながら羅刹刑部に突撃する。
 そして、長槍の切っ先は羅刹刑部の左肩と右胸にズブリ──と突き刺さったものの、羅刹刑部は動じることなく、次の瞬間、鎧ごと武者の体を鬼の爪で貫いて殺害した。

「……あ、ああ……」
「──イエヤス──カクゴ──」

 鎧武者の亡骸を両腕から落とした羅刹刑部がそう告げながら、尻もちをついて後ずさる家康を見下ろして近づく。

「……おぬし、大谷殿……大谷殿なのであろう……? そ、そうだ……この戦が終わったならば、大谷殿の所領は安堵としようではないか……これ以上の寛大な処分はないぞ……!」
「──ガゥルルルルルッッ!!」

 顔に脂汗を浮かべた家康は笑みを浮かべながら羅刹刑部に懇願する。

「……なぁ、だから、どうか、わしの命だけは……! なにとぞ……! なにとぞ……!」
「──シネ──イエヤス──」

 羅刹刑部が血濡れた黒い鬼の爪を命乞いする家康に向けて振りかざしたその時、羅刹刑部の背後に桃色の烈風が走った。

「──ガォオオオッッ!!」

 羅刹刑部の巨体が烈風に吹き飛ばされて椅子を薙ぎ倒し、陣幕を破りながら弾き飛ばされる。
 家康が驚愕に目を見開きながら烈風の元を見ると、二振りの仏刀の銀桃色の切っ先を前方に突き出して肩で息をする桃姫の姿があった。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 濃桃色の瞳に白い波紋を拡大させた桃姫は激しく脈打つ心臓の鼓動を抑えて息を整えると、家康の前に移動して口を開いた。

「家康公……! 私の後ろに……!」
「は……はぁあぁ……」

 放心状態の家康は頷きながら声を漏らすと、尻を引きずって後ずさるようにして桃姫の背後に移動した。

「──グラアァァァアッッ!!」

 吹き飛ばされて激昂した羅刹刑部が獣のように吼えながら起き上がると、桃姫に向かって駆け出し、下半身を回転させて尻尾を桃姫の顔面に向けて振り払った。

「……ふッ!」

 桃姫は瞬時に身を伏せて尻尾の一撃をかわすと、桃源郷と桃月の柄を両手で握りしめ、稲妻のような速度で斜め上に向けて斬り上げた。

「──妖々魔奥義──妖心斬ッッ!!」
「──ギャギッッ!! ギイイィィィイッッ!!」

 激痛に絶叫する羅刹刑部と、✕字に斬り裂かれて宙空を舞う羅刹刑部の黒い尻尾。
 切断面からは黒い鬼の血が噴き出しながら、羅刹刑部は地面に倒れ込んだ。

「──悪鬼、死すべし……!」

 二振りの仏刀を構え直した桃姫は全神経を集中させてそう告げると、怯えた顔を見せて振り返った羅刹刑部と眼を合わせた。

「……グラッッ!!」

 羅刹刑部から見た桃姫の顔は、己よりも遥かに鬼気迫る顔。恐ろしい鬼の顔に見えていた。

「──雉猿狗奥義──双桃獣心閃ッッ!!」

 瞳を白く染め上げ、全身に白い闘気を纏った桃姫は、両手に構えた仏刀を横に倒し、右から左に向けて全力で薙ぎ払うように振り払った。
 恐怖に怯えた羅刹刑部は為す術なく、鬼の心臓を横に切断されると、黒い血を鬼の牙が伸びる口から吐き出し、そのまま絶命した。
 家康の眼前で繰り広げられた壮絶な鬼退治の一幕に、家康はガタガタと体を震わせながら何とか声を発した。

「……お、おぬし……何者じゃ……」

 瞳から白い波紋を失い、濃桃色の瞳に戻った桃姫が仏刀についた鬼の返り血を振るって払うと、家康の黒い目を見て告げた。

「私は桃姫──鬼退治の専門家です」
「……桃姫……」

 家康は畏怖の念と共にその名を繰り返すと、桃姫は頷いてからフッ──と関ヶ原の方を見た。

「……ッッ!!」

 関ヶ原から嫌な気配を感じ取った桃姫が徳川の陣幕から走って抜け出すと、桃配山の山頂から関ヶ原を見た。

「……鬼虫……!!」

 そこで桃姫が目にしたのは関ヶ原の空を覆うように飛び交った大量の鬼虫の群れ、そして、遠く笹尾山のふもとに立つ役小角の姿であった。

「──役小角ッッ!! 白桜……! 行くよ……!」

 桃姫はカッ──と両眼を見開いて叫ぶように言うと、白桜を呼び寄せて颯爽と騎乗し、即座に駆け出して桃配山を降っていった。

「……は、はぁああ……」

 家康は地面に尻もちをついたまま呆然としながらその様子を見届けていた。
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