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第三幕 覚心 -Heart of Awakening-
4.大空華の法
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次の瞬間、祭壇の壁面に磔(はりつけ)にされるように九本の刀で串刺しにされた悪路王の姿を役小角は見上げていた。
両腕、両脚、肩、胴体、心臓、でたらめに九本の太刀が突き刺されており、悪路王は鍛え抜かれた白い肌から赤い血を垂れ流していた。
「……血は、人間の色をしているのか」
全身に返り血を浴びた涙目の役小角は黄金の錫杖を震える両手で抱きしめながら思わず呟いた。
悪路王の頭はだらりと伏せられており、長く白い頭髪によって死に顔はうかがえない。
この世ならざる存在に思えた鬼の王の血の色は、人間と同じ赤色だったのかと役小角はぼんやりと思考の隅で考えてしまう。
そして、役小角は祭壇と悪路王以外は、なるべく見ないようにしていた。
辺り一帯には、ほんの数分前まで生きた侍だった肉塊が、はじけたザクロのように大量に散らばっているのだ。
「……うう……ああっ……」
「介錯御免」
頭が潰された状態で眼球が飛び出していても、まだかろうじて息のある侍もいたが、助かる見込みは皆無であり、他の侍の介錯によって手早く絶命させられていた。
このような凄惨な"修羅場"でありながら、役小角は奇跡的に無傷であった。
しかし、それは果たして本当に奇跡であったのだろうか。役小角は自分自身を疑っていた。
ほんの数分前の死闘の最中。後方で侍衆に向けて筋力を増強させる法術を唱え続けていた役小角は、度々悪路王と目が合っていた。
目が合う度に悪路王は美しい笑みを浮かべ、怒声を張り上げながら迫ってくる侍たちを次々と両手の仁王像で肉塊に変えていた。
後方に陣取って無防備にマントラを唱え続ける役小角を始末することなど、悪路王からすれば赤子の手をひねるより容易いこと。
しかし、悪路王はそれをしなかった。
「悪路王覚悟ォォオオッッ!!」
侍の雄叫びとともに悪路王の腕に振り下ろされた太刀は一寸潜り込んだだけで強靭な筋肉によって阻まれて止まり、それにギョッとした侍の口めがけて阿行像がぶつけられ顔面が破砕された。
「ひ、人にあって、人にあらず……! 此奴は、正真正銘……! 鬼の王……!」
怯えた侍が後ずさりすると、田村麻呂が一歩前に踏み出した。
「ならば、此処で成敗するまで! 此処で我らが怯めば日ノ本で鬼の世が始まるでおじゃるぞ!」
田村麻呂は怖気付いて逃げ出そうとする侍たちを鼓舞するように太刀を振り上げた。
「──みなの衆……麻呂に続くのじゃあッ!!」
「──ウォオオオオッッ!!」
駆け出した田村麻呂に続いて雄叫びを上げた侍たちが走り出す。その光景を見て喜んだのは悪路王であった。
鮮血にまみれた唇を裂いてにんまりと笑うと、眼光鋭い坂上田村麻呂、そして決死の形相で向かってくる侍の一群に向けて両手の阿吽像を激しく叩いてカチ鳴らし、嬉しそうに叫んだ。
「──これぞッッ!! これぞ鬼の宴ッッ!!」
「ひくな! 決してひくでないぞ!」
「ここで彼奴を野放しにすれば、日ノ本にどれだけの災禍が降ろうか!」
「わしらで喰い止める、ここで鬼の種を摘み取るのだ!」
「小角殿! 法術を止めるな! 集中しろ! 悪路王の"魔眼"に取り込まれるでないぞ!」
「は……はいっ!」
洞窟内に響くのは侍たちの怒声と悲鳴と肉が潰れる音。悪路王は終始笑みを浮かべたまま心の底から殺戮を楽しんでいた。
