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第三幕 覚心 -Heart of Awakening-
2.一言主と役小角
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それから半年が経ったある冬の日。役小角は修行の場を葛城山に定め、今日も研鑽を積んでいた。
「──精が出るのう。人の子よ」
雪が降りしきる凍える山頂であぐらをかいて瞑想をする役小角に女神が声をかけた。
「……よう女神、邪魔しているぞ」
役小角は目を開けて答えて返す。そして立ち上がると、清水をたたえる泉に近づいた。
「この泉は冬場も凍らないので助かる」
そう言って水をすくって飲む役小角の背中を女神は腕を組んで烏天狗の仮面の下から眺めた。
「……そうだ、女神。先日京で面白い話を聞いたぞ……"仏薬"の話だ」
役小角は腕で口元をぬぐってからそう言うと、女神に振り返った。
「……なんでも、千年にわたって善行を積み重ねた人間が、その集大成としてただ一雫のみ生み出せる秘薬だそうな……"仏薬"、そいつを飲めば、全ての鬼をけちらす聖なる仏の力が手に入るとか、なんとか」
「──人の子よ。その話には大きな欠点があるぞ」
役小角の言葉を黙って聞いていた女神は仮面の下でくすりと笑いながら声を発した。
「──千年の時を生きた人の子など、この世にはおらぬということだ」
女神の言葉を聞いた役小角は目をカッと見開いて大口を開けて笑い出した。
「かかか! その通りだッ! 全くもってその通りッ! かかか!」
ひとしきり笑ったあと、役小角は足元に置いていた頭陀袋を拾い上げ、女神に歩み寄りながら話しだした。
「……"仏薬"……私が咲かせる"でっけぇ空華"にふさわしいと思うたのだが、そうだな……千年を生きることはできん」
「──残念だったな」
役小角と腕を組んだ女神が対面すると、役小角は深淵の宇宙をたたえた瞳で仮面の奥の女神の瞳を見つめた。そして、口を開く。
「葛城山に来るのは、今日で最後かもしれん」
「──?」
役小角の言葉に疑問符を浮かべた女神。役小角は頭陀袋の中に手を突っ込み一枚の紙を取り出した。
「遥か北の蝦夷地に悪路王という名の鬼の王がいる……蝦夷地に鬼の国を作り出さんとする悪逆非道の鬼の王だ」
役小角が差し出した紙を受け取った女神が悪路王の人相書きと"悪路王討伐隊志願者求む"と書かれているのを見た。
「征夷大将軍、坂上田村麻呂が率いるその悪路王討伐隊に……私も参加しようと思う」
「──そうか。して、なぜそれが"今日で最後"になる」
女神は紙を役小角に突き返しながら疑問を言った。
「……わからんか? 私は死ぬやもしれんのだ。人というのは呆気なく死ぬものだ。葛城山にこもっている女神は人の死に触れることは少ないだろうが、日ノ本は死地だ……そこら中で人が死んでいる。戦、疫病、餓え……」
「──悪かったのう──世間知らずの山の女神で」
役小角が紙を頭陀袋に戻しながら言うと、女神はふてくされたようにつぶやいた。
「悪路王討伐隊に私は死ぬ覚悟で参加する……しかし、この蝦夷地への遠征で、私はなにか見つけられそうな予感がするのだ」
役小角は両手の拳を固く握りしめて言葉を続けた。
「……己の人生をかけて咲かせる"でっけぇ空華"の手がかり……紙に描かれた悪路王の人相書きを見たとき、私はそいつに会ってみたいと強く思うた」
「──なるほどな。止めはせん──そなたの人生だ」
役小角のいつになく熱意の込められた声音に女神は頷いて返した。
「……蝦夷地から生きて帰ってきた暁には、女神になにを見つけたか話そう。カサゴの干物と酒を手土産にな」
「──ふっ。楽しみにしておる──人の子」
役小角は頭陀袋を担ぎ直すと、女神のもとから歩き出す。そこで、ふと役小角は立ち止まり、女神に向き直った。
「役小角……"でっけぇ空華"を探す人の子の名だ」
そう言って、笑みを浮かべた役小角は再び歩き出す。空から降る雪は強さを増していき、消えかかっていくその背中に向けて、女神が声を投げかけた。
その女神の声は葛城山全体から役小角に向けて発せられる声であった。
「──一言主。葛城山の女神の名だ」
「……っ」
役小角がその声を聞き届けた瞬間、前方の宙空に黄金の錫杖が現れた。
「──余の錫杖を預ける。生きて帰れ──役小角」
役小角は吹雪と化していく葛城山に響き渡る声を耳にしながら宙空に浮かぶ黄金の錫杖を受け取って両手で握りしめた。
「……また会おう──一言主」
