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第三幕 覚心 Heart of Awakening

16.超常なる仏の力

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「父上っ! 父上殿っ!」
「…………」

 すぐさま五郎八姫は起き上がると、地面に仰向けに倒れる政宗の肩をゆすって叫んだ。
 一方、桃姫は雉猿狗が失われた光景が脳裏に焼き付いており、その場に座り込むと放心状態となっていた。

「う、動かすな、ごろはち。内臓が、だいぶん、やられておるのだ」

 政宗は口から血を吐き出しながら苦悶の声で告げた。

「そんな……! 医者、すぐに医者を呼んでくるでござる……!」

 気が動転した五郎八姫がそう言って立ち上がろうとしたところを、政宗が腕を掴んで引き止めた。

「ごろはち、おちつけ。俺の体のことは俺が一番よくわかっておる、こいつは、医者で助かるような、状態では、ない……ぐっ」
「……っ」

 政宗は血の塊を吐き出しながらそう言うと、燃える天守閣を見上げた。

「ああ、仙台城。ごろはち、お前がほしいと言った天守閣が燃えてしまった……ああ、ちくしょう」

 政宗は涙を流して、眼帯を濡らした。そして、地面にしゃがみこんで放心状態の桃姫の姿を見て口を開いた。

「桃姫、ごろはち。逃げろ。雉猿狗殿の言葉を忘れるな。お前たちを生かすために雉猿狗殿は犠牲になったのだ」
「……雉猿狗……」

 桃姫は光が失われた暗い濃桃色の瞳で呟くと、政宗は五郎八姫を見て言った。

「ごろはち、お前がやるんだ。お前が、桃姫をここから逃がすんだ。桃姫が鬼退治の希望だ。お前にも、それがわかるだろ」
「……う、うう……父上、父上を置いて行けない……」

 政宗の言葉を聞いた五郎八姫は涙を流しながら声を震わせた。桃姫は呆然とし、五郎八姫は涙を流す。
 死期が迫っていることを感じ取った政宗は思わず天を仰いだ。
 そして、その仰ぎ見た先、燃える仙台城の天守閣から巨大な蜘蛛が夜空に向かって飛び出すのを見た。

「……まずい……来るぞ、鬼蝶が……ッ」

 政宗の震える声を聞いて、五郎八姫と桃姫が夜空を見上げる。
 次の瞬間、ドォォオン──という地鳴りと共に羅刹般若が三人の前に巨体をうならせながら着地した。

「──うふふっ。どこにも逃げ場なんてないわよ♪」

 後頭部の鬼蝶はそう言って笑みを浮かべると、ガサガサガサ──と八本脚を蠢かして羅刹般若の顔を三人に向けた。

「──雉猿狗を喰らってから、なんだか、体がすごく熱いの。あァ……まるで雉猿狗の力が、私の中で渦を巻いているみたい……」
「……ッ」

 鬼蝶は頬に指を当てて、うっとりとした恍惚の表情を浮かべながらそう言うと、桃姫は憎悪に顔を歪めて羅刹般若を睨みつけた。

「──あらァ、桃姫ちゃん。なによ、そのお顔は……あははははっ! 悔しかったら私を倒して腹かっさばいて雉猿狗を救ってご覧なさい。でも、ドロドロに溶かしちゃったから、もう遅いけどねェ……あっはっはっはっは!」
「……返せ……雉猿狗を……返せ」

 桃姫は鬼蝶の嘲笑を受けながら濃桃色の瞳に怒りの熱を込めて立ち上がる。そして、憤怒の言葉を繰り返しながら桃源郷と桃月を両手に握りしめて構えた。

「……雉猿狗を返せ……おつるちゃんを返せッ!」
「桃姫……!」
「ももッ……」

 全身から白く揺らめく殺気を放ち始めた桃姫の姿を見て、政宗と五郎八姫が声を投げかけた。しかし、桃姫は一切気にすることなく、一歩、また一歩と羅刹般若に向けて歩みを進めた。

「──そうよ! それッ! 私それが見たかったのッ! 堺の都で見たその白い殺気ッ! 私の見間違いじゃなかった……! あはははははっ!」
「……雉猿狗を返せッ! ……おつるちゃんを返せッ──」

 高笑いする鬼蝶の声が"背面"から発せられながらも、羅刹般若は接近する桃姫に対して警戒し、ググッと身構える。
 羅刹般若を睨みながら呟き続ける桃姫は、白い殺気を陽炎のように揺らして身を低くしずめると、一息で相手と距離を縮める妖々剣術仕込みの体技、"縮地"を用いた。

「──ッ!」

 驚いた鬼蝶が羅刹般若の前脚の一本を前方に振るって急接近してきた桃姫を弾き飛ばそうとすると、桃姫は白い残像だけを残して消えており、その上方にゆらりと姿を現した。

「──妖怪から何を学んだのよ、あなたはッ!」

 わめいた鬼蝶が振るった前脚を上方に向けて振るうと、またしても桃姫は白い残像を残して姿を消し、前脚は空を斬って、空振りに終わる。
 次の瞬間、桃姫は羅刹般若の後ろ、鬼蝶の前方に居た。