役小角に対して殺しがいかに楽しいかを伝えるかのように、悪路王は踊るようにして、侍たちを次々と見事な肉塊へと変貌させていった。
「みなの衆ッ! 己が命を投げ捨てッ! 戦うのでおじゃあッッ!」
「殿……!」
「殿に続けェエエエエッッ!!」
「ダアアアアアアッッ!!」
「ウオオオオオオッッ!!」
悪路王の濁っていた赤黒い眼球は、舞えば舞うほどに輝きを増していき、いまや美しい真紅に染まっていた。
役小角はマントラを唱え、侍たちを法術で支援しながらも、しかし、その視線は完全に悪路王に注がれており、悪路王もまた時折、役小角を見ては魅力的にほほ笑んだ。
──悪路王、おぬしは美しい。
役小角は、どうしようもなく、そう思ってしまった。
──おぬしは、恐ろしいまでに美しい。
──純然たる悪。超然たる美。
役小角はうっとりした笑みを浮かべ、悪路王と視線を交差させた。
──ああ……永遠にこの刻が続けばよいのに。
──私は……私は、おぬしになりたい。
役小角の夢うつつの時間。しかし、不意の一突きが夢の時間を終わらせた。
田村麻呂が撃ち放った渾身の一突きが悪路王の脇に突き刺さり、次いで伸びてきた太刀の一本が悪路王の肩に突き刺さった。
その後は、侍たちの一気呵成である。次々と太刀の切先が悪路王に向けて飛来していった。
「貫けェェッッ!!」
「やれぇぇぇッッ!!」
遂には侍たちによって祭壇の壁面に押し付けられた悪路王は、両手に肉片のこびりついた仁王像を握りしめたまま串刺しの芸術作品となっていった。
悪路王は刺されてもなお静かな笑みを浮かべており、怒声や断末魔の悲鳴を上げたり、苦痛に顔を歪ませることはなかった。
戦いに必死だった侍たちは誰もそのことに気づかなかったかもしれないが、戦場の後方に陣取っていた役小角は悪路王のその様子をしかと見ていた。
「……小角殿、無事でおじゃるか」
祭壇の壁面に磔にされた悪路王を呆然と見ていた役小角に声を掛けたのは、討伐隊を率いる征夷大将軍、坂上田村麻呂その人であった。
「……は……はい」
「あまり、見るでないぞよ。"持っていかれる"でおじゃる」
「……"持っていかれる"……」
田村麻呂の言葉を呆然と繰り返した役小角。
「さあ、みなの衆! 悪路王を引きずり降ろすでおじゃる! 恐山の山頂に運び、早急に焼却するでおじゃる!」
「……"持って、いかれる"……」
田村麻呂の声を合図にして、生き残った侍たちによって悪路王の全身から九本の太刀が引き抜かれていく。
壁面から降ろされた悪路王の亡骸が侍たちによって担がれて祭壇から洞窟の外に向けて運ばれようとしていた。
「…………」
役小角の横を侍たちが通り過ぎる瞬間、白い髪の隙間から覗く悪路王の満面の笑みを役小角は見た。
死してなお妖しく輝く悪路王の真紅の眼球が、役小角の深淵の宇宙をたたえる瞳の内側へと入り込み、脳の奥底に深く、深く染み込んで行く。
「──見つけたぞ……私の"大空華"」
その瞬間、役小角は"持っていかれて"いた。
そして見つけ出していた。"大空華の法"を──。
役小角は鬼ノ城の赤い部屋で千年前の古い記憶から意識を戻した。
「────! ────!」
「なにを騒いでおるか……"でっけぇ空華"……おぬしが探せと言ったのだぞ。一言主」
年老いた白髪の役小角はそう言いながら一言主を封じる自分の腹を撫でた。
「そして、わしは見つけたのだ。千年前のあの日、蝦夷地にて……のう、悪路王」
机の上に置かれた小さな祭壇には、赤い紐で結ばれた一房の白い髪が置かれていた。