そう力強く言った役小角は、黄金の錫杖で積雪を突き、金輪をチリンチリンと鳴らしながら、吹雪の葛城山を一歩一歩下山していった。
「──精が出るのう。人の子よ」
雪が降りしきる凍える山頂であぐらをかいて瞑想をする役小角に女神が声をかけた。
「……よう女神、邪魔しているぞ」
役小角は目を開けて答えて返す。そして立ち上がると、清水をたたえる泉に近づいた。
「この泉は冬場も凍らないので助かる」
そう言って水をすくって飲む役小角の背中を女神は腕を組んで烏天狗の仮面の下から眺めた。
「……そうだ、女神。先日京で面白い話を聞いたぞ……"仏薬"の話だ」
役小角は腕で口元をぬぐってからそう言うと、女神に振り返った。
「……なんでも、千年にわたって善行を積み重ねた人間が、その集大成としてただ一雫のみ生み出せる秘薬だそうな……"仏薬"、そいつを飲めば、全ての鬼をけちらす聖なる仏の力が手に入るとか、なんとか」
「──人の子よ。その話には大きな欠点があるぞ」
役小角の言葉を黙って聞いていた女神は仮面の下でくすりと笑いながら声を発した。
「──千年の時を生きた人の子など、この世にはおらぬということだ」
女神の言葉を聞いた役小角は目をカッと見開いて大口を開けて笑い出した。
「かかか! その通りだッ! 全くもってその通りッ! かかか!」
ひとしきり笑ったあと、役小角は足元に置いていた頭陀袋を拾い上げ、女神に歩み寄りながら話しだした。
「……"仏薬"……私が咲かせる"でっけぇ空華"にふさわしいと思うたのだが、そうだな……千年を生きることはできん」
「──残念だったな」
役小角と腕を組んだ女神が対面すると、役小角は深淵の宇宙をたたえた瞳で仮面の奥の女神の瞳を見つめた。そして、口を開く。
「葛城山に来るのは、今日で最後かもしれん」
「──?」
役小角の言葉に疑問符を浮かべた女神。役小角は頭陀袋の中に手を突っ込み一枚の紙を取り出した。
「遥か北の蝦夷地に悪路王という名の鬼の王がいる……蝦夷地に鬼の国を作り出さんとする悪逆非道の鬼の王だ」
役小角が差し出した紙を受け取った女神が悪路王の人相書きと"悪路王討伐隊志願者求む"と書かれているのを見た。
「征夷大将軍、坂上田村麻呂が率いるその悪路王討伐隊に……私も参加しようと思う」
「──そうか。して、なぜそれが"今日で最後"になる」
女神は紙を役小角に突き返しながら疑問を言った。
「……わからんか? 私は死ぬやもしれんのだ。人というのは呆気なく死ぬものだ。葛城山にこもっている女神は人の死に触れることは少ないだろうが、日ノ本は死地だ……そこら中で人が死んでいる。戦、疫病、餓え……」
「──悪かったのう──世間知らずの山の女神で」
役小角が紙を頭陀袋に戻しながら言うと、女神はふてくされたようにつぶやいた。
「悪路王討伐隊に私は死ぬ覚悟で参加する……しかし、この蝦夷地への遠征で、私はなにか見つけられそうな予感がするのだ」
役小角は両手の拳を固く握りしめて言葉を続けた。
「……己の人生をかけて咲かせる"でっけぇ空華"の手がかり……紙に描かれた悪路王の人相書きを見たとき、私はそいつに会ってみたいと強く思うた」
「──なるほどな。止めはせん──そなたの人生だ」
役小角のいつになく熱意の込められた声音に女神は頷いて返した。
「……蝦夷地から生きて帰ってきた暁には、女神になにを見つけたか話そう。カサゴの干物と酒を手土産にな」
「──ふっ。楽しみにしておる──人の子」
役小角は頭陀袋を担ぎ直すと、女神のもとから歩き出す。そこで、ふと役小角は立ち止まり、女神に向き直った。
「役小角……"でっけぇ空華"を探す人の子の名だ」
そう言って、笑みを浮かべた役小角は再び歩き出す。空から降る雪は強さを増していき、消えかかっていくその背中に向けて、女神が声を投げかけた。
その女神の声は葛城山全体から役小角に向けて発せられる声であった。
「──一言主。葛城山の女神の名だ」
「……っ」
役小角がその声を聞き届けた瞬間、前方の宙空に黄金の錫杖が現れた。
「──余の錫杖を預ける。生きて帰れ──役小角」
役小角は吹雪と化していく葛城山に響き渡る声を耳にしながら宙空に浮かぶ黄金の錫杖を受け取って両手で握りしめた。
「……また会おう──一言主」
そう力強く言った役小角は、黄金の錫杖で積雪を突き、金輪をチリンチリンと鳴らしながら、吹雪の葛城山を一歩一歩下山していった。
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