「──まるで亡霊の戦い方じゃないのよッッ!!」

 鬼蝶は両目から赤い炎を噴き上げながら叫ぶと、熱線を桃姫に向けて撃ち放った。白い残像の桃姫が鬼蝶を睨みつけながら炎の中で揺らめく。
 桃姫の残像が炎に飲み込まれながら霧散していく様を見た鬼蝶は熱線を止めて、"鬼"の赤い文字が浮かぶ黄色い目を左右に動かした。

「──ヤエエエエエエッッ!!」
「──右ッ!」

 次の瞬間、鬼蝶の右側から聞こえた桃姫の裂帛の声。
 鬼蝶は咄嗟に右を向きながら叫ぶが、それとは異なり、羅刹般若は左側の脚四本を上方に向けて全力で弾くように伸ばした。

「……ッッ!!」

 両手に仏刀を構え、銀桃色の刃を光らせながら、鬼蝶の左側面に対して捨て身かつ渾身の斬りつけを行おうとしていた桃姫の体に、不意に伸ばされた巨大な般若顔から伸びる左側の脚の一本が命中する。

「ガハッッ!!」

 羅刹般若の巨体から繰り出される単純ながらも超常なる衝撃を受けた桃姫は、両手から仏刀を手放すと、その体は宙を舞いった。
 そして、仙台城の脇にある蔵の外壁にぶつかると、壁に穴を開けて内部に入り込む。

「ももォッッ!!」
「桃姫っ……!」

 その光景を見た五郎八姫と政宗が戦慄しながら絶叫の声を上げた。
 鬼蝶は右を向いていた顔を左に向けると、土煙を上げる穴が空いた蔵を遠くに見ながら、くすりと笑って口を開いた。

「──桃姫ちゃん、どう? あなたが私を騙すから、今度は私の方から仕掛けてみたのよ。って、聞こえないわよねェ……あはははははっっ!!」
「う、うう……!」

 五郎八姫は怯えながら羅刹般若を見ると、政宗の腕を掴んでその身を背負い上げた。

「ごろはち、俺のことは構うな……! 逃げろ……! お前だけでも逃げるんだ……!」
「いやでござるッ! 父上を見殺しにできるわけないでござろうよぉッ!」

 五郎八姫は背中で声を上げる政宗に対して涙を流して絶叫して返すと、羅刹般若から距離を離そうと歩き出す。

「──こらァ……に・げ・る・な♪」

 鬼蝶はちらりと横目で見た五郎八姫と政宗の後ろ姿に対してそう言うと、ドスドスドス──と羅刹般若の太い八本脚で地面を踏みしめながら接近した。

「……う、うう……あああっ!」

 五郎八姫がちらりと振り返ると、羅刹般若の恐ろしい異形が眼前に迫っており、五郎八姫はその場に倒れ込んで背負っていた政宗も地面に投げ出してしまった。

「あ、ああ……!」
「ごろはち……!」

 政宗が震える五郎八姫を抱き寄せると腕の中で固く抱きしめた。

「父上殿……すまないでござる、拙者が頼りないばかりに……逃げ出すこともできなかったでござる……」
「そんなこと言うな、ごろはち。お前は伊達の立派な跡取りだ。俺がそう決めたんだ」
「……父上殿ぉ」

 五郎八姫が泣きじゃくりながら政宗の胸に顔を押し当てた。
 羅刹般若がその様子を見下ろしていると背面の鬼蝶が退屈そうにあくびをしながら声を発した。

「──ねェえ……? もう殺しても、いいかしらァ……?」
「……勝手にしろ、化け物」

 政宗の吐き捨てるような言葉を聞いた鬼蝶は横目でちらりと冷たく伊達父娘の姿を見た後、羅刹般若の前脚の二本をズズズ──と持ち上げて、政宗と五郎八姫に差し向けた。

「いろは……」

 政宗は腕に固く抱く愛する娘の名を呟くと片目を閉じて、父娘の最後の時を受け入れた。
 その頃、穴から差し込んだ月明かりがぼんやりと照らす蔵の中で薄く目を開いた桃姫の前におつるが立っていた。

「……おつるちゃん、ごめんね……私……おつるちゃんの仇、取れなかったよ……」

 桃姫は瓦礫に体を預けながら、力なくおつるに告げる。
 おつるは黙ったまま、桃姫のことを見ていた。すると、おつるの後ろにもう一つの人影が現れた。

「──桃姫」
「……父上っ……!」

 桃姫はおつるの背後に現れた桃太郎の姿を見て驚きの声を上げる。

「──立ち上がれ、桃姫」

 桃太郎は力強い濃桃色の瞳を向けてそう言うと、桃姫は首を横に振って口を開いた。

「父上、だめだよ……あんな鬼には敵わない。雉猿狗もいなくなっちゃったんだよ……」

 桃姫が言うと、桃太郎は右手の手のひらを自身の左胸、心臓の上に押し当てながら口を開いた。

「──超常なる鬼の力には、超常なる仏の力を使え」
「……超常なる、仏の力……」

 桃姫は桃太郎の言葉を繰り返した瞬間、自身の左胸、心臓の鼓動が強く脈動し始めるのを感じた。

「──桃姫、その熱い鼓動こそが、私と桃姫の体に流れている──超常なる仏の力だ」
「──がんばって、桃姫ちゃん」
「……父上、おつるちゃんっ……!」

 桃姫が叫びながらカッと目を見開くと、桃太郎とおつるの姿は蔵の中から消えていた。
 そして、代わりに見えたのは月明かりに照らされる大量の刀と槍であった。
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