「……さぁ、"でっけぇ空華"を咲かせようではないか。わしの千年の片想い、"大空華"をのう──かかかかかかッッ!!」
役小角の笑い声は閉じられた扉の外で待つ前鬼と後鬼の耳にも届いた。
両腕、両脚、肩、胴体、心臓、でたらめに九本の太刀が突き刺されており、悪路王は鍛え抜かれた白い肌から赤い血を垂れ流していた。
「……血は、人間の色をしているのか」
全身に返り血を浴びた涙目の役小角は黄金の錫杖を震える両手で抱きしめながら思わず呟いた。
悪路王の頭はだらりと伏せられており、長く白い頭髪によって死に顔はうかがえない。
この世ならざる存在に思えた鬼の王の血の色は、人間と同じ赤色だったのかと役小角はぼんやりと思考の隅で考えてしまう。
そして、役小角は祭壇と悪路王以外は、なるべく見ないようにしていた。
辺り一帯には、ほんの数分前まで生きた侍だった肉塊が、はじけたザクロのように大量に散らばっているのだ。
「……うう……ああっ……」
「介錯御免」
頭が潰された状態で眼球が飛び出していても、まだかろうじて息のある侍もいたが、助かる見込みは皆無であり、他の侍の介錯によって手早く絶命させられていた。
このような凄惨な"修羅場"でありながら、役小角は奇跡的に無傷であった。
しかし、それは果たして本当に奇跡であったのだろうか。役小角は自分自身を疑っていた。
ほんの数分前の死闘の最中。後方で侍衆に向けて筋力を増強させる法術を唱え続けていた役小角は、度々悪路王と目が合っていた。
目が合う度に悪路王は美しい笑みを浮かべ、怒声を張り上げながら迫ってくる侍たちを次々と両手の仁王像で肉塊に変えていた。
後方に陣取って無防備にマントラを唱え続ける役小角を始末することなど、悪路王からすれば赤子の手をひねるより容易いこと。
しかし、悪路王はそれをしなかった。
「悪路王覚悟ォォオオッッ!!」
侍の雄叫びとともに悪路王の腕に振り下ろされた太刀は一寸潜り込んだだけで強靭な筋肉によって阻まれて止まり、それにギョッとした侍の口めがけて阿行像がぶつけられ顔面が破砕された。
「ひ、人にあって、人にあらず……! 此奴は、正真正銘……! 鬼の王……!」
怯えた侍が後ずさりすると、田村麻呂が一歩前に踏み出した。
「ならば、此処で成敗するまで! 此処で我らが怯めば日ノ本で鬼の世が始まるでおじゃるぞ!」
田村麻呂は怖気付いて逃げ出そうとする侍たちを鼓舞するように太刀を振り上げた。
「──みなの衆……麻呂に続くのじゃあッ!!」
「──ウォオオオオッッ!!」
駆け出した田村麻呂に続いて雄叫びを上げた侍たちが走り出す。その光景を見て喜んだのは悪路王であった。
鮮血にまみれた唇を裂いてにんまりと笑うと、眼光鋭い坂上田村麻呂、そして決死の形相で向かってくる侍の一群に向けて両手の阿吽像を激しく叩いてカチ鳴らし、嬉しそうに叫んだ。
「──これぞッッ!! これぞ鬼の宴ッッ!!」
「ひくな! 決してひくでないぞ!」
「ここで彼奴を野放しにすれば、日ノ本にどれだけの災禍が降ろうか!」
「わしらで喰い止める、ここで鬼の種を摘み取るのだ!」
「小角殿! 法術を止めるな! 集中しろ! 悪路王の"魔眼"に取り込まれるでないぞ!」
「は……はいっ!」
洞窟内に響くのは侍たちの怒声と悲鳴と肉が潰れる音。悪路王は終始笑みを浮かべたまま心の底から殺戮を楽しんでいた。
役小角に対して殺しがいかに楽しいかを伝えるかのように、悪路王は踊るようにして、侍たちを次々と見事な肉塊へと変貌させていった。
「みなの衆ッ! 己が命を投げ捨てッ! 戦うのでおじゃあッッ!」
「殿……!」
「殿に続けェエエエエッッ!!」
「ダアアアアアアッッ!!」
「ウオオオオオオッッ!!」
悪路王の濁っていた赤黒い眼球は、舞えば舞うほどに輝きを増していき、いまや美しい真紅に染まっていた。
役小角はマントラを唱え、侍たちを法術で支援しながらも、しかし、その視線は完全に悪路王に注がれており、悪路王もまた時折、役小角を見ては魅力的にほほ笑んだ。
──悪路王、おぬしは美しい。
役小角は、どうしようもなく、そう思ってしまった。
──おぬしは、恐ろしいまでに美しい。
──純然たる悪。超然たる美。
役小角はうっとりした笑みを浮かべ、悪路王と視線を交差させた。
──ああ……永遠にこの刻が続けばよいのに。
──私は……私は、おぬしになりたい。
役小角の夢うつつの時間。しかし、不意の一突きが夢の時間を終わらせた。
田村麻呂が撃ち放った渾身の一突きが悪路王の脇に突き刺さり、次いで伸びてきた太刀の一本が悪路王の肩に突き刺さった。
その後は、侍たちの一気呵成である。次々と太刀の切先が悪路王に向けて飛来していった。
「貫けェェッッ!!」
「やれぇぇぇッッ!!」
遂には侍たちによって祭壇の壁面に押し付けられた悪路王は、両手に肉片のこびりついた仁王像を握りしめたまま串刺しの芸術作品となっていった。
悪路王は刺されてもなお静かな笑みを浮かべており、怒声や断末魔の悲鳴を上げたり、苦痛に顔を歪ませることはなかった。
戦いに必死だった侍たちは誰もそのことに気づかなかったかもしれないが、戦場の後方に陣取っていた役小角は悪路王のその様子をしかと見ていた。
「……小角殿、無事でおじゃるか」
祭壇の壁面に磔にされた悪路王を呆然と見ていた役小角に声を掛けたのは、討伐隊を率いる征夷大将軍、坂上田村麻呂その人であった。
「……は……はい」
「あまり、見るでないぞよ。"持っていかれる"でおじゃる」
「……"持っていかれる"……」
田村麻呂の言葉を呆然と繰り返した役小角。
「さあ、みなの衆! 悪路王を引きずり降ろすでおじゃる! 恐山の山頂に運び、早急に焼却するでおじゃる!」
「……"持って、いかれる"……」
田村麻呂の声を合図にして、生き残った侍たちによって悪路王の全身から九本の太刀が引き抜かれていく。
壁面から降ろされた悪路王の亡骸が侍たちによって担がれて祭壇から洞窟の外に向けて運ばれようとしていた。
「…………」
役小角の横を侍たちが通り過ぎる瞬間、白い髪の隙間から覗く悪路王の満面の笑みを役小角は見た。
死してなお妖しく輝く悪路王の真紅の眼球が、役小角の深淵の宇宙をたたえる瞳の内側へと入り込み、脳の奥底に深く、深く染み込んで行く。
「──見つけたぞ……私の"大空華"」
その瞬間、役小角は"持っていかれて"いた。
そして見つけ出していた。"大空華の法"を──。
役小角は鬼ノ城の赤い部屋で千年前の古い記憶から意識を戻した。
「────! ────!」
「なにを騒いでおるか……"でっけぇ空華"……おぬしが探せと言ったのだぞ。一言主」
年老いた白髪の役小角はそう言いながら一言主を封じる自分の腹を撫でた。
「そして、わしは見つけたのだ。千年前のあの日、蝦夷地にて……のう、悪路王」
机の上に置かれた小さな祭壇には、赤い紐で結ばれた一房の白い髪が置かれていた。
「……さぁ、"でっけぇ空華"を咲かせようではないか。わしの千年の片想い、"大空華"をのう──かかかかかかッッ!!」
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